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対の神は邪悪に笑む
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風の神ケツァルコアトルは、野を歩いていた。自分が呼び起こしたのではないそよそよとした風が頬を撫でる。時々小さな風を呼んで風向きを変えてみもしながら、彼はのんびりと歩き回っていた。
トラロックをはじめとする雨の神々「トラロケ」の一族が気紛れに雨を降らせたくなれば、ケツァルコアトルも同道して雲の通り道を風で掃き清めてやらなくてはならない。だが今は雲を作る遊びにあまり心を惹かれていないらしいその神々はてんでばらばらに、妻である女神に贈る貴重で美しい石を探しに行ったり、山に住む小さな眷属たちの様子を見に行ったりしている。彼らがまた気を変えるまでには、またケツァルコアトルを呼び出すまでには、もうしばらくかかるだろう。
また風向きを変えてみたとき、ふっと甘い香りが運ばれてきた。これは何の花だったろうと考えながら、顔を向けてみる。
群れるようにして咲いている白い「骨の花」が、強い甘い香りを漂わせていた。歩み寄って眺めてみる。
きっぱりした鋭い形の葉に抱きこまれている茎はすんなりと伸びていて、すらりと立つ細身の姿を思い起こさせる。つい頭に浮かんだのは、オセロトルと戯れていたあの少年神だった。
あの少年神は、今頃何をして遊んでいるだろう。またオセロトルと転げ回っているのだろうか、違う遊びをしているだろうか。オセロトルは泳ぎも木登りもできる獣だから、あの少年神について回っていろんな遊びをしているのだろう。
きらきらする笑顔を思い出して、また心臓が揺れる。思わず胸を押さえながら、つい溜息が漏れた。
息急き切って駆けてくる気配に、振り返った。凄まじい速さでこちらに向かってくる大きな姿に、思わず武器を構えそうになる。だが、すんでのところで気付いた。
あの時の、少年神と戯れていたオセロトルに間違いない。その獣が、少年神の姿もないのにこちらへ走ってくる。
「どうした?」
近くまで来たそのオセロトルに思わず尋ねたが、物言わぬ獣は返事ができない。背中を大きく上下させて荒く呼吸しながら、オセロトルは必死な目で見上げてきた。
怪訝に思ってその姿を改めて見直して、気付く。美しいその毛皮はところどころが裂けて、血を流している。よく見れば、殴られでもして痛めたように動きもぎこちない。
「怪我をしているのか?」
傷を確かめようと手を伸ばしたが、オセロトルは嫌がった。ぐるぐると唸って、縋るような目をして、何かを必死で訴えている。だが、ケツァルコアトルには分からない。
あの少年神がいれば、オセロトルの伝えたがっていることを教えてくれるのだろうか。そう考えた時に、やっと気付いた。ぞっと背筋が寒くなる。
「彼に、何かあったのか?」
尋ねると、オセロトルは少し違う声で唸った。そうだ、その通りなんだ、と言いたげなその声。やはりそうかと思いながら、幾つも幾つも浮かび上がる悪い予想を払いのける。それでも、胸騒ぎは止められない。
「案内してくれ」
乞うまでもなく、オセロトルは着いて来いと言いたげに装束を引っ張ろうとしていた。ケツァルコアトルがオセロトルの来た方へと先に歩き始めると、獣もすぐに早足で追い越していく。逸る気持ちのまま走り出すと、オセロトルもそれに合わせた速さで駆け出した。
オセロトルに導かれるままに野を駆けて、見えてきたのは一軒の家だった。今は他の神々の住まいにもっと近いところで暮らしている神が以前使っていた、今は誰も使っていないはずの、その家。
それが見えてくると、オセロトルは悲しみと怒りが混ざり合ったような声で激しく唸りだした。それを宥めてやることも思いつかず、一層足を早める。
焦る気持ちのままに、無意識に風を呼んでいたのかもしれない。風向きが変わり、その家の方から弱い風が吹いてきた。
風が運んできたのは、淫らで不快な気配だった。かなり強く作られたオクトリの香りも、得体の知れない魔術に使う薬草の香りも、そこに混じっている。ますます強くなる予感を振り払いながら、ケツァルコアトルはその家へと駆けつけた。
戸板は壊されたのか元々取り外されていたのか、入り口はぽっかりと虚ろに口を開けている。声を掛ける間も惜しんで、その中へと飛び込んだ。
「っ!」
「何をしている!?」
驚いて立ち上がる、暗がりの中の神々を怒鳴りつける。思わずといった様子で武器に手を伸ばしかけていた神々は、こちらを認めると息を吐いた。
「何だ、ケツァルコアトルか」
「何をしているのかと、聞いているんだ」
つい強い調子で詰問しながら、薄闇の中を見回す。そして、それを見てしまった。
床に組み伏せられて、白濁と吐瀉物に塗れて、暗く虚ろな目をして、ぐったりと揺さぶられているのは。その、骨の花の茎にも似たすんなりした体は、愛らしいとさえ呼べる顔立ちは。
「っ、」
思わず呼びかけそうになって、名前さえ知らないことを思い出す。ナマエって何と尋ねてきたあの澄んだ声が、耳の奥で反響する。怪訝な顔で着ている装束を引っ張っていたその細い指は力無く床に投げ出され、土埃に汚れている。
『それ、僕もいま持ってるもの?』
「もうやめるんだ」
暗く激しい怒りを努めて押し殺しながらも、声が低くなるのは抑えきれない。神々の何柱かは気圧されたように息を飲んだが、平然としている者もいた。
「何だ。お前もヤりたいか?」
卑猥な揶揄になど構わず、つかつかと歩み寄った。仕方なさげに少年神から離れる神を押しのけ、傍に膝をつく。
大丈夫か、などと問える状態でさえない。何も言えずに、汚れているその顔を拭ってやった。横からオセロトルも顔を出して、悲しい声で鳴きながら少年神の汚れた頬を舐める。
虚ろな目に、僅かに光が揺れた。ゆるりと動いた目がオセロトルに向けられて、安堵に似た微かな色を宿す。そして、その目が閉じられた。
気を失った少年神の顔を簡単に綺麗にしてから、肩と背中を覆う装束を脱いだ。それで少年神を包み込んで抱き上げる。華奢なその体は、ぞっとするほど軽かった。
「何だ、やっぱりその気なんじゃないか」
「いいから、退け」
尚も卑猥な揶揄を投げかけてくる神を、怒りを隠さずに睨みつける。ケツァルコアトルの怒りの激しさにやっと気づいたらしいその神は一瞬息を飲み、それから虚勢を張るように笑った。
何か品のない言葉をまだ探している神になど構わず、さっさと外へ向かう。入り口をくぐろうとした時、背中に当てつけのような言葉が投げ掛けられた。
「まあいいさ。3回か4回はマワしたからな」
思わず足を止めそうになったが、堪えて足を進める。もう何も聞かず、振り返らず、その場を後にする。
この場にいる神々を皆殺しにしてやりたいと、切り刻んで引き裂いて荒野に撒き捨ててやりたいと。そんな暗く激しい憎悪を散らして消そうとしながら、少年神を抱いて歩いていく。横にぴったりと並んでついてくるオセロトルは、悲しい声で鳴きながら少年神を見つめていた。
ひとまずと、少年神を自分の家に運び入れた。寝床にそっと下ろして、細い体を包んでいる装束を少し直す。そうしながら、少年神自身の装束を持ってこなかったことに気付いた。
だがあの下劣な神々になど今は会いたくないし、何よりこの少年神を放ってはおけない。後で調達しようと考えながら、部屋の隅の水瓶から水を汲むために立ち上がった。
水を汲んで振り返ると、足音も立てずに少年神の傍に寄って座り込んでいたオセロトルが目に入る。とても悲しそうな目をしているオセロトルは、けれど少年神を休ませたいという配慮からか声も立てずに、悄然として少年神に寄り添っていた。
水と布を手にして、少年神の傍に戻る。そして、オセロトルが嫌がらないかと案じながら装束をそっと脱がせ始めた。
オセロトルはやはりぐるぐると機嫌の悪い声を立てたが、それが必要なことだとは分かっているらしい。ケツァルコアトルが少年神の体を丁寧に拭き清めるのを、邪魔立てせずに見守った。
細い体にこびり付いていた汚れと穢れを拭き取って、持っていたくもない汚れた布を部屋の隅に投げ捨てる。別な装束を取り出して、大きすぎる布で少年神の細い細い体を包み直す。その時になってやっと、オセロトルも怪我をしていることを思い出した。
「君も、川で傷を洗っておいで。彼の傍には、私がついているから」
悲しそうに少年神の傍に座り込んでいるオセロトルに話しかけると、獣は不安そうに顔を上げた。迷うように少年神とケツァルコアトルを見比べて、それから渋々といった様子で立ち上がる。
オセロトルが足を引きずりながら出ていくのを見送って、ケツァルコアトルは少年神の傍で座り直した。胸のどこかに穴が空いたような、二度と取り戻せない何かを失ったような、そんな空虚な気分がしていた。何もかもが虚しいような思いを抱えながら、まだ目覚めない少年神をじっと見守る。
苦しげな寝顔に、胸が痛む。思わず目を閉じると、あのきらきらした笑顔が朧に浮かんだ。
「……ぅ、」
微かな声に、はっとして目を開ける。顔を覗き込むのと、少年神がゆっくりと目を開けるのは同時だった。
まだ覚めきっていない、ぼんやりした瞳。ゆるゆると動く両眼はきっとあのオセロトルを探しているのだろうが、傷を洗いに行った獣はまだ戻らない。送り出したことを悔やみながら、できる限り静かな声で話しかけた。
「目が覚めたかい?」
囁くように尋ねると、少年神はゆっくりとこちらに目を向けた。何も言わず、ぼんやりと見返してくる。
まだ理解の追いついていない、ぼやけた瞳。ゆっくりと瞬きをした少年神は、何も言わないまま身じろいだ。
少年神が力無く身を起こそうとするので、手を伸ばし抱き起こす。だが怯えるように少年神の体が竦むのを感じて、体があまり触れ合わないようにして抱き直した。
「水を飲んだ方がいい」
言い含めながら、近くに置いていた小さな椀に手を伸ばす。だがそれを唇に当てても、少年神は嫌がった。弱々しく顔を背けようとする。
けれど、飲ませないわけにはいかない。少年神の細い体は不自然な熱を帯びていて、その吐息からはオクトリの匂いがする。オクトリを、それももしかすると不吉な薬草が混ぜ込まれていたかもしれないものを、意識が朦朧とするほどに飲まされたのだろう。早くそれを水で薄めてやらなければならない。
「飲みなさい」
諭して、少し椀を傾ける。唇に冷たい水が触れると、嫌がっていた少年神も喉の渇きを感じたらしかった。薄く唇が開くので、水を流し込んでやる。
ゆっくりと椀を傾けてやりながら、ごくごくと貪るように飲み干していく少年神を見守る。飲みきれなかった一筋の水が薄い唇の端を流れ落ち、装束に滴って染み込んだ。
水を飲み終えた少年神は、ほうっと息を吐いた。少しは意識がはっきりしてきたらしい、だがまだぼんやりとしている目で、また見上げてくる。空になった椀を近くの床に置き、ケツァルコアトルは少年神の額に掌で触れた。
しっとりと汗ばんでいる感触とその熱を確かめながら、もっと水を飲ませるべきかと考える。少年神は自分よりも冷たい手の感触が心地良く感じるのか、僅かに目を細めて息を吐いた。
はぁ、と漏れる吐息は妙に色めいていて、艶かしくて。生まれるべきではない悍ましい劣情が、体の奥底で生まれてしまいそうになる。そのことに気付いて、ケツァルコアトルは激しく動揺した。
違う、自分はそんな下劣な欲望をこの少年神に抱いたりしない。この少年神を傷付けたり貶めたりしたいなどとは思っていない。何かの間違いだ、気の迷いだ。そう自分に言い聞かせながら、何でもなさそうな態度を努めて取り繕った。
「気分は?」
「……あつ、い、」
尋ねると、朦朧とした声が答える。返事ができるほどには意識がはっきりしたらしいことにほっとしながらも、その返答が気にかかった。
怖がらせないように気を付けながら、今度は首筋に触れてみる。額に触れた時にも感じた熱っぽさと同時に、かなり速い脈が感じられた。
「休めば良くなるよ。もう一度眠るといい」
諭しながら、もう一度寝かせてやろうとする。だが、少年神はもどかしげに首を振った。
「ゃだ、あつい、苦、し、」
譫言のように訴えながら、苦しげに少年神が身をよじる。その拍子に華奢な体を包んでいた装束が少し解けて、すんなりとした脚の付け根までが露わになる。慌てて直してやろうとして、目を奪われた。
未発達なその器官が、首をもたげて蜜を溢している。切なげに震えて、解放を待ち侘びている。食い入るように見つめてしまってから、慌てて目を背けた。もう見ないようにしながら、装束の裾を直してやる。
淫らな魔酒が、まだ抜けきっていないのか。きっと自慰という行為さえ知らなかったこの少年神は、明らかに淫らな熱に体を支配されていた。
その体をもう一度抱き直して、はっと気付いた。先ほどまでよりも、少年神の呼吸が、表情が、苦しげになり始めている。装束越しに伝わる体温も、少しずつ上がり始めている気がした。
かたかたと震える体。苦しげで熱を帯びた呼吸。篭る熱を吐き出させてやらなければ、夢のない眠りに逃げ込むことさえできないだろう。
仕方がない。迷いを振り捨てて、覚悟を決めて。ケツァルコアトルは、少年神の脚の間に手を伸ばした。
細い細い体を包んでいる装束の中に手を入れて、熱を籠らせている場所を緩く握り込む。予想した通り、少年神はひっと息を飲んで身を強張らせた。
「ゃ、やだ、嫌、」
先ほどの悪夢が蘇ったのか、恐怖を瞳に満たして。かたかたと体を震わせながら、少年神は嫌がって逃れようとする。
罪悪感に耐えながら抱き直して、目を覗き込んだ。怯えきった瞳に言い聞かせる。
「すぐに済むから」
諭しても、少年神は聞き入れない。ぃや、やだ、とぐずるように訴え、力無く身をよじる。
だが、放っておくこともできない。そうしなければ苦しいのはこの少年神自身だ。嫌がられても、恨まれようとも、しなければならないことだ。
そう自分に言い聞かせ、手を動かし始めた。少年神が短い悲鳴を上げ、一層ひどく、だがまだ力無く、暴れ始める。
「や、ゃだ、やめて、」
「大丈夫だから。少し我慢して」
目に涙を浮かべて、涙に濡れた声で、少年神が懇願する。自分も泣き出してしまいたいような思いを感じながら、ケツァルコアトルは言い聞かせることしかできなかった。
やだ、嫌だ、やめて、離して。泣き出してしまった少年神に訴えられても、やめるわけにはいかない。これ以上怖がらせないようにと努めて穏やかで静かな声で囁きかけながら、容赦無くその熱を追い立てることしかできない。
怯え嫌がる少年神の様子とは裏腹に、刺激を欲しがっていたその器官は悦んで震えた。ケツァルコアトルの手の中で勃ち上がり、硬く張り詰め、とろとろと溢れる蜜でその手を汚した。淫らなその香りがどこか甘く思えて、ケツァルコアトルの熱までも首をもたげそうになって、慌てて意識を逸らす。
幼子のように泣きじゃくり、弱々しく身をよじる、怯えきった少年神。宥めながら手を動かし、少しでも早く上り詰めさせようと尽力した。
少年神の忙しない呼吸が、徐々に切れ切れなものになっていく。限界に近付いていくのが分かる。少年神の呼吸を図りながら、熱の先端にごく軽く爪を食い込ませた。
「っ、ーーーーーーーーー!」
声にならない悲鳴を上げた少年神が、がくがくと体を震わせながら欲を吐き出した。吹き出すその熱い液体が、ケツァルコアトルの手に降り注ぎ、その手を伝い落ち滴り落ちる。内側から少年神の精を浴びた装束が、濡れて色を変えていく。
甘く淫らな香りが一層強く立ち込めて、欲を刺激されそうになって。ケツァルコアトルは我知らず、少年神を抱いている腕に力を込めていた。すっかり脱げかけていた装束からはみ出している少年神の裸の肩が、ケツァルコアトルの胸に押し付けられる。それを感じ取る余裕も、少年神には無いらしかった。
「大丈夫か?」
囁くような問い掛けも、届いていないのだろう。虚ろな目をして荒い呼吸を繰り返す少年神は、答えない。その艶めいた吐息にまた自分の欲が蠢きそうになって、慌てて意識を逸らす。
今度こそ寝かしつけて、休ませてやらなければ。また体も拭いてやって、新しい装束で包んでやって、眠らせなければ。そう考えながら少年神を抱き直した時、気付いてしまった。
手の中のそれはまだ芯をもって、熱を帯びて、震えている。少年神の落ち着き始めている呼吸には、まだ熱っぽさが色濃く残っている。少年神を蝕む毒は、明らかにまだ彼を苦しめていた。
迷っても、他にどうしようもないのは分かっていた。覚悟を決めて、短く息を吸って、ケツァルコアトルはまた手を動かし始めた。
幾度か達させてやっても、なかなか少年神を蝕む淫らな毒酒は抜けないらしかった。まだ熱と硬さを失わないそれを、丁寧に刺激し続けることしかできない。
諦めたのか、少年神ももう何も言わずにケツァルコアトルの腕に体を預けている。耐えるようにきゅっと目を閉じ、小さく体を震わせながら、泣き言も言わずに耐えている。
憐れみが胸を満たして、その額に口付けて慰めてやりたいような気がして。けれどまた怖がらせてしまいそうで、それさえできない。ケツァルコアトル自身も淫らで甘い精の匂いに、少年神の熱っぽい吐息に、邪な思いが芽生えてしまわないように自分を律するのがやっとだった。
だから、だろうか。その気配に気付くのが、遅れてしまったのは。
「よお、邪魔するぞ」
場違いに軽やかな声とともに、許しも得ずに家に踏み込んでくる者がいた。覚えのありすぎるその声にはっとして、少年神を一層強く抱き寄せる。少年神も闖入者に怯えて息を飲み、細い体を強張らせるのが分かった。
よりにもよって、どうして、今。あまりの間の悪さを呪いながら、ケツァルコアトルもその神に顔を向ける。
邪悪で凶暴なその気配は、ケツァルコアトルと対である、彼と同時に生まれた神。ショロトル「対の神」と呼ばれるその男神は、異形と不幸の神として神々の国でも避けられている存在だった。
その禍々しい手が気紛れに触れた獣は、いびつに歪んで立つこともできない脚や、一つしかない大きな目玉や、そうした異様な姿をした仔を産み落とす。そうした憐れな仔らは親に疎まれ、生まれ落ちたその場で噛み殺されてしまうのが常だった。
二者が同時に生まれること自体が、不自然でいびつなこととしてひどく嫌われている。ショロトルと同時に生まれ落ちてしまった自分もまた、何かを誤っていればこの邪悪な兄弟神のように嫌われ疎まれていたのだ。自分は正しい道を歩み続けなければ、この残忍な神と同じ場所まで堕ちていくのだ。この兄弟神と顔を合わせその事実を思い出すたびに、ケツァルコアトルは恥ずかしさといたたまれなさに胸を焼かれるような思いがした。
近寄るなと警告する前に、出て行けと怒鳴りつける前に。ぎらぎらと荒々しく光る眼をしているその神は何かを言いかけて、ケツァルコアトルの腕の中の少年神に目を留めた。慌ててその凶暴な視線から少年神の顔を隠させようとするが、既に遅かった。
「何だ。いつの間に好みが変わったんだ?」
下世話な笑みを浮かべ、ショロトルがずかずかと無遠慮に歩み寄ってくる。胸に抱き込んだ少年神が、怯えて身を強張らせるのが分かった。震える細い指が、胸に縋り付いてくる。
先程の悪夢のまだ爪跡も生々しい記憶が蘇ったのか、怯え切って縋り付いてくる細い指先。その体を抱いて立ち上がろうとしたが、それより早くショロトルが傍に立った。
「雄のガキなんて珍しいな。見せろよ」
言うが早いか、ショロトルの無遠慮な手が伸ばされる。はっと体を引く前に、その手は顔を背けようとする少年神の髪を掴んだ。小さな悲鳴を上げる少年神の顔をねじ向けさせ、涙でべとべとの顔を覗き込む。
「ゃ、」
「ふうん。まあ悪くないカオだな」
値踏みするようにまじまじと少年神を眺めたショロトルは、その愛らしい顔立ちや怯えに見開かれている瞳を口先以上に気に入ったらしかった。舌舐めずりでもせんばかりに笑ったショロトルが、その不吉な手が、少年神の瞬きも忘れた目の際をなぞり始める。ケツァルコアトルもはっと我に返って、慌ててその手を払い落とした。
「彼に触るんじゃない。早く出て行け」
強い口調で咎めても、ショロトルは気にした様子もない。愉快そうにくくっと笑ったその神は、はたき落とされた手をひらひらさせて笑った。
「何だ、嫉妬深いな」
明らかに面白がっている声で笑いながら、ショロトルは出て行くどころかその場に腰を下ろした。怯え切って乱入者から目を離すこともできずにいる少年神を品定めするようにまた眺め渡し、かろうじて絡みついているだけの装束からはみ出しているすらりとした手足を視線で舐め回して、また笑い声を上げる。
「気に入った。俺にも貸せよ」
恐ろしさに声も出ないらしい少年神へとショロトルの手が伸ばされ、その滑らかな肌を無遠慮に暴こうとする。咄嗟にその邪な手を払い除けた。
「触るなと言っているだろう」
「ケチケチすんなよ」
悪びれもせずにまた伸ばされる手から少年神を守るように、抱き直してショロトルから遠ざけた。邪悪な兄弟神を強く睨みつける。
自分への不名誉な誤解を解くのは、後でいい。今はこの邪悪な兄弟神を、深く傷付けられたばかりの少年神から遠ざけなくては。
「今は出て行け。頼むから」
出て行かないならば力尽くで追い出してやると、警告を込めて風を唸らせる。それを聞き取ったショロトルは、大げさに呆れたような顔をした。
「何だ。随分ご執心だな、そんな貧相なガキに」
「何度も言わせるな、早く出て行け」
語調を強めて繰り返すと、仕方なさそうにショロトルは立ち上がった。特に未練もなさそうにすたすたと家を出て行こうとする。だが戸口で急に立ち止まり、怯えた目でその姿を追っている少年神を見て、にやっと笑った。
「俺の兄弟神に飽きたら、言えよ。いつでも遊んでやるよ」
業を煮やしたケツァルコアトルに怒鳴りつけられる前に、ショロトルはするりと家を出て行った。それを見届けて、ほっと息を吐く。少しだけ体の力を緩めた少年神を抱き直して、その顔を覗き込んだ。
まだ怯えを残している、不安げな瞳。深く美しいその両眼に吸い込まれそうな錯覚を覚えながら、努めて穏やかな声で言い聞かせた。
「目を閉じているんだ。悪い夢は、もうすぐ終わるから」
少年神を蝕んでいた淫らな毒も、だいぶ薄まっているのが分かる。 あと一度達させてやれば、眠りに落ちていくだろう。夢のない、慈悲深い暗闇の底で、少年神は傷付けられた心と身体を休めることができるだろう。早く、そうさせてやらなければ。
自分でも、それが必要だと分かっているのだろう。ぎこちなく頷いた少年神が、おずおずと目を閉じる。その額にそっと口付けてやってから、また手を動かし始めた。
びくりと身体を震わせた少年神が、耐えるようにケツァルコアトルの着ている装束を握りしめる。宥めるように何度もその額に口付けながら、ケツァルコアトルは容赦無く少年神を追い上げた。
「ぁ、……あ、ぁ、」
少年神が漏らす微かな喘ぎに、また体の芯で欲が蠢きそうになる。努めてその声を聞かないように意識しながら、ケツァルコアトルは少年神の中心にごく軽く爪を立てた。
「っ、ぁ、ーーーーーーーーー!」
掠れる悲鳴を上げた少年神が、身を震わせて精を吐き出す。甘く淫らな気配が部屋に充満する。首をもたげそうになる欲から気をそらすために、ケツァルコアトルは歯を食いしばった。
気絶するように、少年神は眠りに落ちて行った。
オセロトルが戻ってきたのは、少年神の体を清めてやり、新しい装束に包み込んで寝かせてやったちょうどその時だった。
淫らな匂いの残滓かショロトルの残した知らない匂いかが気に障ったらしいオセロトルは抗議するように低く唸ったが、それよりも少年神のことが気がかりで堪らないらしい。まだ足を引きずりながら小走りに少年神に駆け寄って、その寝顔を覗き込む。
眠っているその表情がそれほど苦しげではないことに、オセロトルは安心したらしかった。小さく唸って、起こさないようにしながらその頬に鼻先を擦り付けて、それから少年神の傍に踞る。
守るようにぴったりと少年神に寄り添うその姿に、そんな場合ではないと知りながらも笑みが浮かびそうになる。オセロトルと転げ回って笑っていた少年神の笑顔が、また脳裏で煌めいた。
このオセロトルが傍についていれば、少年神は安心して眠れるだろう。自分が少しのあいだ家を空けても、オセロトルが少年神を見守るだろう。そう安心して、ケツァルコアトルは立ち上がった。不思議そうに見上げるオセロトルに話しかける。
「薬草と着替えを貰いに行ってくる。彼を頼むよ」
当然だと言うように、オセロトルはぐるぐると唸る。頷きを返して、ケツァルコアトルは家を出た。
◯プチ解説
・ショロトル神「対の神」
この神については大幅に独自解釈していますので、神話上はこんなオラついた神様ではないです。元々の神話では、どちらかというと気弱で大人しい印象を私は受けました。
ショロトル神はケツァルコアトル神の「相棒的存在(=仲は悪くない)」「化身(=同一人物)」など諸説ある神様ですが、このシリーズでは「とても不仲」という方向性で書いています。
姿が「犬の頭に人間の体」という説や、臆病で卑屈なところのある性格が連想される神話「他の神々によって生贄に捧げられそうになって逃げ回った」もありますが、どれも諸説あるようなので独自解釈しています。なお後者の神話は、「ショロトル神も他の神々と一緒になって生贄を捧げる側で、生贄になる側ではない」バージョンの話もあります。
また「ケツァルコアトル神が明けの明星、ショロトル神が宵の明星」という説もありますが、このシリーズでは「明けの明星も宵の明星も、どちらもケツァルコアトル神の星」の説を踏襲しています。
トラロックをはじめとする雨の神々「トラロケ」の一族が気紛れに雨を降らせたくなれば、ケツァルコアトルも同道して雲の通り道を風で掃き清めてやらなくてはならない。だが今は雲を作る遊びにあまり心を惹かれていないらしいその神々はてんでばらばらに、妻である女神に贈る貴重で美しい石を探しに行ったり、山に住む小さな眷属たちの様子を見に行ったりしている。彼らがまた気を変えるまでには、またケツァルコアトルを呼び出すまでには、もうしばらくかかるだろう。
また風向きを変えてみたとき、ふっと甘い香りが運ばれてきた。これは何の花だったろうと考えながら、顔を向けてみる。
群れるようにして咲いている白い「骨の花」が、強い甘い香りを漂わせていた。歩み寄って眺めてみる。
きっぱりした鋭い形の葉に抱きこまれている茎はすんなりと伸びていて、すらりと立つ細身の姿を思い起こさせる。つい頭に浮かんだのは、オセロトルと戯れていたあの少年神だった。
あの少年神は、今頃何をして遊んでいるだろう。またオセロトルと転げ回っているのだろうか、違う遊びをしているだろうか。オセロトルは泳ぎも木登りもできる獣だから、あの少年神について回っていろんな遊びをしているのだろう。
きらきらする笑顔を思い出して、また心臓が揺れる。思わず胸を押さえながら、つい溜息が漏れた。
息急き切って駆けてくる気配に、振り返った。凄まじい速さでこちらに向かってくる大きな姿に、思わず武器を構えそうになる。だが、すんでのところで気付いた。
あの時の、少年神と戯れていたオセロトルに間違いない。その獣が、少年神の姿もないのにこちらへ走ってくる。
「どうした?」
近くまで来たそのオセロトルに思わず尋ねたが、物言わぬ獣は返事ができない。背中を大きく上下させて荒く呼吸しながら、オセロトルは必死な目で見上げてきた。
怪訝に思ってその姿を改めて見直して、気付く。美しいその毛皮はところどころが裂けて、血を流している。よく見れば、殴られでもして痛めたように動きもぎこちない。
「怪我をしているのか?」
傷を確かめようと手を伸ばしたが、オセロトルは嫌がった。ぐるぐると唸って、縋るような目をして、何かを必死で訴えている。だが、ケツァルコアトルには分からない。
あの少年神がいれば、オセロトルの伝えたがっていることを教えてくれるのだろうか。そう考えた時に、やっと気付いた。ぞっと背筋が寒くなる。
「彼に、何かあったのか?」
尋ねると、オセロトルは少し違う声で唸った。そうだ、その通りなんだ、と言いたげなその声。やはりそうかと思いながら、幾つも幾つも浮かび上がる悪い予想を払いのける。それでも、胸騒ぎは止められない。
「案内してくれ」
乞うまでもなく、オセロトルは着いて来いと言いたげに装束を引っ張ろうとしていた。ケツァルコアトルがオセロトルの来た方へと先に歩き始めると、獣もすぐに早足で追い越していく。逸る気持ちのまま走り出すと、オセロトルもそれに合わせた速さで駆け出した。
オセロトルに導かれるままに野を駆けて、見えてきたのは一軒の家だった。今は他の神々の住まいにもっと近いところで暮らしている神が以前使っていた、今は誰も使っていないはずの、その家。
それが見えてくると、オセロトルは悲しみと怒りが混ざり合ったような声で激しく唸りだした。それを宥めてやることも思いつかず、一層足を早める。
焦る気持ちのままに、無意識に風を呼んでいたのかもしれない。風向きが変わり、その家の方から弱い風が吹いてきた。
風が運んできたのは、淫らで不快な気配だった。かなり強く作られたオクトリの香りも、得体の知れない魔術に使う薬草の香りも、そこに混じっている。ますます強くなる予感を振り払いながら、ケツァルコアトルはその家へと駆けつけた。
戸板は壊されたのか元々取り外されていたのか、入り口はぽっかりと虚ろに口を開けている。声を掛ける間も惜しんで、その中へと飛び込んだ。
「っ!」
「何をしている!?」
驚いて立ち上がる、暗がりの中の神々を怒鳴りつける。思わずといった様子で武器に手を伸ばしかけていた神々は、こちらを認めると息を吐いた。
「何だ、ケツァルコアトルか」
「何をしているのかと、聞いているんだ」
つい強い調子で詰問しながら、薄闇の中を見回す。そして、それを見てしまった。
床に組み伏せられて、白濁と吐瀉物に塗れて、暗く虚ろな目をして、ぐったりと揺さぶられているのは。その、骨の花の茎にも似たすんなりした体は、愛らしいとさえ呼べる顔立ちは。
「っ、」
思わず呼びかけそうになって、名前さえ知らないことを思い出す。ナマエって何と尋ねてきたあの澄んだ声が、耳の奥で反響する。怪訝な顔で着ている装束を引っ張っていたその細い指は力無く床に投げ出され、土埃に汚れている。
『それ、僕もいま持ってるもの?』
「もうやめるんだ」
暗く激しい怒りを努めて押し殺しながらも、声が低くなるのは抑えきれない。神々の何柱かは気圧されたように息を飲んだが、平然としている者もいた。
「何だ。お前もヤりたいか?」
卑猥な揶揄になど構わず、つかつかと歩み寄った。仕方なさげに少年神から離れる神を押しのけ、傍に膝をつく。
大丈夫か、などと問える状態でさえない。何も言えずに、汚れているその顔を拭ってやった。横からオセロトルも顔を出して、悲しい声で鳴きながら少年神の汚れた頬を舐める。
虚ろな目に、僅かに光が揺れた。ゆるりと動いた目がオセロトルに向けられて、安堵に似た微かな色を宿す。そして、その目が閉じられた。
気を失った少年神の顔を簡単に綺麗にしてから、肩と背中を覆う装束を脱いだ。それで少年神を包み込んで抱き上げる。華奢なその体は、ぞっとするほど軽かった。
「何だ、やっぱりその気なんじゃないか」
「いいから、退け」
尚も卑猥な揶揄を投げかけてくる神を、怒りを隠さずに睨みつける。ケツァルコアトルの怒りの激しさにやっと気づいたらしいその神は一瞬息を飲み、それから虚勢を張るように笑った。
何か品のない言葉をまだ探している神になど構わず、さっさと外へ向かう。入り口をくぐろうとした時、背中に当てつけのような言葉が投げ掛けられた。
「まあいいさ。3回か4回はマワしたからな」
思わず足を止めそうになったが、堪えて足を進める。もう何も聞かず、振り返らず、その場を後にする。
この場にいる神々を皆殺しにしてやりたいと、切り刻んで引き裂いて荒野に撒き捨ててやりたいと。そんな暗く激しい憎悪を散らして消そうとしながら、少年神を抱いて歩いていく。横にぴったりと並んでついてくるオセロトルは、悲しい声で鳴きながら少年神を見つめていた。
ひとまずと、少年神を自分の家に運び入れた。寝床にそっと下ろして、細い体を包んでいる装束を少し直す。そうしながら、少年神自身の装束を持ってこなかったことに気付いた。
だがあの下劣な神々になど今は会いたくないし、何よりこの少年神を放ってはおけない。後で調達しようと考えながら、部屋の隅の水瓶から水を汲むために立ち上がった。
水を汲んで振り返ると、足音も立てずに少年神の傍に寄って座り込んでいたオセロトルが目に入る。とても悲しそうな目をしているオセロトルは、けれど少年神を休ませたいという配慮からか声も立てずに、悄然として少年神に寄り添っていた。
水と布を手にして、少年神の傍に戻る。そして、オセロトルが嫌がらないかと案じながら装束をそっと脱がせ始めた。
オセロトルはやはりぐるぐると機嫌の悪い声を立てたが、それが必要なことだとは分かっているらしい。ケツァルコアトルが少年神の体を丁寧に拭き清めるのを、邪魔立てせずに見守った。
細い体にこびり付いていた汚れと穢れを拭き取って、持っていたくもない汚れた布を部屋の隅に投げ捨てる。別な装束を取り出して、大きすぎる布で少年神の細い細い体を包み直す。その時になってやっと、オセロトルも怪我をしていることを思い出した。
「君も、川で傷を洗っておいで。彼の傍には、私がついているから」
悲しそうに少年神の傍に座り込んでいるオセロトルに話しかけると、獣は不安そうに顔を上げた。迷うように少年神とケツァルコアトルを見比べて、それから渋々といった様子で立ち上がる。
オセロトルが足を引きずりながら出ていくのを見送って、ケツァルコアトルは少年神の傍で座り直した。胸のどこかに穴が空いたような、二度と取り戻せない何かを失ったような、そんな空虚な気分がしていた。何もかもが虚しいような思いを抱えながら、まだ目覚めない少年神をじっと見守る。
苦しげな寝顔に、胸が痛む。思わず目を閉じると、あのきらきらした笑顔が朧に浮かんだ。
「……ぅ、」
微かな声に、はっとして目を開ける。顔を覗き込むのと、少年神がゆっくりと目を開けるのは同時だった。
まだ覚めきっていない、ぼんやりした瞳。ゆるゆると動く両眼はきっとあのオセロトルを探しているのだろうが、傷を洗いに行った獣はまだ戻らない。送り出したことを悔やみながら、できる限り静かな声で話しかけた。
「目が覚めたかい?」
囁くように尋ねると、少年神はゆっくりとこちらに目を向けた。何も言わず、ぼんやりと見返してくる。
まだ理解の追いついていない、ぼやけた瞳。ゆっくりと瞬きをした少年神は、何も言わないまま身じろいだ。
少年神が力無く身を起こそうとするので、手を伸ばし抱き起こす。だが怯えるように少年神の体が竦むのを感じて、体があまり触れ合わないようにして抱き直した。
「水を飲んだ方がいい」
言い含めながら、近くに置いていた小さな椀に手を伸ばす。だがそれを唇に当てても、少年神は嫌がった。弱々しく顔を背けようとする。
けれど、飲ませないわけにはいかない。少年神の細い体は不自然な熱を帯びていて、その吐息からはオクトリの匂いがする。オクトリを、それももしかすると不吉な薬草が混ぜ込まれていたかもしれないものを、意識が朦朧とするほどに飲まされたのだろう。早くそれを水で薄めてやらなければならない。
「飲みなさい」
諭して、少し椀を傾ける。唇に冷たい水が触れると、嫌がっていた少年神も喉の渇きを感じたらしかった。薄く唇が開くので、水を流し込んでやる。
ゆっくりと椀を傾けてやりながら、ごくごくと貪るように飲み干していく少年神を見守る。飲みきれなかった一筋の水が薄い唇の端を流れ落ち、装束に滴って染み込んだ。
水を飲み終えた少年神は、ほうっと息を吐いた。少しは意識がはっきりしてきたらしい、だがまだぼんやりとしている目で、また見上げてくる。空になった椀を近くの床に置き、ケツァルコアトルは少年神の額に掌で触れた。
しっとりと汗ばんでいる感触とその熱を確かめながら、もっと水を飲ませるべきかと考える。少年神は自分よりも冷たい手の感触が心地良く感じるのか、僅かに目を細めて息を吐いた。
はぁ、と漏れる吐息は妙に色めいていて、艶かしくて。生まれるべきではない悍ましい劣情が、体の奥底で生まれてしまいそうになる。そのことに気付いて、ケツァルコアトルは激しく動揺した。
違う、自分はそんな下劣な欲望をこの少年神に抱いたりしない。この少年神を傷付けたり貶めたりしたいなどとは思っていない。何かの間違いだ、気の迷いだ。そう自分に言い聞かせながら、何でもなさそうな態度を努めて取り繕った。
「気分は?」
「……あつ、い、」
尋ねると、朦朧とした声が答える。返事ができるほどには意識がはっきりしたらしいことにほっとしながらも、その返答が気にかかった。
怖がらせないように気を付けながら、今度は首筋に触れてみる。額に触れた時にも感じた熱っぽさと同時に、かなり速い脈が感じられた。
「休めば良くなるよ。もう一度眠るといい」
諭しながら、もう一度寝かせてやろうとする。だが、少年神はもどかしげに首を振った。
「ゃだ、あつい、苦、し、」
譫言のように訴えながら、苦しげに少年神が身をよじる。その拍子に華奢な体を包んでいた装束が少し解けて、すんなりとした脚の付け根までが露わになる。慌てて直してやろうとして、目を奪われた。
未発達なその器官が、首をもたげて蜜を溢している。切なげに震えて、解放を待ち侘びている。食い入るように見つめてしまってから、慌てて目を背けた。もう見ないようにしながら、装束の裾を直してやる。
淫らな魔酒が、まだ抜けきっていないのか。きっと自慰という行為さえ知らなかったこの少年神は、明らかに淫らな熱に体を支配されていた。
その体をもう一度抱き直して、はっと気付いた。先ほどまでよりも、少年神の呼吸が、表情が、苦しげになり始めている。装束越しに伝わる体温も、少しずつ上がり始めている気がした。
かたかたと震える体。苦しげで熱を帯びた呼吸。篭る熱を吐き出させてやらなければ、夢のない眠りに逃げ込むことさえできないだろう。
仕方がない。迷いを振り捨てて、覚悟を決めて。ケツァルコアトルは、少年神の脚の間に手を伸ばした。
細い細い体を包んでいる装束の中に手を入れて、熱を籠らせている場所を緩く握り込む。予想した通り、少年神はひっと息を飲んで身を強張らせた。
「ゃ、やだ、嫌、」
先ほどの悪夢が蘇ったのか、恐怖を瞳に満たして。かたかたと体を震わせながら、少年神は嫌がって逃れようとする。
罪悪感に耐えながら抱き直して、目を覗き込んだ。怯えきった瞳に言い聞かせる。
「すぐに済むから」
諭しても、少年神は聞き入れない。ぃや、やだ、とぐずるように訴え、力無く身をよじる。
だが、放っておくこともできない。そうしなければ苦しいのはこの少年神自身だ。嫌がられても、恨まれようとも、しなければならないことだ。
そう自分に言い聞かせ、手を動かし始めた。少年神が短い悲鳴を上げ、一層ひどく、だがまだ力無く、暴れ始める。
「や、ゃだ、やめて、」
「大丈夫だから。少し我慢して」
目に涙を浮かべて、涙に濡れた声で、少年神が懇願する。自分も泣き出してしまいたいような思いを感じながら、ケツァルコアトルは言い聞かせることしかできなかった。
やだ、嫌だ、やめて、離して。泣き出してしまった少年神に訴えられても、やめるわけにはいかない。これ以上怖がらせないようにと努めて穏やかで静かな声で囁きかけながら、容赦無くその熱を追い立てることしかできない。
怯え嫌がる少年神の様子とは裏腹に、刺激を欲しがっていたその器官は悦んで震えた。ケツァルコアトルの手の中で勃ち上がり、硬く張り詰め、とろとろと溢れる蜜でその手を汚した。淫らなその香りがどこか甘く思えて、ケツァルコアトルの熱までも首をもたげそうになって、慌てて意識を逸らす。
幼子のように泣きじゃくり、弱々しく身をよじる、怯えきった少年神。宥めながら手を動かし、少しでも早く上り詰めさせようと尽力した。
少年神の忙しない呼吸が、徐々に切れ切れなものになっていく。限界に近付いていくのが分かる。少年神の呼吸を図りながら、熱の先端にごく軽く爪を食い込ませた。
「っ、ーーーーーーーーー!」
声にならない悲鳴を上げた少年神が、がくがくと体を震わせながら欲を吐き出した。吹き出すその熱い液体が、ケツァルコアトルの手に降り注ぎ、その手を伝い落ち滴り落ちる。内側から少年神の精を浴びた装束が、濡れて色を変えていく。
甘く淫らな香りが一層強く立ち込めて、欲を刺激されそうになって。ケツァルコアトルは我知らず、少年神を抱いている腕に力を込めていた。すっかり脱げかけていた装束からはみ出している少年神の裸の肩が、ケツァルコアトルの胸に押し付けられる。それを感じ取る余裕も、少年神には無いらしかった。
「大丈夫か?」
囁くような問い掛けも、届いていないのだろう。虚ろな目をして荒い呼吸を繰り返す少年神は、答えない。その艶めいた吐息にまた自分の欲が蠢きそうになって、慌てて意識を逸らす。
今度こそ寝かしつけて、休ませてやらなければ。また体も拭いてやって、新しい装束で包んでやって、眠らせなければ。そう考えながら少年神を抱き直した時、気付いてしまった。
手の中のそれはまだ芯をもって、熱を帯びて、震えている。少年神の落ち着き始めている呼吸には、まだ熱っぽさが色濃く残っている。少年神を蝕む毒は、明らかにまだ彼を苦しめていた。
迷っても、他にどうしようもないのは分かっていた。覚悟を決めて、短く息を吸って、ケツァルコアトルはまた手を動かし始めた。
幾度か達させてやっても、なかなか少年神を蝕む淫らな毒酒は抜けないらしかった。まだ熱と硬さを失わないそれを、丁寧に刺激し続けることしかできない。
諦めたのか、少年神ももう何も言わずにケツァルコアトルの腕に体を預けている。耐えるようにきゅっと目を閉じ、小さく体を震わせながら、泣き言も言わずに耐えている。
憐れみが胸を満たして、その額に口付けて慰めてやりたいような気がして。けれどまた怖がらせてしまいそうで、それさえできない。ケツァルコアトル自身も淫らで甘い精の匂いに、少年神の熱っぽい吐息に、邪な思いが芽生えてしまわないように自分を律するのがやっとだった。
だから、だろうか。その気配に気付くのが、遅れてしまったのは。
「よお、邪魔するぞ」
場違いに軽やかな声とともに、許しも得ずに家に踏み込んでくる者がいた。覚えのありすぎるその声にはっとして、少年神を一層強く抱き寄せる。少年神も闖入者に怯えて息を飲み、細い体を強張らせるのが分かった。
よりにもよって、どうして、今。あまりの間の悪さを呪いながら、ケツァルコアトルもその神に顔を向ける。
邪悪で凶暴なその気配は、ケツァルコアトルと対である、彼と同時に生まれた神。ショロトル「対の神」と呼ばれるその男神は、異形と不幸の神として神々の国でも避けられている存在だった。
その禍々しい手が気紛れに触れた獣は、いびつに歪んで立つこともできない脚や、一つしかない大きな目玉や、そうした異様な姿をした仔を産み落とす。そうした憐れな仔らは親に疎まれ、生まれ落ちたその場で噛み殺されてしまうのが常だった。
二者が同時に生まれること自体が、不自然でいびつなこととしてひどく嫌われている。ショロトルと同時に生まれ落ちてしまった自分もまた、何かを誤っていればこの邪悪な兄弟神のように嫌われ疎まれていたのだ。自分は正しい道を歩み続けなければ、この残忍な神と同じ場所まで堕ちていくのだ。この兄弟神と顔を合わせその事実を思い出すたびに、ケツァルコアトルは恥ずかしさといたたまれなさに胸を焼かれるような思いがした。
近寄るなと警告する前に、出て行けと怒鳴りつける前に。ぎらぎらと荒々しく光る眼をしているその神は何かを言いかけて、ケツァルコアトルの腕の中の少年神に目を留めた。慌ててその凶暴な視線から少年神の顔を隠させようとするが、既に遅かった。
「何だ。いつの間に好みが変わったんだ?」
下世話な笑みを浮かべ、ショロトルがずかずかと無遠慮に歩み寄ってくる。胸に抱き込んだ少年神が、怯えて身を強張らせるのが分かった。震える細い指が、胸に縋り付いてくる。
先程の悪夢のまだ爪跡も生々しい記憶が蘇ったのか、怯え切って縋り付いてくる細い指先。その体を抱いて立ち上がろうとしたが、それより早くショロトルが傍に立った。
「雄のガキなんて珍しいな。見せろよ」
言うが早いか、ショロトルの無遠慮な手が伸ばされる。はっと体を引く前に、その手は顔を背けようとする少年神の髪を掴んだ。小さな悲鳴を上げる少年神の顔をねじ向けさせ、涙でべとべとの顔を覗き込む。
「ゃ、」
「ふうん。まあ悪くないカオだな」
値踏みするようにまじまじと少年神を眺めたショロトルは、その愛らしい顔立ちや怯えに見開かれている瞳を口先以上に気に入ったらしかった。舌舐めずりでもせんばかりに笑ったショロトルが、その不吉な手が、少年神の瞬きも忘れた目の際をなぞり始める。ケツァルコアトルもはっと我に返って、慌ててその手を払い落とした。
「彼に触るんじゃない。早く出て行け」
強い口調で咎めても、ショロトルは気にした様子もない。愉快そうにくくっと笑ったその神は、はたき落とされた手をひらひらさせて笑った。
「何だ、嫉妬深いな」
明らかに面白がっている声で笑いながら、ショロトルは出て行くどころかその場に腰を下ろした。怯え切って乱入者から目を離すこともできずにいる少年神を品定めするようにまた眺め渡し、かろうじて絡みついているだけの装束からはみ出しているすらりとした手足を視線で舐め回して、また笑い声を上げる。
「気に入った。俺にも貸せよ」
恐ろしさに声も出ないらしい少年神へとショロトルの手が伸ばされ、その滑らかな肌を無遠慮に暴こうとする。咄嗟にその邪な手を払い除けた。
「触るなと言っているだろう」
「ケチケチすんなよ」
悪びれもせずにまた伸ばされる手から少年神を守るように、抱き直してショロトルから遠ざけた。邪悪な兄弟神を強く睨みつける。
自分への不名誉な誤解を解くのは、後でいい。今はこの邪悪な兄弟神を、深く傷付けられたばかりの少年神から遠ざけなくては。
「今は出て行け。頼むから」
出て行かないならば力尽くで追い出してやると、警告を込めて風を唸らせる。それを聞き取ったショロトルは、大げさに呆れたような顔をした。
「何だ。随分ご執心だな、そんな貧相なガキに」
「何度も言わせるな、早く出て行け」
語調を強めて繰り返すと、仕方なさそうにショロトルは立ち上がった。特に未練もなさそうにすたすたと家を出て行こうとする。だが戸口で急に立ち止まり、怯えた目でその姿を追っている少年神を見て、にやっと笑った。
「俺の兄弟神に飽きたら、言えよ。いつでも遊んでやるよ」
業を煮やしたケツァルコアトルに怒鳴りつけられる前に、ショロトルはするりと家を出て行った。それを見届けて、ほっと息を吐く。少しだけ体の力を緩めた少年神を抱き直して、その顔を覗き込んだ。
まだ怯えを残している、不安げな瞳。深く美しいその両眼に吸い込まれそうな錯覚を覚えながら、努めて穏やかな声で言い聞かせた。
「目を閉じているんだ。悪い夢は、もうすぐ終わるから」
少年神を蝕んでいた淫らな毒も、だいぶ薄まっているのが分かる。 あと一度達させてやれば、眠りに落ちていくだろう。夢のない、慈悲深い暗闇の底で、少年神は傷付けられた心と身体を休めることができるだろう。早く、そうさせてやらなければ。
自分でも、それが必要だと分かっているのだろう。ぎこちなく頷いた少年神が、おずおずと目を閉じる。その額にそっと口付けてやってから、また手を動かし始めた。
びくりと身体を震わせた少年神が、耐えるようにケツァルコアトルの着ている装束を握りしめる。宥めるように何度もその額に口付けながら、ケツァルコアトルは容赦無く少年神を追い上げた。
「ぁ、……あ、ぁ、」
少年神が漏らす微かな喘ぎに、また体の芯で欲が蠢きそうになる。努めてその声を聞かないように意識しながら、ケツァルコアトルは少年神の中心にごく軽く爪を立てた。
「っ、ぁ、ーーーーーーーーー!」
掠れる悲鳴を上げた少年神が、身を震わせて精を吐き出す。甘く淫らな気配が部屋に充満する。首をもたげそうになる欲から気をそらすために、ケツァルコアトルは歯を食いしばった。
気絶するように、少年神は眠りに落ちて行った。
オセロトルが戻ってきたのは、少年神の体を清めてやり、新しい装束に包み込んで寝かせてやったちょうどその時だった。
淫らな匂いの残滓かショロトルの残した知らない匂いかが気に障ったらしいオセロトルは抗議するように低く唸ったが、それよりも少年神のことが気がかりで堪らないらしい。まだ足を引きずりながら小走りに少年神に駆け寄って、その寝顔を覗き込む。
眠っているその表情がそれほど苦しげではないことに、オセロトルは安心したらしかった。小さく唸って、起こさないようにしながらその頬に鼻先を擦り付けて、それから少年神の傍に踞る。
守るようにぴったりと少年神に寄り添うその姿に、そんな場合ではないと知りながらも笑みが浮かびそうになる。オセロトルと転げ回って笑っていた少年神の笑顔が、また脳裏で煌めいた。
このオセロトルが傍についていれば、少年神は安心して眠れるだろう。自分が少しのあいだ家を空けても、オセロトルが少年神を見守るだろう。そう安心して、ケツァルコアトルは立ち上がった。不思議そうに見上げるオセロトルに話しかける。
「薬草と着替えを貰いに行ってくる。彼を頼むよ」
当然だと言うように、オセロトルはぐるぐると唸る。頷きを返して、ケツァルコアトルは家を出た。
◯プチ解説
・ショロトル神「対の神」
この神については大幅に独自解釈していますので、神話上はこんなオラついた神様ではないです。元々の神話では、どちらかというと気弱で大人しい印象を私は受けました。
ショロトル神はケツァルコアトル神の「相棒的存在(=仲は悪くない)」「化身(=同一人物)」など諸説ある神様ですが、このシリーズでは「とても不仲」という方向性で書いています。
姿が「犬の頭に人間の体」という説や、臆病で卑屈なところのある性格が連想される神話「他の神々によって生贄に捧げられそうになって逃げ回った」もありますが、どれも諸説あるようなので独自解釈しています。なお後者の神話は、「ショロトル神も他の神々と一緒になって生贄を捧げる側で、生贄になる側ではない」バージョンの話もあります。
また「ケツァルコアトル神が明けの明星、ショロトル神が宵の明星」という説もありますが、このシリーズでは「明けの明星も宵の明星も、どちらもケツァルコアトル神の星」の説を踏襲しています。
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