蛇と鏡の誰そ彼刻

水笛流羽(みずぶえ・るう)

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慰めの掌に温度は無く

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 体が熱い。体を横たえている大切な毛皮の上で、一層体を小さくした。
 普段より暑いわけではないのに、体の中から熱さが湧き上がってくる。その熱さはなんだかとても気持ち悪くて、苦しくて、とても嫌な感じがした。
 自分を抱き締め直した時、気付いた。誰にも触らせたくない、自分でも触ったりしないその場所が、他の場所より熱くなっている。形を変えていて、先っぽからは透明でねっとりした水が流れている。
 どうしたんだろう、これは体が熱いのと、何か関係があるんだろうか。怖くなりながら、恐る恐るその場所を触ってみる。途端に背中を何かが突き抜けて、変な高い声が出てしまった。
 その場所からまたとろっと変な水が流れてきて、手をべたべたと汚す。嗅いでみると変な匂いがして、けれどその匂いでまた体が熱くなった気がした。
 嫌だ、怖い、気持ち悪い。泣き出したくなった時、回らない頭が思い出した。その場所を何回も何回も触っては、馬鹿にした声で笑った、あの神のことを。
 自分のことをドレイと呼んだあの神に嫌なことをされるとき、あの神は時々そこを触ってきた。そこを触られるととても体が熱くなって、何も考えられないほど頭の中がぐちゃぐちゃになって、何も分からなくなって、そして気がつくと変な白い水が飛び散っていて、けれど熱くて苦しいのは終わっていた。
『はは、たくさん出たなあ?』
 馬鹿にしたように笑う声をまた思い出して、あの嫌なことをまた思い出して、その恐ろしさに一層縮こまる。けれど、そのぐちゃぐちゃで何も分からない気持ちが、今はとても恋しいような気がした。
 あれはとても嫌なことだけれど、とても怖くて気持ち悪いことだけれど。けれど、そこを触られて頭の中が真っ白になる時の感じが、何故だか忘れられない。お腹の奥底でもやもやしていた何かが熟しすぎた果実みたいに弾ける瞬間の感じが、頭から離れない。あのもやもやするものが、今もまたお腹の底で渦巻いている気がした。
『キモチヨクなれたなあ? お前、やっぱソシツあるよ』
 馬鹿にして笑うあの神の声が、耳の奥で響いている。その時は何を言われたのかも分からなかったけれど、あれは気持ちが良いと呼ぶべきことなんだろうか。この苦しい熱さを、お腹の奥のもやもやを、あの変な「気持ち良さ」がなくしてくれるんだろうか。
 それをされる時、その神は無理やり毛皮の上でそれをしてきた。嫌だと泣いても許してと訴えても、やめてくれなかった。滑らかで安心できる毛皮の触り心地までもあの「気持ち良さ」を思い出させて、それが欲しくて堪らなくなって、思わずまた自分でその場所を触ってしまいたくなる。
 けれど、あれはとても嫌なことだから、きっといけないことなのだ。だから自分であれの真似なんて、してはいけないのだ。そう自分に言い聞かせた時、また違う神のことを思い出した。
 シンパイしてくれたあの神にも、そこを触られた。やっぱり体が熱くて苦しくて苦しくて堪らなかった時に、そこを触って、変な水を出させて、楽にさせてくれた。
 ナマエももう思い出せないあの神は、いつもシンパイしてくれて、いつも怖くて嫌なことから助け出してくれる。たくさんの神達に代わる代わる嫌なことをされたあの時も、そこから連れ出してくれた。その中ではずっとドレイと呼ばれていたイエからも、逃がしてくれた。その神が、同じように、ここを触っていた。
 だから、きっとこれはそうするべきことだ。そうしないと、苦しいままなのだ。そうしなければ、いつまでもこの嫌な熱が体に残って、ずっとずっと苦しいのだ。
 そう自分に言い聞かせて、迷っている心を押さえ付けて。その場所に、触った。

 ついまた、足が向いていた。その森へ、あの少年神が独りきりで住んでいる場所へ。
 守ってやれなかった、邪悪な兄弟神にまでもみすみす汚させ踏み躙らせてしまった、あの憐れな少年神。何度か薬草を持って訪れるうちに、その華奢な体に残っていた痛々しい痣も傷も消えていった。だが深く傷付けられた心を癒してやる薬草も手立ても、この神々の国にさえ存在しない。歯痒い思いを噛み締めながらそっと寄り添うことしか、ケツァルコアトルにできる何事もなかった。
 森の奥深くに引きこもっている少年神は、ケツァルコアトルが訪れても喜びはしない。暗く虚ろな瞳は無感動に見返すばかりで、笑みのかけらも浮かべることはない。あれこれ話しかけても必要最低限の返答しかなく、また来るよと言い置いて去る時にも僅かに頷くばかりだった。
 それでもケツァルコアトルは、あの少年神のことが気掛かりだった。表情の抜け落ちたその愛らしい顔立ちがあまりにも痛々しくて、放っておくことなどできなかった。
 シンパイって何と問い掛けてきた無邪気な声が、あまりにも遠い。あのきらきらとしていた笑顔はケツァルコアトルの胸の中で宝石のように輝くばかりで、少年神の整ったかんばせを彩ることを決してしない。
 森の奥に独りきりで居させることも不安だったが、叶うことなら目の届く場所でつきっきりで守ってやりたかったが、他ならぬ少年神自身がそれを望まないこともよく分かっていた。深い傷を負ったその心を僅かでも慰めるのは森の獣達なのだということも、理解していた。
 少年神が森に戻ったことを歓迎した、あの小さな獣達。いつも少年神の周りに集まり、その膝に這い上がったり、温めるように寄り添ったりしている者たちの声。初めはケツァルコアトルが訪れれば怖がって逃げ出していた彼らも、今はその存在を受け入れ始めてくれている。少年神の虚ろな瞳もその小さな者達に向けられる時だけは、温かな色を僅かに取り戻し始めている。
 残酷なやり方で失われたオセロトルは、二度と戻らない。獣達とケツァルコアトルがどれほど手を尽くしても、その欠落は埋められない。けれど、その傷が僅かずつでも癒されることを、いつかまた少年神が明るい笑い声を上げてくれることを、ケツァルコアトルは祈らずにはいられなかった。

 啜り泣くような声が、聞こえた気がした。思わず立ち止まり、だがすぐにケツァルコアトルは我に返った。
 こんなにも森の奥深くまでやって来る神など、他に居ない。聞こえた声の微かな響きも、あの少年神の声に間違いなかった。
 穢らわしい暴力の犠牲になって、泣いているのか。また誰か心無い神に傷を負わされ、苦しんでいるのか。そんな嫌な想像が、どうしても頭を過る。
 早く無事を確かめなければと、それだけを思って一層足を早める。その時また、声が耳に届いた。
「く、ぅん、……ふ」
 その思わぬ響きに、また足が止まってしまった。その声は確かに、甘い熱を帯びていた。
 無意識に呼び寄せていたのか、微かな風が吹き付ける。その風には、粘りつくように甘く淫らな、精の香りが確かに混じっていた。 
 この、気配は。けれど、そんな。
 半ば茫然としながら、また歩き出した。足音を忍ばせ、気配を殺し、そっと歩みを進める。だが少年神が居るらしい小さな空き地が見えてきたとき、今度こそケツァルコアトルは動けなくなった。
 ふしだらに脱ぎ捨てられた装束。地面に広げられた、あのオセロトルの毛皮。探し求めた少年神は毛皮の上にこちら向きに身を横たえ、けれどケツァルコアトルには気付くことなく、その華奢な手で自らを慰めていた。
「あ、ぁあ……っ!」
 滑らかなその肌を、惜しげも無く晒け出して。金色と黒の美しい毛皮に、愛らしい小さな顔を埋めるようにして。腰布さえ身に付けていない少年神は、艶めいた甘い声を漏らしながら、ほとんど夢中になって自慰に耽っている。 
 何も映していない瞳。ただ淫らな熱だけに支配されて、悦楽に酔って。ぐちゅぐちゅと卑猥な水音を立てながら、ただ自分を昂ぶらせている少年神。既に何度か達したのか、淫らな液体が地面に飛び散っているのが見えた。
 見ていたくなどないのに、目を反らせない。木々の間から食い入るように見つめるケツァルコアトルにも気付かないまま、少年神は限界に達した。 
「ぁ、あ、ぁ、……っ!」
 細い細い体が引き攣って、痙攣して、そしてぐったりと沈み込んだ。はぁはぁと、甘く荒い息遣いが聞こえる。それでやっと、ケツァルコアトルも我に返った。
 だが、声を掛けることもできない。身動きさえできない。
 声も出せないケツァルコアトルに、少年神はまだ気付かない。熱っぽい吐息を漏らしながら、淫らな歓びだけを満たした瞳が、べっとりと精に汚れた手を眺める。そして毛皮に、甘える幼獣のような仕草で顔を擦り付けて。幸福そうに、少年神は笑った。
 そのあまりに幸せそうで満ち足りた表情に、ケツァルコアトルは眩暈を覚えた。足元が崩れ落ちるような感覚に、立っているのがやっとだった。
 若草に置いた新露のように、宝石のように、純粋で透明できらきらしていたものが。いつの間に、こんなにも。
 どうして。絶望に似た想いだけが、胸を支配していた。
 どうすればよかったのだろう。どこで、自分は間違えてしまったのだろう。嫌がられても無理に森から連れ出して、すぐ傍で見守ってやればよかったのか。そうすれば淫らな独り遊びなど覚えさせずに、過ちなど犯させずに、清らかなままで居させてやれたのか。絶望的な後悔だけが、胸の中で渦巻く。 
「よお、何してんだ?」
 後悔に苛まれていたケツァルコアトルを呼び戻したのは、場違いにのんびりした声だった。あまりにも聞き覚えのありすぎるその声に、はっとして振り返る。
 やはり、そこに居たのはショロトルだった。全く悪びれずに気軽な様子で歩いてくるその姿に、かっとなる。
 ここで何をしていると、またあの少年神を傷付けるつもりかと。ケツァルコアトルはそう怒鳴りつけようとしたが、それよりも僅かに早く違う声が響いた。
「誰だ!」
 空気を裂いた、鋭い声。またはっとして、ケツァルコアトルは空き地を振り返った。
 他者の気配に淫らな歓楽から覚めたらしい少年神は、起き上がって片膝をついて身構えていた。装束に紛れていたらしい黒いナイフを手元に引き寄せ、瞳には烈しい敵意を宿して、険しくこちらを睨み据えている。
 木々の間の暗がりにいるケツァルコアトルとショロトルのことは、まだはっきりとは見えていないのだろう。だが華奢な体に漲るその敵意に、ケツァルコアトルは思わず身を竦ませた。守ってやれなかったことを、穢れに身を落とすのを見過ごしてしまったことを、責められているような気がした。その萎縮が、ますます残酷な事態を招き寄せた。
「何してんだよ、こんなとこで?」
「失せろ」
 気軽に言いながら空き地に踏み込んでいくショロトルを、少年神は恐れなかった。斬りつけるような尖った声で吐き捨てながら、歩み寄るその神を険しく睨み付ける。ショロトルは意に介さずにすたすたと歩み寄り、少年神の間合いの外で立ち止まると、無遠慮にその体を眺め渡して笑い声を上げた。
「ふうん。良い趣味だな」
「失せろって言ってる」
 ますます鋭さを増す声で吐き捨てながら、少年神がゆっくりと立ち上がった。ほっそりした脚にも、薄い腹にも、淫らな白濁が点々と飛び散っている。思わず目を背けたケツァルコアトルの耳に、ショロトルの笑い声が飛び込んできた。
「あのケダモノともヤッてたのか? それは気付かなかった」
「早く失せろ!」
 苛立った声を上げる少年神の隙を突いて、ショロトルがすいと身を寄せた。少年神のナイフを持つ手の手首を軽く捕らえ、臆さず睨み上げる瞳を覗き込んでまた笑う。
「何だよ、放せ」
「ヒトリでヤッてても、つまんねえだろ?」
 振り払おうとする少年神に囁く声はぞっとするほど甘やかで、優しく慰撫するような響きをしていた。その気味の悪いほど優しい声で、ショロトルが尚も囁く。
「もっと、キモチヨクしてやるよ」
 だめだ。茫然と思っても、動くことができない。ショロトルがその悪意に満ちた手で少年神の頬に触れるのを、ケツァルコアトルは声も出せずに見ていることしかできなかった。
 思案顔になった少年神の頰を、邪悪な指先が擽るようになぞる。そのねっとりとした指使いを茫然と目で追ってから、ケツァルコアトルはやっと我に返った。
 だめだ。そんなことはさせてはいけない。やめさせなくては、止めなくては。やっとそれを思い出して、飛び出そうとする。だが、僅かに遅かった。
 滑らかな頰をいやらしくなぞられるに任せていた、考えあぐねていたその少年神が、ふと唇を釣り上げて。あどけない愛らしい顔立ちが、淫らな笑みに彩られた。
「キモチヨクなかったら、許さないからな」
 ほっそりした手が、邪悪な兄弟神へと伸ばされる。その細い指を取ったショロトルはちらりとケツァルコアトルに目を向けて、勝ち誇ったように笑った。少年神が不思議そうにその視線を追う前に、ショロトルもまた少年神へと目を戻して、身を屈めて。
 重なる唇を、ケツァルコアトルは茫然と見守ることしかできなかった。
 不思議そうに目を開けたままの少年神の目元をショロトルの指先が優しくなぞって、目を閉じさせる。その手が少年神の顎に優しく掛かり、少しだけ口を開けさせた。
 ぴちゃ、くちゅ、と淫らな水音が聞こえる。時々驚いたように体を震わせる少年神は、けれど抵抗しない。その愛らしい舌を、貪られるに任せている。
 やがて、ゆっくりとショロトルが顔を離した。頰を紅潮させた少年神が目を開け、不満げにショロトルを睨む。その瞳には、親しげとさえ呼べるような色を帯びた苛立ちがありありと浮かんでいた。
「なん、だよ。苦しいだろ」
「慣れればキモチヨクなるさ。まだ早かったか?」
「馬鹿にするな!」
 揶揄われてますます不機嫌な顔になった少年神が食ってかかろうとしたが、その前にショロトルがすんなりと細い体を抱き上げた。不意を突かれた顔をする少年神の額に、機嫌を取るような甘さで唇を当てる。そして、少年神を抱いたままのショロトルが、身を屈めた。
 美しい毛皮の上に、細い細い体が組み伏せられる。不思議そうにしている少年神にショロトルがのしかかり、また唇を重ねる。少年神はやはり抵抗せずに、口付けを受け入れた。 
 華奢な腕がショロトルの首に回されるのが、見えた。もっと深い口付けをねだるように、もっと先のもっと罪深いことを欲するように。
 淫らな意図を持って、ショロトルの手が少年神の肌を這う。その体の下から僅かに見えている少年神の華奢な体が、はっきりと震えるのが見えた。
「ん、ぁん、」
 感に耐えかねたような、甘い甘い声。それが耳に届いた途端に、耐え切れなくなった。何も言えず、声も出せずに、ケツァルコアトルはその場を逃げ出した。

 鳥が驚いて飛び立つ羽音にも、気を回す余裕はなかった。森から逃げ帰り、家に飛び込んで、ケツァルコアトルはようやく震える息を吐いた。
 走ったためだけではない激しい鼓動が、胸の中で激しく鳴り響いている。心臓がどくどくと脈動していて、恐怖のような感情が手足を痺れさせている。立っていられなくなって、ケツァルコアトルはその場に崩れ落ちた。
 宝石のようなきらきらする笑顔を必死に思い出そうとしても、上手くいかない。あの淫らな笑顔がちらついて消えない。消せない。思い出したくもない淫蕩な幻影が、あの清らかな光を塗り潰そうとする。
 どうして。どうして。答える者のない問いだけが、ぐるぐると回る。絶望的な後悔が胸を覆い尽くして、全ての希望を一つ一つ押し潰していく。
 あの時の、無邪気にオセロトルと戯れあっていた少年神は、もうどこにもいない。
 何故か、涙が止まらなかった。
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