蛇と鏡の誰そ彼刻

水笛流羽(みずぶえ・るう)

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神々は骨の花を踏む

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 他の神々が森と呼んでいるらしい樹がたくさんある馴染んだ場所を出て、野原を通り抜けて。このまま神々が住んでいる場所に行くのかなと思ったけれど、馴れ馴れしく話し続けているその神は少し方向を変えた。
 覚えのある甘い香りがしたので、顔を向ける。固まって咲いているその香りの強い白い花のことが気になって、だらだらと喋り続けている神に尋ねた。
「ねえ、あの花、なんてナマエ?」
「骨の花のことか?」
 知らないから聞いているのに、それがそういうナマエかなんて分かるわけがない。少し嫌な気分になったが、黙ってまた「骨の花」を見た。その傍を通り過ぎながら、帰りにもっとよく見ようと考える。
 やがて見えてきたのは、他の神達は眠るときに使っているという「イエ」だった。周りに同じようなイエはなくて、それがぽつんと立っている。そしてその前で、神達が待っていた。
 思っていたより多くの神達がいるので、思わず立ち止まろうとする。けれど背中を押されているので、また足を踏み出して近付いていくしかない。
 知っている神もいる。知らない神もいる。けれど、シンパイしてくれたあの神は居ない。がっかりして、やっぱり帰ると言ってやろうかと思って。けれどその前にイエの前に着いてしまって、待っていた神達の前に押し出されてしまった。
「やあ、来たな」
「私とは初めてだね」
「……こんにちは」
 口々に話しかけてきてナマエらしいものを言ったりしている神達は、やっぱり馴れ馴れしく触ったり、あの嫌な目で見たりしてくる。嫌になって背中を向けようとしたが、その前に腕を掴まれてしまった。
「何だよ、放してよ」
「せっかく遠くから来てくれたんだ、ゆっくりしていくだろう?」
 あまり強くない力で腕を掴んでいるその神は、優しそうな声で言う。その顔はそんなに嫌な笑い方をしていなくて、あのシンパイしてくれた神にちょっと似ているようにも思える。だから、仕方なく頷いた。
 嬉しそうにまた笑ったその神に腕を取られたまま、一緒にイエのすぐ近くへ連れていかれる。けれどその中に入る前に、その神が少し困ったような顔でこっちを見た。
「彼には狭いと思うよ。外で待ってもらうといい」
 目で示されて、一緒に中に入ろうとしていたそいつとイエを見比べる。薄暗いイエの中は、確かにあまり広くない。そいつには窮屈なのかもしれない。
 だから、ぴったり傍にくっついているそいつに目を戻した。不安がってぐるると唸るそいつに、言い聞かせる。
「ここで待ってて」

 イエの中は、外から見た時に思ったよりも狭かった。他の神々もみんな入ってきて輪を描くように座ると、お互いに腕や肩が少し触ってしまう。気持ち悪いな、早く外に出たいな、と思っていると、大きい果物を半分に割って中をくり抜いたような形のものを渡された。中には変な匂いのする、濁った水が入っている。
「何、これ」
「オクトリだよ。飲んだことはないかな?」
「ないよ」
 優しい声のその神がオクトリと呼んだそれは、嗅いでいると頭がくらくらするような不思議な匂いをさせていた。こんな変なものより水の方がずっといいと思ったけれど、他の神達は澄ました顔でそれを飲んでいる。仕方がないので、平気な顔をしながら口をつけた。
 飲んだことのない味のするそれを我慢して飲み込む。体がふわっと熱くなった。
「口に合うかな?」
「変な味」
 思った通りに言うと、神達がどっと笑った。嫌な感じのするその声にむっとしていると、そのうちの一柱がにやにやと顔を覗き込んでくる。
「生まれたばかりの神には、まだ早いか」
 馬鹿にしたようなその言い方に、またむっとする。思わず言い返した。
「僕は『生まれたばかり』なんかじゃないよ」
 この神達がいつ生まれたのかは知らないけれど、自分だってずっとずっと前に生まれているのだ。ずっとあの森で、今だけは外で待っているあいつと暮らしているのだ。今までも、これからも。
 思い出した途端に、あいつに会いたくて堪らなくなる。だから立ち上がりそうになったけれど、その前にまたオクトリを押し付けるようにして渡された。押し返す前に、まだ馬鹿にしている声が掛けられる。
「なら、もっと飲めるだろう?」
 何だか騙されたような気がしたけれど、仕方なく受け取った。今度は味も気にしないようにしながら、ぐいっと飲みほす。また、ぽうっと体が熱くなった。

 立ち上がろうとするたびにまたオクトリを押し付けられて、飲まないと馬鹿にされそうだったから飲まないことができなくて。もう何回、それを飲んだんだろう。
 体が熱くて、走ってもいないのに少し汗を掻いているのが分かる。頭がぼうっとする。何か考えないといけないことがある筈なのに、何も考えられない。
「暑いかな?」
「ん」
 隣に座っている優しい声の神に尋ねられて、素直に頷いた。オクトリを飲むと体が温まるからねと言いながら、その神は確かめるようにおでこや頰を触ってきた。そんなところを触られるのは慣れていないから、少しびっくりする。
「やはり体が熱くなっているようだね」
 心配したような声で言いながら、その神は何か他のことを考えている気がした。何だろうと思っていると、その手が勝手に装束を緩め始める。驚いて振り払う前に、また優しく言い聞かせられた。
「暑いなら、脱いだほうがいいかもしれないよ」
 言われた言葉を、回らない頭で少し考える。確かに、装束を着たままでは暑いかもしれない。だから自分で結び目を解いて、飾りも外して、肩から落とした。
 腰衣だけになって坐り直すと、確かに少し涼しくなった。けれど体の中から生まれている熱はなかなか無くならなくて、やっぱり暑いなあと思う。
 外に出て風を浴びたいなと思って、立ち上がろうとして。けれどその前に優しい声にまた話しかけられて、また立ち上がれなくなってしまった。

 また少しオクトリを渡されて飲んで、体が熱くて、何も考えられなくて。半分眠っているような気分でいた時、やっとそれに気づいた。
 馴れ馴れしい手に、肩や背中を撫で回されている。気持ち悪くて払い落とそうとしたのに、その前に腰を抱いて引き寄せられてしまった。その神の胸にすっぽりと抱きこまれてしまう。べったりと体と体が触れ合って、とても気持ちが悪い。
「なに、やだよ、」
「肌が綺麗だね」
 優しそうな声で言いながら、その神の手はまだ腕や肩を撫でている。気持ち悪くて体をよじると、その神は喉の奥で笑った。その声が馬鹿にしている感じではないから、あんまり優しい声だから、つい動くのをやめてしまった。
 顎に手が添えられて、顔を上げさせられる。訳が分からないままぼんやりと見上げると、顔を覗き込まれた。じっと見つめてくるその目つきはあの嫌な感じではないけれど、やっぱり気分は良くない。
「なに」
「綺麗な顔をしている。君は綺麗だね」
 手を振り払う前に、大きな手で頰を包み込むようにされた。親指で唇をなぞられる。優しい声で言いながら、その神はなかなか離してくれない。薄暗いイエの中で、その目は変な風に光って見えた。
 けれど褒められているのは分かったから、振り払って座りなおすのも悪い気がした。けれどやっぱり気分の良いことではなくて、早く放してほしいなと思う。なのに、横からまた声がかかった。
「何だ、独り占めか?」
 嫌な笑い声と共に、また違う手が伸びてきてそちらに顔を向けさせられる。嫌な笑い方をしているその神はあの嫌な目つきをしていて、その目はやはり変な風に光っていて。嫌だなと思って、今度はちゃんとその手を振り払った。
「何だよ、そいつならいいのか?」
「はは、君は嫌われてしまったみたいだね」
 そんなには機嫌を損ねていない声と、優しそうな声。けれど、その優しいふりをしている声が本当は優しくないことに、やっと気づき始めていた。
 優しそうな声のこの神は、馬鹿にしたような笑い方はしない。嫌な目つきで舐め回すように見たりもしない。けれどその手はやっぱり他の神達と同じように馴れ馴れしく触ってくるし、その優しそうな声で騙そうとしている。この神は、信じていい相手じゃない。
 だから今度こそ立ち上がろうとした。なのに、優しいけれど強い力でまた引き寄せられてしまう。振り解こうとしても、その力は緩まない。
「なん、だよ。はなしてよ」
「私達は、君と仲良くなりたいんだよ」
 こちらの言うことにも耳を貸さないで優しそうな声を出すその神は、やっぱり優しくなんてない。だから何とかして立ち上がろうとした、その時だった。
 神達が何も言わずに、目を見交わして頷きあうのが見えた。何だろうと、思う暇もなかった。
 優しいふりをしていた神以外の神達が、不意に揃って立ち上がってこっちにやってきた。背の高いその神達に見下ろされて、その目はとても嫌な感じで、ぞくっとしてしまう。
「なん……っ!」
 何だよと、尋ねる前に。その神達の手が、こちらに伸ばされた。

 大きな手に口を塞がれて、声も出せない。しっかりと押さえられていて逃げることもできない。毟り取るように腰衣を剥ぎ取っていく手。あっという間に丸裸にされてしまった。
 何のつもりだよ、放せよ。怒鳴ってやりたいのに言えなくて、言葉にならない唸るような声を出すのがやっとだった。
 体をべたべた撫で回されて、ひたすらに気持ちが悪い。誰にも触らせたりしない場所までもを無遠慮に探り回る手。恥ずかしさと怒りに、かっと顔が熱くなる。
 嫌だ、触るな、放せ。怒鳴りたい言葉が胸の中で暴れ回っている。出ていけない言葉は胸の中でわんわんと反響して、膨れ上がる。
 地面に仰向けに押し付けられて、脚を開かされて、脚の間に誰か神が割り入ってくる。熱くてぬるぬるしているものが押し付けられて、その気持ち悪さにぞわっとした。
 嫌だ。必死でその嫌なものから逃れようとするのに、押さえつける手は緩まない。擦り付けられているその嫌なものの感触に、涙が出そうになった。
 その時とても大きな音がして、イエの中が少し明るくなった。激しい唸り声、神達の悲鳴。そしてやっと体が自由になった。
 ぜいぜいと息をしながら、やっと起き上がる。わけが分からないまま顔を上げた時、懐かしい金色と黒の体が煌めいた。
 神達を跳ね飛ばしながら、そいつがすぐ傍に来た。とても怒ってぎらぎらしている目がこちらを見て、ほんの少しの間だけ優しくなる。けれど他の神達を振り返った時には、また怒った目に戻っていた。
 そいつに何かを言う前に、大きな体はまた神達に飛び掛かった。神達が悲鳴を上げる。血の匂いが流れ始めていた。
 ぎゃんと悲鳴が上がって、はっとする。思わず立ち上がろうとして、手足に力が入らないことに気付いた。体が震えている。
 いつの間にか武器を手にしていた神達が、そいつを切りつけたり、殴りつけたりしている。けれど、そいつも怯まない。
 綺麗な金色の毛皮をところどころ切り裂かれて、赤い血で綺麗な毛皮を汚して。けれど大きな体は、また飛び掛かっていく。何度でも、何度でも。
 もういい、帰ろう。そう声をかけようとして、声も出なくて。震える手をそいつに伸ばそうとしたその時、そいつは殴り倒されて倒れてしまった。
「っ!」
 ひどく殴られてすぐには立ち上がれないらしいそいつを、神達が囲む。怒った顔をしているその神達が、また武器を振り上げた。
 殺せ、と。神の誰かが、吐き捨てた。 
「やめて!」
 咄嗟に叫んでいた。はっと目が覚めたような顔で、神達がこちらを見る。まだ立ち上がれないまま、必死で声を上げた。
「大人しくするから、そいつも大人しくさせるから。だから、」
 だから、そいつを殺さないで。そいつに酷いことはもうしないで。必死で訴えると、顔を見合わせた神達がまたこちらを見た。その顔には、またあの嫌な笑顔が浮かんでいる。
「なら、君のお友達に、どこかで遊んでいるように言ってくれるね?」
 優しいふりをしている声で言われて、必死でこくこくと頷いた。満足したように頷いた神達が、やっと武器を下ろす。
 ぐるる、と弱々しく唸る声。体を引きずるようにしながら、そいつが起き上がる。その金色の目が、悲しそうにこちらを見た。
 やっと動けるようになったらしいそいつは、足を引きずりながら傍にやってくる。ぐるぐると悲しい声で鳴いて、頰を舐めようとしてくる。やめさせて、顔を覗き込んだ。
 手の震えを、必死で落ち着けて。声が震えないように気をつけて。努めて何でもない声で、そいつに言い聞かせた。
「しばらく、野で遊んでいるんだ。後で、絶対、迎えに行くから」
 ほら、早く。促しても、悲しそうに鳴くそいつは動こうとしない。悲しい目をして、じっと見つめてくる。
 その首に縋り付いて泣き出してしまいたいような気がして、泣かないために唇を噛んだ。浮かんだ涙を乱暴に拭い、金色の瞳に怒鳴りつける。
「行け!」
 悪いこともしていないのに怒鳴られても、そいつは怒ったりしなかった。ただ悲しそうな目でこちらをじっと見て、それからゆっくりと体の向きを変えた。
 しょんぼりと項垂れて、そいつはとぼとぼと出ていった。重たい足取りで、尻尾を引きずるようにしながら。
 金色と黒の体がイエを出て行って、見えなくなる。それで、様子を見ていた神達はほっとしたようだった。
 ぎらぎらとした嫌な光り方をする目が、舐め回すように見てくるのを感じる。神達が近付いてこようとするので、思わず自分を抱きしめた。 
 心細い。恐い。怖い。けれど、助けてくれる者なんていない。
 またオクトリの匂いがした。さっきまで飲んでいたよりも濃いような色をしたそれを渡される。咄嗟に投げ捨てる前に、気味が悪いほど優しげな声がした。
「飲むと良い。夢見心地になれるよ」
 薄気味悪いその声に身震いしながら、恐る恐るそれに顔を近づけた。噎せ返るような、その強い匂い。嗅いでいるだけで頭がくらくらとする。
 飲みたくない、と思って。けれど、飲まなければ何をされるかわからなくて、怖くて。迷っていると、さも優しいような手つきで肩を撫でられた。
「夢に酔っている間に、すぐに済む」
 薄気味悪い声が囁く。体を撫で回す手。その気持ち悪い感触から逃げたくて。またぼうっとなって何もわからない方がましだとさえ思って。
 だから。吐き気のしそうな匂いのするそれを、煽った。

◯プチ解説
・「骨の花」
 リュウゼツラン科の花チューベローズ(月下香)をアステカの人々が呼んだ名前だそうです。和名の通り香りの強い、白い花です。
 言われてみれば骨みたいな形に見えなくもないですが、おどろおどろしい見方をしないでも、可愛いなあ綺麗だなあと思うこともできる花ですね。

・タイトル裏話
 与謝野晶子『みだれ髪』収録の短歌に「百合踏む神」という一節があるので、それをイメージしました。
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