昼間に見る花火は空に溶けて

木曜日午前

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第4話

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「おと、う、さん?」 
 寝ぼけた真昼の呼びかけはぎごちない、さながら弱った幼子が父を求めるようだ。その弱々しい声に史人は我に返ると、襖の中へと一歩踏み出す。
 客間の湿気に混じり香る、少し鼻につく汗の匂い。床に無造作に散らばった服を踏まないように、ローテーブルの脇に座った。

 テーブルの上にお盆ごと置かれたのは、胡麻味噌出汁が使われた冷や汁ぶっかけ飯だ。また、具として、細かく切られたきゅうり、サバ、薬味も乗っている。
 ある程度栄養があり、それなりに冷たく、食べやすいもの。冷蔵庫の中を確認して、史人が即興で作ったものだ。

 ぶっかけ飯の隣には、氷水が入ったプラスチックボールと、さくらんぼ柄のタオルもあった。

「食べられるか?」
「すこ、し、なら」
 爽やかな薬味の香りに、僅かな食欲を刺激され、真昼は少しなら食べられそうな気分になる。
けれど、気持ちに身体をついてこない。手をついて上体を起こそうとしたが、上手く力が入らず、どてんとソファへと逆戻りしてしまった。少し痛そうに顔を歪める真昼だが、諦めたくないのかもう一度ソファに手をついて、身体を起こそうとした。なんとも痛ましい姿に、史人は思わず真昼の身体に手を伸ばした。

「無理をするな、私が起こすから」
 予想しなかった言葉に、真昼は史人の顔を見つめたまま固まった。
そんな真昼の身体の下に、史人は優しく腕を通した。そして、上からも腕を絡め、正面から抱きしめる形で真昼の上体を抱え込み、ぐっと起こした。ぐわりと動き、ソファの背もたれに身体を預けるように座らせられた。

「す、すみ、ません」
「謝るな」
 史人はぶっきらぼうに答えると、そのまま真昼の隣に座る。ピッタリと肩を並べるように座ったため、史人の体も真昼の支えとなっていた
「ごはん、食べるか」

 テーブルの上にあるぶっかけ飯の器とレンゲ。史人は真昼が倒れないように気を配りつつ、ご飯に手を取った。そして、ぶっかけ飯に出汁が行き渡るよう、軽く混ぜた。
レンゲで、一掬いする。思ったよりも、かなり少ない量だ。
 そのレンゲの先を、真昼の口元に持っていく。

「食べなさい」
 淡々とした口調だが、匙を持つ史人の顔は、どこか心配気であった。真昼は戸惑いつつも、口を小さく開けて、匙を受け入れる。
 口の中に流れ込む、シソ、ミョウガ、胡麻味噌出汁、米。その爽やかな冷たさと、まろやかな塩味は、真昼の身体に染み渡る。

 やはり、一口にしては量が少ないが、上手く噛むことが出来ない今の真昼には、それくらいのが有り難かった。
 ごくりと、喉を鳴らして胃の中へ。

 一口欲しくて口を開け、史人はそれに合わせてまた一掬い、真昼の口へと運ぶ。
 ゆっくりではあるが、器の中は減っていき。最後の出汁の一滴も、真昼の身体へと流し込まれた。

「ごちそうさまです。おいしかったです」

 量が少ないのに、身体中が満たされた気分だ。真昼は少しばかり元気になったのか、身体の気怠が減ったように感じた。
しかし、史人は真昼の身体を掴むと、ゆっくりと横に倒しはじめる。
これが早く寝ろということなのは、言外に伝わった。

 ソファにまた寝そべったため、革が肌にべとりとくっつく。べりべりべたり、革張り特有の音は不快だ。なによりも、先ほどまであった史人の温かさが無くなり、思わず寂しいと感じてしまった。

 そんな真昼に対して、史人はというと、タオルを氷水に浸していた。ゆっくりとした食事だったのも相まって、ほとんど氷は溶けている。けれど、その冷たさは残っており、固く絞ったタオルは冷や冷やだ。
 固く絞られ捻ったまま渡されたタオルは、真昼に差し出される。
「拭きなさい」

 どうやらお風呂の代わりとして、わざわざ用意してくれたよう。

この差し出されたタオルを手に取り、自分の身体を拭くだけ。食事のお陰で少しだけ回復した真昼ならば、少し頑張れば出来るだろう。

 しかし、真昼は何故か首を横に振った・・・・・

 何故そんなことをしてしまったのか。横に振った後に、やってしまったと心の中で叫んだ。慌てて訂正しようと「い、いまのは、なし、で」と言いながら、タオルに手を伸ばした。

その慌てて伸ばした手の勢いで、身体が引っ張られ、バランスを崩した。ソファから頭のから落ちるように、上半身が前のめりで傾く。
「危ないっ」
 そんな落ちかけた真昼の上半身を、史人はなんとか正面から受け止めた。

(あと少しで顔面に当たるところだった)
真昼が上手く躱せてよかったが、下手したら顔同士がぶつかっていただろう。
 驚きのあまり、心臓がバクバク激しく動く。まるで全身が心臓になったかのようだった。

「……大人しくしてなさい」
 抱き留めた史人は、少し厳しく言い放つと、真昼をソファの上に戻す。そして、手に持っていたタオルを、拭いやすいように畳み直した。

「ごめんなさい」
「謝るな」
 先ほどから迷惑しかかけていない。その自責の念からか、その大きな瞳にうるうると涙が溜まり始め、ぽろりぽろりと溢れる。さすがの史人にも、涙が流れていくのが見えていた。

「体調不良なら、仕方ない」
 涙をタオルで優しく拭う。急なことだったため、タオルの冷たさにふるりと思わず身体を震わせた。
 そして、史人はタオルで真昼の肌を優しく拭い始めた。ベトベトとした汗。シャワーを浴びた程ではないが、その心地よさは真昼が求めていたものだ。

「いっ!」
 しかし、真昼の顎にタオルが触れた瞬間、つきんとした痛みが走る。
「痣ができていた、痛かっただろう。以後、気をつける」

 史人は咄嗟に真昼に声を掛ける。「大丈夫です」と連呼するくらいしかできないが、史人の優しさに触れた気がした。
 思えば、倒れる最中に自転車に顎をぶつけた。最後に見たスローモーションのような記憶。改めて思い出すと、普通に死んでてもおかしくはなかった。

 濡れタオルは、顔から首、肩、鎖骨、胸元。時より水で濡らし直しては、丁寧に丁寧にその肌を磨くように優しく。腕もまるで大切なものを扱うかのように、そおっと持ち上げられた。

 爪の先から水かき、一本一本、丁寧に、ゆっくりと。汚れたタオルを何度も水通し、綺麗にし、絞り、拭う。

 史人は自分の手元へと視線を向けており、真昼がじっと見ていることに気づいていない。少し前まで苦手だと思っていたのに、あまりにも献身的な姿を見ると、自分の中での気持ちが少しずつ変化していく。
 冷たいタオルは、真昼の汗だけではなく、凝り固まった先入観も拭ったようだ。

「んっ、きも、ちぃい……」
 心が緩んだからか、真昼の口から思わず漏れ出た感嘆の声。

 史人は一瞬動きを止めたが、すぐに動きを再開し、お腹から脚へと移っていく。ただ、やはり遠慮はあるのか、布に隠された下腹部はノータッチであった。

 真昼は心地よさのせいか、うとうとと意識が遠のいていく。史人もそれに気づいたのだろう、一度タオルをボールの中へと戻した。
 ゆっくりと近づく二人の距離、間近まで来た史人は真昼の顔へと自分の顔を近づけた。
 二人の間には、かかる息の温度もわかる隙間しか無い。

「真昼くん」
 切実そうに、縋り付くように、史人は名前を呼んだ。 
 水で冷やされた彼の手が、真昼の頬を撫でる。

「ゆっくり休んで」
 夜の帳によく似合う美しいテノールボイスを聞きながら、真昼はゆっくりと意識を手放した。

 ◇◇◇

 真昼が次に目覚めたのは、翌日の早朝だった。

「たっだいまー! 終電逃して、会社泊まってきたわ~。てか、身体大丈夫?」
 朝一番に響き渡る声。客間で寝ていた真昼は、有寿の声で起こされた。寝ぼけた視界、目を擦りながら身体を起こす。頭の不快感はあるが、身体は随分とよくなった。

「大丈夫、熱中症らしいッス」
「いやーあの、ザ・夏の男が、熱中症になるなんて意外だわ」
「いや、俺も、初めてでした」
 有寿が驚くのも無理はない。彼女と出会った頃の真昼は、夏は海の家やプール、お祭り屋台でバイトをしており、こんがりと焼けた肌は一際目立っていた。
 元々健康的な肌色で比較的焼けやすいため、夏休みが終割る度に、真昼の焼け具合には皆驚かされていた。

『まぴる、マジ、ガングロギャルじゃん』
『日焼けサロン要らずうらやま、あ! でも、シミ気をつけな~』
『髪の毛も金だから、Y2Kすぎ、厚底ルーズソックス似合うんじゃね?』
『文化祭それでいこ~』
 かつての友人たちは、口々に真昼のことを弄り倒していた。自分と似たようなギャルやギャル男なのに、げらげら楽しそうに笑う姿は、今思い出しても楽しい思い出だ。

 そう言えば、有寿と出会ったのも、真昼の日焼け肌を気にした彼女が、日焼け止めをあげたことから始まった。当時から美人で有名な上級生だった有寿。声をかけられた時は、本当にドキッとしたものだ。

「疲れもあったんでしょ? ゆっくり休みなよ」
 さっぱりとした言葉だけを残し、有寿はすいすいと自室へと帰っていく。
 風呂に入ろう。真昼は身体を起こして、客間から出ていった。そして、この行動は二人の関係に変化を齎すものだった。
 
 
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