βは蚊帳の外で咽び泣く

深淵歩く猫

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匂い。

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何処か気まずい空気が漂う中での命との二人きりでの夕食の後…

洋一は入浴を済ませ、脱衣所でパジャマに着替え終わると
籠の底でスマホがメールの受信を知らせる着信ランプを点滅させている事に気が付き
洋一は重い溜息を吐きだしながら仕方なく受信箱を見る…
するとそこにはやはり例のアドレスから
『邪魔。』だの『消えろ。』だの…
件名で内容が察せてしまう様なメールがズラリと並んでいるのが見え…

「ッ、」

―――また…

洋一の表情が悲し気に歪む…

今日はただでさえ洋一にとって最も恐れていた
命の“運命の番”かもしれない契の出現により
洋一の精神状態はかなりキツイところにまで追い詰められ、疲弊しきっていた上に
更に追い打ちをかけるかのようなそのメールに
洋一は足元がグラグラと揺れるような錯覚に襲われ
思わず壁に手を突いてそれに耐える…

―――誰だか知らないけど…こんなメールわざわざ送ってこなくたって…
   “運命”かもしれない水鏡さんが現れた以上
   こんな…ただαにとって良い匂いがするだけのβの俺なんて
   命さんに捨てられる日は近いかもしれないのに…ね…

それまで大人しく待ってればいいのに…と
洋一は無理して自嘲気味に笑おうとしたが
その口元は微かに震えるのみで上手く笑えず…

―――ただの良い匂いのするβ…か…

洋一は俯き、唇をキュッと噛みしめる…

―――こんな匂い…無ければ良かったのに…
   この匂いさえ無かったら…俺は要や命さんと関わる事も無くこんな…


   こんな辛い想いしなくてすんだのに…っ、


「ッ、」

洋一は急にグッと息が詰まるような胸の苦しさを覚え
知らずにその瞳には涙が滲みだす…

―――この匂いのせいで俺と要は出会い、別れて辛い思いをし
   この匂いのせいで俺に興味を持った命さんと出会い
   秘書として雇われ…何時しか互いに想いあうようになって…


   けれどやっぱり付き纏うαとΩの“運命”の陰に現在進行形で怯えて
   辛い想いをするハメになり…


「ふっ…うぅ…、」

遂に耐えきれなくなった洋一は、俯いたまま声を押し殺して嗚咽を漏らす…

―――ホラ…やっぱり辛い想いしかしてないじゃん…俺…

『お前はお前のまま…
 ずっと俺だけの傍にいればいい。』
「…ッ、」
『ああ…俺はもう…
 好きをすっ飛ばして愛してる…お前の事を…誰よりも…』
「ッ、ぅぅ…、」

―――命…さん…っ、

胸を締め付けるような苦しさは増し…
洋一は胸を手で押えながらポロポロと溢れ出る涙で頬を濡らす…

―――嘘…辛い想いばっかじゃない…大切にしたい想いもある…けど…だけど…

スマホを持つ方の手の甲で涙をグシグシと乱暴に拭いながら
力無く浴室のドアノブに手をかける

―――だからこそ…考えちゃう…


   命さんはどうなんだろうって…

   
   ひょっとしたらΩのフェロモン同様…命さんは俺の匂いに惑わされて
   俺の事を好きだと思い込んでいるだけなんじゃないのかって…っ、


洋一は浴室を出て、俯きながら覚束ない足取りで自分に宛がわれた部屋へと向かう…

―――俺…本当にこのまま…命さんの傍にいていいのかな…

色んな意味で迷いに迷いまくっている洋一が
何とか部屋の前まで辿り着き、ぼんやりとその部屋のドアノブに手をかける
そこに――

「洋一…」

丁度自分の部屋から出てきた命に声をかけられ
洋一の身体が一瞬ピキッと固まるが…
直ぐにぎこちない笑顔をその顔に貼り付けると
やはりぎこちない挙動で洋一がゆっくりと命の方を振り向く…

「…何でしょう?命さん…」
「…今日一緒に――「ごめんなさい。」

間髪入れずに洋一が命から視線を逸らしながら謝る

「…俺…ちょっと一人で考えたい事があって…だから…、」

自分と目を合わせる事も無く
俯き、何処か辛そうにしている洋一に対して命はそれ以上何も言う事が出来ず…

「…分かった。呼び止めてしまってすまないな…お休み…洋一。」
「…お休みなさい…命さん…」

二人はそれだけ言葉を交わすと
洋一は自分の部屋へと躊躇いがちに入ろうとしながらチラリと命の方を見やる
すると命は書斎に向けて歩きだしているのが見え…

―――ごめんなさい命さん…ごめんなさい…っ、

洋一は命の背中を見送るとそっとドアを閉じ
そのドアに寄り掛かりながら電気も点いていない暗い部屋の中で
手に持っていたスマホを見る

するとそこには契からのメールが届いていて――

―――ッ、水鏡さん…何で――俺のアドレスを…

洋一は不審に思いながらも契からのメールを開いてみて見ると
そこには短く

『明日、二人っきりでお話があります。来て頂けませんか?』

とういう文字の下に日時と場所も示されており…

―――水鏡さん…俺なんかに一体何の用が…

洋一は契から突然のメールに身構えながらも
自分も契に聞きたい事があったために深くは考えず…

洋一はそのメールを閉じ
暗い部屋の中をベッドまで辿り着くとボフンと力無く横たわり
静かにその瞳を閉じた…
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