DEAR ROIに帰ろう

紫野楓

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「ケーキの前にさァ、なんか優月に言うことあるんじゃないの?」

 突然翔がノエルの頭に手を乗せて話を遮った。ノエルは少し驚いたように体を跳ねさせて翔を見上げる。翔の口元は笑っていたけれどとても真剣な目でノエルを見下ろしていて、強引にショウケースに張り付いているノエルの体を僕の方に向けさせた。

「お前の大事なうさぎちゃん、ここにくるまでずっーと持ってもらってなかった?」

 確かに僕もうさぎのノエルをずっと持っていた。ごく自然に息を吸うように持っていた。改めて言われるまでその事実をすっかり忘れていたくらいだ。

「何かしてもらった時に言う言葉……ノエル知らないの? もう五歳のお兄さんなのに?」

 でもノエルはむきになってなにも言わない。ただ林檎色の頬をふくらませて視線を右から左に行ったり来たりさせるだけ。表情が、分かってる、って顔してる。分かってるんだけど素直に言うタイミングを失いましたっていう感じ。瞳は突然海に放り出されて限界を失ってしまった飼育魚のように不安定にあっちに行ったりそっちに行ったり。

 ノエルの後ろの翔はノエルに表情が見えないことをいいことに、僕に目配せしてくる。眼鏡越しの彼の両目の片方が、星屑が跳ねるように一瞬閉じて開いた。僕は体が少し熱くなる。困っていたのを間違いなく見透かされていた。

 僕の動揺なんて少しも分かってないふうに、翔はノエルを見下ろしながら、ノエルに見えないことをいいことに。くすくす笑っているんだった。なかなかに頑固なこの子のようすが面白いようだ。釣られて僕も笑顔になってしまいそうだった。さっきまで、僕は彼の対応についてかなり真剣に悩んでいたはずなのに。それが馬鹿らしく思えてくる。

 誰がそう思わせているんだろう。

「ノエルが優月になにも言わなくていいと思うのなら、そうしたらいいよ」

 翔が後ろからノエルの肩を抱いて顔を覗き込む。ノエルはやっぱり翔と目を合わせるのが癪みたいで、なかなか合わせようとしない。黒うさぎのノエルが、ノエルに抱かれてギュッとなる。

 少年は大きな目をさらに大きくさせて、ついに翔の方を見た。僕の横、ショウケースの後ろで慶秋さんもくすくす笑ってる。僕はこんなに愉快そうに笑う慶秋さんを初めて見たかもしれない。いつも微笑んでいるけど、なんとなく哀愁が漂っている気がしていた。いつもは瞳の奥に、深い隠し事のようななにかがある気がするんだ。

「自分で決めなよ。自分のことなんだし、好きにしな。でも俺、ノエルがこのまま優月に何も言わなかったら、すごく……残念に思うよ、ノエル。お前、そんなやつだったんだ、って、嫌な気持ちになるかな、それで、多分嫌だなって思うの、俺だけじゃないと思う」

 優月もきっと、がっかりするんじゃないかな、と翔は優しく言う。

 黒うさぎのノエルがさらにノエルにもみくちゃにされる。それでもうさぎのノエルはなにも文句を言わない。なんて忍耐強いうさぎなんだ。感心する。

「優月おにいちゃん」

 しばらくの塾考のすえに、ノエルが口を開いた。

 彼の瞳に迷いはなくて、さっきまで意固地になっていた幼さは、もうどこにもなかった。僕は一瞬だけ、彼がとても大人びて見えた。

 この子、とっても、素直だ。自分の非を整然と受け止めることができるから。器が広い。この子は素直で、きっと優しい。

 僕は彼の愚直さをしっかり受け止めるように、彼の瞳を覗き込む。

「なに」

 声の主は口を大きく開けて言った。

「ありがとうございました」

 僕はノエルを抱きしめたくなる。

「どういたしまして」

 後ろで慶秋さんが「偉い」と言った。

 それと同じタイミングで、翔が、はは、と控えめに笑う。そしてノエルを軽々と抱き上げた。すごく嬉しそうにそう言って笑う。

「嬉しいなあ、ノエル、俺今、すごく嬉しい、ノエルがちゃんとありがとうを言える子で、嬉しい」

 急に褒められて恥ずかしくなってしまったみたいで、ノエルはうさぎのぬいぐるみと翔の肩口に顔をぐっと押し付けて脚をバタバタさせていた。

 その隙に、ノエルが欲しがっていたふわふわのうさぎのケーキが一つ、小さな紙箱に入っていった。翔が身振り手振りで、一つください、と慶秋さんにお願いしたから。

「あれなんだ?」

 翔はノエルに問いかけながら、ノエルを少し高めに抱きなおす。ショウケースの向こう、慶萩さんの持っている紙箱の中身を指差した。

「嬉しくて買っちゃった、お前にあげる」

 ノエルは途端にキラキラした目で言った。翔の首に絡められて、ノエルの小さくてぽかぽかした腕が、ぎゅっと抱きつくように締まる。

「カケルだいすき! ありがとう! だいすき!」

 苦しい、と言いいつつも、翔は幸福そうだった。そばで見ていた僕ですら、途方もないくらい幸せな気持ちになった。翔はノエルを降ろすと愛おしそうに頭をくしゃくしゃに撫でる。その仕草がもう、翔とノエルの関係が強い絆で結ばれているんだって証拠だった。

「とりあえずうさぎのノエルをリュックに仕舞いな。ケーキ持つんだから」

「ノエルがもつの?」

 ノエルがわくわくして言う。

「当たり前だろ、お前のケーキなんだから。ほら、さっさとうさぎのノエルをリュックに入れて」

「わかった!」

 ノエルはお菓子屋の床に下ろしたリュックを置いて、自分もぺたりと座り込む。その隣にうさぎのノエルを置いて、おぼつかない手つきでリュックのチャックを開け始めた。

 翔が慶秋さんに色々すみません、ありがとう、と言って都合が悪そうに笑う。でも慶秋さんはとてもにこにこしていた。心からにこにこしているふうだった。僕はこんなに笑顔な慶秋さんを初めて見たと思う。






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