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慈悲深き眠りを乱すもの

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 抱きたくなったから、抱くことにした。言葉にすれば、ただそれだけのことだ。 
 役にも立たずに右往左往するばかりの神官どもには見つからないようにしながら、ショロトルはその神殿に入り込んだ。それが功を奏して、誰にも見咎められずに奥の間へ辿り着く。 
 些か久しぶりに見るその神は、予想に違わずまだ眠っていた。昼の光を厭うそいつが、この時間に目を覚ましていることの方が珍しい。 
 このところショロトルの神殿にも姿を見せないばかりか、出歩くこと自体も少ないらしいその神。閉じ籠もって何かに没頭しているのかと部屋を見回してみたが、取り立てて目を引くほどの品物は転がっていなかった。他の部屋に片付けられているのかもしれないが、どちらにせよそいつが起きてから尋ねてみれば済むことでしかない。 
 寝床の脇に膝をついて、無駄に整っている寝顔を眺めながら少し考える。起こすべきか、起こさないままでも構わないか。 
 起こしても良いのだが、あまり寝起きの良くないこの神はきっと不機嫌な顔をして生意気な言葉を投げつけてくるだろう。どうせ最後には了承するのだろうが、その前に可愛げのない言葉を散々に浴びせてくるのだろう。それが分かりきっているのに、起こす必要はない。 
 快楽に従順なこの神のことだ、寝ているまま体を開かせてやっても嫌がりはしないだろう。嫌がるなら殴りつけて、捻じ伏せて、無理にでも言うことを聞かせるまでだ。 
 そう結論付けて、ショロトルはその神の体に覆いかぶさった。 
  
 熱っぽく蕩ける吐息、汗ばむ体。悩ましく眉根を寄せて、眦に淡く涙を浮かべて。 
 その神はまだ、眼を覚さない。随分深い眠りだと呆れながら指を引き抜き、そいつの中に押し入った。 
 眠っていて余計な力の抜けているその体は、あっさりとショロトルを受け入れる。絡みついてくる感触に目を細めた時、このまま起こさずに続けるのもなかなかに楽しそうだと思いついた。 
 上手くすれば終わるまで目覚めないかもしれないなと思うと、そうもしてみたくなる。途中で起きたところで不都合は何もないが、そいつが眠っているままに全てを終えて、誰にも見つからずに立ち去ってやるのも楽しそうだ。 
 無駄に頭の回るそいつは何かの手掛かりからショロトルの仕業だと推量して不満をぶつけに来るのかもしれないが、空惚けてやれば良い。知られたからと言って何ということもないが、生意気なそいつを少しでも悩ませてやるのは気分の良いことだ。 
 そう、心に決めて。その神に目覚める気配がないかと表情を確かめながら、ショロトルはゆっくりと腰を動かし始めた。 
  
 起こさないように気をつけながら、緩やかに快感を追う。ショロトルとしてももどかしいほどの動きだが、それでもゆるゆると快感は高まっていく。 
 まだ目を覚さないそいつも、喘ぎ混じりの熱い吐息を零している。開かれ慣れているその体は、ショロトルの与えてやる快感を従順に受け止めている。 
 そいつの中心も反応して緩く立ち上がり、とろとろと蜜を滴らせている。屹立するその部位を軽く扱いてやると、甘えた吐息を漏らしたそいつが小さく体を震わせる。緩く握り込んでやっているショロトルの掌に自身を擦り付けるようにして、またとろりと蜜を溢れさせる。いつもこれほど素直にしていれば、少しは可愛げがあるのだが。 
 もどかしさはあるがこれはこれで悪くないと、ショロトルが忍び笑いを漏らしたその時。また熱っぽい吐息を漏らしたそいつの唇が、微かに震えた。 
 流石に目覚めたか。少し刺激を止めてやれば、また眠りに沈んでいくかもしれない。そう考えて動きを止めてやったショロトルが見つめているのも知らずに、そいつは睫毛を震わせて、けれどまだ目を開けはしなくて。 
 瞼は未だ閉じたままに、その唇から声が漏れ落ちた。 
「ーー、ぁ、る、……」
 吐息だけで呼ばれた、その名前。ショロトルには寸の間、聞いたものを理解できなかった。あまりにも、思いがけなかったから。 
 けれど、じわじわと理解が追いついてくる。聞こえた音を、脳が理解する。 
 ケツァルコアトル、と。そいつの唇は、確かに呼んだ。 
 理解した途端に、激情に目が眩むのを感じた。ショロトル自身にも理由の分からない激しい怒りが、頭蓋の中を焼き焦がした。 
 そいつの腰を強く掴み、それまでとは打って変わった激しさで突き上げる。びくっと体を震わせたそいつが、はっと目を開ける。あまりにも遅い覚醒を、嘲笑ってやる余裕さえなかった。 
「ぁ、なんっ、ーー!」 
「はは、もうイったのか?」 
 嘲ってやりながら、容赦なく自分の快楽を追う。達したばかりで敏感になっている体には過ぎた刺激なのか、そいつはがくがくと体を震わせて声にならない悲鳴を漏らした。 
 構うものか。逃げを打つ腰を引き寄せて、一層激しく腰を打ち付ける。呼吸もままならないらしいそいつは引き攣るような声を上げて、弱々しくショロトルの肩を押し返そうとした。  
「やめ、まだ、イって……」
「うるせえ」
 切れ切れに訴える声になど構わず、息つく暇さえ与えまいと揺さぶってやる。また声にならない声を漏らしたそいつは、反射のように肩に縋り付いてきた。 
 珍しく混乱しているらしいそいつは、言葉にならない声を上げて何とか逃れようと身を捩る。許さず一層深くを抉ってやると、そいつはまた掠れる悲鳴を漏らした。 
 必死で押し留めようとしているらしい手が、肩に弱々しく爪を立てる。そんなことには構わず、深く激しく繰り返し攻め立ててやる。 
 困惑の響きの混じる喘ぎは意味を為さない。何が何だか全く分からずにいるらしい瞳の色が腹立たしい。得体の知れない苛立ちが、収まらない。 
「呼べよ、俺を」
 吐き捨ててやると、混乱し揺らめく瞳が一層困惑を深める。けれどどこまでも生意気なそいつは揺らぐ目に頑なな光を宿して、何も言わずに顔を背けてしまった。反抗的な目付きに苛立って一層激しく揺さぶると、切れ切れの喘ぎを漏らしながら睨み上げてくる。征服欲ですらない憤懣に突き動かされて、ショロトルは半ば我を忘れてその神を犯した。 
 その神の唇は最後まで、誰の名も二度と呼ばなかった。 
  
 指先も動かせないほど疲弊しきっているらしいそいつには構わず、さっさと身支度を整える。労ってやったり優しい言葉で甘やかしてやったりするような関係ではもとよりないが、特に今はそいつの全てが疎ましい。努めて視界から締め出しながら装束を整えて、装身具を拾い上げた。 
 今そいつの近くにいると、不必要な言葉を吐いてしまうかもしれない。生意気なそいつはきっと言葉尻を捉えて、仕返しとばかりに散々に責め詰ってくる。それが分かりきっているのに、わざわざ弱味を見せてやる必要はない。 
 視界の外で、そいつが気怠げに身を起こす気配。無視して次の装身具を拾い上げたとき、掠れる声が不満げに呼びかけてきた。 
「おい」
「んだよ、まだ足りねえってか?」 
 振り向きもせずに吐き捨ててやると、意外だったのか言葉を飲む気配。口の立つそいつには珍しいほどのその態度にも、全く溜飲が下がらない。 
 ちっと舌打ちして、最後の装身具をやや乱暴に腕に嵌めた。背後で口籠っている神になど構わず、さっさと立ち去ろうとする。だが、つい足が止まってしまった。 
「……弁明もなしか、と聞いている」 
 背中に投げかけられた声はショロトルが思うより冷静な響きで、意外なほどにしっかりとした口調だった。そのことを少しだけ妙に思う。 
 何に対して、そいつはショロトルに弁明させたいのだ。同意を得ずに体を開かせたことか、息つく暇も与えず犯したことか、名前を呼べと迫ったことか。あるいは、その全てか。少しだけ考えを巡らせて、すぐに思考を放棄する。 
 そもそもショロトルには、答えたり説明したりしてやる義理など全くないのだ。優しく甘やかしてやるような関係ではないのだから、互いの体で快楽を貪るためだけの関係なのだから。そもそも、ショロトルを不快にさせたのはその神自身なのだから。 
 だから振り向きもせずに、言葉を投げ捨てて。返事も聞かずに、ショロトルは部屋を出た。 
「……あるわけねえだろ」
  
 まっすぐに自分の神殿へ帰る気には何故かなれず、ショロトルは夕陽に赤く染まる野を当て所なく歩いた。誰か他の神にでも出くわしたならば難癖をつけて喧嘩をふっかけてやれるのに、こんな時に限って誰とも会わない。 
 腹いせに蹴飛ばした大きな石は、あっけなく砕け散った。ばらばらと散らばる破片を蹴り散らして、また歩き続ける。踏みつけた破片がまた砕けて、足の下で砂に変わった。 
 胸を刺す苛立ちは膨れ上がるばかりで、なのにその正体さえも分からない。苛々と息を吐いて足を止め、目に止まった石の上に腰を下ろす。日がな一日陽光に温められていたらしい生温い感触が不快だったが、草の上に座るよりはいくらかましだ。 
 気を紛らわせようと空を見上げた。天頂よりもいくらか東に傾いて浮かぶ爪の先ほどの細い夕月を、忌々しい思いで睨み上げる。 
 紫の空に刻まれた爪痕のような、その白けた光。肩に爪が食い込んだ小さな痛みを思い出すと、刻まれたばかりのその傷がまたちりちりと痛み始める。舌打ちをして月からも目を逸らしながら、肩周りを覆う装束を半ば無意識に直した。 
 太陽はまだもたもたと沈みかねていて、夕星は姿を現していない。いけ好かない兄弟神の明るすぎる星も、無駄に強い光で傲慢に目を射抜いてくるその明星も、今日は姿を見せる周期ではない。浮かび上がりそうになる不快な姿を頭から追い払い、また立ち上がった。 
 どこからか甘ったるい花の香りが流れてきたが、見回してもそれほど近くでは咲いていないらしかった。すぐに見つかる場所であれば根こそぎ引き抜いてやりたい気分だったが、わざわざ探す手間をかけてやるほどのものではない。 
 苛立ちはまだ胸の中で蹲っているが、日が暮れ切る前には神殿に戻った方が良いだろう。頼りない細い月と弱々しい星の明かりだけで帰ろうとして、何かに蹴躓くのも馬鹿馬鹿しい。もう一度舌打ちをして、体の向きを変えた。 
 歩き出した時、生温い風が頬を撫でた。その不快感にまた顔をしかめ、反射的に思い出してしまった風の神の顔をもう一度頭から追い払おうとする。 
 その時になってやっと、胸に巣食っていた苛立ちの原因に思い当たった。いや、もしかするととっくに気付いていたのか。ただ、自分の感情に向き合いたくなかっただけで。 
『ーー、ぁ、る、……』 
 夢うつつに、その風の神を呼んだ声。ショロトルに組み敷かれながら忌まわしい名前を呼んだ、あの声。思い出して、また新鮮な苛立ちが胸を焦がした。 
 ショロトルといけ好かない兄弟神を取り違えるなど、ショロトルに抱かれながらあの善良ぶった神を重ねるなど、無礼にも程がある。赦すべからざる、あまりにも大きな非礼だ。 
 対を為す存在として生まれたとはいえ、あの独善的な神とショロトルは全く違う存在なのだから。互いを忌み嫌い、事あるごとにいがみ合い、お互いを避けるようにして、気の遠くなるほどの年月を過ごしてきているのだから。だというのに、それをよく知っている筈のそいつが、自身もあの風の神の偽善を冷笑しているその神が、何故そのような間違いをしでかすのだ。 
 努めて苛立ちを鎮めながら、あの呼び声をまた思い返す。眠たげで舌足らずだというばかりではなく、その響きは奇妙に甘やかではなかったか。そう感じるのは、ショロトルが考えすぎているのだろうか。 
 よくよく声の記憶を吟味しても、どうにも結論付けがたいと認めざるを得なかった。あのたった一声では、情報が少なすぎる。快楽を与えてくれる相手に先をねだるだけの声色とも聞こえたし、それ以上の甘い感傷を含んでいるようにも聞き取れた。 
 だがその神自身に他意がなかったとしても、それが看過されるべきでない無礼な行いであることは間違いない。ショロトルの腕の中であの忌まわしい兄弟神の夢を見るなど、ショロトルをあの偽善的な風の神と間違えるなど。眠りの中にあったからという理由で許せる限度を、遥かに超えている。 
 あの善良ぶった兄弟神がどんなふうにそいつを抱くのかなどはっきりとは知らないが、日頃の険悪なやりとりを見る限り、優しい扱いではおそらくないだろう。間違っても、穏やかで緩やかな交わりではないのだろう。 
 一度だけ二神がかりでそいつを犯してやった機会を思い返しても、いけ好かない兄弟神はそいつに対して、随分と乱暴な振る舞いだった。普段の取り澄ました様子からは意外なほどの、抱くというよりは痛めつけるような扱い方だった。少し痛いくらいが好きなそいつは、それを喜んでいた様子だったが。 
 だからきっと、昨夜ショロトルが触れてやったようなやり口は、あの兄弟神を思い出させるようなものではない筈だ。常のショロトルらしい触れ方でも全くないのは分かっているが、あの風の神らしいものでもない筈だ。なのにどうして、そいつは「ケツァルコアトル」の夢など見たのだ。 
 やはりその神は、何か淡く甘い感傷でも抱いているのか。ショロトルの決して相容れない兄弟神に対して、密かな想いでも抱いているのか。そう仮説を立ててみた途端に、思いがけないほど激しい感情が胸を揺さぶるのを感じた。 
 ずっと胸の底で眠っていた、揺り起こさないように気を付けていた、どす黒い感情。それが眠りから覚めて、蠢くのを感じた。その矛先は忌々しい兄弟神だけでなく、その名を呼んだ無礼な神にも向いている。 
 努めて激情を鎮め、冷静に仮説を検証しようとする。だが、どうしても情報不足は否めない。結論を出すためには、もっとはっきりとした根拠が必要だ。 
 どうするべきかと少しだけ考えを巡らせ、すぐに妙案に辿り着く。些かの準備は必要だが、数日放っておいたところで事態は何も動かない筈だ。その間に、どのように転んだらどう遇してやるべきかも、よく考えておけるだろう。 
 手配すべきことを数え上げながら、小さく笑う。今夜はゆっくりと休み、明日からは神官にも手伝わせて準備に取り掛かろう。急ぐことはないのだから。 
 そんなにあいつがいいのなら、本当にショロトルよりもあの風の神を選ぶというのなら。その愚かな考えに至ったことを、深く後悔させてやる。 
  
 ショロトルが細々とした品物を全て揃えるのには十日ほどかかってしまったが、その神はやはり姿を見せなかった。相変わらず引き籠もっているのかと呆れながら、何度歩いたか数えきれない道を踏み締める。夕闇の忍び寄る道の途中で、何柱かの神々と行き合って簡単な挨拶を交わした。 
 神殿に入ってすぐの場所で足を止めて見回し、何か衣類のようなものを抱えて通りがかった神官を呼び止めた。そいつらの仕える主神に取り継ぐよう命じ、その場で少し待たされる。ややして通された奥の間で、その神はつまらなそうな顔をして窓の外を眺めていた。 
 無駄に綺麗なその横顔を眺めながら、そいつが振り返るのを待つ。こちらから言葉をかけたり歩み寄ったりしてやるつもりは、ショロトルには今日はない。 
 こちらがいつまでも入り口で立ち止まっているから、疑問に思ったのだろうか。そいつは面倒臭そうな顔でやっと振り向いて、何か言おうとして、その時になって初めて驚いたような顔をした。 
「何の、真似だ。ショロトル」 
 呼びかけに表情を動かさないようにしながら、内心では少しだけ感心する。ここに立っているのがショロトルだと、あの風の神ではないと、よく見分けたものだ。 
 いけ好かない兄弟神の装束や装身具に似たものを集めて、自分自身の趣味とは全く合わない物も多いそれらを身に着けて、今日のショロトルはここへやって来ている。元々顔立ちや体格は似ているから、振る舞いと言葉遣いに気を配りさえすれば少しの間は騙せると思っていた。日の落ち切った後の弱々しい光も、それを助ける筈だと考えていた。口を開く前からたった一目で見抜かれるのは、少々予想外だ。 
 この神殿に来るまでに出くわした何柱かの神々も、取り継がせた神官も、一言二言の挨拶を交わしただけでは気付きもしなかった。よく声色を聞けば少しは違うというのに、全く疑問に思った様子もなかった。だというのに目の前の生意気な神は、顔を見るなりショロトルを見分けた。 
 それはもしかすると、あの偽善的な風の神のことをよく観察しているせいなのかもしれない。思い当たったその仮説は随分と不快なものだったが、表情に出してしまう前に散らした。見分けた理由を問い詰めるのは、後回しでいい。 
 何も言わず、ただ微笑んでやった。虫が好かない兄弟神の偽善的な笑顔を、意識的に真似て。相対する神にその笑みがどう映ったのかまでは分からないが、ここに来るまでに会った誰も見破らなかった表情だから、ある程度は似ている筈だ。 
 立ち上がってこちらを見つめているその神の眼に、僅かに動揺が走った。だがそれを押し隠すようにして、そいつはまた口を開く。 
「何の真似だと、聞いている」 
 平静を装ってはいるが、その声には不安に似た響きがある。ショロトルの意図することが読み取れず、ショロトルが次にどう出るかが分からず、どんな態度を取るべきかを迷っているらしかった。 
 胸の中で笑い、顔には同じ笑みを浮かべたままでゆっくりと足を踏み出した。小さく肩を震わせたその神が足に力を入れるのを、視界の端で認める。咄嗟に後ずさろうとして、危ういところで踏みとどまったらしい。 
「答えろ、ショロトル」 
 気圧されて下がりそうになったのを隠すように、常以上に高慢な響きの声。構わずゆっくりと距離を詰めてやり、目を合わせたまま手首を掴んだ。振り払われる前に、一層近くまで引き寄せる。 
「離せ」
 虚勢を張り続ける声は傲然としてはいるが、睨みつけてくる瞳には僅かに怯えがある。不安に飲み込まれまいと強がっているのが、萎縮するまいと自分を奮い立たせているのが、手に取るように分かる。 
 また胸中で笑いながらも、顔に貼り付けた兄弟神に似せた笑顔は崩さない。また少しだけ怯えの色を濃くした瞳を覗き込みながら、ゆっくりと顔を寄せる。近付くのを嫌がるように顔が背けられたので、こめかみに唇を寄せてみた。 
「っ、やめろ、気色の悪い」
 嫌がったそいつが何とか振り払おうとするので、一層強く捕まえる。腰を抱き寄せると、掴んでいない方の手がショロトルの胸を押し返そうとした。その指が首飾りに触れたのか、僅かに引っ張られる感覚が伝わった。
 指先の感覚に反応してか、その神の目線がショロトルの首の飾りに向けられる。その隙にと手首を掴み直したが、それと同時にそいつの手はショロトルの首飾りを掴んでいた。そのまま強く引かれ、首の後ろを圧迫される。思わず眉を寄せ、口を開いていた。 
「やめろ」
 言ってしまってから、声音や口調を真似なかったことに思い至る。少しだけ満足げな顔をしたその神は、一層遠慮のない力で飾りをぐいぐい引っ張った。 
 飾りが肌にぎりぎりと食い込む、鈍い痛み。そして、その飾りが弾け飛んで床に散らばる音。引きちぎられたらしいそんな品物など全く惜しくはないが、準備にかけた手間を思うと少し腹立たしい。 
 だが咎めてやる前に、そいつは手の中に残った飾りを放り捨ててまた別の装身具に手を伸ばしてきた。仕方なしにその手首も捕まえ、再度口を開いてやる。 
「勝手に毟り取るんじゃねえよ。外し方も忘れたか?」 
「お前がくだらん悪ふざけをするからだ。悪趣味な」
 可愛げのない口振りだが、その目は満足そうに光っている。ショロトルの「化けの皮を剥いだ」ことが随分と嬉しいらしい。子供じみたそいつと詰めの甘い自分自身の両方に呆れながら手を離してやり、何とはなしにその場に腰を下ろした。 
 また引きちぎられる前に自分で装身具を外し始めながら、立ったまま見下ろしているそいつにちらりと目を向ける。言葉はかけずとも意図は伝わったのか、そいつも意外なほど素直に腰を下ろした。 
 外した装身具には未練もないので、そのまま床に投げ捨てていく。もとよりショロトルの好みではないのだから、疵が付こうが欠けようがどうでもいい。満足げに眺めているその神の気にいる品物でもないらしく、近くに落ちた一つを邪魔そうに払い飛ばすのが目の端に映った。 
「ここに捨てていくつもりか」
「分かってんなら聞くんじゃねえよ」
 答えながら最後の一つを床に投げ出し、手持ち無沙汰になったので壁に凭れた。返答が不満な様子なその神にも、ショロトルを翻意させる無駄な努力をするよりは大人しく処分を引き受ける方が遥かに手間が少ないと分かっているだろう。そいつは不機嫌な一瞥を寄越してから、仕方なさげに手を伸ばして捨てられた品の一つを手に取った。 
 興味もなさげに、ショロトルが外した装身具を弄んでいる指先。大した興味もなくその動きを眺めながら、いつ尋ねようかと思案していた問いを投げかけた。 
「どんな馬鹿げた夢、見てたんだよ?」 
「夢?」 
「俺がこの間来てやった時、何か夢見てたんだろ」
 顔を上げたそいつが怪訝そうな顔をするので、仕方なく言葉を足してやる。薄々予想した通り、そいつは不機嫌な顔をして返答もせずに責め立ててきた。 
「許しも得ずに入り込んでおいて、恩着せがましい言い方をするな。その上、同意も取らずに盛って、止めろというのに止めもせず、挙句には一言の弁明もなく。お前は……」
「あー、悪かったよ。いいから答えろよ」
 面倒になってさっさと謝罪し、返答を促す。ショロトルが素直に折れたのが意外だったらしいその神は記憶を探るような顔をしたが、すぐにまた不満げな顔を向けてきた。 
「反省の色がない。第一、私が眠りの間にどんな夢を見ていようが、お前に何の関係がある」
「反省してるっての。んだよ、聞かれて困るようなやらしー夢でも見てたのかよ?」 
 わざと馬鹿にした口調で問いを重ねてやっても、その神の表情はもう揺らがなかった。不機嫌に眉を寄せ、仕方なさげに答える。 
「夢など、いちいち覚えていない。私はお前と違って、考えるべきことが他にも多くある」
「いちいち一言多いんだよ、お前は。本当可愛くねえ」
 毒づきながら、胸を覆っていた苛立ちの暗雲が半ば晴れていくのをショロトルは感じていた。可愛げのない顔をして睨んでくる目の前の神の見ていた夢はもう確かめようがないが、それは忘れてしまえる程度の夢でしかなかったらしい。 
 そう確認できただけで、半分は許してやることにした。もう半分を確かめるために、もう一つの問いを重ねる。 
「何で一目で、俺だって分かったんだよ?」 
「お前こそ、なぜ騙し果せると思った」
 間髪入れずに逆に問われて些かむっとする。まだ不機嫌な顔を向けてきているそいつを睨み返した。 
「答えろよ」
「お前こそ」
 不機嫌そのものの顔を向けてくるその神は、ショロトルが先に答えてやるまでは返答するつもりはないらしい。舌打ちをして、仕方なく答えてやることにした。 
「まあまあ似てるだろ、腹立つけど」
「『まあまあ』程度だろう。見れば分かる」
「だーから、どこで分かんのかって聞いてんだよ」
 何故ここまで親切に促してやらなければならないのだ。半ば苛立ちながら問いを重ねればそいつにもようやく、答えるまでは決してショロトルが引き下がらないことが分かったのだろう。呆れたように、そいつは大袈裟な溜息を吐いた。
「……爪」
「あ?」 
「似てはいるが、お前の方が少し角張っていて色が薄い。手入れもお前の方が長くまで放っているし、切る時には逆に切りすぎる。人差し指の長さはお前の方が長いが、手の大きさはお前のほうが僅かに小さい。髪の流れも違う。それと……」
 つらつらと並べ上げられる「違い」に、ショロトルはつい呆気に取られてしまう。ふと口を閉じたそいつが不満げに睨んでくるので、やっと我に返った。
「お前がしつこく尋ねたのだろう。真面目に聞け」
「……うるせえな。細かすぎて呆れてたんだよ」
 反射的に言い返すと、生意気なそいつが一層不機嫌な顔をして顔を背ける。だが細かすぎるという指摘には流石に反論のしようもないのだろう。そっぽを向いたまま、そいつは言い訳めいた口調で呟いた。
「……見覚えたくもないが、覚えてしまったのだから仕方なかろう。お前は薬草の扱いが雑だから、手元を監視していたら見慣れた」
「んだよ、俺のせいかよ」
「当然だ」
 当たり前のように言い切る不遜な態度に呆れて、今度はこちらが溜息を吐く。そうしながら、苛立ちの暗雲がすっきりと晴れたことにも気付いていた。 
 ショロトルをじっと見ていたから、ショロトルの特徴を覚え込んでしまったから、見分けがつくのだとそいつは言う。そうされるだけの覚えもされていた記憶もあるから、きっとそれが真実なのだろう。思いがけなかった言葉だが、悪い気分ではなかった。 
 晴れやかではないがそれなりに明るい気分で腰を上げ、見上げるそいつも立ち上がらせる。不審そうに見つめてくるそいつに、わざとにっこりと笑ってやった。 
「同意、取ってほしいのか?」 
 意図が明らかに伝わるように腰を抱き寄せる。理解したそいつが呆れ顔をした。 
「押しかけて来るなりわけの分からないことばかりした挙句、結局はそれか」
「他の用事で来てほしいってか?」 
「どんな言い訳を用意しようが、お前が他の用事で来るとは思えんな」
 可愛げのない嘲りの笑みを浮かべながらも、そいつが嫌がってはいないのは瞳の色で分かる。結局期待してんじゃねえかと胸の中で笑いながら、甘い声で囁いてやった。
「抱かせろよ」
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