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復讐の蜜に苦味は無い

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 集めてきた巻貝を装飾品にしようとしていたのに、ついまた物思いに耽っていたらしい。やっとそれを自覚し、ケツァルコアトルは背筋を伸ばし直した。
 二つに切ると渦巻く雨雲の形をしている、先の尖った貝殻。風を呼ぶために、雨を降らせる雲の通り道を掃き清めるために、いつも使っているそれら。手に馴染む品々を綴り合せながらも、ついまた溜息が漏れてしまった。
 いびつに歪んでしまう夢の中で、あの少年神はいつも貝殻と宝石で遊んでいる。綺麗な品々を細い指で並べたり動かしたりしながら、がらんとした家の中でケツァルコアトルを待ってくれている。
 それが虚ろな夢でしかないと、決して実現しない空虚な夢想でしかないと、分かっている。理解している。なのに、その甘さが心を捕らえて離さない。
 ぼんやりと夢に心を遊ばせていたから、だろうか。ケツァルコアトルは声を掛けられるまで、その気配に気付けなかった。
「ねえ、それ、何してるの?」
「っ!?」
 出し抜けに横合いから声を掛けられて、心臓が跳ね上がる。その澄んだ声は、その愛らしい響きは、聞き間違えようもない。
 努めて呼吸を落ち着けて、顔を向ける。予想した通り、あの少年神が好奇心に目を輝かせて手元を覗き込もうとしていた。
「その貝で何するの? それも魔術に使うの?」
 屈託のない態度で尋ねながら、少年神の細い指がケツァルコアトルの手の中の貝殻を指し示す。その愛らしい顔立ちに張り付いている笑顔に、殴られるような激しい衝撃を受けた。
 あどけない笑顔は、けれどあのきらきらしていた笑顔とは決定的に異なっている。望む通りに相手を動かすための、欲しい知識を相手から引き出すためだけの、打算的で空虚なその笑み。全てを欺くための、笑顔を模った単なる仮面。
 媚びるような笑みから、ケツァルコアトルは思わず目を反らしていた。何も言えずに無意識に握りしめた手に、貝殻が突き刺さる。離れようとしない少年神は、視界の端でことんと首を傾げた。
「教えてくれないの?」
 甘え媚びた声でねだりながら、細い指が馴れ馴れしく腕に触れてくる。その薄っぺらい声音に、冷たい指の感触に、怖気が走って。
 気付けば、その手を振り払っていた。
 驚いたように小さな声を上げた少年神が、あっけなく倒れて尻餅をつく。きょとんとした愛らしい顔をケツァルコアトルは束の間茫然と見下ろしたが、はっと我に返った。
「す、すまない!」
 慌てて手を伸ばし、助け起こす。まだ不思議そうな顔をしていた少年神は、少し考えてから大袈裟なほど眉を下げた。
「邪魔しちゃった? ごめんなさい」
「いや、そんなことは……」
 言い訳もできず、ぎこちなく手を離す。手の中に残っている滑らかな肌の感触を打ち消そうとしながら、尋ねられたことに答えようと言葉を探した。
「これは、そう、風を呼ぶ術に使うんだ。雨の神々が、またたくさんの雨を降らせるようだから、その準備を」
「風を呼べるの?」
 声を弾ませた少年神が、またケツァルコアトルの手の中の貝殻に目を落とす。食い入るように見つめているその横顔は無邪気な好奇心をありありと表していて、素直で自然な感情だけがそこにあって、あの二度と戻らないひと時の彼と確かに地続きだった。
 胸がじわりと温まるのを感じ、ケツァルコアトルは知らず微笑んでいた。思い付いたまま、言葉を唇に乗せる。
「気に入ったなら、あげよう」
 綺麗で形の整ったものを選んで、少年神のほっそりした手に握らせようとする。だが喜ぶだろうとばかり思った少年神は、予想に反して困った顔をした。ふるふると首を横に振る。
「貰っちゃ悪いよ。貴方のだもの」
 困惑げなその表情に、刺し貫かれるように胸が痛んだ。遠慮の仮面を被った明瞭な拒絶に、心が痛みを訴える。
 この少年神は決して、ケツァルコアトルを望まないのだと。どんな小さな「借り」も作りたくないのだと。如実にそれを伝えている礼儀正しすぎる態度に、息が止まりそうになった。
 ケツァルコアトルの胸の痛みには気付かず、少年神はまたにこっと笑った。やはり薄っぺらで空虚な笑顔のまま、屈託なく礼を言う。
「教えてくれてありがとう」
「っ、あぁ」
 かろうじて答えると、少年神はまたにこっとして身を翻した。もう興味を失ったように、軽やかに駆けて行く。振り返りもせず、もうケツァルコアトルのことなど忘れ去って。
 その先で少年神を待っている、自分の邪悪な兄弟神。その姿を目にして、ずっと胸に居座っている絶望がまた膨れ上がった。

「しないの?」
 甘えた声で背中に擦り寄ってくるので、そうだなあと惚けて見せる。僅かの間だけむっとした顔をした少年神は、すぐに薄っぺらい笑顔を貼り付けて一層体を擦り付けてきた。
「お前だって、したいだろ? させてやるから、早くしようよ」
「生意気言ってんじゃねえよ、泣かすぞ」
 気を悪くした振りをして見せても、少年神は全く怯まない。無遠慮な指先はもうショロトルの腰衣に掛かっていて、布の上から中心を撫で摩っている。淫らな期待をありありと浮かべた瞳が、上目遣いに見上げてくる。
 キモチイイ事をするのはショロトルとしても構わないのだが、すぐに乗ってやるのでは面白くない。この生意気な少年神は、少し焦らしてやるくらいでちょうど良い。
 だから薄い肩を掴んで、床に転がした。きょとんとして見上げてくる瞳に、にっこりと命じる。
「して欲しけりゃ、舐めろよ」
「はぁ? する気が有るなら、自分でしろよな」
 身を起こして不機嫌そうに言いながらも、少年神の方でも否やはないらしかった。言葉とは裏腹に、その指は早速ショロトルの腰衣を解き始めている。現れた部分が首をもたげ始めているのを見て、ちっぽけなくせに生意気な神は満足げな顔をした。
「なんだよ、お前だってその気のくせに」
「無駄口叩くな、早くしゃぶれ」
 小さな頭を掴んでそこへ押し付けると、文句も言わずに素直に口を開けて咥え込む。すぐに柔らかな舌が絡み付いてきた。
 従順な様子にひとまず満足して、ショロトルも少年神のひ弱な体に絡みついている装束を脱がせてやることにした。自分の装束を先に外してから、少年神の着ているそれにも手を掛ける。
 細い背中を覆っていたトリマトリを剥がして投げ捨て、腰衣も外させてやはり放り捨てる。そうしてから、このところ少年神があのオセロトルの毛皮を纏っていないことに気付いた。どこに隠し持っているのだろうと少し考えたが、どうでもいいのですぐに忘れる。
 少年神の肌を暴き切り、今度は手の届く所にあった小さな壺を引き寄せた。中を見ると、甘い香りを漂わせる金色の蜂蜜が入っている。まあ何であれ文句は言わないだろうと気楽に考え、壺を手の上で傾けた。
 蜜をたっぷりと絡ませた指を、少年神の後ろへ運ぶ。小振りの尻の窄みを濡れた指でなぞり、ごく軽く指を押し込む。熱心にショロトルの熱を育てている少年神はぴくんと体を震わせて、くぐもった甘い声を漏らした。
 その様子に喉の奥で笑って、今度こそ指を差し入れた。もっと太く大きいものを受け入れることにも慣れているその場所は、淫らな喜びに蠕動しながらショロトルの指を咥えこみ、奥へ奥へと誘い込もうとする。
 ぬちゅぬちゅと淫靡な音をわざと立てさせながら、熱く絡みつく場所を解きほぐしていく。少年神は甘えた声を漏らして腰を揺らめかせたが、口淫を疎かには決してせず、逆に一層熱心にショロトルの雄に吸い付いてきた。
 淫らな興奮に瞳を潤ませて、物欲しげに腰を揺らめかせて、少年神はひたむきなほどの熱心さでショロトルの中心を舐めしゃぶる。その様子にまた喉の奥で笑い、もう一本指を差し入れた。
 粘り気のある蜜はべたべたと絡みついてくるのでその場所を開かせるのにはあまり向かなかったかもしれないが、その感触がかえって少年神を昂ぶらせているようだった。淫らに腰を揺らめかせて好きな場所へとショロトルの指を導こうとするので、わざとそこを避けながら指を動かしてやる。少年神はもどかしげな声を上げ、濡れた目で睨み上げてきた。

 膨れ上がった熱を含みきれなくなったのか、少年神がショロトルの雄から唇を離した。はぁ、と甘い息を漏らして、愛おしげな顔をして、唾液でぬらぬらと光る熱に頬ずりする。淫らな期待をありありと浮かべる瞳は、美しいとすら形容できそうだった。
 そろそろいいかと考えながら、確かめるようにまた指をぐるりと動かす。くぅっと甘えた声を漏らした少年神は、背筋がぞわりとするほどに淫猥な目をして見上げてきた。
 上目遣いにこちらを見上げながら、少年神がショロトルの赤黒い肉に舌を這わせる。わざとらしいほどに浅ましいその仕草に、今は乗せられてやることにした。
「ほんと、やらしーよな、お前。可愛くねえ」
「お前だって、挿れたいだろ、早く」
 嘲笑ってやっても、少年神は悪びれもせずに挑発し返してくる。欲しがって泣き出すまで焦らしてやることもできたが、確かに今は早くその熱く狭い場所に自身を埋め込みたい欲望が優っていた。
 引き起こして寝床に転がすと、少年神は自分から脚を開いて先を欲しがる。触れられてもいない少年神の中心も、濡れそぼって解放を待ち侘びていた。簡単に壊してしまえそうに細い体にのしかかりながら、そのひ弱な肉塊を指で弾いて揶揄ってやる。
「俺のをしゃぶってただけで、こんなにしてんのか? ほんと、インランだよなあ」
「無駄口叩くな、早くしろよ」
 可愛げのない台詞を吐きながらも、細い腕はショロトルの首に絡みつき、熱を帯びた肌はいやらしく擦り付けられる。また喉の奥で笑って、ショロトルは遠慮なくその内側に踏み込むことにした。
「あ、あ、ぁ……っ!」
 ずぶずぶと沈み込む熱に、少年神は喉を逸らして感極まった声を上げた。熱く絡みついてくる場所の感触に思わず目を細めながら、ショロトルも容赦なくその内側へ押し入っていく。
 熱を収め切って、ショロトルは深く息を吐いた。喜悦の表情で感じ入っている少年神を見下ろす。
 簡単に手折ってしまえそうな細い喉に手を当ててみると、薄い皮膚の下に隠れている喉仏がひくひくと震えるのが感じられる。少しだけ力を入れてみると、微かな呻き声とともにショロトルを受け入れている場所が収縮した。
「な、に……」
 億劫げに開く瞳は、恐れる様子もなく咎めるでもなく、ただ見上げてくる。細い首を尚もなぞりながら、揶揄ってやった。
「首絞められんの、好きだろ?」
「……趣味、わる……」
 弱々しく毒づく生意気な少年神の首をもっと強く絞めてやっても良かったが、首に絡みつく細い腕に引き寄せられる方が早かった。淫らな期待をありありと目に宿す少年神が、甘え媚びた笑顔でねだる。
「はやく、ちょうだい?」
「はは、ほんとインランだなあ」
 甘く嘲笑ってやっても、淫蕩な笑みは揺るぎさえしない。可愛げねえなと毒づいたが、口先ほどには悪い気分ではなかった。泣いて嫌がるのを捩じ伏せてやるのも征服欲が満たされてとても良い気分だったが、こうして淫らに求めてくるのも悪くない。
 いけ好かない兄弟神を呼び出して、その目の前でこいつを犯してやろうか。あられもなく乱れ善がるこいつを見て、あの善良ぶった神はどれだけ深く絶望するだろう。楽しく考えながら、欲しがるものを与えてやることにした。
 だが最初から全てを与えてやっては、生意気で傲慢なこの少年神はどこまででもつけ上がる。だから最初は、わざと浅い場所で出し入れしてやることにした。
 予想通り、少年神はもどかしげな声を上げて体をくねらせた。濡れた瞳で切なげに見上げてくる。
「違う、やだ、もっと奥……」
「我慢しろよ、少しくらい」
 軽やかに答え、尚も浅い場所だけを攻め立ててやる。少年神は快感と苦痛の入り混じった声を上げ、もどかしそうに腰を揺らした。
「やだぁ、奥がいい、して、もっと……っ」
「してやってるだろ?」
「ちが、違う、奥ぅ」
 ほとんどぐずるような声で訴えながら、少年神は力の抜けかけている腕と脚でショロトルを引き寄せようとする。ひたむきなほどの悦楽への希求は愛らしいとさえ言えそうで、もっと甚振ってやりたくなった。
 だから繋がったまま体を起こして座り、状況に頭が追い付いていない少年神を膝の上に座らせる。自分の体重で深く深くショロトルを咥え込んだ少年神は、感極まった声を上げて背筋を震わせた。
「ひぅ」
「自分で動けよ」
 また細い首筋に手を滑らせながら気軽に命じると、目を閉じて快感を味わっていた少年神がゆるりと目を開けた。半ば恍惚として蕩けている、その濡れた瞳。
 もう言葉さえ忘れたようにこくりと頷いた少年神は、躊躇うことなく腰を動かし始めた。ショロトルの首に回した腕で体を支えながら、淫らに体をくねらせて快感を追い求める。
「ん、ぁん、は、ぁふ……」
 甘い声を漏らしながら、少年神は淫らに腰を揺らしてキモチヨクなろうとしている。だがどうにも動きがぎこちなくて、なかなか欲しい場所に導けないようだった。淫猥なその動きを目で楽しんでいるとは言え、ショロトルとしてももっと直接的な快楽が欲しい。
「下手だな。もっと腰使えよ」
「うるさ、だって、うごきにくい……」
 詰ると、やっと言葉を取り戻したらしい少年神が喘ぎながら文句をつけてくる。生意気な奴だとまた首を絞めてやってもよかったが、もう一度組み敷いて声も出せないほどぐちゃぐちゃに犯してやってもよかったが、今はもう少しだけ少年神に努力をさせる余裕もある。
 そうだなあと少し考えて、寝床に背中をつけることにした。内側で角度が変わった熱にまた感じ入った声を上げる少年神の、手にすっぽり収まるほど細い腰をなぞる。
「これで良いよな?」
 腹の上に手を置かせて体を支えられるようにしてやると、蕩けた瞳の少年神は小さく頷いた。もたもたと手を置き直して、こくっと唾を飲む。
 ごく僅かな間だけ、凶暴な光がその瞳を過ぎった気がした。だが、快感を欲しがる貪欲な劣情を見間違えたのかもしれない。
 はぁっと期待に濡れた吐息を漏らし、少年神はまた腰を動かし始めた。先ほどよりは巧みに、より一層淫らに、自身とショロトルの熱を追い立てる。ショロトルも目を細め、淫らに蕩けている小さな顔を見守った。
 汗で手が滑ったのか、ふらっと傾いだ細い体が倒れ込んでくる。けれどショロトルに覆い被さったままに、その体はより一層熱心に快感を追い始めた。顔が見えなくなった代わりに甘い熱い吐息と喘ぎがよく聞こえるようになったから、ショロトルも許容してやることにする。
「んく、ん、んんぅ……っ」
 甘えた息を漏らしながら、少年神が首筋に顔を擦り付けてくる。熱い小さな舌が伸ばされ、ショロトルの首筋をなぞる。ぞわりとするその感触は悪くない快感をもたらして、ショロトルもついまた目を細めた。
「は、ぁん、ぁふ、……っ」
 淫らな吐息を漏らしながら、尚も腰を揺らして快感を追いながら、少年神はもぞもぞと寝床に手をついて身を起こした。蕩けきった瞳で、ぼんやりとショロトルの目を見下ろす。
 恍惚としたその表情はショロトルが教えてやった快楽に、ショロトルが与えてやっている悦楽に、すっかりのめり込んでいて、それに夢中になっていて。淫らな歓楽に酔い痴れるその瞳は、美しいとさえ呼べそうで。満足と征服欲とともに、愛着に似た感情が迫り上がるのを感じた。
 だから少しヤサシクしてやろうかなどと、柄にもなく考えて。引き寄せて口付けでもしてやろうかとショロトルが手を伸ばしかけた、その時だった。
 首筋を、冷たくて熱いものが走り抜けた。

 何が起こったのか、分からなかった。満足げに笑う愛らしい顔に、何なんだよと尋ねようとした。けれど、自分の声が聞こえない。
 ひゅう、と風の吹き抜けるような音。少し遅れて、それが自分の喉から漏れたことに気付く。それでようやく、理解が追いついた。
 どこに隠していたのか、少年神の細い手には黒々と艶めくイツトリのナイフが握られている。それを鮮やかに汚し、その切っ先から滴っている赤い赤い血は、紛れもなくショロトルのものだった。
 どくどく、どくどくと、命が抜け落ちていく。深々と切り裂かれた首筋から、喉の傷から、命が零れ落ちていく。急速に目の前が暗くなっていく。
 最後に見たのは、勝ち誇って笑う小さな顔だった。

 大きな川が、目の前を流れている。水の音は耳に届かない。風さえも死に絶えたように、何の音も聞こえない。不気味な静寂が、辺りを満たしていた。
 ああ、俺は死んだのか。
 あっさりと納得し、ショロトルは何とは無しに背後を振り返ってみる。けれどそこには何も目を引くものは無く、空虚で空疎な荒野だけがのっぺりと広がっていた。
 あの少年神を、生意気にもショロトルを殺した相手を、恨む思いは何故か無かった。仕方ねえなと胸の中で独りごち、さてどうするかとまた川に顔を向ける。
 この川の向こうには冥府がある。これを渡ってしまえば、もう決して地上には戻れない。分かってはいるが、もう地上に戻るすべがないことも分かり切っている。ここで立ち尽くしていても、暇潰しになるものは何ひとつ無い。
 仕方ねえな、渡るか。胸の中で呟いたのが聞こえたように、どこからともなく黄色い犬がやってきて足元に擦り寄った。愚鈍な目をして盛んに尾を振り、川へとショロトルを導こうとする。
 感心にも道案内をすると言うのなら、着いていってやるのは吝かではない。だから川へと足を踏み出しかけたが、いつからか座ってこちらを見ていた影に気付いてまた足が止まった。
 責めるような目付きをして、声も立てずに、音もなく。あのオセロトルが、不遜なケダモノが、そこに座っていた。剥ぎ取られた筈の金色と黒の毛皮も着込んで、喉の傷さえ癒えて、そいつは影のように座り込んでいた。
『何だよ。また殺されたいか?』
 深く考えずに言葉を投げかけてから、冥府で殺し殺されることはできるのだろうかと考える。その獣はやはり声も立てず、身じろぎもせず、変わらない非難の眼差しをショロトルに向け続けた。
 その無礼な眼差しが不快だったから、やはり殺してやろうと決める。だがいつも帯びている武器がないことにも遅まきながら気付き、渋々許してやることにした。代わりに嘲笑をぶつけてやる。
『文句がありそうだな。言ってみろよ、言えるもんならな』
 言葉を持たない獣は、嘲笑われてもやはり声すら立てなかった。相変わらず、詰るようにショロトルに金の目を向け、石像のようにじっと座っている。
 この獣に怨まれる覚えは、なくはない。殺してやったこと、その屍の傍であの少年神を犯してやったこと、そいつを奴隷にしたこと、そいつに快感を教え込んで穢れに引きずり落としてやったこと。
 だが、声さえなく目だけで責め立てられるのは不快だった。敵意と憎悪をぶつけてくるならば、同じものを叩き付けて、嘲笑を注いでやれる。静かに視線だけで詰るような陰険なやり口をされるのは、とても気分が悪い。だから尚も嘲笑し挑発してやろうと、ショロトルが口を開いた時だった。
 ぐいと引きずり戻されるような感覚と共に、目の前が白く塗り潰された。

 目を開けると、見慣れた天井が目に映った。
「いつまで寝てるんだよ、さっさと起きろよ」
 状況が分からず瞬きをしていると、耳に馴染んだ生意気な声が横合いからかかる。顔を向けると、枕元にあの少年神が座っていた。
 悪びれない表情、偉そうな態度。詰ってやる機会も失って、ショロトルはとりあえず身を起こしてみた。すんなりと体は動き、ごく自然に手足も動かせる。
 自分の首筋を触ってみても、傷跡さえない。どんな得体の知れない魔術を使ったのか、痕跡さえ残さず綺麗に塞がっている。怪訝に思っていると、また生意気な声が掛かった。
「僕に感謝しろよな。治らなくてみっともない傷を残してやっても良かったんだぞ」
「は。お前こそ、俺の寛大さに感謝しろよ」
 軽く言い返しながら、徐々に理解し始める。ショロトルをその手で殺した少年神は、その同じ手でショロトルを冥府から呼び戻したらしかった。
 この生意気な少年神は何がしたかったのだ。一思いに殺して終わりにすれば良かったではないか。疑問を覚えた時、見透かしたように少年神は薄い胸を心持ち反らした。自慢げな笑みで、傲慢に言い捨てる。
「お前とするの、キモチイイから。これで、許してやる」
「……そりゃー、光栄だな」
 どこまでも身勝手で生意気な口聞きに怒りを覚えても良かった筈なのに、何故だか許してやれるような気がした。だからショロトルは、許してやることに決めた。
 生意気に牙を剥いてくる獣など、許してやるべきではない。捩じ伏せて、殴り付けて、泣いて許しを乞うまで犯してやるべきだ。頭では、そう分かっている。
 にも関わらずそうしようと思わないのだから、思うより自分は機嫌が良いのかもしれない。こんな小さな「傷」を付けた程度で勝ち誇るこの幼稚な神が、あまりにも滑稽だから。
「同じ目に遭わせてやろうか?」
「やってみろよ、できるんなら」
 不遜に笑う生意気さを咎めてやっても良かったが、そうする代わりに細い腰を抱き寄せることにした。素直に身を寄せてくるそいつの顎を上げさせ、唇を重ねる。大人しく薄っすらと口を開けるので、舌を割り込ませた。
 小さな舌を絡め取ってやると、ふるりと背筋を震わせた少年神が首に腕を絡ませてくる。そいつの甘い舌を味わいながら、細い腰を掌で辿った。ショロトルの手にすっぽりと収まる、握り砕けそうな、そのほっそりした腰付き。
 んぅ、と声を漏らした少年神を一層引き寄せながら、自分が座っている寝床を目で確かめる。夥しい血で汚れた寝床に組み敷いてやったら、二人とも血でべたべたに汚れるかもしれない。何をきっかけに機嫌を悪くするかも読めない気紛れで傲慢な少年神は、後で文句を付けてくるだろうか。
 考えながら口付けを解くと、少年神のぼうっとした瞳と目が合う。蕩けているがまだ光を残している目をした少年神は、甘えた声でせがんだ。
「ここでいい、早く」
「……後で文句言うんじゃねえぞ」
 釘を差しながら、傲慢で生意気な命令に従ってやった。血塗れの寝床に細い体を組み敷き、乗り掛かる。少年神は甘えた笑い声を上げ、今度は自分から口付けてきた。
 自分の血の匂いに包まれながら、繰り返し繰り返し口付けをする。噎せ返るような血の香に、堪らなく興奮した。
 鮮血の赤に彩られたこいつは、きっとウツクシイのだろう。夢想しながら、密かに残忍な決意を固めた。
 冥府の入り口であのオセロトルを見た事は、決して教えてなどやるものか。

◯プチ解説
*トリマトリ:マント

*巻貝とケツァルコアトル神
 アステカではマーク(図形)に固有の意味合いがあり、◯は水、△は世界、□は大地で渦巻は雨雲です。
 「法螺貝」などの巻貝は断面が渦巻なので雨と結びつけられ、ケツァルコアトル神やトラロック神に降雨を祈る儀式などで使われていました。
 アステカより古い時代ですが、テオティワカン遺跡にも「ジャガーが法螺貝を吹いている」壁画があります。メキシコシティの国立人類学博物館のアステカ室にも、遺跡から見つかった貝殻が展示されています。

*ショロトル神と冥界
 ショロトル神は「地下の冥界と地上を行き来する」とも言われ、地底世界とつながりがある神様でした。
 この小説では犬要素を省いて書いていますが、ショロトル神は動物の「犬」と関連づけられることが多く、犬の頭に人の体の姿で描かれることもあります。
 犬はアステカでは死者の魂が冥府に向かう時に道案内や手助けをするとされて、死者を埋葬するときに一緒に埋めたりもしたそうです。食用家畜としてですが、古くから飼われてもいたそうです。
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