DEAR ROIに帰ろう

紫野楓

文字の大きさ
上 下
9 / 104

しおりを挟む


「そろそろ来る頃だと思っていました」

 普段通りのパティシエの格好をしている慶秋さんが、低くて渋い、いい声で僕に向かって言った。僕は苦笑する。

「そうなんです、今日もマダムのお使いです」

 マダムと慶秋さんはどうやらずっと前から知り合いのようで、マダムに関するどんなことを言ってもちっとも驚かなかった。それどころか、僅かにだが夢見心地に楽しそうにする。ずっと昔、二人はどういう関係だったんだろう。

 〈DEAR ROI〉のコーヒーと紅茶に、秋のお菓子屋のお菓子はとてもよく合う。前に、一緒にお店を出せばいいのに、となんとなく言ったことがあったけど、マダムは、いいのよ、と軽く言うだけだった。詳しくは知らないけれど、マダム曰く、秋のお菓子屋は秋のお菓子屋に、〈DEAR ROI〉は〈DEAR ROI〉にあることに意味があるようだ。

「今日はお一人ではないのですね」

 慶秋さんが続ける。意外だった。慶秋さんはあまり無駄話をする人ではないと思っていたから。客と店主の距離感と関係性をとても大事にしてしていて、楽しんでいるみたいだったし、僕もあまり気兼ねなくいろんな人と話すことが得意なほうではないから、余計に距離を詰めたりはしなかった。

 でも今日は少し違うみたい。どうしてかな。

「お友達ですか」

 僕はその言葉にどう答えていいのか分からなかった。

 僕たちはお友達というには出会った時間が短すぎる気がするし、知り合いというにはよそよそしい感じがした。僕は少し悩んで言った。

「……ついさっき会ったばかりです」

 慶秋さんがいつもと変わらない笑顔を向ける。

「仲のよさに、月日は関係ありませんよ」

「同感です」

 翔が突然話に入ってきた。隣に並ばれ、距離を詰められる。翔の香りがして、僕はつい口ごもった。

「俺たちついさっき会ったばかりなのに、なんだかずっと前から知り合いだったみたい、だよね?」

 そう言うと翔は僕のほうを見て困ったように笑ったんだった。僕の心臓はスタッカートの音符みたいに跳ねた。春の嵐みたいに、心がざわつく。

 翔はノエルのことを、そして僕のことを、そんな風に思ってくれているのかな。そうだとしたら、それは、僕にとってとても特別な意味を持つかもしれない。今の気持ちを言葉にするには、僕は言葉を知らなさすぎたし、伝えかたも未熟すぎて、とうとううろたえることしかできない。僕のそんなようすを見ていた翔は、不意に慶秋さんのほうに向き直った。

「そういうことってありますよね」

 慶秋さんが軽やかに応える。

「ええ、あると思います」

 翔は面白おかしそうに言っていたけど、僕はすごく変な気持ちになった。

 そのあと、慶秋さんと翔はお店のことについてずいぶん話し込み始めた。これ全部慶秋さんが作ってるんですか、とか、慶秋って名前すごくいいですね、とか、話はどんどん変わっていっていたけれど慶秋さんは嫌そうじゃなかったし翔も面白そうだった。

 翔は話をするのが好きみたいだ。初対面の人とも魔法を使ったみたいに簡単に打ち解けていろんな話ができるのは少し羨ましいとも思ったし、恨めしい。僕にはなかなかできない。不思議だった。翔はいろんな人と、どうしてこんな風にすぐ仲良くできるんだろう? 僕は、その中のたった一人にしかすぎないのかもしれない、って、思った。情緒不安定すぎて自分でも変だなって思う。

 手持ち無沙汰になったし、気分が沈んでしまいそうになったので、マダムに頼まれたものを探すために店内を見渡した。大きなアップルパイに、クロワッサンが二つ。受け取ったがま口の小銭入れには、予算より少し多めの金額が入っていたので、これは他にお茶菓子を買って来なさいということなのだと理解した。こういう心配りができないと駄目なのよ、と出会った頃の僕に対して、楽しそうにマダムが言ったことは今でも簡単に思い出せる。

 僕はマダムが美味しいと言っていた花の形のクッキーを買おうかなと思った。紅茶の茶葉が練り込んである生地は爽やかで品のある香りがして美味しいし、真ん中に乗っているいちごのジャムが綺麗で甘酸っぱくて口の中が幸せになる。ノエルもいちごが好きみたいだしちょうどいい。

 僕は翔との会話の合間に、慶秋さんに大きなアップルパイとクロワッサンを二つ、そして残りのお金で買えるだけの紅茶とジャムのクッキーをお願いした。

 慶秋さんはかしこまりました、と言って手際よく注文の品々をショウケースから取り出し始める。

「優月おにいちゃん!   ノエル、これがいい!」

 すっかり存在を忘れていたノエルがとても大きな声で僕を呼んだ。

 慶秋さんと話をしていた翔が、おや、という顔をしてノエルを見る。その目はしっかりしていた。

 僕がノエルに近づいてノエルの指差す場所を見てみると、そこにはうさぎの顔をかたどった白いケーキが並んでいる。赤目はラズベリーのグラッセでできていて、とてもツヤツヤしてつぶらな感じがした。耳はふわふわの生クリーム。プレートによると、中は色とりどりのフルーツが挟まった濃厚なスポンジとバタークリームが層になっているようで、想像しただけでも美味しそうだった。

 でも、僕は首を横に振る。
 
「今日は違うものを買いに来たんだよ」

「いや! これがいい」

 僕はノエルと同じ目線になるように身を屈めたあと、うさぎのノエルを差し出した。

「うさぎのノエルで我慢して」

 僕が諭すと、僕から黒うさぎをふんだくったノエルがとても不満そうな顔で僕に訴える。

「うさぎのノエルはケーキじゃない!」

 確かに。

 だけど『駄目』とか『買えない』とか……強い言葉、僕にはとても言い辛い。どんなふうに気をそらしたらいいのか検討もつかなかった。ノエルはとても真面目に憤慨している。どうしてもこのケーキが食べたいらしい。僕が個人的に買ってあげようかなぁ、とも思った。そうすることが一番丸く収まるような気がする。それに嫌な気持ちもしない。正直言って、僕はこの子にケーキを三つでも四つでも買い与えてあげたいくらいだ。だけど……そうすることがノエルのためになるのかな。





 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

後輩に嫌われたと思った先輩と その先輩から突然ブロックされた後輩との、その後の話し…

まゆゆ
BL
澄 真広 (スミ マヒロ) は、高校三年の卒業式の日から。 5年に渡って拗らせた恋を抱えていた。 相手は、後輩の久元 朱 (クモト シュウ) 5年前の卒業式の日、想いを告げるか迷いながら待って居たが、シュウは現れず。振られたと思い込む。 一方で、シュウは、澄が急に自分をブロックしてきた事にショックを受ける。 唯一自分を、励ましてくれた先輩からのブロックを時折思い出しては、辛くなっていた。 それは、澄も同じであの日、来てくれたら今とは違っていたはずで仮に振られたとしても、ここまで拗らせることもなかったと考えていた。 そんな5年後の今、シュウは住み込み先で失敗して追い出された途方に暮れていた。 そこへ社会人となっていた澄と再会する。 果たして5年越しの恋は、動き出すのか? 表紙のイラストは、Daysさんで作らせていただきました。

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

某国の皇子、冒険者となる

くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。 転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。 俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために…… 異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。 主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。 ※ BL要素は控えめです。 2020年1月30日(木)完結しました。

心からの愛してる

マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。 全寮制男子校 嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります ※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

【完結】薄幸文官志望は嘘をつく

七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。 忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。 学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。 しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー… 認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。 全17話 2/28 番外編を更新しました

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

新しい道を歩み始めた貴方へ

mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。 そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。 その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。 あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。 あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……? ※沢山のお気に入り登録ありがとうございます。深く感謝申し上げます。

処理中です...