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偽の仮面と幽けしの呼声
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ついまた物思いに耽っていたらしい。我に返って、軽く頭を振って、ケツァルコアトルは半ば無意識に溜息を吐いていた。
自分が気にするほどのことは何もないと、分かってはいる。何度も自分に言い聞かせている。あのような気紛れで身勝手な神の考えなど、憶測を巡らせるのも無駄なことだ。どうせ大した理由などは、何一つとしてなかったに決まっているのだから。
なのにどうしても、あの夜の面影が蘇ってしまうのだ。切なげにも見えた瞳が、物言いたげだった唇が、不可解な態度の全てが、ちらついて離れないのだ。傷ついたような色を滲ませた眼差しが、声もなく責め立ててくるのだ。そんなものはどれも、見間違いに決まっているのに。
その神があの夜以降ぱたりと顔を見せなくなっていることも、妙に気にかかって仕方がない。どうせ大した理由ではないと、大方また他の「お気に入り」を見つけて遊んでいるのだろうと、分かっているのに。そんな事は分かり切っているのに。
このままでは何も手につかない。上の空のあまりに、差し障りも出てくるだろう。もう一度溜息を漏らして、ケツァルコアトルは太陽の位置を確かめた。
傾きつつある天の光。それが沈み落ちるのを見届ければ、自分のその日の務めは終わる。そうなれば夜を好むあの神の神殿に行ってみて、問い質すこともできる。
何もないのだとはっきりさせさえすれば、もう気にならなくなるだろう。胸を煩わせる引っかかりなど、さっさと取り払うに限る。そう心に決めて、ケツァルコアトルは立ち上がった。
神殿に入ってすぐに通りかかった神官を捕まえて取り継がせて、少しだけ待たされて。そして、その神の元へと通された。
「やあ」
ごく気軽な調子を選んで声を発する。立ったままでケツァルコアトルを迎えたその神は、無言のまま僅かに頷いた。
用向きを問いさえせず、こちらの出方を窺うように伏し目がちに見つめてくるその神。妙に大人しくしおらしい様子に違和感を覚えたが、努めて気軽な態度を装った。
「随分長く顔を見せなかったな。今はどこの誰で遊んでいるんだい?」
軽やかな口調で尋ねると、その神が小さく肩を震わせた気がした。瞳に寸の間だけ走った色は、ケツァルコアトルには読み取れなかった。あれは苦痛だろうか、期待だろうか。
その神はやはり何も言わず、ただ僅かに視線を逸らした。違和感がまた大きくなり、気にかけたくもないのに気になって仕方がない。だから大股に距離を詰め、こちらへ顔を向けさせて目を覗き込んだ。
「っ……」
「別に隠すこともないだろう。君が誰を食い物にしようと、どれだけ食い散らかしていようと、今更咎めようとも思わないよ。君にはいつもの事だろう」
今度は明瞭に狼狽を浮かべた瞳を見つめ、さらりとした声を選んで詰ってやる。この程度の言葉など、罵言とも呼べない。この淫らで不遜な神は、そよ風ほどにも気にかけはしない。分かり切っている事だから、ごくあっさりと言ってやれた。
だというのに、間近で見開かれているその眼には怯えに近い色が浮かんだ。幼子がむずかるのにも似た動作でケツァルコアトルの手を振り払い、目を合わせないままに漸く口を開く。随分と久し振りに聞くその声は、僅かに震えているように聞こえた。
「違、う……」
「何が違うと言うんだ。本当の事だろう」
もう一度顔を向けさせようとしながら尋ねてやっても、その神は頑なに目を合わせず、答えもしない。いい加減に焦れてしまい、ケツァルコアトルは思わず語調を強めた。
「君が恥知らずの淫乱だということくらい、誰もがとっくに知っているよ。今更純情ぶるんじゃない、薄気味悪い」
「……!」
弾かれたように顔を上げたその神は、やっと自分からこちらに目を向けた。見開かれた瞳の中で、名状しがたい様々の色彩が渦巻く。そこには驚愕のような色も、こんな神が持ち合わせている筈もない羞恥に似た色までも見えた気がした。見間違いであるに決まっているその感情にケツァルコアトルまでもが不意を突かれ、言葉を探すのも忘れてしまう。
僅かの間、互いに何も言わなかった。その数瞬の間に、覗き込んでいた瞳は渦巻いていた無数の色を水底に沈めるようにして、何もかも消し去っていく。ちらりと過ぎったかもしれなかった諦めにも似た色は、すぐに深く沈み込み見えなくなった。
ややして、その神はゆっくりと嘲りの笑みを浮かべた。よく見慣れた、忌々しくもこの神らしい表情。ケツァルコアトルが胸のどこかで安堵していると、その神が落ち着き払った調子で口を開いた。
「何の用件かと思えば。私が相手をしてやらないことに拗ねたか」
「まさか。君なんて居ないほうが、よほど平和で清々するよ」
同じ嘲りを込めて答えてやっても、その神はもう揺らいだ様子さえ見せなかった。小馬鹿にした様子で笑い、顔を寄せてくる。滴るような淫らな艶をたっぷりと含ませた声が、甘く甘く囁く。
「素直に認めればいい。貴様とて、私の味に狂っているだけだ」
「随分な自信だね。君こそ、誰にでも脚を開いて善がり狂うだけの、ただの淫乱じゃないか」
「もう聞いた。ろくに言葉も知らないようだな」
一つひとつが癇に障る物言いも常の事で、もう目の前の神はすっかりいつも通りの憎々しい調子を取り戻していて。また安堵を覚えながら腰を引き寄せると、その神はただ笑って身を預けてきた。
寝床に組み敷いてのしかかってやりながら、珍しく随分と前から起き出していたようだと頭の隅で考える。あるいは眠らずに何か邪な企みごとでもしていたのかと思えるほど、使った痕跡のない整えられた様子の寝具だった。だが、尋ねてやるほどのことでもない。
「口付けてほしいかい?」
「要らん」
顎を捕らえて揶揄うと、その神は素っ気ない様子でケツァルコアトルの手を振り払った。そうも嫌がられればしてやりたいような気分にもなるが、その前にその神は毒々しいほど淫らな声音でねだった。
「つまらん真似をするくらいならば、早く私を楽しませろ。そのご立派なモノは飾りか?」
「よく言ってくれるね。そのお飾りで、国中に聞こえるほど善がるくせに」
嘲笑ってやりながら腰をなぞると、その神は甘い息を漏らして小さく身を捩る。早くも淫らな期待に蕩け始めている眼をして、口先だけは高慢に命ずる。
「御託はいい。その気があるならば早くやれ。早く、私を満足させろ」
「本当に浅ましい淫乱だね。君の本性を知らずに敬っている民があまりに気の毒で、涙が出るよ」
甘く嘲ってやりながら、お望みの場所に指を滑らせてやる。その神はまた甘えた息を吐いて、身を震わせた。
熱く狭い場所を暴き、その内へ身を沈める。歓喜の声を漏らす唇を、ぼんやりとまた眺めた。
見栄えだけはいい、無駄に整った顔立ち。唇の色形もやはり美しく、花弁のような愛らしさをそこに嗅ぎ取った気がした。
口付けてみようか、嫌がるだろうか、嫌がられても構うものか。考えて結論付けて、顔を寄せようとする。だが見透かしたらしいその神は、あからさまに嫌そうな顔をして押し返してきた。
「くだらん真似をするな。動く気もないならば、さっさと失せろ」
「本当に少しの情緒さえない呆れた色狂いだね。無駄にお綺麗な顔が勿体無い」
何の気もなく詰ってやると、その神は虚を突かれた顔をした。その様子にこちらまで驚いてしまう。
一体何にそれほど驚いたのだと考えている間に、瞬きをしたその神は自分を取り戻したらしかった。ぞっとするほどの妖艶な笑みを浮かべ、粘りつくように淫らな声で囁く。
「何だ。私の顔が好みか。顔さえ良ければ相手を選びもしない好き者が、随分なご高説を垂れるものだな」
底意地の悪い声音は蜜のような甘さで、残忍な侮辱さえも聞き流してしまえそうに思える。だからケツァルコアトルは鼻で笑い飛ばしてやり、わざと優しくその頬を撫でてやった。
「よく言ってくれるね、最初から百も承知なんだろう? この可愛いお顔で手当たり次第に誑し込んで、食い散らかしているくせにね。君がこんな顔に生まれつかなければ、不幸に突き落とされずに済んだ者は数え切れないほど居たんだろうに。君みたいな性悪の淫売が不釣り合いに綺麗な顔を持ってしまったのが、全ての不幸の始まりなんだろうね」
甘く優しく言い含めてやっても、体の下の神は傷ついた顔一つせずに鼻で笑う。予想の範疇でしかないそんなことには苛立ちさえ湧かないが、もう少し何か言ってやろうか。考えを巡らせていると、嫌味たらしい嘲りの声に先んじられた。
「随分と回る舌だな。切り落として森の獣にでもやれば、喜んで食らうだろう」
「君こそ。手当たり次第に食い荒らすばかりなら、犬の前で脚を開いてみたらどうだい。大喜びで交尾して、たくさん種を付けてくれるだろう。君みたいな淫乱な雌犬には、それがお似合いだよ」
「何の役にも立たない貴様のモノよりは、よほど楽しめるかもしれんな。夜が明けるまで御託を並べるつもりならば、本当にその舌を切り落とすぞ」
嗜虐的に笑うそのかんばせは、やはり憎らしいほどの愛らしさと美しさを溢れるほどに備えている。戯れるようにこちらの唇をなぞる指に軽く噛み付いてやり、ケツァルコアトルはわざと大きく笑みを浮かべてやった。
「我慢の一つもできない、いけない雌犬だね。よく躾けてあげたほうがよさそうだ」
「ひ、ぁ!?」
断りも入れず腰を突き上げると、体の下でその神の体が跳ね上がる。甘い高い悲鳴を聞きながら、容赦なく揺さぶり立てた。
「ぁ、あ、んぁ、っ……!」
「よく鳴く犬だね。交尾してくれる雄犬を、そんなに呼び集めたいのかな?」
優しい声で嘲ってやりながら、一層激しく腰を突き上げる。より深く、より強く、抉り、突き刺し、攻め立てる。その度に甘えた嬌声が益々蕩け、熱を帯び、狂おしいものになっていく。
切れ切れで何の意味も為さない喘ぎ。淫らに絡みついて奥へと誘い込む場所。ケツァルコアトルも半ば我を忘れ、殆ど夢中になって快楽を追い求めた。
淫らに蕩けた、端正なかんばせ。何も映さない、半ば虚ろな瞳。花弁のような唇にまた眼を向けて、口付けをしようかとまた考えた。
顔を寄せてみると、内部の熱に違った角度で抉られたその神が甘い呻きを漏らす。その瞳がやっとこちらに向けられ、そこに何か理性に似た色が揺れる。そんなことには構わずに、唇を重ねたが。
「っ!」
「馬鹿げた、真似をするな」
強く舌に噛み付かれて反射的に顔を離すと、その神は傲慢な不機嫌をありありと目に映して睨み上げてきた。不遜で身勝手なその態度に、苛立つよりも加虐心を刺激される。
「噛み癖まであるのか。本当に、まるで躾のなっていない雌犬だね」
「ぁ、あぁあ!?」
甘い声で詰りながらまた腰を突き上げると、その神が甘い悲鳴を上げる。淫らなその声を心地よく聞きながら、一層深い場所を目指し攻め立てた。
ほろほろと零れ落ちる甘えた嬌声が、ケツァルコアトルの熱をも益々煽り立てる。半ば我を忘れて快楽を追いながら、虚ろに揺らぐ瞳をぼんやりと眺めていた。
熱と悦に浮かされた、理性の色のない眼。どこを見るともなしに虚空を彷徨い、ケツァルコアトルを映すことをしない。そのことが、不快なような気がした。
この淫乱な神は、淫らな歓楽に溺れることができるならば相手を問いさえしないのだ。ケツァルコアトルでなくとも、神でも民でも。貪欲なその目で狙いを定めれば誰にでも擦り寄り、甘言で惑わして誑かし、大喜びで脚を開いて、乱れ善がるのだ。
とっくに知り尽くしているその事実が、今は妙に不愉快だった。手当たり次第に食い散らかすばかりのこの神に、ただ空費されるなど屈辱でしかない。浪費し使い潰すのはケツァルコアトルであるべきで、決してこの神ではない。
ケツァルコアトルは、こんな淫奔な神になど僅かも心奪われてはいないのだから。この淫売に誑し込まれた憐れで愚かな犠牲者達とは、何もかもが違うのだから。こんな取るに足りない男娼にうかうかと誘惑され、歩むべき道まで見失い、深く深く堕落した挙句にぽいと棄てられる愚昧な者達とは、全てが異なるのだから。
誰に抱かれているのかさえ分からずに善がり狂うなど、許さない。だから思い出させなくては、理解させなくては、忘れられないように刻み込まなくては。ここにいるのはケツァルコアトルであり、他の誰でもないのだということを。
どうしてやろうかと考えて、切れ切れで切なげな嬌声に耳を傾けて。そしてにんまりと笑い、腰の動きを止めてやることにした。
「ぅ、あ……?」
上り詰める途上で快感を取り上げられたその神が、虚ろで怪訝な声を漏らす。ゆるりとその眼球が動き、朧な瞳はやっとケツァルコアトルに向けられた。
更なる悦楽を希求する眼差しは、無垢な色さえ感じさせる。物欲しげなその眼に満足しながら、これ見よがしに笑って見せてやった。それに驚いたのか、虚ろに蕩けている瞳に少しだけ理性に似た光が戻る。
「もっと、気持ちよくなりたい?」
「ぁ……」
甘い声で問いかけてやりながら腰骨のあたりに爪を食い込ませると、喘ぎを漏らして身を震わせる。どろどろに蕩けているだろう頭で何とか問い掛けを理解したらしいその神は、躊躇うような目をしてから消え入りそうな声で答えた。
「た、ぃ、なりた……」
もっと、と懇願する切なげな声音。素直に欲しがる言葉に内心ほくそ笑みながら、ゆっくりと上体を倒して顔を寄せてやった。
もう一度口付けてやろうとしたが、そうと察したらしいその神は唇を噛み締めて顔を背けた。強情で生意気なその態度も咎めてやってもいいほどのものだが、今は見逃してやろう。
耳元に顔を寄せて耳朶に噛み付いてやると、ふるっと身を震わせたその神が熱い息を漏らす。その耳に、囁きを吹き込んだ。
「種付けしてください、と言ってごらん」
優しい声で命じてやり、驚いたように向けられる目に微笑んでやる。わななく唇が、茫然とした声を漏らした。
「な、に……」
「言えないと、続きはしてあげないよ」
噛み砕いて言い含めてやり、腰を掴んでいた手をゆっくりと下へ滑らせていく。その感触にも感じるのか、その神は小さく身を震わせて吐息を零す。怯えたような色を滲ませている瞳を覗き込んでやりながら、ケツァルコアトルは優しく言い聞かせた。
「もっと気持ちよくなりたいんだろう? はしたなくて淫らなこの穴に、熱いのをたくさん注いで欲しいんだろう? なら、言うんだ」
ほら、言いなさい、早く。甘い甘い声で促してやり、その場所をぐるりと指でなぞる。んぅっと声を漏らしたその神は、はっきりと怯えた眼をして弱々しく首を横に振った。
「ゃ、ぃやだ……っ」
「ならずっとこのままだね」
笑顔で断言してやり、繋がったままの腰をごく軽く揺らしてやる。甘い悲鳴を漏らしたその神が一層怯えた顔をするので、嗜虐的な喜びがケツァルコアトルの胸を満たした。
淫らな神の欲しがるほど強くはない快感を、ゆるゆると与えてやる。ケツァルコアトル自身もわだかまる快感に耐えなければならないが、達せない苦痛に身悶えるその神を眺めていられるから悪い気分ではない。
「ゃ、ぁ、ちが、……」
ちがう、やだ、もっと。泣き出しそうな声で訴えるその神に、加虐的な高揚が一層高まる。にこやかに一蹴してやった。
「欲しければ、して欲しいことを言うんだ。教えてあげただろう?」
優しく思い出させてやっても、その神は怯えた顔でふるふると首を横に振る。涙の気配に濡れた声が、必死の様子で訴えを上げた。
「ぇな、ゃだ、いゃ……!」
「なら駄目だね。言わないといつまでも苦しいままだよ」
苦しくて苦しくて、気が触れてしまうのかもしれないね。けれどそれも自業自得だよ。君が恥知らずで色狂いの雌犬だから、こうなったんだよ。本当に浅ましい淫乱だね。
穏やかな声で言い含めてやりながら、怯えの色を濃くしていく表情を楽しむ。不遜で傲岸な態度ばかり取るこの神を追い詰めてやるのは、堪らなく心地良かった。
いやだ。震える唇が呟いた声は聞こえなかったが、その動きで読み取れた。同じ唇を指でなぞってやり、もう一度優しく促す。
「色情狂のはしたない雌犬でも、おねだりくらいはできるだろう? 早く言いなさい。淫らで締まりのない穴から溢れるほど、種を注がれたいんだろう?」
わざと猥雑な言葉を選んで言い聞かせてやる。隠しきれない興奮と期待が怯える瞳に走ったのを見て、満足する。もう一言背中を押してやろうかと思ったが、その前に震える声が訴えた。
「て、して……」
「聞こえないよ。もっとはっきり言うんだ」
内心ほくそ笑みながら、わざと素っ気なく切り捨ててやる。その神はもう観念したのか、呂律の回っていない舌で拙く訴えた。
「たね、して、つけて、……っ」
はやくと訴える声はもはや涙混じりで、焦がれ待ち詫びる苦しげな響きがはっきりと聞き取れる。あまりにも明瞭な陥落に笑い出しそうになりながら、お望みを叶えてやるために細身の腰を掴み直す。だが、ふと気が変わった。
すべきことを何度も教え諭してやったのに、随分と強情を張ってくれた。その生意気で反抗的な態度は、もう少しだけ焦らし虐めてやるのが相応しいものだ。
さてどうしてやろうかとは、考えるまでもない。だから、あっさりと言い放ってやった。
「誰に抱かれてるのかも分からない愚かな雌犬には、何もあげないよ」
「ぇ……」
虚を突かれた顔をするその神に、これ見よがしに微笑んでやる。欲しくて堪らない快感が今すぐにでも与えられると期待していたらしい、浅ましいその様子。軽蔑と満足と優越感が入り混じった奇妙な興奮を楽しみながら、優しく噛み砕いて命じてやることにした。
「今君を抱いてるのは誰かくらいは、君がどんなに愚かな雌犬でも分かるだろう? その口で、はっきり答えるんだ」
「っ……!」
下してやったのは、ごく簡単で当然の指示に過ぎない。そんなことで許してやるケツァルコアトルの寛大さに、この意固地で淫乱な神は感謝するべきだ。ただ一声、呼びさえすれば済むのだから。
だからすぐにでも、その唇は答えるだろうと思っていたのに。震える声でこの名を呼んで、もう耐えられないと、早く欲しいと、懇願するだろうと予期したのに。
なのにその神は、ひどく怯えた顔で口を噤んだ。唇をきつく噛み締めて、ふるふると首を横に振った。思いもかけなかったその反抗に不意を突かれて、それから憤りが追いついてくる。
ただ一言で許してやろうという、あまりにも寛大なケツァルコアトルの譲歩。それに従いさえしないならば、何一つとして与えてやる必要はない。それどころか、厳しい罰を下してやるのが相応しい。
「なら、駄目だね。勝手にしなさい。君なんて、気が違ってしまえばいいんだよ」
「ひ、ぅ」
冷たく言い捨てながら散らばる衣服に目を走らせ、繋がったまま手を伸ばした。それでまた快感を拾ったのか、組み敷いた神がもどかしさと苦痛の入り混じった声を漏らす。構わず、一本の飾り紐を拾い上げた。
「ゃ、なに……っ」
「言うことを聞けない悪い雌犬には、お仕置きが必要だからね」
怯えた目で見上げるその神に笑顔で言い捨ててやると、瞳に揺れる萎縮が濃さを増す。その色に満足しながら、震えて蜜を流している屹立を飾り紐できつく戒めてやった。
「っ、ゃ、はずし……っ」
「駄目だね、お仕置きなんだから」
自分で外すこともできないように両手を押さえてやりながら、にこやかに切り捨てる。怯えきった瞳に深く満足しながら、腰の動きを再開してやった。
「ひぁ、あぁあ!?」
「煩いな。お望みどおり、動いてあげているのに」
甘い声で咎めながら、尚も攻め立ててやる。その神は苦しげな声を漏らし、回らない舌で訴えた。
「だ、ゃだ、ぃきた……っ」
くるしい、いやだ、はずして。泣き出しそうな声音を聞き捨ててやるのは、とても気分が良い。笑顔で切って捨ててやった。
「駄目だよ。君が悪いんだから」
「ぃやだ、ゃ、あ、ぁ……!」
殆ど意味を為してさえいない、譫言のような喘ぎ。聞き流しながら一層腰の動きを激しくすると、引き攣るような悲鳴が耳に届いた。
強情にもなかなか命令に従おうとしないその神。だから許してやる理由はどこにもない。
達せない苦痛に、膨れ上がり解放されない悦楽に、身悶え苦しむ体。無駄に整っている顔は涙でべとべとに汚れていて、その猥雑さが奇妙で妖しい彩りを添えてもいて、ケツァルコアトルの興奮を煽り立てる。
「ぁ、や、ぉねが……」
「君が言うことを聞けばね」
笑顔で促してやるのに、その神は泣きながら首を横に振る。ならば勝手にするがいい、快感に責め苛まれて気が触れてしまえばいい。ケツァルコアトルは、最大限の譲歩をしてやっているのだから。
「ひぁ、ーー!」
その神の好む奥まった場所をごりごりと擦り上げてやると、引き攣った悲鳴を漏らしてがくがくと身を震わせる。煩いなと咎めてやったが、聞こえてもいないらしかった。
ぐったりとその体が弛緩したのは、もしかすると精を吐き出す事もできずに達したのかもしれない。けれど、そんなことはケツァルコアトルには何の関係もない。
「っ、ぅあ……!」
容赦なく一層攻め立ててやると、苦痛に塗り潰された声が呻く。ぼろぼろ涙を流す瞳が必死の様子でこちらを見上げ、震える声で懇願した。
「も、ゃめ、ね、が……」
ゆるして。もうむりだ。くるしい。苦痛の声でいくら訴えられたところで、それを聞き届けてやる義理などケツァルコアトルには全くない。最初から示してやっているたった一つの救済を、選ばないのはこの愚かな神自身なのだから。
「何度言わせるんだ。君が答えないなら、何もあげないよ」
呆れ返りながらもう一度教えてやっても、その神は泣きながら首を横に振る。何故そんなにも意地を張り続けるのか。一体何が、そんなにも嫌なのか。
たった一声、ケツァルコアトルを呼びさえすれば良いのに。今その体を抱いているのは他の誰でもなくケツァルコアトルなのだと、それを正しく認めさえすれば、待ち望む解放がすぐに得られるのに。
ただそれだけの命令にも従えない意固地で愚昧な神など、勝手にするがいい。過ぎた快楽に焼き焦がされて気が狂えばいい。呆れ果てて、もう促してやることにも飽きて、ただ自分の快感を追うことに決めた。
「ひぅ、っ、ぁ、ぁ……!」
「はは、少しは静かになってきたね」
笑いながら揶揄してやっても、きっと声さえ届いていない。虚ろに涙を流すその神は無意味な嬌声の欠片を零すばかりで、もうケツァルコアトルを見上げる事もしない。
またもケツァルコアトルの存在を忘れているなら、ただ快感と苦痛だけに溺れているならば、本当に許しがたい愚かさだ。だからもっと強く深い悦楽で攻め立ててやろうとその腰を掴み直した、その時。
「……ぁ、る、こあと……っ」
思いがけず呼ばれた名に、つい面食らう。責め苦が止んだことにすら気付かない様子で、その神はもはや声もなく、また一筋の涙を流した。
やっと観念し、命令に従ったか。あまりにも遅すぎるが、約束は守ってやるべきだ。そう思い出し、ケツァルコアトルは優しく笑ってやった。それにさえ気付かず涙を流している神に、とびきり優しく囁いてやる。
「良い子だ。」
「っ、ぅ……?」
下肢の屹立の戒めを解いてやっても、その神は気付きもせずに小さく身を震わせている。こちらに顔を向けさせてやると、やっと僅かに瞳が揺れてぼやけた声を漏らす。閉じる事も忘れている唇に、軽く口付けてやって。
「ひ、ぁ、あ、ぁああああ!?」
「はは、まだそんなに声が出せたんだね」
甘い声で嘲ってやりながら、深く激しく攻め立ててやる。とうに限界を超えていたらしいその神は、喉が裂けそうな悲鳴を上げてあっけなく達した。
「っ、……ぅ……」
「ぁ……、あ、ぁ」
きつく締め上げられたケツァルコアトルも、熱く狭い場所に吐精する。その感触にか、感に耐えないと言わんばかりの声が虚ろに漏らされる。ぐったりと、夜の神の体は力を失った。
荒い息を吐きながら、忘我から覚めずにいるその神を見下ろす。呼吸と鼓動が落ち着くにつれて、頭蓋を満たしていた熱と欲が冷めるにつれて、自己嫌悪に似た感情が追いついてきた。
少しばかりやり過ぎたか。少々甚振りが過ぎたか。恥知らずの淫売とはいえ、追い詰めて追い込んであんなにも泣かせてしまうのは。
半ば無意識に手を伸ばし、涙でべとべとに汚れた顔を拭ってやる。ぬるりとした涙が指に絡み付いた。触れられてやっと少しだけ我に返ったらしいその神の瞳が、ゆるゆるとケツァルコアトルに向けられた。
悪かったよ。やり過ぎた。そんな言葉をかけてやるべきかと迷って、何を言うべきかと言葉を探して。ケツァルコアトルの、その僅かな逡巡の間に。
ゆっくりと瞬きをしたその神は、ぞっとするほど淫らな嘲笑を浮かべた。思わず不意を突かれるケツァルコアトルに、たっぷりと侮蔑の籠もった掠れる声を投げかける。
「は。善良ぶっている貴様にしては、随分と下劣なやり口だな。盛りに狂った猿の方が、よほど品がある」
「……随分と、言ってくれるね。男漁りが趣味の、品のない雌犬が」
苛立ちのまま嘲り返しながら、胸のどこかで安堵していた。そうだ、この神はこういうモノなのだ。
ケツァルコアトルのように善良な心根の神が可能な限りの残虐さで嬲り苛んでやったところで、これほど悪辣な神は傷つきさえしない。悪徳に深く身を落としているこの淫乱な神は、どんな傷も快楽に変えて悦ぶばかりなのだ。
だからケツァルコアトルが恥じ入るべきことなど、何もない。この不快で淫らな嘲笑を浮かべる神こそが、悔い改めるべきなのだから。
安堵を覚えながら、何の気無しにもう一度口付けを与えてやろうとする。だが嫌そうに顔を背けられたので、その耳朶に噛み付いてやることにした。
自分が気にするほどのことは何もないと、分かってはいる。何度も自分に言い聞かせている。あのような気紛れで身勝手な神の考えなど、憶測を巡らせるのも無駄なことだ。どうせ大した理由などは、何一つとしてなかったに決まっているのだから。
なのにどうしても、あの夜の面影が蘇ってしまうのだ。切なげにも見えた瞳が、物言いたげだった唇が、不可解な態度の全てが、ちらついて離れないのだ。傷ついたような色を滲ませた眼差しが、声もなく責め立ててくるのだ。そんなものはどれも、見間違いに決まっているのに。
その神があの夜以降ぱたりと顔を見せなくなっていることも、妙に気にかかって仕方がない。どうせ大した理由ではないと、大方また他の「お気に入り」を見つけて遊んでいるのだろうと、分かっているのに。そんな事は分かり切っているのに。
このままでは何も手につかない。上の空のあまりに、差し障りも出てくるだろう。もう一度溜息を漏らして、ケツァルコアトルは太陽の位置を確かめた。
傾きつつある天の光。それが沈み落ちるのを見届ければ、自分のその日の務めは終わる。そうなれば夜を好むあの神の神殿に行ってみて、問い質すこともできる。
何もないのだとはっきりさせさえすれば、もう気にならなくなるだろう。胸を煩わせる引っかかりなど、さっさと取り払うに限る。そう心に決めて、ケツァルコアトルは立ち上がった。
神殿に入ってすぐに通りかかった神官を捕まえて取り継がせて、少しだけ待たされて。そして、その神の元へと通された。
「やあ」
ごく気軽な調子を選んで声を発する。立ったままでケツァルコアトルを迎えたその神は、無言のまま僅かに頷いた。
用向きを問いさえせず、こちらの出方を窺うように伏し目がちに見つめてくるその神。妙に大人しくしおらしい様子に違和感を覚えたが、努めて気軽な態度を装った。
「随分長く顔を見せなかったな。今はどこの誰で遊んでいるんだい?」
軽やかな口調で尋ねると、その神が小さく肩を震わせた気がした。瞳に寸の間だけ走った色は、ケツァルコアトルには読み取れなかった。あれは苦痛だろうか、期待だろうか。
その神はやはり何も言わず、ただ僅かに視線を逸らした。違和感がまた大きくなり、気にかけたくもないのに気になって仕方がない。だから大股に距離を詰め、こちらへ顔を向けさせて目を覗き込んだ。
「っ……」
「別に隠すこともないだろう。君が誰を食い物にしようと、どれだけ食い散らかしていようと、今更咎めようとも思わないよ。君にはいつもの事だろう」
今度は明瞭に狼狽を浮かべた瞳を見つめ、さらりとした声を選んで詰ってやる。この程度の言葉など、罵言とも呼べない。この淫らで不遜な神は、そよ風ほどにも気にかけはしない。分かり切っている事だから、ごくあっさりと言ってやれた。
だというのに、間近で見開かれているその眼には怯えに近い色が浮かんだ。幼子がむずかるのにも似た動作でケツァルコアトルの手を振り払い、目を合わせないままに漸く口を開く。随分と久し振りに聞くその声は、僅かに震えているように聞こえた。
「違、う……」
「何が違うと言うんだ。本当の事だろう」
もう一度顔を向けさせようとしながら尋ねてやっても、その神は頑なに目を合わせず、答えもしない。いい加減に焦れてしまい、ケツァルコアトルは思わず語調を強めた。
「君が恥知らずの淫乱だということくらい、誰もがとっくに知っているよ。今更純情ぶるんじゃない、薄気味悪い」
「……!」
弾かれたように顔を上げたその神は、やっと自分からこちらに目を向けた。見開かれた瞳の中で、名状しがたい様々の色彩が渦巻く。そこには驚愕のような色も、こんな神が持ち合わせている筈もない羞恥に似た色までも見えた気がした。見間違いであるに決まっているその感情にケツァルコアトルまでもが不意を突かれ、言葉を探すのも忘れてしまう。
僅かの間、互いに何も言わなかった。その数瞬の間に、覗き込んでいた瞳は渦巻いていた無数の色を水底に沈めるようにして、何もかも消し去っていく。ちらりと過ぎったかもしれなかった諦めにも似た色は、すぐに深く沈み込み見えなくなった。
ややして、その神はゆっくりと嘲りの笑みを浮かべた。よく見慣れた、忌々しくもこの神らしい表情。ケツァルコアトルが胸のどこかで安堵していると、その神が落ち着き払った調子で口を開いた。
「何の用件かと思えば。私が相手をしてやらないことに拗ねたか」
「まさか。君なんて居ないほうが、よほど平和で清々するよ」
同じ嘲りを込めて答えてやっても、その神はもう揺らいだ様子さえ見せなかった。小馬鹿にした様子で笑い、顔を寄せてくる。滴るような淫らな艶をたっぷりと含ませた声が、甘く甘く囁く。
「素直に認めればいい。貴様とて、私の味に狂っているだけだ」
「随分な自信だね。君こそ、誰にでも脚を開いて善がり狂うだけの、ただの淫乱じゃないか」
「もう聞いた。ろくに言葉も知らないようだな」
一つひとつが癇に障る物言いも常の事で、もう目の前の神はすっかりいつも通りの憎々しい調子を取り戻していて。また安堵を覚えながら腰を引き寄せると、その神はただ笑って身を預けてきた。
寝床に組み敷いてのしかかってやりながら、珍しく随分と前から起き出していたようだと頭の隅で考える。あるいは眠らずに何か邪な企みごとでもしていたのかと思えるほど、使った痕跡のない整えられた様子の寝具だった。だが、尋ねてやるほどのことでもない。
「口付けてほしいかい?」
「要らん」
顎を捕らえて揶揄うと、その神は素っ気ない様子でケツァルコアトルの手を振り払った。そうも嫌がられればしてやりたいような気分にもなるが、その前にその神は毒々しいほど淫らな声音でねだった。
「つまらん真似をするくらいならば、早く私を楽しませろ。そのご立派なモノは飾りか?」
「よく言ってくれるね。そのお飾りで、国中に聞こえるほど善がるくせに」
嘲笑ってやりながら腰をなぞると、その神は甘い息を漏らして小さく身を捩る。早くも淫らな期待に蕩け始めている眼をして、口先だけは高慢に命ずる。
「御託はいい。その気があるならば早くやれ。早く、私を満足させろ」
「本当に浅ましい淫乱だね。君の本性を知らずに敬っている民があまりに気の毒で、涙が出るよ」
甘く嘲ってやりながら、お望みの場所に指を滑らせてやる。その神はまた甘えた息を吐いて、身を震わせた。
熱く狭い場所を暴き、その内へ身を沈める。歓喜の声を漏らす唇を、ぼんやりとまた眺めた。
見栄えだけはいい、無駄に整った顔立ち。唇の色形もやはり美しく、花弁のような愛らしさをそこに嗅ぎ取った気がした。
口付けてみようか、嫌がるだろうか、嫌がられても構うものか。考えて結論付けて、顔を寄せようとする。だが見透かしたらしいその神は、あからさまに嫌そうな顔をして押し返してきた。
「くだらん真似をするな。動く気もないならば、さっさと失せろ」
「本当に少しの情緒さえない呆れた色狂いだね。無駄にお綺麗な顔が勿体無い」
何の気もなく詰ってやると、その神は虚を突かれた顔をした。その様子にこちらまで驚いてしまう。
一体何にそれほど驚いたのだと考えている間に、瞬きをしたその神は自分を取り戻したらしかった。ぞっとするほどの妖艶な笑みを浮かべ、粘りつくように淫らな声で囁く。
「何だ。私の顔が好みか。顔さえ良ければ相手を選びもしない好き者が、随分なご高説を垂れるものだな」
底意地の悪い声音は蜜のような甘さで、残忍な侮辱さえも聞き流してしまえそうに思える。だからケツァルコアトルは鼻で笑い飛ばしてやり、わざと優しくその頬を撫でてやった。
「よく言ってくれるね、最初から百も承知なんだろう? この可愛いお顔で手当たり次第に誑し込んで、食い散らかしているくせにね。君がこんな顔に生まれつかなければ、不幸に突き落とされずに済んだ者は数え切れないほど居たんだろうに。君みたいな性悪の淫売が不釣り合いに綺麗な顔を持ってしまったのが、全ての不幸の始まりなんだろうね」
甘く優しく言い含めてやっても、体の下の神は傷ついた顔一つせずに鼻で笑う。予想の範疇でしかないそんなことには苛立ちさえ湧かないが、もう少し何か言ってやろうか。考えを巡らせていると、嫌味たらしい嘲りの声に先んじられた。
「随分と回る舌だな。切り落として森の獣にでもやれば、喜んで食らうだろう」
「君こそ。手当たり次第に食い荒らすばかりなら、犬の前で脚を開いてみたらどうだい。大喜びで交尾して、たくさん種を付けてくれるだろう。君みたいな淫乱な雌犬には、それがお似合いだよ」
「何の役にも立たない貴様のモノよりは、よほど楽しめるかもしれんな。夜が明けるまで御託を並べるつもりならば、本当にその舌を切り落とすぞ」
嗜虐的に笑うそのかんばせは、やはり憎らしいほどの愛らしさと美しさを溢れるほどに備えている。戯れるようにこちらの唇をなぞる指に軽く噛み付いてやり、ケツァルコアトルはわざと大きく笑みを浮かべてやった。
「我慢の一つもできない、いけない雌犬だね。よく躾けてあげたほうがよさそうだ」
「ひ、ぁ!?」
断りも入れず腰を突き上げると、体の下でその神の体が跳ね上がる。甘い高い悲鳴を聞きながら、容赦なく揺さぶり立てた。
「ぁ、あ、んぁ、っ……!」
「よく鳴く犬だね。交尾してくれる雄犬を、そんなに呼び集めたいのかな?」
優しい声で嘲ってやりながら、一層激しく腰を突き上げる。より深く、より強く、抉り、突き刺し、攻め立てる。その度に甘えた嬌声が益々蕩け、熱を帯び、狂おしいものになっていく。
切れ切れで何の意味も為さない喘ぎ。淫らに絡みついて奥へと誘い込む場所。ケツァルコアトルも半ば我を忘れ、殆ど夢中になって快楽を追い求めた。
淫らに蕩けた、端正なかんばせ。何も映さない、半ば虚ろな瞳。花弁のような唇にまた眼を向けて、口付けをしようかとまた考えた。
顔を寄せてみると、内部の熱に違った角度で抉られたその神が甘い呻きを漏らす。その瞳がやっとこちらに向けられ、そこに何か理性に似た色が揺れる。そんなことには構わずに、唇を重ねたが。
「っ!」
「馬鹿げた、真似をするな」
強く舌に噛み付かれて反射的に顔を離すと、その神は傲慢な不機嫌をありありと目に映して睨み上げてきた。不遜で身勝手なその態度に、苛立つよりも加虐心を刺激される。
「噛み癖まであるのか。本当に、まるで躾のなっていない雌犬だね」
「ぁ、あぁあ!?」
甘い声で詰りながらまた腰を突き上げると、その神が甘い悲鳴を上げる。淫らなその声を心地よく聞きながら、一層深い場所を目指し攻め立てた。
ほろほろと零れ落ちる甘えた嬌声が、ケツァルコアトルの熱をも益々煽り立てる。半ば我を忘れて快楽を追いながら、虚ろに揺らぐ瞳をぼんやりと眺めていた。
熱と悦に浮かされた、理性の色のない眼。どこを見るともなしに虚空を彷徨い、ケツァルコアトルを映すことをしない。そのことが、不快なような気がした。
この淫乱な神は、淫らな歓楽に溺れることができるならば相手を問いさえしないのだ。ケツァルコアトルでなくとも、神でも民でも。貪欲なその目で狙いを定めれば誰にでも擦り寄り、甘言で惑わして誑かし、大喜びで脚を開いて、乱れ善がるのだ。
とっくに知り尽くしているその事実が、今は妙に不愉快だった。手当たり次第に食い散らかすばかりのこの神に、ただ空費されるなど屈辱でしかない。浪費し使い潰すのはケツァルコアトルであるべきで、決してこの神ではない。
ケツァルコアトルは、こんな淫奔な神になど僅かも心奪われてはいないのだから。この淫売に誑し込まれた憐れで愚かな犠牲者達とは、何もかもが違うのだから。こんな取るに足りない男娼にうかうかと誘惑され、歩むべき道まで見失い、深く深く堕落した挙句にぽいと棄てられる愚昧な者達とは、全てが異なるのだから。
誰に抱かれているのかさえ分からずに善がり狂うなど、許さない。だから思い出させなくては、理解させなくては、忘れられないように刻み込まなくては。ここにいるのはケツァルコアトルであり、他の誰でもないのだということを。
どうしてやろうかと考えて、切れ切れで切なげな嬌声に耳を傾けて。そしてにんまりと笑い、腰の動きを止めてやることにした。
「ぅ、あ……?」
上り詰める途上で快感を取り上げられたその神が、虚ろで怪訝な声を漏らす。ゆるりとその眼球が動き、朧な瞳はやっとケツァルコアトルに向けられた。
更なる悦楽を希求する眼差しは、無垢な色さえ感じさせる。物欲しげなその眼に満足しながら、これ見よがしに笑って見せてやった。それに驚いたのか、虚ろに蕩けている瞳に少しだけ理性に似た光が戻る。
「もっと、気持ちよくなりたい?」
「ぁ……」
甘い声で問いかけてやりながら腰骨のあたりに爪を食い込ませると、喘ぎを漏らして身を震わせる。どろどろに蕩けているだろう頭で何とか問い掛けを理解したらしいその神は、躊躇うような目をしてから消え入りそうな声で答えた。
「た、ぃ、なりた……」
もっと、と懇願する切なげな声音。素直に欲しがる言葉に内心ほくそ笑みながら、ゆっくりと上体を倒して顔を寄せてやった。
もう一度口付けてやろうとしたが、そうと察したらしいその神は唇を噛み締めて顔を背けた。強情で生意気なその態度も咎めてやってもいいほどのものだが、今は見逃してやろう。
耳元に顔を寄せて耳朶に噛み付いてやると、ふるっと身を震わせたその神が熱い息を漏らす。その耳に、囁きを吹き込んだ。
「種付けしてください、と言ってごらん」
優しい声で命じてやり、驚いたように向けられる目に微笑んでやる。わななく唇が、茫然とした声を漏らした。
「な、に……」
「言えないと、続きはしてあげないよ」
噛み砕いて言い含めてやり、腰を掴んでいた手をゆっくりと下へ滑らせていく。その感触にも感じるのか、その神は小さく身を震わせて吐息を零す。怯えたような色を滲ませている瞳を覗き込んでやりながら、ケツァルコアトルは優しく言い聞かせた。
「もっと気持ちよくなりたいんだろう? はしたなくて淫らなこの穴に、熱いのをたくさん注いで欲しいんだろう? なら、言うんだ」
ほら、言いなさい、早く。甘い甘い声で促してやり、その場所をぐるりと指でなぞる。んぅっと声を漏らしたその神は、はっきりと怯えた眼をして弱々しく首を横に振った。
「ゃ、ぃやだ……っ」
「ならずっとこのままだね」
笑顔で断言してやり、繋がったままの腰をごく軽く揺らしてやる。甘い悲鳴を漏らしたその神が一層怯えた顔をするので、嗜虐的な喜びがケツァルコアトルの胸を満たした。
淫らな神の欲しがるほど強くはない快感を、ゆるゆると与えてやる。ケツァルコアトル自身もわだかまる快感に耐えなければならないが、達せない苦痛に身悶えるその神を眺めていられるから悪い気分ではない。
「ゃ、ぁ、ちが、……」
ちがう、やだ、もっと。泣き出しそうな声で訴えるその神に、加虐的な高揚が一層高まる。にこやかに一蹴してやった。
「欲しければ、して欲しいことを言うんだ。教えてあげただろう?」
優しく思い出させてやっても、その神は怯えた顔でふるふると首を横に振る。涙の気配に濡れた声が、必死の様子で訴えを上げた。
「ぇな、ゃだ、いゃ……!」
「なら駄目だね。言わないといつまでも苦しいままだよ」
苦しくて苦しくて、気が触れてしまうのかもしれないね。けれどそれも自業自得だよ。君が恥知らずで色狂いの雌犬だから、こうなったんだよ。本当に浅ましい淫乱だね。
穏やかな声で言い含めてやりながら、怯えの色を濃くしていく表情を楽しむ。不遜で傲岸な態度ばかり取るこの神を追い詰めてやるのは、堪らなく心地良かった。
いやだ。震える唇が呟いた声は聞こえなかったが、その動きで読み取れた。同じ唇を指でなぞってやり、もう一度優しく促す。
「色情狂のはしたない雌犬でも、おねだりくらいはできるだろう? 早く言いなさい。淫らで締まりのない穴から溢れるほど、種を注がれたいんだろう?」
わざと猥雑な言葉を選んで言い聞かせてやる。隠しきれない興奮と期待が怯える瞳に走ったのを見て、満足する。もう一言背中を押してやろうかと思ったが、その前に震える声が訴えた。
「て、して……」
「聞こえないよ。もっとはっきり言うんだ」
内心ほくそ笑みながら、わざと素っ気なく切り捨ててやる。その神はもう観念したのか、呂律の回っていない舌で拙く訴えた。
「たね、して、つけて、……っ」
はやくと訴える声はもはや涙混じりで、焦がれ待ち詫びる苦しげな響きがはっきりと聞き取れる。あまりにも明瞭な陥落に笑い出しそうになりながら、お望みを叶えてやるために細身の腰を掴み直す。だが、ふと気が変わった。
すべきことを何度も教え諭してやったのに、随分と強情を張ってくれた。その生意気で反抗的な態度は、もう少しだけ焦らし虐めてやるのが相応しいものだ。
さてどうしてやろうかとは、考えるまでもない。だから、あっさりと言い放ってやった。
「誰に抱かれてるのかも分からない愚かな雌犬には、何もあげないよ」
「ぇ……」
虚を突かれた顔をするその神に、これ見よがしに微笑んでやる。欲しくて堪らない快感が今すぐにでも与えられると期待していたらしい、浅ましいその様子。軽蔑と満足と優越感が入り混じった奇妙な興奮を楽しみながら、優しく噛み砕いて命じてやることにした。
「今君を抱いてるのは誰かくらいは、君がどんなに愚かな雌犬でも分かるだろう? その口で、はっきり答えるんだ」
「っ……!」
下してやったのは、ごく簡単で当然の指示に過ぎない。そんなことで許してやるケツァルコアトルの寛大さに、この意固地で淫乱な神は感謝するべきだ。ただ一声、呼びさえすれば済むのだから。
だからすぐにでも、その唇は答えるだろうと思っていたのに。震える声でこの名を呼んで、もう耐えられないと、早く欲しいと、懇願するだろうと予期したのに。
なのにその神は、ひどく怯えた顔で口を噤んだ。唇をきつく噛み締めて、ふるふると首を横に振った。思いもかけなかったその反抗に不意を突かれて、それから憤りが追いついてくる。
ただ一言で許してやろうという、あまりにも寛大なケツァルコアトルの譲歩。それに従いさえしないならば、何一つとして与えてやる必要はない。それどころか、厳しい罰を下してやるのが相応しい。
「なら、駄目だね。勝手にしなさい。君なんて、気が違ってしまえばいいんだよ」
「ひ、ぅ」
冷たく言い捨てながら散らばる衣服に目を走らせ、繋がったまま手を伸ばした。それでまた快感を拾ったのか、組み敷いた神がもどかしさと苦痛の入り混じった声を漏らす。構わず、一本の飾り紐を拾い上げた。
「ゃ、なに……っ」
「言うことを聞けない悪い雌犬には、お仕置きが必要だからね」
怯えた目で見上げるその神に笑顔で言い捨ててやると、瞳に揺れる萎縮が濃さを増す。その色に満足しながら、震えて蜜を流している屹立を飾り紐できつく戒めてやった。
「っ、ゃ、はずし……っ」
「駄目だね、お仕置きなんだから」
自分で外すこともできないように両手を押さえてやりながら、にこやかに切り捨てる。怯えきった瞳に深く満足しながら、腰の動きを再開してやった。
「ひぁ、あぁあ!?」
「煩いな。お望みどおり、動いてあげているのに」
甘い声で咎めながら、尚も攻め立ててやる。その神は苦しげな声を漏らし、回らない舌で訴えた。
「だ、ゃだ、ぃきた……っ」
くるしい、いやだ、はずして。泣き出しそうな声音を聞き捨ててやるのは、とても気分が良い。笑顔で切って捨ててやった。
「駄目だよ。君が悪いんだから」
「ぃやだ、ゃ、あ、ぁ……!」
殆ど意味を為してさえいない、譫言のような喘ぎ。聞き流しながら一層腰の動きを激しくすると、引き攣るような悲鳴が耳に届いた。
強情にもなかなか命令に従おうとしないその神。だから許してやる理由はどこにもない。
達せない苦痛に、膨れ上がり解放されない悦楽に、身悶え苦しむ体。無駄に整っている顔は涙でべとべとに汚れていて、その猥雑さが奇妙で妖しい彩りを添えてもいて、ケツァルコアトルの興奮を煽り立てる。
「ぁ、や、ぉねが……」
「君が言うことを聞けばね」
笑顔で促してやるのに、その神は泣きながら首を横に振る。ならば勝手にするがいい、快感に責め苛まれて気が触れてしまえばいい。ケツァルコアトルは、最大限の譲歩をしてやっているのだから。
「ひぁ、ーー!」
その神の好む奥まった場所をごりごりと擦り上げてやると、引き攣った悲鳴を漏らしてがくがくと身を震わせる。煩いなと咎めてやったが、聞こえてもいないらしかった。
ぐったりとその体が弛緩したのは、もしかすると精を吐き出す事もできずに達したのかもしれない。けれど、そんなことはケツァルコアトルには何の関係もない。
「っ、ぅあ……!」
容赦なく一層攻め立ててやると、苦痛に塗り潰された声が呻く。ぼろぼろ涙を流す瞳が必死の様子でこちらを見上げ、震える声で懇願した。
「も、ゃめ、ね、が……」
ゆるして。もうむりだ。くるしい。苦痛の声でいくら訴えられたところで、それを聞き届けてやる義理などケツァルコアトルには全くない。最初から示してやっているたった一つの救済を、選ばないのはこの愚かな神自身なのだから。
「何度言わせるんだ。君が答えないなら、何もあげないよ」
呆れ返りながらもう一度教えてやっても、その神は泣きながら首を横に振る。何故そんなにも意地を張り続けるのか。一体何が、そんなにも嫌なのか。
たった一声、ケツァルコアトルを呼びさえすれば良いのに。今その体を抱いているのは他の誰でもなくケツァルコアトルなのだと、それを正しく認めさえすれば、待ち望む解放がすぐに得られるのに。
ただそれだけの命令にも従えない意固地で愚昧な神など、勝手にするがいい。過ぎた快楽に焼き焦がされて気が狂えばいい。呆れ果てて、もう促してやることにも飽きて、ただ自分の快感を追うことに決めた。
「ひぅ、っ、ぁ、ぁ……!」
「はは、少しは静かになってきたね」
笑いながら揶揄してやっても、きっと声さえ届いていない。虚ろに涙を流すその神は無意味な嬌声の欠片を零すばかりで、もうケツァルコアトルを見上げる事もしない。
またもケツァルコアトルの存在を忘れているなら、ただ快感と苦痛だけに溺れているならば、本当に許しがたい愚かさだ。だからもっと強く深い悦楽で攻め立ててやろうとその腰を掴み直した、その時。
「……ぁ、る、こあと……っ」
思いがけず呼ばれた名に、つい面食らう。責め苦が止んだことにすら気付かない様子で、その神はもはや声もなく、また一筋の涙を流した。
やっと観念し、命令に従ったか。あまりにも遅すぎるが、約束は守ってやるべきだ。そう思い出し、ケツァルコアトルは優しく笑ってやった。それにさえ気付かず涙を流している神に、とびきり優しく囁いてやる。
「良い子だ。」
「っ、ぅ……?」
下肢の屹立の戒めを解いてやっても、その神は気付きもせずに小さく身を震わせている。こちらに顔を向けさせてやると、やっと僅かに瞳が揺れてぼやけた声を漏らす。閉じる事も忘れている唇に、軽く口付けてやって。
「ひ、ぁ、あ、ぁああああ!?」
「はは、まだそんなに声が出せたんだね」
甘い声で嘲ってやりながら、深く激しく攻め立ててやる。とうに限界を超えていたらしいその神は、喉が裂けそうな悲鳴を上げてあっけなく達した。
「っ、……ぅ……」
「ぁ……、あ、ぁ」
きつく締め上げられたケツァルコアトルも、熱く狭い場所に吐精する。その感触にか、感に耐えないと言わんばかりの声が虚ろに漏らされる。ぐったりと、夜の神の体は力を失った。
荒い息を吐きながら、忘我から覚めずにいるその神を見下ろす。呼吸と鼓動が落ち着くにつれて、頭蓋を満たしていた熱と欲が冷めるにつれて、自己嫌悪に似た感情が追いついてきた。
少しばかりやり過ぎたか。少々甚振りが過ぎたか。恥知らずの淫売とはいえ、追い詰めて追い込んであんなにも泣かせてしまうのは。
半ば無意識に手を伸ばし、涙でべとべとに汚れた顔を拭ってやる。ぬるりとした涙が指に絡み付いた。触れられてやっと少しだけ我に返ったらしいその神の瞳が、ゆるゆるとケツァルコアトルに向けられた。
悪かったよ。やり過ぎた。そんな言葉をかけてやるべきかと迷って、何を言うべきかと言葉を探して。ケツァルコアトルの、その僅かな逡巡の間に。
ゆっくりと瞬きをしたその神は、ぞっとするほど淫らな嘲笑を浮かべた。思わず不意を突かれるケツァルコアトルに、たっぷりと侮蔑の籠もった掠れる声を投げかける。
「は。善良ぶっている貴様にしては、随分と下劣なやり口だな。盛りに狂った猿の方が、よほど品がある」
「……随分と、言ってくれるね。男漁りが趣味の、品のない雌犬が」
苛立ちのまま嘲り返しながら、胸のどこかで安堵していた。そうだ、この神はこういうモノなのだ。
ケツァルコアトルのように善良な心根の神が可能な限りの残虐さで嬲り苛んでやったところで、これほど悪辣な神は傷つきさえしない。悪徳に深く身を落としているこの淫乱な神は、どんな傷も快楽に変えて悦ぶばかりなのだ。
だからケツァルコアトルが恥じ入るべきことなど、何もない。この不快で淫らな嘲笑を浮かべる神こそが、悔い改めるべきなのだから。
安堵を覚えながら、何の気無しにもう一度口付けを与えてやろうとする。だが嫌そうに顔を背けられたので、その耳朶に噛み付いてやることにした。
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