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神官ルート
穏やかな日々
しおりを挟む神官様、アレクシオとの生活はとても穏やかだった。
毎日少しずつ神殿を清め、食事を作り、休む。
規則正しく陽の光を浴びる生活は戸惑いに満ちていた。
「ミリアレナ、ゆっくりでいいですよ」
はい、と返事をしながら洗濯物の入った桶を慎重に持ち上げる。
水を含んだ布は重く、それほど量が入っていないはずの桶でも胸に抱えて運ぶのがやっとだった。
すでに洗濯物を干し始めていたアレクシオの横でタオルを干し始める。
小気味いい音を立てるアレクシオの洗濯物とは違い、私が振るタオルは鈍めの音がするだけ。
ここに来てからミリアレナが干したタオルでふわふわになった物はまだない。
「干し終えたら祈りを捧げて朝食にしましょうか」
「はい」
大した数でもないタオルを干し終えて中に入る。
光の降り注ぐ神の象徴の前に膝を付き祈りを捧げる。
祈り方はアレクシオが教えてくれた。
手を組み目を閉じる。
祈りの文句はなんでもいい。
ただ心を込めて行うこと。
――この日々に感謝いたします。
――どうかこの身の穢れがアレクシオを苦しめることがありませんように。
目を瞑り神へ祈る。私の存在がこれ以上アレクシオの迷惑にならないようにと。
ほわっと胸が温かくなり、魔力が吸い取られる感覚があった。
目を開けると象徴が先ほどよりもきらきらと輝いている。
魔力を受けて光っているみたいに見えて不思議。
神の象徴なのだからそういうものなのだろう、そう思っていた私に声がかけられる。
「ミリアレナ、神や神殿について学んだことはなかったのですか?
あなたには様々な種類の教育が施されたと伺っていましたが」
神殿からも教育のための神官が派遣されていたはず、とアレクシオが眉を寄せる。
アレクシオの言う通り、魔法省で監視をするという特殊性から教育するための人材はいくつかの部署から派遣されていた。
「神話や神殿の歴史などは学びました」
「それなのに、祈りの作法は知らなかったのですか?」
アレクシオが訝し気な顔を浮かべる。
確かに神殿からも神官が一人教師として通っていた。
けれど、祈り方を教わったことはない。
「私が祈りを捧げても神を穢すだけだから、と」
悩むときも神に縋ってはいけないと、その神官は言っていた。
答えたミリアレナにアレクシオの表情が険しくなる。
「そんな愚かなことを……。
神が誰かの捧げた祈りによって穢れることなどありえません。
その発言こそ神を冒涜するものです」
個人の感情で嘘を教え神を冒涜したと憤るアレクシオ。
首を傾げてその様子を見ていると青の瞳がこちらを向いた。
「ミリアレナ、手を出してもらっていいですか?」
言われるままに手を出してアレクシオの手に乗せる。
乗せた手を包まれるとふわっと手が温かくなった。
心地よさに肩の力が抜けていく。
目を閉じると神に祈りを捧げる時のように魔力が抜けていく感覚があった。
「目を開けてください」
アレクシオの声に目を開くと周囲に光の球が躍っていた。
綺麗……。
神の象徴の前でよく起きる現象に見惚れていると、アレクシオが困ったような笑みを見せる。
「なぜ驚かないのかとも思いましたが、そもそもミリアレナはこの現象を知らないのですね?」
「? そうですね、ここに来るまで見たことがないです」
小神殿の中に入ったときに初めて見て、それから祈りの間の神の象徴の側で度々見る現象だった。
アレクシオも何も言わなかったので神殿では普通のことなのかと思ったんだけど、違ったの?
頭が痛いような顔をしてアレクシオが天を仰ぐ。
「ああ、すみません」
手を取ったままだったことを思い出したのかアレクシオが手を離す。
温かさが離れて、寂しく感じてしまう心を誤魔化すように手を押さえる。
「この光は何か変わった物なのですか?」
まだふわふわと浮いている光は綺麗だけれど触れても何かが起こるわけではない。
意味のあるものだとは思わなかった。
「この光は神聖魔法の素質があるということなんですよ。
もちろん神殿内には多数の使い手がいるので珍しい物ではないですが、国民全体を通すと稀なものです」
あなたの魅了の力ほど稀有なものではありませんけれどねと苦笑を見せるアレクシオ。
「本来なら神殿から行っていた神官がきちんとした教育を施していれば、もっと早くその素質があることが判明していたはずなんです。
そうすれば……」
物憂げな目を見せるアレクシオがすみませんと言葉を止める。
その優しさに胸が痛くなった。
もしそうなっていたら私は魔法省の下ではなく、神殿の下で力を伸ばしていたかもしれない。
そうすればあの『事故』が起こることもなく、娼婦になることもなかったかもしれないと。
どう足掻いても変えられない過去を貶めることにもなる言葉を止めてくれた。
今の私がどういうものか理解しているから。
それを知っていて、この手を取ってくれる。
どうしてなのかと考えるのは止めて目の前の光に意識を戻す。
「では私にも神聖魔法が使えるということなんですか?」
「ええ、攻性のものは教える許可を取らないといけませんが、治癒や解毒なら私が教えても問題ないです。
やってみますか?」
やってみたいと答えるとアレクシオが嬉しそうに微笑んだ。
自分にそんな力があるなんてぴんと来ないけれど、アレクシオが教えてくれるならやってみたい。
「でも神聖魔法は心身共に清らかでないと使えないのではないのですか?」
私の言葉にアレクシオが顔を顰める。嘘を吐いた神官への不快感を思い出しているみたいだった。
「それは関係ありませんよ。
神聖魔法を使うのに必要なのは他者を思いやる心です」
人のことを思いやる……。
「私は自分のことばかりだと思います」
こうしてアレクシオと暮らしているのもそう。
状況がそうなったというのもあるけれど、心地よさに流されていると思う。
アレクシオのためを思うのなら流されるのではなく、手を離してもらえるように説得しないといけないのに。
「自分のことばかりの人というのは、他者のために泣いたりしないんですよ」
アレクシオの手が私の頬に伸びる。
いつかのように触れる直前で止まることはなく、目尻をするりと撫でていく。
あの日のように濡れているわけでもない乾いた頬はアレクシオの指の感触を鮮明に伝えていった。
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