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【14】竜馬は演劇部で『二股している男』を演じ、小夏は『憧れの男性を思う娘』を演じる。

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双子の妹の保護者として、今年から共学になった女子高へ通う兄の話

      東岡忠良(あずまおか・ただよし)

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──1──

「すまないな。みんな」
 新屋敷竜馬が体育教官室に呼ばれていると知り、妹の和葉、相生優子、瀬川薫、川上小夏、そしてちょうど三組の教室を覗いた園田春樹ら、合計六人で体育教官室へ向かった。
「今日から部活見学が出来るんだよね」
 と春樹は言った。
「そうなんだよ。でもここ如月学園には野球部がないからな」
 と竜馬のテンションは低めだ。
「そう言えば、小夏ちゃんはもう陸上部って決まっているんでしょう?」
 と和葉。
「というか、高校にスポーツ推薦で入学した時点で強制的に入部なんだよね~」
 と言いながらも、これから始まる部活が楽しみで仕方がないという雰囲気を醸し出していた。
 会話を交わしているうちに、目の前に体育教官室が見えてきた。
「ちょっと行ってくるよ」
 とみんなに手を上げてそちらに竜馬は向かった。
「お兄ちゃん、くれぐれも気をつけてね」
 と和葉。
「わ、分かってるよ」
 と言い、
「失礼します」
 と体育教官室の扉を開けた。
「こら、竜馬君、遅いぞ」
 と山田先生は怒気を込めて言ったが、すぐに、
「すまないが頼みたい事があるんだ」
 と普通に話し出した。
「体育の授業のさいには、出来るだけ妹さんとペアを組んでくれたら助かるのだが」
 と微笑みながら言った。
 竜馬は一瞬、キョトンとなったが、
「あのう。怒られるんじゃないんてすか?」
 と言うと、
「え? どうしてだ?」
 と逆に山田先生は聞いてきた。
「いや。和葉のやつが『いっぱい怒られて来て』なんて言うから」
 と問うと、
「お前達兄妹は本当に仲がいいんだな」
 と吹き出した。
「竜馬君。君はこの女子ばかりの中での体育は、正直目立つんだ。今回の短距離走のタイムだって結局、一番だった。ランニングの走り方を見ていても長距離も恐らく一番だろう。野球が得意と聞いているから、ソフトボールの授業も上手く出来るだろう」
「はい。そうですね。中学の野球部に比べたら厳しくないので」
「もう一人の男子の園田君は小柄でどうも運動は得意そうではない。もちろん、彼なりには一生懸命やっていることは分かっているが、竜馬君にはついていけてないようだし」
「それは感じていますが、一生懸命についてきてくれているのは、とても嬉しいんです」
「そうだな。園田君は頑張り屋だからな。でも私としてはな」
 と山田先生の口調が変わった。
「見ていて思ったのだが、竜馬君の方が園田君に合わせる。つまり君からしたら手を抜いて合わせないといけない場面をいくつか見たんだ」
 ──ああ。そういう事か。
 と竜馬は思った。
「はっきり言おう。君は次からは妹の和葉さんと組みなさい」
「え? 和葉とですか?」
「そうだ。短距離走の結果を見ても、妹さんは上位だし、長距離も得意そうだ。それに兄妹なのだからキャッチボールくらいやった事があるんだろう?」
「あるどころか、中一までは野球もサッカーも和葉の方が上手かったですよ」
 すると山田先生は嬉しそうに、
「そうか。妹さんは運動が得意で勉強も主席だったな。大したものだ」
 と感心していたが、
「ただ問題なのは、和葉さんは私語や勝手な行動が余りに多いことなんだ」
 と額に右手を当てながら、山田先生は言った。
「まあ、確かにそうですね」
 と竜馬。
「恐らく、一組と三組の中だと頑張らなくても上位にいることが出来ると思って、舐めて授業を受けているのかと、私は思っている」
「それは違うように僕は思いますが……。そういう部分もあるのですかね?」
 と濁してみた。
 山田先生は和葉の性格をまだよく分かっていないので、ライバルがいないからやる気が出ないように評価してくれているが、実際は兄である自分と絡みたいだけなのだとは言えなかった。   
「そこでだ。君はこれから妹さんと出来るだけ一緒に授業をやって欲しいんだ。柔軟などではペアになったり、時にはライバルになったり、そして」
 山田先生は小声で、
「私語や勝手な行動をしないように監視も兼ねてだ」
 と言った。
「私もあれだけ出来る生徒に悪い評価を付けたくないしな。頼めるかな?」
 と竜馬を見つめた。
「分かりました。任せて下さい。僕が和葉の面倒を見て、監視役も喜んでやります」
 山田先生は微笑んで、
「そうか。よろしく頼むぞ。お兄ちゃん!」
 と席から立ち上がり、竜馬の両肩に両手を置いた。
「それにしても君はいい体格をしているな」
 と見上げるように竜馬を見ている。
「はい。中三の健康診断で一八一センチでした」
「君の学力なら野球の強い高校にだって行けただろうに。私がこんなことを言うのも変だが、こんな共学になったばかりの女子高でよかったのか?」
 と不思議そうに聞いた。
「まあ……その。親に頼まれてですが、妹の保護者も兼ねてと言うことで……」
「そうか。お前さんは偉いな」
 と山田先生は両手でポンポンと、竜馬の両肩を叩いた。
 ──まさか、ゲーミングパソコンを買ってもらい、その上お小遣いが倍になるから承諾したとは言えない……。
「ではそういうことで頼むぞ。行ってよし! 優しいお兄ちゃん!」
 と山田先生は言った。
「失礼します!」と一礼して体育教官室を出た。
 遅~い!
 と待っていた五人が言った。そして、
「お兄ちゃんが遅いから私達でどこの部活を見に行くか決めたわよ」
 と和葉。竜馬が訊くと、
「演劇部よ!」
 と答えた。

──2──

 演劇部には部室もあるのだが、今日は体育館の舞台で見学会をやっているのだと、相生優子は言った。
「優子さん、やけに詳しいんだね」
 と竜馬。
「私、高校に入ったら演劇部に入ろうかと思っていたの」
 と少し恥ずかしそうに言った。
「優子さんは背が高いし、美人だからきっと喜ばれると思うよ」
 と瀬川薫が言った。
「そんな~。美人で喜ばれるだなんて、薫ちゃんたら~」
 と真っ赤になって照れている。
「確かに優子にピッタリ合っている部活だわ。背がまあまあ高くても運動音痴って、体育会系の部活では部長と顧問の先生を苦しめるだけだからね」
 と和葉の言葉に、
「ちよっといきなり悪口は酷くない!」
 と優子は和葉を少し睨んだ。
「え? 私、今のは褒めたつもりなんだけど?」
 と困惑気味の和葉。
「え! 今の褒めたつもりなの!」
 と優子。
「今のは私も悪口に聞こえましたよ」
 と薫。
「僕もだよ。ちょっと喧嘩にならないか心配しちゃった」
 と春樹。
「え? 今のは褒めてたよな」
 と竜馬。
「そ~だよね。褒めてたよねえ~」
 と三上小夏も言う。
「どうも付き合いの長さによって、私の本心は正反対に取られることが分かったわ」
 と和葉は言い、
「優子。あなたは清楚で綺麗な顔をしているけど、大きなバストと、細いウエスト、そしてそのデカ尻は最高にいいわよ!」
 とわざわざ左手に学生鞄(かばん)を持ち替えて、右手で『グッド』と親指を上げた。
「ちょっと! 最後のデカ尻って何よ!」
 と優子は怒って見せたが、まんざらでもない様子だった。そしてチラリと竜馬を見た。
「ん? 優子さん、何?」
 と言うと、
「……何でもない……」
 とみんなから少し離れて歩き出し、振り返り、
「ねえ……。竜馬くん……。私のお尻ってそんなに大きいかな?」
 と訊いてきた。竜馬は、
「ちょうどいい大きさで、とても綺麗だと思うけど……」
 と言うと、
「ホント!」と言いながら、スキップし始めた。
「あれでバレてないつもりなんだから……」
 と和葉は竜馬を見た。
「ん? 何だ?」
 と竜馬は和葉を見た。
「まあ、気づいてないみたいだけど」
 と言い、
「優子、待ちなさい」
 と行って近づき、
「なかなか、いいお尻してるわね」
 と右手で無造作に優子のお尻を撫でた。
「ちょ! 何、すんのよ!」
 と優子も左手で和葉のお尻を触った。
「あ~! 何、するのよ!」
「こっちのセリフよ!」
 とお互いにお尻を撫で合った。
「二人とも、後ろに男子が二人いるのだから止めてくれ!」
 と竜馬が呆れながら注意した。
「あの二人、仲良しだよねえ~」
 と小夏が言った。

 体育館の扉を開けると、ダンダンというバスケットボールのドリブルの音が聞こえる。
「体育館自体はバスケ部が使っているようね」
 と和葉。六人はバスケットボール部がドリブルやパスをしたりして、新入生に何か説明をしている横を、静かに抜けていった。
 舞台では十人くらいの生徒が集まり、舞台真ん中に立つ二人が何かをしているのを見学していた。
「あのう、すいません。見学していいですか?」
 と竜馬が声をかける。
「ええ。いいわよ」
 と振り返った制服姿の上級生は、カールした長い髪で右目を隠している。
「演劇部部長の月影です。見学希望者は、学年と組と名前を名簿に書いて下さい」
 と竜馬にボールペンのついたクリップボードを渡した。
 和葉は、
「『ガラスの仮面』の人にそっくりだわ」
 とクリップボードを受け取った竜馬に言った。
「え? どうした?」
 と竜馬は和葉を見た。
「そっか。お兄ちゃんは少女漫画には弱いんだっけ」
 と残念そうに言った。
「部長さん、月影千草にそっくりだわ」
 と優子は反応している。
「優子、あなた、気づいたわね」
「和葉も気づいたの? 私、びっくりしちゃったわ」
 と二人でヒソヒソと話し出す。
「あのう、すいません。私、もう陸上部って決まっているんですけど、見学していいですかあ~?」
 と小夏は手を上げて訊いた。そんな小夏に竜馬は名簿の付いたクリップボードを渡した。
「ええ。問題ないわよ。もし、よかったら入部してくれてもいいのよ。文化祭ともなれば、人手不足なので、あなたみたいに長身の女の子はとても助かるのよ」
 と微笑みながら言った。
「え? 背が高いと助かるのですか? 荷物運びとかですかねえ~?」
 部長の月影は笑い、
「荷物運びも助かるけど、背の高い人は王子様や英雄なんかの男役が出来るので、とても助かるのよ。特にあなたみたいな本当の長身の男子生徒はね」
 と竜馬の側に行き、右手を竜馬の左肩に載せた。
「どう? 強制は出来ないけど、幽霊部員でもいいわ。文化祭の時だけ手伝ってくれてもいい。あなた、うちに入らない?」
 と竜馬を勧誘した。
「お兄ちゃん、いきなりスカウトよ。どうする?」
 と和葉。
「いや、その。僕、演技なんて全くしたことがないので、ご迷惑では」
 と話した。
 書き終えた小夏は近くにいた優子にクリップボードを手渡した。
「うちの部員のほとんどは高校から舞台に立った人ばかりなのよ。高校三年間で一度くらい、人前で劇をやるのも楽しいわよ」
 と言いながら、優子に近づき、
「あなた、スタイルもお顔もいいわね。どう? 演劇部に入らない?」
 と言った。
「あ! ありがとうございます。ねえ、和葉。聞いた? 部長さん、私のことスタイルも顔もいいですって」
 と上機嫌で言った。
「そうよ。悔しいけど、優子。あなたって容姿に関しては、本当に綺麗だと思うわ。今すぐにでもアイドルや女優になって、テレビに毎日出演してもおかしくないもの」
 と言った和葉に、優子はクリップボードを手渡した。
「ねえ? どうしたの? いつも、私の悪口ばかり言っているんじゃなかったの?」
 と優子は不思議そうな顔をした。
「私は優子の悪口なんて言ってないわ。ただ、空気が読めないとか、世間知らずだとかは言うことはあるけど、事実でしょう」
「ん! よく、そこまで言うわね。まあ、確かに事実だけど……」
「優子。あなたは共学の高校に行ったら、恐らく毎日のように男子生徒から告白されると思うわ」
「え~? そうかな~?」
 と照れた。
 和葉は書き込み終えた名簿を薫に渡した。
「確かに優子さんは凄く綺麗だから、私からしたら羨ましいかな」
 と瀬川薫はクリップボードを受け取りながら言った。
「そんな! 瀬川さんはとても可愛いよ!」
 と春樹が言った。
「え……? あ。園田君、ありがとう……」
 と薫は赤くなった。
「あら、なあに? そちらの小柄なお二人は恋人同士なの?」
 と月影先輩が聞いた。
「ち! 違います!」
「そうですよ! こんなに可愛い子と僕が釣り合うはずがないじゃないですか!」
 と言う、春樹の顔は真っ赤である。
「あら。そうだったのね。ごめんなさい」
 と笑う。
 最後の春樹がクリップボードに学年と名前を書き込んで、月影先輩に渡すと、
「これで見学者が二十人くらいになったわね。では今からオーディションの真似事をしてみましょう」
 とまずは一年生全員を客席側から見て、舞台の左手に集めた。
「ここが舞台の下手になります。では皆さんに先程、書いてもらった名簿の順番で疑似オーディションをしてもらいます」
「え~!」「どうして!」と声が上がる。
「ちなみにこれをやって頂いたからと言って、必ず演劇部に入らないといけない訳ではありません。そうですね。皆さんは、度胸試しくらいに思っていただけたらと思います」
 そう月影先輩は説明してくれた。
 今いるこの下手を観客席に見立てる。下手の舞台袖から裏へ回って、上手の舞台袖から出てきて、舞台の真ん中で演技をするというものだった。
「演技と言っても、ここにスケッチブックがあります」
 と月影先輩がスケッチブックを開くと、そこには『女王様』と書かれてあった。
「では今から見本として演劇部の部員が演じます。ではどうぞ」
 と言うと、一人の部員が上手の袖から現れて、舞台の真ん中に立った。そして、
「私はキサラギ王国の女王。名をアールベント・フォン・エリザベスと申します」
 とスケッチブックに書かれた役を、即興で演じ始めたのだった。
 観客であり、これから演じなくてはならない一年生達がざわつき始めた。
「これ、かなり難しいんじゃないの……」
 と優子。
「難しいなんてものじゃないわよ、これ」
 と和葉も真剣な表情になった。
 上級生の演技は見事なものだった。一年生十数人が『女海賊』『女医』そして中には『結婚式前夜の花嫁』や『遠距離恋愛中の彼女』などの課題を出され、悪戦苦闘している。
「初めてにしては上出来よ。部に入って演技を伸ばしてはどう」
「あなたには素質があるわ。ぜひ、入って欲しいわ」
 と月影先輩は決して罵倒(ばとう)したり、貶(けな)したりはしない。
「月影先輩って厳しさの中にも優しさがあるわね」
「そうよね。優子、あなた大丈夫?」
 すると優子は胸を張って、
「私、スタイルと顔を褒められて、演劇部に誘われたのよ。上手いに決まっているじゃない」
 と言った。
「その根拠のない自信はどこから来るのかしら?」
 と和葉は少し心配気味に言った。
「じゃあ、次。一年三組新屋敷竜馬君。課題は……」
 とスケッチブックを捲(めく)るが、
「あら。どれも男子生徒向きではないわね」
 と言い、スケッチブックの新しいページにマジックで何かを書いた。
「これでお願い」
 と出した竜馬への課題は『二股している彼氏』というとんでもないものだった。書いたものを頭上に掲げて、クルリと回って見学者全員に見せた。
 
──3──

「月影先輩、なかなかいいセンスしてるわね」
 と和葉は言った。そして興味深げに竜馬の演技に注目した。
「竜ちゃん、出来るのかなあ~。告白はされた事はあるけど、まともに付き合ったことがないしねえ~」
 と小夏。
「そうよね。なんせ、下級生の子と映画に行って、それっきりだものね」
 と和葉は付け加えた。
「へえ~。そうなのね。それはどんな演技を見せてくれるか楽しみだわ」
 と月影先輩。
 竜馬くん! 頑張って! 頑張れ!
 と優子と薫と春樹は応援した。
 すると、竜馬は明らかに動揺した足取りで、上手から出てきた。
「本当だから! たまたま、あの子とは偶然、あそこにいただけだから。ウソじゃないって! 本当だから」
 と誰もいない空間に向かって、言い訳をし始めた。
「あの子はさあ。うちのクラスの女の子でさあ。確かに仲良くはしてくれているけど、ただ学校だけの付き合いだから。信じてよ! オレはお前、一筋だから」
 と説得を始めた。
「ほお。なかなか、上手いじゃないの」
 と名簿を確認して、
「あなた、新屋敷竜馬君の妹さんよね」
 と竜馬の熱演を見ながら、和葉に話しかけた。
「はい。そうですけど?」
「単刀直入に訊くわ。お兄さんってモテるの? 二股の経験ってあるの?」
 と質問した。すると、
「お兄ちゃんはモテます。でも今までちゃんとお付き合いをしたことはありません。告白してくれた下級生の女の子と、一度映画を見に行っただけです」
 と正直に言った。
「つまり、今まで二股どころか、ちゃんと付き合ったことすらないのね」
「はい。そうです。ただいま、恋人募集中です」
 と言ったから、
 確か一年三組の長身の人よね。
 どうしよう。私、タイプだわ。
 私、告白しようかしら?
 と知らない女子生徒らが話し始めた。
「ちょ! ちょっと和葉。そんなことを言ったら竜馬くんが迷惑するでしょう」
 と優子は小声で言う。
「え? どうして? お兄ちゃんは今、フリーなのよ。妹が恋人募集中だって言って何が悪いの?」
 と少し意地悪そうに優子を見た。
「そ! それは……」
 と顔を赤らめて俯いた。
 すると、優子の両肩に、和葉が手を置いた。
「優子。恋愛は早い者勝ちなのよ。分かってる」
 と言いながら薫を見た。
 すると、薫はとても潤んだ瞳で竜馬を見つめていた。
「え? 薫ってもしかして?」
 と和葉の言葉に反応がない。
「あのう、瀬川薫さん~」
 と目の前で手のひらを振ってみた。
「……は! はい! 何でしょう!」
 と慌てて和葉の方を向いた。
「薄々は感じていたけと、薫ってお兄ちゃんのこと、好きなの?」
 とズバリ口に出した。
「ちょ! それを言わないで下さい……」
 と頬を赤くして、慌てて和葉の制服の裾を引っ張った。
「分かったわ。言わないけど」
 の後、耳元で、
「ライバルは多いわよ……。大丈夫?」
 と言ったが、
「私は……。そのう……。憧れているだけでいいので……」
 と小声で言った。
「はい! そこまで!」
 と月影先輩の声がした。軽く拍手をして、
「新屋敷竜馬君だっけ。あなた、なかなか上手いわね。中学時代に演劇をやっていたのかしら?」
「いえ。僕は野球部でしたので、演劇なんて全く。そうですね。しいて言えば、後ろにいる妹と一緒にアニメの真似とかをやって遊んでいたくらいでしょうか」
 月影先輩は、
「なるほど。妹と一緒にアニメの真似か。それはある意味、演劇の第一歩だな」
 と感心して、
「新屋敷君、もしよかったら、ぜひ演劇部に入って欲しい。時間はさほど取らせない。役を必ず与えるので舞台練習だけでも来て欲しい」
 と熱く誘ってくれた。
「分かりました。考えておきます」 
 と下手に帰ってきた。
「お兄ちゃん、後半ちゃんと見てなかったけど、なかなかやるわね」
 と和葉は肘で軽く竜馬の脇を付いた。
「おいおい。ちゃんと見ていてくれよ」
 と言っているが、笑顔である。
「では次、一年八組三上小夏さん。課題はこれ」
 と出されたスケッチブックには『憧れの男性を思う娘』だった。
 すると小夏は上手から舞台に駆けてきて、わざと肩で息をしている。
「ハァハァ、あそこから見かけたので走って来ちゃいました。ハハハ」
 と後ろ頭を掻いて、俯き沈黙した。
「あ、あのう……。私、そのう……」
 と上げた顔は頬が赤らんでいて、見ているこちらが緊張してくるほどの演技だった。
「へえ~。この子も上手いものね。驚いたわ」
 と月影先輩は感心している。
「多分、小夏はたまたまこの課題の演技だけは、とても上手い気がするわ」
 と言った。
「へえ~。そうなの? 小夏ちゃん、好きな人でもいるの?」
 と優子は和葉に訊いてきた。
「え!」と和葉。
「え?」と優子。
 二人はしばらく顔を見合わせていたが、
「まあ。敢えて言うほどのことじゃないわね」
 と目を反らして小夏の演技を見つめ出した。
「ちょっと。誰なのよ。気になるじゃない」
 と和葉の耳元で言った。すると、
「あなたの近くにいる人よ。それ以上は教えられないわ」
 と言った。
「え! 近くにいる人って!」
 と竜馬を見た。
 竜馬は小夏の熱演を見つめていた。
「え……。幼なじみ同士……なの……」
 とつぶやき、
「それって、最強じゃない……」
 と落ち込んだ。
「私は! 私は本気であなたのことが好きです! どうか、私のことを好きになって下さい……」
 と誰もいない空間に、熱く語り終えたところで、
「はい! そこまで! あなたも上手いわね。驚いたわ。ぜひ、三上さんも陸上部の練習の合間に、演劇部に来て欲しいわ」
 と拍手をしながら声をかけた。
「ありがとうございま~す。私、走ること以外で褒められることがないので、凄く嬉しいで~す」
 と照れた。
「では次、一年三組相生優子さん。あなたの課題はこれ」
 とスケッチブックを頭上に上げて回った。
 課題は『王国のお姫様』だった。 
 ある意味、最も優しいとも言えるこの課題で、優子は皆の度肝を抜いてしまうのであった。

つづく。

登場人物。
月影先輩(つきかげせんぱい)。
名前は不明。演劇部部長の二年生。容姿が『ガラスの仮面』の月影千草にそっくり。月影先輩の現在の主な仕事は新人や部員の指導や評価や企画など、裏方が中心のようである。

2022年9月10日

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