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第30話 夢から逃げる

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 大袈裟に言えば、身体に刃物が刺さるということだ。
 怖くて怖くて、気づいたらポロポロと涙が溢れる。けれど、ノウル監督はアルコールガーゼで耳を拭き始めた。
 
「ウッ、ぅ……ひゃっ!」
「冷たいよねー」
 
 乳首と乳輪をアルコールガーゼで撫でられる。アルコールの冷たさと、感度が上がった身体のせいで変な声を出してしまった。
 
「先に乳首開けようか、乳首の痛さに比べたら、ロブなんて痛くないからね」
 
 ロブというのは多分耳たぶのことだろう。どちらも経験がない俺にとっては、その痛みは想像がつかない。
 明日はダンスの中間確認なのに、なんでこんな怖い目に合わなきゃならないのか。
 
 こんなにも、我慢する必要があるのか。
 
 カチャン
 
「ヒッ……!」
 
 ハサミのような器具で乳首を挟まれ、引っ張られる。ハサミの先端は特殊な形で、穴が空いており、まるで先程の針がその穴を通り、真っ直ぐ貫通できる・・・・・ようアシストする器具。
 
「ほら、貫通するよ?」
 
 大きな針の鋭い先端がゆっくり乳首に近づく。
 
 嫌だ、嫌だ、嫌だ。
 こればかりは、もう怖くて怖くてたまらない。
 
 今まで我慢してきたけれど、耐えられない。
 
 その時、ジノ兄さんとの約束を思い出し、口を開いた。
 
「ぁ……ん…………ゃ、ぅ……」
「え? どうしたの、シグレちゃん」
 
 ものすごく小さな声。ノウル監督はニードルの動きを止めた。
 
「あか、ちゃ…… きちゃ、ぅ」
 
 先程より大きめな声。その言葉にジノ兄さんが表情を変えた。
 
「赤ちゃん、できちゃう」
 
 大変恥ずかしい言葉。男が本来言うはずのない言葉に、ノウル監督と、ユドンさんはなんのことだと困惑した顔をする。しかし、唯一その言葉の意味を知っているジノ兄さんは、二人に向かって口を開いた。
 
「ノウル監督、衣装はアクセサリー無しにしよう。今のシグレには流石に怖いようだ。シグレも流石に怖かったね。ちゃんとセーフワード言えたね、偉いね」
 
「ゔっ、ぅ、こわがっ、たです……」
 
 ジノ兄さんは俺の手の拘束ベルトを慣れたように外し、優しく指を絡めて手をつなぐ。ボロボロと涙を流す俺に、ノウル監督は少し考えたあと肩を竦めた。
 
「早急すぎたか、まあ、チャンスはこれだけじゃないから持ち越しだなあ。ユドンもせっかくピアスよく見える服着させたのに」
「大丈夫です。普通、初めてのボディピアスは怖いですよ。このアクセサリー無くても問題なよう調整します」
「悪いね」
 
 ユドンさんのお手数をおかけしてしまうようだが、それでもやはり凶器は怖い。ジノ兄さんの手で拘束を解かれた俺は、そのままジノ兄さんの腕の中で震えたまま泣き続ける。
 
「今日は私と寝ようか」
 
 ジノ兄さんはそんな俺に優しく声を掛けて、そのままジノ兄さんの部屋へと付き添ってくれた。そして、狭いベッドの中に寝かされる。
 
「ちょっと、スーツ服着替えてくる」
 
 ぽんぽんと頭を触る。俺はまだグズっており、それに対して頷いて答えることしかできない。
 正直、自分が怖いために逃げてしまったと、一気に後悔と申し訳無さが押し寄せてきている。
 ユドンさんが折角用意してくださったのに、ノウル監督にも迷惑かけた。ジノ兄さんの面子にも泥を塗ってしまった。
 
 なにより、せっかくテレビの仕事を掴んだのに、俺が愚図ったせいで、今後メンバーたちにも影響があるのでは。考えれば考えるほど自己嫌悪に陥る。
 
 自分がもっと我慢強かったら、よかったのに。自分が我慢すればいい。我慢すれば、丸く収まった。
 そう、なのに、なのに。
 
「シグレ、大丈夫?」
 
 いつの間にか戻ってきたジノ兄さんは、ベッドに入ってくる。そして、布団の中でぎゅっと抱きしめて来た。
 
「ジノ兄さん、ごめんなさい」
 
 時分から振り絞った謝罪は思ったよりも弱々しく、自分の精神状態を表してるようだ。ただ、ジノ兄さんは背中をトントンとあやし始める。
 
「いいんだよ、今はできなくとも、これからも機会はあるから。シグレにもいきなりのことで混乱させて申し訳なかった」
「い、え、俺が、もっと、我慢強かったら……」
「シグレ、もっと頼れる人に甘えるのも大切だ」
 
 ジノ兄さんは、チュッとおでこにキスをする。 
 甘えること。人生で殆ど自発的に甘えた記憶はない。甘えようと思ったことも、殆ど無かった。
 
「ちゃんとセーフワード使えてたしね、私を信用してくれたんだろ?」
「はい……」
 
 信用というよりは、掴める藁はそれしかなかったというのが一番近い。けど、それも信用というならそうなのだろう。
 
「もっと、甘えてくれればいい、私はシグレの|ビジネスパートナーだが、それ以上に:お兄さん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だと思ってるからね」
 
 優しく優しく囁かれた言葉に、じんわりと涙が浮かぶ。たしかにジノ兄さんとのセックスはなかなかに癖は強いが、それ以外はとても優しくて、頼れる人だ。
 
「ありがとうございます」
「シグレは、アイドルになるのだから、上手に甘えられるようになろうね、私も上手に甘えられるのは好きだから」
「上手に…… 甘える……」
「そう、甘え上手なアイドルはファンが着きやすいからね。我武者羅に頑張るのも大事だけど、それだけじゃないよ、アイドルは」
 
 ジノ兄さんのアドバイス。たくさんのアイドルを見てきた人だからこその、アドバイスなのだろう。たしかに、甘え上手なアイドルはSNSとかで甘えているところを拡散されていることが多い。
 上手に甘えられれば、もしかしたら、そこから人気が出るかもしれない。メンバーだとジウが一番年下というのもあって、甘え上手だと思う。
 俺もジウに頼まれれば、にこにことやってしまう。
 
 逆に甘えて来なかった俺や、ソンジュンは大層甘えベタ。上手に甘えられるように、どうすればいいか、頑張らないといけない。
 自分への課題を見つけられて、ジノ兄さんには本当に感謝しかない。今日、本当にジノ兄さんが側にいて良かったと思う。
 少し罪悪感から心が軽くなったせいなのか、練習と泣きつかれたせいなのか、気が緩んだことを切っ掛けに身体が次第に重く、微睡みで視界がぼやけ始める。
 そして、ジノ兄さんの胸の中であやされながら、瞼がゆっくりと閉じていく。
 
「また、次の機会、頑張ろうね」
 
 寝る瞬間聞こえたジノ兄さんの言葉に、「次は頑張ろう」と思い、そのまま眠りについた。

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