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第二章
信長
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「信長殿」
優しく私を呼ぶ母の声で私は目覚めた。
「母上・・」
私は心地よい空気に包まれていた。
母はその顔に満面の笑みを称え私にそっと語り掛ける。
「信長殿どこに行っていたのです。母はとても心配していたのですよ。」
「どこに?私はずっとここにおりました。」
「いいえ。母は分かっています。母を置いて行こうとしていたのでしょう?」
「そんな事はありません。信長は母上とずっと共におります。」
「誠ですね。では天下取りなどやめると約束してくれますね。」
「天下取り…」
「天下取りなど家康にさせておけば良いのです。そなたはこの母の傍にいれば良いのです。」
「家康?」
その言葉を聞いたとたん、心に黒い靄が立ち込めるような不快さに襲われた。
「いいえ…」
「誰が天下を取ろうと何も変わりはしません。そなたじゃなくても良いのですよ。」
「そんな事はありません!私がやらなければいけないんです!」
母の顔が険しく変わった。
「ではこの先、母や弟を手にかけると?多くの民を犠牲にすると言うのですか?」
「いえ…それは…」
「そなたはその手で天下を取る為にどんな犠牲も厭わないと?数多の民を殺し親兄弟を殺め、一族を欺いてまでもその野望を捨てぬと?ではそのような残虐非道に何の大義があるというのです!今すぐこの母に申して見よ!」
「それは…」
私は激しく狼狽えた。
「それ見た事か!何も言えまい。そなたに天下取りの大義名分などあろうはずもない。所詮、己が全てを支配したいと思うその悍ましい野心だけなのじゃ。そのような邪念を持つ者など私の子ではない!そなたに天下など取れるわけがない!」
怒涛の勢いで蔑み侮辱する母のその鬼の形相を見ていると、何とも言えぬ怒りが沸々と込み上げて来た。
「そうですとも!大義名分なんてそんなものはない!私は天下を取りたい、皆の上に立ち皆を従え私の意のままにしたいのですよ。その何がいけないというのですか!その分の犠牲は払いました。苦しい思いもしました。そもそも家康が天下人などありえません。あやつに天下など治める事は不可能です!私がやらなければ誰がやるんです。わたしが一番天下人に相応しいんです。なのに何故私ではダメだと?何故私では出来ないとおっしゃるのですか?私は今川を倒した。武田も滅ぼした。糞みたいな僧侶たちも一掃した。都の奴らさえ私にひれ伏した!もしこの計画が無く私が本能寺で討たれなければこのまま私の、織田信長の天下になっていたかもしれないのに…なぜ私を否定する!私は私の力で、私の努力でここまで来たのだ!決して未来の教えだけではない!」
私は心に溜まっていた全てを吐き出していた。
今まで誰にも言えず心の奥にしまっておいたそれは、紛れもない私の本心だった。
しかし、口に出した途端、気分がこの上なく晴れやかになり視界が開けて行くのが分かった。
要は、スッキリしたのである。
そう思うと妙に可笑しくなり大声で笑いたくなった。
次の瞬間、そこにはもう母の姿は無く、漆黒の闇の中に私はひとり佇んでいた。
(己の心と向き合えという事か…いつまでも自分の中にくすぶっている「偽り」を取り払えという事なのか?確かにこの数十年は己を顧みることなくひたすら突っ走って来た。ここで自分に向き合うのも悪くはないだろう。)
その場に座り神経を研ぎ澄ましてみる。
思い返してみれば、この計画の当初は家康が天下人に相応しければ自分が成り代わる事は無いと思っていたが、実際は成り代わる事ありきで準備を重ねて来た。
家康がどんな主君であろうと私は初めから家康に天下を譲ろうなんて考えていなかったのかもしれない。
それを明確に感じ取ったのは、あの桶狭間。そう今川義元を討ち取った頃からだろうか。
この織田信長が天下人になるという野心が生まれていた。そして何より私にはそれを成し遂げる自信があった。
しかし私はそんな野蛮な邪心を抱く人間だと思われたくはなかったのだ。
残虐非道な織田信長はあくまでも演じているのだと見せかけて、実はそれは自分自身である事もどこかで分かっていた。
そして優れた能力を持つ秀吉が妬ましくもあり、非凡な人格を持つ家康が羨ましくもあった。そのふたりの間で如何に己を際立出せる事が出来るのか日々、葛藤していた。
本来の私はあまりにも愚かな人間なのである。
しかし、ここまでの計画を成し遂げ、未来の歴史に名を遺す「織田信長」として、本能寺で立派に散る事が出来たのは己の才能なのだと固く信じている。
だからこそ、この後も、徳川家康の皮を被った「本物の織田信長」として天下人になるのだとそう心に決めている。
その時、暗闇に一筋の光が差し込んだ。
「これこそが!私の本心だ!」
信長は勢いよく立ち上がり、力強くその一歩を踏み出した。
優しく私を呼ぶ母の声で私は目覚めた。
「母上・・」
私は心地よい空気に包まれていた。
母はその顔に満面の笑みを称え私にそっと語り掛ける。
「信長殿どこに行っていたのです。母はとても心配していたのですよ。」
「どこに?私はずっとここにおりました。」
「いいえ。母は分かっています。母を置いて行こうとしていたのでしょう?」
「そんな事はありません。信長は母上とずっと共におります。」
「誠ですね。では天下取りなどやめると約束してくれますね。」
「天下取り…」
「天下取りなど家康にさせておけば良いのです。そなたはこの母の傍にいれば良いのです。」
「家康?」
その言葉を聞いたとたん、心に黒い靄が立ち込めるような不快さに襲われた。
「いいえ…」
「誰が天下を取ろうと何も変わりはしません。そなたじゃなくても良いのですよ。」
「そんな事はありません!私がやらなければいけないんです!」
母の顔が険しく変わった。
「ではこの先、母や弟を手にかけると?多くの民を犠牲にすると言うのですか?」
「いえ…それは…」
「そなたはその手で天下を取る為にどんな犠牲も厭わないと?数多の民を殺し親兄弟を殺め、一族を欺いてまでもその野望を捨てぬと?ではそのような残虐非道に何の大義があるというのです!今すぐこの母に申して見よ!」
「それは…」
私は激しく狼狽えた。
「それ見た事か!何も言えまい。そなたに天下取りの大義名分などあろうはずもない。所詮、己が全てを支配したいと思うその悍ましい野心だけなのじゃ。そのような邪念を持つ者など私の子ではない!そなたに天下など取れるわけがない!」
怒涛の勢いで蔑み侮辱する母のその鬼の形相を見ていると、何とも言えぬ怒りが沸々と込み上げて来た。
「そうですとも!大義名分なんてそんなものはない!私は天下を取りたい、皆の上に立ち皆を従え私の意のままにしたいのですよ。その何がいけないというのですか!その分の犠牲は払いました。苦しい思いもしました。そもそも家康が天下人などありえません。あやつに天下など治める事は不可能です!私がやらなければ誰がやるんです。わたしが一番天下人に相応しいんです。なのに何故私ではダメだと?何故私では出来ないとおっしゃるのですか?私は今川を倒した。武田も滅ぼした。糞みたいな僧侶たちも一掃した。都の奴らさえ私にひれ伏した!もしこの計画が無く私が本能寺で討たれなければこのまま私の、織田信長の天下になっていたかもしれないのに…なぜ私を否定する!私は私の力で、私の努力でここまで来たのだ!決して未来の教えだけではない!」
私は心に溜まっていた全てを吐き出していた。
今まで誰にも言えず心の奥にしまっておいたそれは、紛れもない私の本心だった。
しかし、口に出した途端、気分がこの上なく晴れやかになり視界が開けて行くのが分かった。
要は、スッキリしたのである。
そう思うと妙に可笑しくなり大声で笑いたくなった。
次の瞬間、そこにはもう母の姿は無く、漆黒の闇の中に私はひとり佇んでいた。
(己の心と向き合えという事か…いつまでも自分の中にくすぶっている「偽り」を取り払えという事なのか?確かにこの数十年は己を顧みることなくひたすら突っ走って来た。ここで自分に向き合うのも悪くはないだろう。)
その場に座り神経を研ぎ澄ましてみる。
思い返してみれば、この計画の当初は家康が天下人に相応しければ自分が成り代わる事は無いと思っていたが、実際は成り代わる事ありきで準備を重ねて来た。
家康がどんな主君であろうと私は初めから家康に天下を譲ろうなんて考えていなかったのかもしれない。
それを明確に感じ取ったのは、あの桶狭間。そう今川義元を討ち取った頃からだろうか。
この織田信長が天下人になるという野心が生まれていた。そして何より私にはそれを成し遂げる自信があった。
しかし私はそんな野蛮な邪心を抱く人間だと思われたくはなかったのだ。
残虐非道な織田信長はあくまでも演じているのだと見せかけて、実はそれは自分自身である事もどこかで分かっていた。
そして優れた能力を持つ秀吉が妬ましくもあり、非凡な人格を持つ家康が羨ましくもあった。そのふたりの間で如何に己を際立出せる事が出来るのか日々、葛藤していた。
本来の私はあまりにも愚かな人間なのである。
しかし、ここまでの計画を成し遂げ、未来の歴史に名を遺す「織田信長」として、本能寺で立派に散る事が出来たのは己の才能なのだと固く信じている。
だからこそ、この後も、徳川家康の皮を被った「本物の織田信長」として天下人になるのだとそう心に決めている。
その時、暗闇に一筋の光が差し込んだ。
「これこそが!私の本心だ!」
信長は勢いよく立ち上がり、力強くその一歩を踏み出した。
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