竜族の女騎士は自身の発情期に翻弄される

紗綺

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恋人との逢瀬

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騎士団の訓練場にはいくつもの剣戟の音が鳴り響いている。
訓練であっても気を抜く者はいない。
目の前で剣を構える同僚も今日こそはエイルに勝つぞ闘志を漲らせている。
当然、彼を迎え撃つエイルにも油断はない。
竜族のエイルに男女の力差は関係ない。獣族には負けるが余程の力自慢でなければ勝敗を分けるのは技量だけだ。

「はぁっ!」

先手必勝とばかりに走って来た同僚が振り下ろす剣を受け止める。
押し込むようにぐっと力を込められた剣の軌道を受け流し攻撃を逸らす。
攻撃には転じず相手の様子を見ていると、受け流されるのがわかっていたのか半歩踏み出した足で地面を蹴り、即座に体勢を整え突きを繰り出してきた。
突き込まれた剣を首を捻って躱す。
同時にがら空きになった胴に剣の柄で一撃を入れる。防具を着けていても衝撃は殺せず、相手は後ろに吹っ飛んだ。

「くそっ、また負けた!
今日こそエイルから一本取るつもりだったのに!」

同僚は悔しそうな顔で起き上がる。
多少の手加減はしたけれど元気そうだ。
エイルは吹っ飛ばした相手へ感想を告げる。

「惜しかったね。
あの突きは少し危なかったよ」

「嘘言え、まだ余裕があっただろ」

そうでもないよと答えながら、額に薄っすら浮かんだ汗を拭い髪をまとめなおす。
目に入った紺色の髪紐に口の端が上がるのを自覚してずいぶん浮かれてるなと思った。
今日は2週間ぶりに恋人と過ごせる。
どうやら無意識で恋人と同じ色の髪紐を選んでしまうくらい浮かれているらしかった。
まだ一日は始まったばかりだが、楽しみで仕方ない。
今日は調子よく仕事がこなせそうだ。身体も軽い。
エイルの機嫌が良いのを勝利のせいだと思ったのか同僚がもう一本!と叫んだ。
紺色の髪紐はよくあるシンプルな物なのでそれを見て恋人との逢瀬の時間に思いを馳せていたとは思わないようだ。
もっとも相手がそれを知ったら訓練中に不謹慎だとか怒られるかもしれない。
早く構えろと急かす相手に頷いて気を引き締める。訓練中に浮かれていてはいけないね。
集中、集中と心の中で呟いて剣を握りなおした。
先ほどのお返しのように一気に距離を詰め突きを繰り出す。
肩口を狙った突きを剣で弾いた相手に、もう少し速くても良かったかと考える。
弾かれた勢いのまま一回転し横薙ぎに剣を振るう。
自身の力はそれほど籠めずに勢いだけ乗せた剣に対して、縦に剣を構えていた相手は力を受け流すことができず真っ向から受け止め構えを崩す。その隙を見逃さず斜めに振り下ろした攻撃に、相手は剣の腹を合わせるのがやっとだった。
カン、と金属音がして剣が落ちる。
衝撃で痺れたのか手を押さえこちらを睨んでくる同僚ににこりと微笑む。
もう一本!と叫ぶ負けず嫌いな同僚へいくらでもどうぞと答えながら剣を構える。
よく晴れた空は爽快で、体調も気分も良好。負ける気がしなかった。





◇◇◇





もう来ているだろうか。
灯りを落とした廊下に硬質な足音を響かせエイルは恋人の顔を思い浮かべる。
警備の引き継ぎを終えて自室に向かう足取りは気持ち速い。
明日はお互いに非番で、変更がなければゆっくりと過ごせる。
廊下の奥に漏れるわずかな灯りに口元を緩め自室の扉を叩いた。
扉に背を向けて座っていた恋人が振り返る。

「待たせたかな?」

「いや、そんなには」

エイルを待っていた恋人、アルヴィスは開いていた本を閉じ顔を上げた。
青い瞳がほんの少しだけ柔らかく細められるのにエイルも笑みを返す。
暇つぶしに呼んでいたらしき本を半分ほど中身の減ったカップの横に置いた。
辞典ほどあろうかという分厚い書物に軽く眉を寄せてテーブルを通り過ぎる。
よくもあんな物で暇つぶしができるものだと思う。
王宮に仕える文官ともあればあれくらいなんでもないのかもしれないけど。
本のタイトルは見えなかったけれどおそらく仕事に使う判例集か何かだろう。仕事熱心なことだと感心する。
歩きながら襟を緩め上着を脱ぎ、着替えのための小部屋で制服を脱ぎ捨てシャツに手を伸ばす。
物置と言ってもいいような小部屋に扉はないけれど、紳士な恋人は覗いてくるような不埒な真似はしない。そのため気にせず着替える。
白いシャツと黒いパンツに着替え、洗い物を入れた籠を持って恋人の待つ部屋に戻るとちょうどカップの中身を空にしたところだった。
籠を扉の側に置き、恋人の側に戻る。洗い物は翌日になれば女官が回収して洗ってくれるので楽な物だ。
茶を飲んでいたカップをどけて戸棚から新しいグラスを取り出す。
エイルの生まれ育った国では専用のグラスをわざわざ使うことなどしないが、こちらの国ではこういうものだと最初のころにアルヴィスから聞いた。
故郷とは違う細やかな様式をたまに面倒だと思うことがあれどその繊細さは嫌いではない。
並べたグラスにアルヴィスが葡萄酒を注ぐ。薫り高い酒は雰囲気でも酔わせてくれる。
体質的にあまり酔えないエイルもこの味と香りは楽しめた。
恋人と過ごすひと時にふさわしい甘い香りにエイルは微笑みを浮かべる。
先に口を付けたエイルを咎めるでもなく、アルヴィスもグラスを傾けた。

「美味しい、この前のも良かったけどこれも良い香りだね」

アルヴィスの持ってくる酒はいつも上品で薫り高い。
さぞ値の張る物かと思いきや一介の文官でも買える物だと言う。
酒にはこんなに種類があったのかと思うくらいいつも違うものを持ってきてくれ、そのどれもが美味しい。
おかげで酒に詳しくないエイルもアルヴィスのおかげで少しずつ詳しくなってきている。

「ああ、お前が好きだろうと思って」

「そうだね、気に入った」

酒精が強いものよりも薫り高いものを好むエイルに合わせてくれる恋人に笑みを返す。
自分がそれほど酒に強くないのも関係しているんだろうけどそれは指摘せずに喜んでおく。
たわいもない近況を話しながらボトルを減らしていく。
普段は険しく見える恋人の青い目が酒によって緩んでいくのを見つめる。
このアルヴィスの青い瞳が好きだ。
普段しかめっ面ばっかなのにこうして二人でいるときはやわらかい雰囲気でいるのがとてもうれしい。
表情はあまり変わらないんだけど。
特別なんだなという実感がエイルの口元を緩ませる。

ボトルの残りが指2本分くらいになった頃グラスのふちを撫でていたアルヴィスが視線を上げた。
青い瞳が灯りの色を受け妖しく光る。

「もう一本開ける?」

視線の意味をわかっていながらエイルは自身のグラスに酒を注ぎながら問う。

「いや……」

一瞬躊躇いがちに視線を伏せたアルヴィスの瞳がエイルを射抜く。
普段とは違う方向で鋭い視線には、隠すことのない情欲が宿っていた。
グラスに隠したエイルの口元が自然に上がる。
残った酒をちびちび飲んでいると焦れたのかグラスを奪い取られる。
一口ほどのそれを含んでアルヴィスがエイルにくちづける。
鼻に抜ける薫りと巧みな口づけがエイルを酔わせていった。





◇◇◇





狭いベッドの中でアルヴィスの体温を感じながらうとうとする。
優しく髪を梳く手の感触を眠りながら感じていた。
彼の癖なのかこうして共に寝るといつも髪を撫でられる。
エイルもそれが嫌いなわけではないのでされるがままにしている。
大切なのだと主張するような丁寧な手つきで繰り返される愛撫は心地よかった。
人族のこれに付き合うのも、そうやって愛情を伝えてくれるアルヴィスを大事に思っている故。
エイルは発情期以外には性行を必要としない竜族だが、これが人族の愛情表現の一つだと知っている。
中には他種族のパートナーに合わせずに性行を断る竜族もいると聞くが、エイルはアルヴィスに抱かれるのが嫌いではない。
単に快楽を求めるだけではないと知っていることと、普段は見せないベッドの中だけの表情が好きで誘われたときは断らないようにしている。
アルヴィスは性欲が強い方ではないようでそれほど頻繁には誘ってこないけれど。
髪を撫でるのとは違う手に指を絡める。絡めた指を確かめるようにゆるゆると力が込められていく。
くすぐったさを感じたのは擦れる指の感触か心を満たす愛情か。
ゆったりとした幸福感に身を委ね、エイルは深い眠りに落ちていった。




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