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天空の玉座は太陽を待つ
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生意気で身勝手な青年神が珍しくついて来ると言うので、ショロトルはそいつを伴って家を出た。交わす言葉も特には無いから、互いに口を開かないままで山の方へと歩いていく。
先だってからそいつが何かを言いたがっているのは気付いていたが、ショロトルがわざわざ促してやる必要もない。言いたくなれば勝手に言うだろう。互いを気遣ったり遠慮したりするような間柄では、最初からないのだから。
気儘で自分勝手なこの青年神のことだから道の途中でふらっと居なくなるだろうと予想していたのに、そいつはずっとついて来た。山に着いてショロトルが宝石を集め始めても何も言わずに突っ立って見ているので、振り返って咎める。
「暇なら手伝えよ」
なんで僕が、自分でやれよ。そんな可愛げのない言葉が返ってくるだろうと思っていたのに、意外にも青年神は何も言わずに頷いた。黙りこくったまま膝をついて、ショロトルがしているように宝石を拾い始める。その素直さを少しだけ怪訝に思ったが、わざわざ尋ねてやる必要もないから好きにさせた。
水晶の少し大ぶりの塊があったので、空に弱々しく輝く「半太陽」に翳してみた。輝きや疵を確かめながら、あの光もそろそろ燃え尽きそうだなとちらりと考える。
空の光が燃え尽きたならば、世界は闇に閉ざされるだろう。それは不便だろうなと思いながらも、ショロトルにどうにかできることではないし、どうにかする気も元より無い。
そのうち誰か力のある神が、天空の玉座に座って世界を照らすことになるだろう。他の神々の小競り合いが増えつつあるのも、きっとどいつもこいつもその居場所を狙っているのだ。力を誇示したい気持ちは分からなくもないが、傍から見ている分には浅ましいことこの上ない。
ふんと鼻で笑い、水晶を籠に放り込む。その時、青年神も手を止めてぼんやりと天空の光に見入っていることに気付いた。少しだけ怪訝に思いながら、反射的に咎める。
「何さぼってんだよ」
手伝わせといてその言い草かよ、じゃあもう帰る。そんな可愛げのない言葉が返ってくるだろうと予想したのに、そいつはやはり黙りこくっていた。けれど、宝石拾いに戻りもしない。
さては誰とも知れない神に首を絞められた時に、頭もぶつけていたのか。今頃になって調子を崩したか。ショロトルがそう考え始めていた時に、青年神はようやく口を開いた。まだぼんやりした眼差しを天空の光に向けたまま、雫の落ちるように呟く。
「あの、一番高い所に行きたい」
妙に平坦なその声を聞きながら、そいつが口を開くのが随分と久しぶりなことに気付く。少しの驚きを感じながらも、ショロトルは答えてやった。
「誰よりも強く、誰よりも賢しい奴の居場所だ」
未だかつて神々の誰も座したことのない、天空の王座。この自分の手は、決して届かないもの。行きたいからといって、おいそれと行ける場所ではない。
親切にそのことを教えてやったのに、やっとこちらに目を向けた青年神はひどく険しい目をしていた。ほとんど責め立てるような強さで言い捨てる。
「僕がそれになる、って言ってるんだ」
生意気で八つ当たりじみたその物言いを咎めてやっても良かったのだが、思わぬ勢いについ圧倒された。強くこちらを睨んでいる青年神を、まじまじと見返す。
傲慢で、高慢で。けれどその声は、どこか切実な響きを伴っていた。自信に溢れているというよりは、悲壮さのようなものを感じさせた。
その不遜で傲岸な態度は、何故だかあの座に相応しいような気がした。この青年神であれば、他の神々を押し退けてでも、その場所に辿り着けるように思えた。だからショロトルは、気のなさを装って返事をしてやった。
「やりたきゃやれよ。俺は手伝わねえぞ」
「お前に言われなくたって、そうする」
ふんと鼻を鳴らした青年神が、もう何も言わずにまた宝石を集め始める。ショロトルも宝石拾いを再開しながら、何とは無しにそいつの細い首筋を眺めた。
どこの誰に何をされたのか、首には手の形の痣をつけて、手首と足首には縄で擦れた跡を刻んで。そんなみっともない姿でショロトルの家に現れた青年神は、何も言わずにむっつりと黙り込むばかりだった。
他の神々に見られるのが嫌なのか、手足の傷が完全に治るまではショロトルの家から出ようともしなかった。ショロトルになら見られてもいいと判断した理由は知らないが、治るまでキモチイイ事ができないのは嫌だとかそんな理由に決まっている。
そのくせ、自分からショロトルに快楽をねだることはしなかった。ショロトルが手を伸ばして組み敷いてやっても拒みはしなかったが、どこか上の空のようにも見えた。集中しろよと咎めてやっても、息を荒げながら何も言わずに睨んでくるばかりだった。
その青年神が久しぶりに口を開いたと思ったら、その言葉は相変わらず傲慢で、身の程知らずで。けれどもしかしたら、そいつが死に物狂いで願うならば叶うのかも知れない。そう思いながら、ぬらぬらと黒く光るイツトリを拾い上げた。
そんな会話を交わしたことも忘れていた。そいつはすぐに以前のふてぶてしく生意気な態度を取り戻して、もう自分の言ったことも忘れたように過ごしていた。以前と変わらず淫らに快楽を求めてきたし、ショロトルが手を伸ばして組み敷いてやれば喜んで乱れ善がった。
けれどその裏で、妙に周到な青年神は何事かを着々と用意していたらしい。「半太陽」がふっと燃え尽きて神々が狼狽えたのも束の間で、また明るくなってみれば天空の王座には見慣れたそいつがいた。
何を材料にいつどうやって作ったのかも分からない、醜い巨人達に傅かれて。青年神は遠く高いその場所で、満足げに笑っていた。晴れ晴れとした笑みは、自慢げだとか誇らしげだとかいうよりも、ただ満ち足りているように見えた。
あの様子では、もう地上へ戻ってくる気もないのだろう。そう思いながら、興味もないので目を逸らした。あの具合の良い体を抱けないのは少し残念だが、それ以上の愛惜も愛着もない。
祝福などするような間柄ではないが、求めた場所を勝ち取ったその執念は評価してやっても良いものだ。そう思いながらも声は届かないので、ショロトルは黙って背を向けた。
その最も高い場所から青年神を叩き落としたのは、善良ぶっている兄弟神だった。何が気に障ったのか、何がその「正義感」に沿わなかったのか、ショロトルには分からない。元より、あんないけ好かない神の考えなど推察したくもない。
風の神自身も何の言い訳も弁明もするつもりはないようだった。その神はただ空いた王座に座り込んで、「第二の太陽」として世界を照らしていた。あの良い子ちゃんが随分と思い切ったことをしたものだと半ば感心しながら、ショロトルは地に落とされた青年神の様子を見に行くことにした。
青年神は、返り血に塗れた酷い有様で茫然と立ち尽くしていた。周りには、あの醜い巨人どもの残骸が転がっている。天から落とされた拍子にオセロトルに変化したのはショロトルも見ていたから、何も分からないままに自分の民を食い殺してしまったのだろうとの想像は容易かった。
「酷えザマだな」
「っ……!」
あえて軽い調子で声をかけてやると、そいつははっと肩を震わせた。茫然とこちらを見て、自分の様子を見て、周りに散らばる召使いだった者たちの無残な骸を見て、またショロトルを見て。
そして見る間に、激しい怒りがそいつのまあまあ整った顔を歪ませた。天空の玉座を仰ぎ見たそいつが、低く呟く。
「あいつ、許さない」
地を這うような声に、相当頭に来てんなあとショロトルは呑気に考える。薄々予想した通り、我儘な青年神はショロトルに当たり散らしてきた。
「お前の兄弟神だろ、なんで綱もつけておかないんだよ! 最初からどこかに閉じ込めておけよ、あんな奴!」
俺が知るかよという言葉が口を突きそうになったが、すんでの所で飲み込んだ。懐いてたんじゃないのかよなどと言えばますます怒り狂うだろうから、その言葉も飲み込む。ショロトルが黙っていることさえ癇に触るのか、青年神はますます逆上して怒りを吐き散らした。
「少しは見所があるのかと思ってたのに、だから僕に仕えさせてやっても良いって思ってたのに! 僕が休む間だけなら、照らすのを任せてやっても良いって思ってたのに! ふざけるなよ、もう絶対に許さない!」
癇癪を起こしたように、青年神が地団駄を踏む。子供じみたそんな仕草も、今や恐ろしい力を得たその青年神がすれば、大地に裂け目を刻み不吉な風を呼び寄せた。地面の亀裂がショロトルの足元にまで及びそうになったので、仕方なく宥めてやる。
「ああ、分かったから。少し落ち着けって」
「落ち着けるとでも思うのか!? 僕がどれだけ、どんな思いで、それをあいつ……!」
激情のあまり涙さえ浮かべているので、泣き出すか今以上に喚き散らすか、とショロトルも覚悟を決める。だが青年神は、少しは頭が冷えてきたらしかった。乱暴に涙を拭っているので、ショロトルは落ち着かせるためにまた声をかけた。
「ただで済ます気はなさそうだな。どうすんだ?」
「同じ目に遭わせてやる。それか、もっと酷い目に」
迷いなく答えるそいつの眼には、初めてそいつを見たときには確かにあった風の神への親愛は、もはやかけらも無い。そのことにどこかで満足を感じながら、ショロトルも軽い調子で同意してやった。
「好きにすりゃいいさ」
「そうする」
不機嫌に言った青年神は、険しい顔で天空の王座を仰いだ。低い低い声で呟く。
「見てろよ。思い知らせてやる」
青年神は、言った通りのことを実行した。その青年神によって天空の王座から蹴落とされた「第二の太陽」は、その混乱の中で荒れ狂う風を呼び寄せた。
禍々しい風は世界を吹き荒れ、全てを荒廃させた。その神によって造られた「人間であった者達」は僅かながら持っていた知恵さえ失い、はしゃぎ回ることしかできない猿へと姿を変え、二度と元には戻らなかった。
「あはははははは! 良い気味だ!」
勝ち誇って哄笑する青年神を、やっと我に返ったらしい風の神は悲しげに見つめた。何も言わずに見ているその目に気付いた青年神が、馬鹿にしたように笑う。
「なんだよ。何か文句があるのか?」
嘲笑を浮かべたその瞳を、風の神はじっと見つめた。何かを望むように、何かを祈るように。けれど、それは見つけられなかったらしい。
風の神はただ静かに首を横に振り、そして答えた。悲しげに、寂しげに。
「ないよ」
束の間だけ空いた天空の王座を、次に占めたのは雨の神々の長トラロックだった。けれど、それも長くは続かなかった。
気の立っていたらしい風の神が難癖をつけ、雨の神々の族長までも太陽の座から追い落とした。その激震は山々を揺さぶってその頂上から「火の雨」を降らせ、第三の太陽の世界も呆気なく滅んだ。その時代に人間であった者達は愚鈍な七面鳥となり、怯えて鳴き交わすばかりだった。
次の太陽となったのは川や泉を司る女神チャルチウトリクエ「翡翠のスカートの婦人」だったが、あの狡猾な青年神が何か細工をしたのかもしれない。気付けば襲いかかっていた大洪水が全てを飲み込み、山さえ打ち崩し、民は魚となって水底に囚われた。
嘲笑いながらそれを見ていた青年神は何が気に入ったのか、ひと組の夫婦者を大樹のうろに匿ってもいたらしい。だがその夫妻は空腹に耐えかねて禁を破り、かつて同族であった魚を獲って食らった。それが青年神の逆鱗に触れ、二人の哀れな人間は首を刎ねられて犬に変えられた。
早くもその獣達にも興味を失っている青年神は、また空位となった天の玉座を狙っていたのかもしれない。だが少しの間だけは、様子を見ることにしたらしい。そいつも他のどの神々にも座られないままに、天空の玉座は新たな太陽を待っていた。
けれど移り気な青年神はすぐに何もないその世界に飽きて、もっと面白いものを欲しがって、また何か考えごとを始めたらしかった。そしてショロトルが密かに驚いたことに、そいつはあのいけ好かない兄弟神にすり寄っていった。
何を思ったか、仇敵と見定めた筈のその風の神を言葉巧みに誘い込んで、水に覆われた世界をもう一度眺めに行って。そして海の怪物を間近でとっくりと見てきたという青年神は、また何やら考えを巡らせているようだった。
「お前ならあの怪物、どうやって油断させる?」
「ほんっと、色気ねえ奴だな」
散々喘いで掠れた声でそんなことを言い出すので、苦笑しか出てこない。誤魔化されたと思ってか、青年神は不機嫌な顔をした。
「いいから答えろよ」
むくれる顔は愛らしいとさえ呼べそうで、それが淫らに蕩ける様をまた見たくなる。だからもう一度組み敷いてやりたいのだが、頑固で生意気なこの青年神は質問に答えてやらなければ大いに逆らい暴れるだろう。それを無理に犯してやるのも楽しい遊びではあるが、後が面倒だ。仕方がないので、ショロトルは問われたことを考えてみた。
恐ろしい、力の強い、凶暴で凶悪な、あの醜い怪物。狡猾で隙のない化け物。だが、そんな奴であっても。
「足か手でも餌に差し出せば、隙は作れるんじゃねえの」
「足?」
繰り返した青年神が、思案顔で自分の足に目を向ける。そのほっそりした足を撫でながら考え事を始めるので、ショロトルはその髪を軽く引いて揶揄ってやる。
「んだよ、怖いってか?」
「怖いもんか」
不満げな顔でやっとこちらに目を戻すので、怪しいもんだなと笑ってやった。そして反論する隙を与えず、組み敷いてのしかかってやる。
「何だよ。退けよ」
「答えてやっただろ?」
まだ不機嫌な顔で胸を押し返そうとするので、より一層強くのしかかった。にっこりと笑ってやると、意図を察した青年神が大袈裟な溜息を吐いた。
「何だよ、まだ足りないのか?」
呆れたように言いながらも、青年神にも異存はないらしかった。言葉よりも随分と機嫌良く笑って、首に腕を絡ませてくる。
「満足させろよな」
「生意気言ってんなよ、泣かすぞ」
いつも変わらないふてぶてしさを咎めてやりながらも、ショロトルもさほど機嫌は悪く無い。だから、笑みを乗せている唇に触れてやった。
ショロトルの方では、そんなやりとりをしたことさえも忘れていたのだ。だが無駄なところでばかり律儀な青年神は、しっかりと覚えていたのかもしれなかった。
身の毛のよだつような悍ましい断末魔は前触れもなく響きわたり、世界は激しく揺れ動いた。何かが決定的に変わったことを、全ての神々と獣達ははっきりと悟った。驚き慌てふためいている神々の前に、その二神はやがて戻ってきた。
本当に、やった。やってのけた。誰の目にも、それは明らかだった。
怪物に食いちぎられて永遠に戻らない、青年神の片足と引き換えにして。新たな民が住まうべきその世界は、造られた。
それからは、何の関係もないとばかり思っていたショロトル自身までもが用事を言いつけられて散々だった。いけ好かない兄弟神と組まされて冥府に「おつかい」に出されたかと思えば、帰ってきた早々に「子守り」を押し付けられる。文句を言いながらもアザミの汁でそれを育ててやった自分の律儀さには、涙さえ出そうだ。
そうかと思えば、他の神々は民の食物探しに奔走し、太陽を選び、月を選び、そしてその傲慢な光のために自らが犠牲になる相談までし始めている。そこまでショロトルが付き合いきれる筈もない。
だからショロトルはさっさとその場を逃げ出して、何度か姿を変えて水中に身を潜めた。だというのに、追いかけてくるだろうとばかり思っていた神の気配すらも現れない。
怪訝に思って元の姿に戻り、様子を覗きに行って。そして、全てが終わったことを見て取った。
神々の骸が入っているらしい包みがいくつも転がっていて、噎せ返るような血の匂いが漂っていて。そしてその只中で、いけ好かない兄弟神はみっともなく泣き崩れていた。最後に犠牲になったらしいあの青年神の手を、しっかりと握りしめたままに。
お前も犠牲になったのかよ、馬鹿じゃねえの。そう笑ってやることもできたが、聞くこともできなくなった相手のために出す声など無駄なだけだ。だからショロトルは何も言わずに兄弟神の泣き声を聞いていたが、自分の感情に変化が起き始めているのをふと感じた。
あの青年神が待つ場所になら、行ってやっても良い。あいつがあの生意気な顔で出迎えるというなら、行ってやっても構わない。だからついショロトルは、兄弟神の傍へと足を進めていた。
第五の太陽の時代は、そうして始まった。
神々の犠牲によって造られた大地は、天の光は、絶えず血を求めている。だから人間も犠牲を捧げ、怪物の亡骸と天空の覇者を血潮で潤し続けなければならない。神々はその掟を民に教え、民は忠実にそれを守っている。
善良ぶった風の神は血塗られた掟を嫌がって難色を示したが、代案もないので仕方なさげにそれを支持した。生意気な青年神はそいつとは対照的に、民の犠牲を喜び、面白がった。
一度は太陽にまで昇り詰めた、その青年神。誰よりも賢しく、誰よりも強く、人も神も唆す艶美な誘惑者。失った片足の代わりとなった艶やかに黒い鏡は、その神が知りたいと望む全てを映し出すと噂される。
いつしか神々は、民は、その青年神を呼ぶようになった。テスカトリポカ「煙吐く鏡」と。
◯プチ解説
・五つの太陽
だいたい作中の通りですが、ケツァルコアトル神の時代を滅ぼした「風」はテスカトリポカ神が起こしたものだとの説もあるようです。その場合、4つの時代のうち3つはテスカトリポカ様のせいで滅んでますね。
また、洪水でテスカトリポカ神に庇護された(けれど言いつけを破って犬にされた)夫婦については、キリスト教化された後に「楽園追放」「ノアの箱舟」を逆に取り込んでできたのではという説もあります。
先だってからそいつが何かを言いたがっているのは気付いていたが、ショロトルがわざわざ促してやる必要もない。言いたくなれば勝手に言うだろう。互いを気遣ったり遠慮したりするような間柄では、最初からないのだから。
気儘で自分勝手なこの青年神のことだから道の途中でふらっと居なくなるだろうと予想していたのに、そいつはずっとついて来た。山に着いてショロトルが宝石を集め始めても何も言わずに突っ立って見ているので、振り返って咎める。
「暇なら手伝えよ」
なんで僕が、自分でやれよ。そんな可愛げのない言葉が返ってくるだろうと思っていたのに、意外にも青年神は何も言わずに頷いた。黙りこくったまま膝をついて、ショロトルがしているように宝石を拾い始める。その素直さを少しだけ怪訝に思ったが、わざわざ尋ねてやる必要もないから好きにさせた。
水晶の少し大ぶりの塊があったので、空に弱々しく輝く「半太陽」に翳してみた。輝きや疵を確かめながら、あの光もそろそろ燃え尽きそうだなとちらりと考える。
空の光が燃え尽きたならば、世界は闇に閉ざされるだろう。それは不便だろうなと思いながらも、ショロトルにどうにかできることではないし、どうにかする気も元より無い。
そのうち誰か力のある神が、天空の玉座に座って世界を照らすことになるだろう。他の神々の小競り合いが増えつつあるのも、きっとどいつもこいつもその居場所を狙っているのだ。力を誇示したい気持ちは分からなくもないが、傍から見ている分には浅ましいことこの上ない。
ふんと鼻で笑い、水晶を籠に放り込む。その時、青年神も手を止めてぼんやりと天空の光に見入っていることに気付いた。少しだけ怪訝に思いながら、反射的に咎める。
「何さぼってんだよ」
手伝わせといてその言い草かよ、じゃあもう帰る。そんな可愛げのない言葉が返ってくるだろうと予想したのに、そいつはやはり黙りこくっていた。けれど、宝石拾いに戻りもしない。
さては誰とも知れない神に首を絞められた時に、頭もぶつけていたのか。今頃になって調子を崩したか。ショロトルがそう考え始めていた時に、青年神はようやく口を開いた。まだぼんやりした眼差しを天空の光に向けたまま、雫の落ちるように呟く。
「あの、一番高い所に行きたい」
妙に平坦なその声を聞きながら、そいつが口を開くのが随分と久しぶりなことに気付く。少しの驚きを感じながらも、ショロトルは答えてやった。
「誰よりも強く、誰よりも賢しい奴の居場所だ」
未だかつて神々の誰も座したことのない、天空の王座。この自分の手は、決して届かないもの。行きたいからといって、おいそれと行ける場所ではない。
親切にそのことを教えてやったのに、やっとこちらに目を向けた青年神はひどく険しい目をしていた。ほとんど責め立てるような強さで言い捨てる。
「僕がそれになる、って言ってるんだ」
生意気で八つ当たりじみたその物言いを咎めてやっても良かったのだが、思わぬ勢いについ圧倒された。強くこちらを睨んでいる青年神を、まじまじと見返す。
傲慢で、高慢で。けれどその声は、どこか切実な響きを伴っていた。自信に溢れているというよりは、悲壮さのようなものを感じさせた。
その不遜で傲岸な態度は、何故だかあの座に相応しいような気がした。この青年神であれば、他の神々を押し退けてでも、その場所に辿り着けるように思えた。だからショロトルは、気のなさを装って返事をしてやった。
「やりたきゃやれよ。俺は手伝わねえぞ」
「お前に言われなくたって、そうする」
ふんと鼻を鳴らした青年神が、もう何も言わずにまた宝石を集め始める。ショロトルも宝石拾いを再開しながら、何とは無しにそいつの細い首筋を眺めた。
どこの誰に何をされたのか、首には手の形の痣をつけて、手首と足首には縄で擦れた跡を刻んで。そんなみっともない姿でショロトルの家に現れた青年神は、何も言わずにむっつりと黙り込むばかりだった。
他の神々に見られるのが嫌なのか、手足の傷が完全に治るまではショロトルの家から出ようともしなかった。ショロトルになら見られてもいいと判断した理由は知らないが、治るまでキモチイイ事ができないのは嫌だとかそんな理由に決まっている。
そのくせ、自分からショロトルに快楽をねだることはしなかった。ショロトルが手を伸ばして組み敷いてやっても拒みはしなかったが、どこか上の空のようにも見えた。集中しろよと咎めてやっても、息を荒げながら何も言わずに睨んでくるばかりだった。
その青年神が久しぶりに口を開いたと思ったら、その言葉は相変わらず傲慢で、身の程知らずで。けれどもしかしたら、そいつが死に物狂いで願うならば叶うのかも知れない。そう思いながら、ぬらぬらと黒く光るイツトリを拾い上げた。
そんな会話を交わしたことも忘れていた。そいつはすぐに以前のふてぶてしく生意気な態度を取り戻して、もう自分の言ったことも忘れたように過ごしていた。以前と変わらず淫らに快楽を求めてきたし、ショロトルが手を伸ばして組み敷いてやれば喜んで乱れ善がった。
けれどその裏で、妙に周到な青年神は何事かを着々と用意していたらしい。「半太陽」がふっと燃え尽きて神々が狼狽えたのも束の間で、また明るくなってみれば天空の王座には見慣れたそいつがいた。
何を材料にいつどうやって作ったのかも分からない、醜い巨人達に傅かれて。青年神は遠く高いその場所で、満足げに笑っていた。晴れ晴れとした笑みは、自慢げだとか誇らしげだとかいうよりも、ただ満ち足りているように見えた。
あの様子では、もう地上へ戻ってくる気もないのだろう。そう思いながら、興味もないので目を逸らした。あの具合の良い体を抱けないのは少し残念だが、それ以上の愛惜も愛着もない。
祝福などするような間柄ではないが、求めた場所を勝ち取ったその執念は評価してやっても良いものだ。そう思いながらも声は届かないので、ショロトルは黙って背を向けた。
その最も高い場所から青年神を叩き落としたのは、善良ぶっている兄弟神だった。何が気に障ったのか、何がその「正義感」に沿わなかったのか、ショロトルには分からない。元より、あんないけ好かない神の考えなど推察したくもない。
風の神自身も何の言い訳も弁明もするつもりはないようだった。その神はただ空いた王座に座り込んで、「第二の太陽」として世界を照らしていた。あの良い子ちゃんが随分と思い切ったことをしたものだと半ば感心しながら、ショロトルは地に落とされた青年神の様子を見に行くことにした。
青年神は、返り血に塗れた酷い有様で茫然と立ち尽くしていた。周りには、あの醜い巨人どもの残骸が転がっている。天から落とされた拍子にオセロトルに変化したのはショロトルも見ていたから、何も分からないままに自分の民を食い殺してしまったのだろうとの想像は容易かった。
「酷えザマだな」
「っ……!」
あえて軽い調子で声をかけてやると、そいつははっと肩を震わせた。茫然とこちらを見て、自分の様子を見て、周りに散らばる召使いだった者たちの無残な骸を見て、またショロトルを見て。
そして見る間に、激しい怒りがそいつのまあまあ整った顔を歪ませた。天空の玉座を仰ぎ見たそいつが、低く呟く。
「あいつ、許さない」
地を這うような声に、相当頭に来てんなあとショロトルは呑気に考える。薄々予想した通り、我儘な青年神はショロトルに当たり散らしてきた。
「お前の兄弟神だろ、なんで綱もつけておかないんだよ! 最初からどこかに閉じ込めておけよ、あんな奴!」
俺が知るかよという言葉が口を突きそうになったが、すんでの所で飲み込んだ。懐いてたんじゃないのかよなどと言えばますます怒り狂うだろうから、その言葉も飲み込む。ショロトルが黙っていることさえ癇に触るのか、青年神はますます逆上して怒りを吐き散らした。
「少しは見所があるのかと思ってたのに、だから僕に仕えさせてやっても良いって思ってたのに! 僕が休む間だけなら、照らすのを任せてやっても良いって思ってたのに! ふざけるなよ、もう絶対に許さない!」
癇癪を起こしたように、青年神が地団駄を踏む。子供じみたそんな仕草も、今や恐ろしい力を得たその青年神がすれば、大地に裂け目を刻み不吉な風を呼び寄せた。地面の亀裂がショロトルの足元にまで及びそうになったので、仕方なく宥めてやる。
「ああ、分かったから。少し落ち着けって」
「落ち着けるとでも思うのか!? 僕がどれだけ、どんな思いで、それをあいつ……!」
激情のあまり涙さえ浮かべているので、泣き出すか今以上に喚き散らすか、とショロトルも覚悟を決める。だが青年神は、少しは頭が冷えてきたらしかった。乱暴に涙を拭っているので、ショロトルは落ち着かせるためにまた声をかけた。
「ただで済ます気はなさそうだな。どうすんだ?」
「同じ目に遭わせてやる。それか、もっと酷い目に」
迷いなく答えるそいつの眼には、初めてそいつを見たときには確かにあった風の神への親愛は、もはやかけらも無い。そのことにどこかで満足を感じながら、ショロトルも軽い調子で同意してやった。
「好きにすりゃいいさ」
「そうする」
不機嫌に言った青年神は、険しい顔で天空の王座を仰いだ。低い低い声で呟く。
「見てろよ。思い知らせてやる」
青年神は、言った通りのことを実行した。その青年神によって天空の王座から蹴落とされた「第二の太陽」は、その混乱の中で荒れ狂う風を呼び寄せた。
禍々しい風は世界を吹き荒れ、全てを荒廃させた。その神によって造られた「人間であった者達」は僅かながら持っていた知恵さえ失い、はしゃぎ回ることしかできない猿へと姿を変え、二度と元には戻らなかった。
「あはははははは! 良い気味だ!」
勝ち誇って哄笑する青年神を、やっと我に返ったらしい風の神は悲しげに見つめた。何も言わずに見ているその目に気付いた青年神が、馬鹿にしたように笑う。
「なんだよ。何か文句があるのか?」
嘲笑を浮かべたその瞳を、風の神はじっと見つめた。何かを望むように、何かを祈るように。けれど、それは見つけられなかったらしい。
風の神はただ静かに首を横に振り、そして答えた。悲しげに、寂しげに。
「ないよ」
束の間だけ空いた天空の王座を、次に占めたのは雨の神々の長トラロックだった。けれど、それも長くは続かなかった。
気の立っていたらしい風の神が難癖をつけ、雨の神々の族長までも太陽の座から追い落とした。その激震は山々を揺さぶってその頂上から「火の雨」を降らせ、第三の太陽の世界も呆気なく滅んだ。その時代に人間であった者達は愚鈍な七面鳥となり、怯えて鳴き交わすばかりだった。
次の太陽となったのは川や泉を司る女神チャルチウトリクエ「翡翠のスカートの婦人」だったが、あの狡猾な青年神が何か細工をしたのかもしれない。気付けば襲いかかっていた大洪水が全てを飲み込み、山さえ打ち崩し、民は魚となって水底に囚われた。
嘲笑いながらそれを見ていた青年神は何が気に入ったのか、ひと組の夫婦者を大樹のうろに匿ってもいたらしい。だがその夫妻は空腹に耐えかねて禁を破り、かつて同族であった魚を獲って食らった。それが青年神の逆鱗に触れ、二人の哀れな人間は首を刎ねられて犬に変えられた。
早くもその獣達にも興味を失っている青年神は、また空位となった天の玉座を狙っていたのかもしれない。だが少しの間だけは、様子を見ることにしたらしい。そいつも他のどの神々にも座られないままに、天空の玉座は新たな太陽を待っていた。
けれど移り気な青年神はすぐに何もないその世界に飽きて、もっと面白いものを欲しがって、また何か考えごとを始めたらしかった。そしてショロトルが密かに驚いたことに、そいつはあのいけ好かない兄弟神にすり寄っていった。
何を思ったか、仇敵と見定めた筈のその風の神を言葉巧みに誘い込んで、水に覆われた世界をもう一度眺めに行って。そして海の怪物を間近でとっくりと見てきたという青年神は、また何やら考えを巡らせているようだった。
「お前ならあの怪物、どうやって油断させる?」
「ほんっと、色気ねえ奴だな」
散々喘いで掠れた声でそんなことを言い出すので、苦笑しか出てこない。誤魔化されたと思ってか、青年神は不機嫌な顔をした。
「いいから答えろよ」
むくれる顔は愛らしいとさえ呼べそうで、それが淫らに蕩ける様をまた見たくなる。だからもう一度組み敷いてやりたいのだが、頑固で生意気なこの青年神は質問に答えてやらなければ大いに逆らい暴れるだろう。それを無理に犯してやるのも楽しい遊びではあるが、後が面倒だ。仕方がないので、ショロトルは問われたことを考えてみた。
恐ろしい、力の強い、凶暴で凶悪な、あの醜い怪物。狡猾で隙のない化け物。だが、そんな奴であっても。
「足か手でも餌に差し出せば、隙は作れるんじゃねえの」
「足?」
繰り返した青年神が、思案顔で自分の足に目を向ける。そのほっそりした足を撫でながら考え事を始めるので、ショロトルはその髪を軽く引いて揶揄ってやる。
「んだよ、怖いってか?」
「怖いもんか」
不満げな顔でやっとこちらに目を戻すので、怪しいもんだなと笑ってやった。そして反論する隙を与えず、組み敷いてのしかかってやる。
「何だよ。退けよ」
「答えてやっただろ?」
まだ不機嫌な顔で胸を押し返そうとするので、より一層強くのしかかった。にっこりと笑ってやると、意図を察した青年神が大袈裟な溜息を吐いた。
「何だよ、まだ足りないのか?」
呆れたように言いながらも、青年神にも異存はないらしかった。言葉よりも随分と機嫌良く笑って、首に腕を絡ませてくる。
「満足させろよな」
「生意気言ってんなよ、泣かすぞ」
いつも変わらないふてぶてしさを咎めてやりながらも、ショロトルもさほど機嫌は悪く無い。だから、笑みを乗せている唇に触れてやった。
ショロトルの方では、そんなやりとりをしたことさえも忘れていたのだ。だが無駄なところでばかり律儀な青年神は、しっかりと覚えていたのかもしれなかった。
身の毛のよだつような悍ましい断末魔は前触れもなく響きわたり、世界は激しく揺れ動いた。何かが決定的に変わったことを、全ての神々と獣達ははっきりと悟った。驚き慌てふためいている神々の前に、その二神はやがて戻ってきた。
本当に、やった。やってのけた。誰の目にも、それは明らかだった。
怪物に食いちぎられて永遠に戻らない、青年神の片足と引き換えにして。新たな民が住まうべきその世界は、造られた。
それからは、何の関係もないとばかり思っていたショロトル自身までもが用事を言いつけられて散々だった。いけ好かない兄弟神と組まされて冥府に「おつかい」に出されたかと思えば、帰ってきた早々に「子守り」を押し付けられる。文句を言いながらもアザミの汁でそれを育ててやった自分の律儀さには、涙さえ出そうだ。
そうかと思えば、他の神々は民の食物探しに奔走し、太陽を選び、月を選び、そしてその傲慢な光のために自らが犠牲になる相談までし始めている。そこまでショロトルが付き合いきれる筈もない。
だからショロトルはさっさとその場を逃げ出して、何度か姿を変えて水中に身を潜めた。だというのに、追いかけてくるだろうとばかり思っていた神の気配すらも現れない。
怪訝に思って元の姿に戻り、様子を覗きに行って。そして、全てが終わったことを見て取った。
神々の骸が入っているらしい包みがいくつも転がっていて、噎せ返るような血の匂いが漂っていて。そしてその只中で、いけ好かない兄弟神はみっともなく泣き崩れていた。最後に犠牲になったらしいあの青年神の手を、しっかりと握りしめたままに。
お前も犠牲になったのかよ、馬鹿じゃねえの。そう笑ってやることもできたが、聞くこともできなくなった相手のために出す声など無駄なだけだ。だからショロトルは何も言わずに兄弟神の泣き声を聞いていたが、自分の感情に変化が起き始めているのをふと感じた。
あの青年神が待つ場所になら、行ってやっても良い。あいつがあの生意気な顔で出迎えるというなら、行ってやっても構わない。だからついショロトルは、兄弟神の傍へと足を進めていた。
第五の太陽の時代は、そうして始まった。
神々の犠牲によって造られた大地は、天の光は、絶えず血を求めている。だから人間も犠牲を捧げ、怪物の亡骸と天空の覇者を血潮で潤し続けなければならない。神々はその掟を民に教え、民は忠実にそれを守っている。
善良ぶった風の神は血塗られた掟を嫌がって難色を示したが、代案もないので仕方なさげにそれを支持した。生意気な青年神はそいつとは対照的に、民の犠牲を喜び、面白がった。
一度は太陽にまで昇り詰めた、その青年神。誰よりも賢しく、誰よりも強く、人も神も唆す艶美な誘惑者。失った片足の代わりとなった艶やかに黒い鏡は、その神が知りたいと望む全てを映し出すと噂される。
いつしか神々は、民は、その青年神を呼ぶようになった。テスカトリポカ「煙吐く鏡」と。
◯プチ解説
・五つの太陽
だいたい作中の通りですが、ケツァルコアトル神の時代を滅ぼした「風」はテスカトリポカ神が起こしたものだとの説もあるようです。その場合、4つの時代のうち3つはテスカトリポカ様のせいで滅んでますね。
また、洪水でテスカトリポカ神に庇護された(けれど言いつけを破って犬にされた)夫婦については、キリスト教化された後に「楽園追放」「ノアの箱舟」を逆に取り込んでできたのではという説もあります。
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