三貴の将棋〜阪多三吉の玄孫は王将を目指す〜

東岡忠良

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【1-2】将棋との出会い。

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三貴の将棋~阪多三吉の玄孫は王将を目指す~

【1-2】将棋との出会い。

──【1-2】──

 二〇一二年の夏。
 蝉(せみ)の声が響く七月末のことだった。
「お腹、痛い~! 痛いよう~!」
 助手席で小学三年生の二葉(ふたば)がお腹を押さえている。
「二葉ちゃん。もう少し。もう少し我慢して」
 と母は車を走らせていた。
「お母さん。いつものお医者さんには行かないの?」
 と後部座席のチャイルドシートにちょこんと座っている、幼稚園年長である三貴(みき)が尋ねた。
「それがね。いつもの女医さんのところが臨時休業なんだって。だから別の病院に行くのよ」
「ふ~ん」
 と言うと、持っていたニンテンドーDSでリズムゲームを始めた。
「三貴ちゃん、あなたよく動く車の中でゲームできるわね。私だったら酔ってしまうわ」
 と感心している。
「お母さん……。まだあ……」
 と二葉はお腹を押さえて苦しそうにしていた。
 病院に着いた。
 駐車場には車五台のスペースがあり、ニつ空いていた。母は素早く車を停めると、スライド式のドアを開けた。
「気をつけて降りなさい」
 と言いながら、助手席の二葉はお腹を押さえて苦しそうに自力で降りて、三貴は母に抱えられるようにしてチャイルドシートから降ろされた。
 経年劣化のせいで『小早川内科・小児科医院』という看板は色褪せており、建物のコンクリート壁には、水垢のような黒っぽい汚れが所々に点在していた。
「評判はいいお医者さんなんだけど、もう七十歳を過ぎている男の先生なのよね」
 と母は二人の娘の手を引っ張りながら呟いた。
 二葉から手を離すと、ガラスのごつい扉を引いて開ける。
「こんにちは」
 と母が声をかけると、三貴は元気よく、
「こんにちは!」
 と受付の女性に声をかける。
 二葉は苦しそうに「こんにちは……」
 と呟いた。
「こんにちは。もしかして初診の方ですか?」
 と若い受付の女性は言った。
「はい」と返すと、
「初診の方はまずお熱を測らせて下さい」
 と数秒で体温を測れる機械を二葉の額に当てた。
「一応、来院者全員も測っていますので」
 と母と三貴も測られた。
「全員、お熱はないようですね。では診察前にこちらにご記入をお願いします」
 とクリップボードを渡された。
「……お母さん……。まだあ~」
 と二葉は苦しそうに自分から椅子に座った。
 パチッ。
 お~!
 という音が聞こえる。比較的広い待合室の隅で、老人三人が集まって何かをしていた。
 待合室には本棚が置かれ、漫画の他にも色々な本が並んでいる。
 母は二葉の隣りに座るとクリップボードに挟まれた紙を記入していく。
「分かる範囲で出来るだけ詳しく書いて下さいね。裏面もありますから」
 と受付の女性は優しく声をかけた。
「はい。分かりました」
 と母はボールペンを走らせる。
 パチッ。
 お~!
 やるな、岡ちゃん~。
 とまた、老人らが集まる隅っこから声が聞こえた。
「ありがとうございました」
「はい。お大事に」
 と初老の女性が診察室から出てきた。
 しばらくして、
「岡田さん。診察室へどうぞ」
 と受付の女性が声をかけたが、
「ごっ、ごめん、真奈美ちゃん! 順番、飛ばしてくれていいから。今、取り込んでいるから。今度こそ、かっちゃんに勝てそうだから」
 と診察を拒否する。
「大きく出たね、岡ちゃん」
 と対局を見ていた頭の薄い老人が言った。
「も~。岡田さん、またですか。何しに病院に来ているんですか? それと下の名前で呼ぶのはやめて下さい」
 と真奈美と呼ばれた受付の女性は頬を膨らませる。
「何しにって? そりゃ、将棋をしに来ているに決まっとるだろう」
 と自分の禿げ頭を撫でながら岡田が大声で返すと、診察室の奥から、
「ハハハ」
 と言う男性の笑い声が聞こえた。
「佐藤さん。岡田さんは飛ばしていいから。対局が終わってからでいいよ」
「は~い。分かりましたっ!」
 と診察室に向かって受付の佐藤真奈美が小さな怒りを込めて言う。
「ハハハ。ごめん、ごめん。佐藤さん」
 と診察室の奥から老人ぽい明るい声が返ってくる。
「じゃあ、次の森さん、どうぞ」
「あ~。わしもパス。この対局を見届けないとな」
 と頭の薄い森は立ったまま将棋盤から目を離さず、興奮気味に言った。
「も~。何なの、ここの患者さん」
 と受付の真奈美は呆れながら言った。
「ハハハ。じゃあ、対局中の加藤さんも飛ばしていいのかな?」
 とまた診察室から声がした。
「先生、話せるね。そうしてくれたら助かるよ」
 と加藤と呼ばれた白髪の年寄りは言った。
「何よ。まったく、もう」
 と言うと、受付の真奈美が別の名前を呼ぶと、座って待っていた中年女性が診察室に入っていった。
 二葉と三貴の母は、
「お願いします」
 と記入を終えたクリップボードを受付に持っていく。
「お母さん……。まだあ……」
 と二葉はお腹を押さえて苦しそうである。
「お嬢ちゃん。次だからね。もう少し我慢してね」
 と老人三人とは打って変わって、真奈美は二葉に優しく声をかけた。
「……はい」
 と苦しそうに返事を返す。
 母は二葉の隣りの席に戻ろうとすると、
「あれ? 三貴は?」
 と周りを見渡した。確か二葉の横に座っていたのに姿が見えない。
 すると、
「おっ。可愛いギャラリーのお出ましだ」
「お嬢ちゃん。ここ。ここ。ここで見なさい」
 その声が聞こえた方を見ると、三貴は森と呼ばれた頭の薄い老人の隣りに立っていた。
「ちょっと、三貴! 何をやっているの!」
 と母は急いで老人らが集まっているところにいった。
「すいません。うちの娘(こ)が」
 と引っ張っていこうとするが、
「お母さん。三貴、これ見たい。いいでしょ」
 と言った。
「何を言っているの。おじさん達の迷惑でしょ」
 と言うと、
「おじさん達って、俺達のことか?」
 と白髪の加藤。
「若くて綺麗なお母さんが、僕達ジジイに気を使ってくれているんだよ」
 と禿げの岡田。
「ちげえねえ」
 と髪の薄い森は大笑いした。
「ありがとうございました」
「はい。お大事に」
 との声が聞こえる。 
 老人達のからかうような笑いに、二人の娘の母は一瞬、不愉快そうな顔になったが、
「さあ。三貴。ご迷惑をかけちゃダメよ。こっちにいらっしゃい」
 と言うと同時に、
「阪多(さかた)二葉さん。中へどうぞ」
 と受付の真奈美が声をかけた。
「えっ! あっ……。はいっ……」
 と二葉は母の方に視線をやったが、自力で椅子から離れてヨロヨロと診察室に向かった。
「三貴。ほら。一緒に行くわよ」
 と三貴の手を掴んで引っ張ろうとした。すると三貴は母の手を振り切って、
「いや! 三貴、見てる」
 と並んでいる駒を見つめた。
「三貴ちゃん! あなたねえ!」
 と母が怒ると、
「まあまあ。お母さん。この子が見たいっていうなら見させてあげなさいな。なあに、わしらはこれでも孫もいる老人ばかりじゃ。少しの間くらいは面倒を見るからのう」
 とギャラリーの森が優しく言った。
「そうじゃ。安心していいから」
 と将棋を打つ加藤が言った。
「そうそう」
 と禿げ頭の岡田が続いた。
「でも……」
 と母は二葉と三貴を交互に見る。
「あの。お母さん。私も見ていますんで、こちらの娘さんに付いて行ってあげて下さいな」
 と真奈美が声をかけた。
「なんじゃあ。わしらがこの子に何かするとでも?」
「まあ、するとしたら」
 と薄毛の森はポケットからラムネを取り出し、
「お嬢ちゃんにお菓子をあげるくらいかのう。ほれ」
 と三貴の目の前に出した。
「ありがとう。おじいちゃん」
 と包装をクルッと剥がすと、ラムネを口に入れた。
「おいしい」
 と三貴が笑顔で言うと、
「おっ。わしもクッキーを持っとるぞ」
 と禿げの岡田が自分の鞄をまさぐった。
「あった。あった。ほれ、お嬢ちゃん」
 としっかりと包装されたままで渡すと、
「三貴。これ、開けられないから開けて。で。これ、捨てといて」
 とラムネの包装のゴミを岡田に渡す。
「おうおう。分かった。ちょっと待っとれよ」
 と岡田は三貴からゴミを受取り、包装を開けてクッキーを三貴に渡した。
 三貴はクッキーを頬張ると、
「ありがとう。おいしい」
「ほうか、ほうか」
 と岡田は目を細める。
「オレも確か飴を持っていたはずじゃ」
 と加藤が自分の鞄を掴むと、
「あ。もう結構です。あまり食べさせないで下さい。ご飯が食べられなくなりますので」
 と母が慌てて止めた。
「ああ。それは残念だな~」
 と強面の加藤は本当に残念そうにうなだれた。
「お母さん。患者の娘さんについて行ってあげて下さいな」
 と受付の真奈美が急かす。
「仕方がないわね。いい、三貴ちゃん。ここを動かないでよ」
 と将棋盤を凝視したまま動かない三貴に声をかけ、
「じゃあ、お願いします」
 と老人三人に頭を下げて、慌てて二葉と一緒に診察室に入っていった。  

2024年3月27日

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