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第7章 2000年前、悲劇

第28話 クリスティナとインフェルノ シグリードside

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 ――帝国にほど近い国境の山の麓。
 
 北部に近く雪に覆われたその場所は――春先だというのに、いまだに吹雪いていた。
 真っ白な雪の中には、黒い鎧に身を包んだ騎士達がひしめいている。
 死者の軍勢が列を成し、縦陣を組んでいた。
 先頭に立つのはクリスティナ姫。
 現在、紅蓮の髪の騎士――帝国の第一皇子として活動するインフェルノの姿はない。

「雪山の行軍だが――痛みも何も感じないお前達ならば大丈夫だろう。さあ、シルフィードへの恨みを今から果たしに行こう」
 
 クリスティナ姫は剣を高く掲げ、死者達を鼓舞した。
 おどろおどろしい雄叫びが地鳴りのように響く。
 彼らが雪山を駆け下りはじめた。
 雪が飛沫を上げる中、彼女は仄暗い瞳で軍勢を見送る。
 全軍進行した頃、クリスティナは美青年シグリードへと振り返った。
 そうして、彼女が手を差し伸べた。


「シグリード……わたくしは、絶対に許さない。わたくしを裏切った全てを、許すことは出来ない。だから、さあ……邪竜となったお前とともに……」


「…………」


 黙ったままのシグリードの手が、彼女の掌の上に乗ろうとした瞬間――。

 銀が閃いた。

 キィンと刃同士がぶつかり合う音が響く。

 彼女に刃を向けていたのは――。


「……そんな、シグリード……どうして? わたくしにどうして剣をぶつけて……?」


 クリスティナの声が上ずる。シグリードの剣を弾くと、彼女は後ろに飛び退り間合いを取った。

 白銀の美青年ははっきりと告げる。


「お前は――死んだクリスティナ姫なんかじゃない」

「シグリード、何を……? 何を言って……?」

「確かに俺はシグリードだ。だが、どんなに髪の色が変わったとしても、あいつ本人ならば俺を間違えるようなことはしないはずだ」

 シグリードがクリスティナ姫に向かって氷を放った。

「――っ……」

 彼女の足元から冷気が漂う。
 徐々に胴に向かって氷が張っていく。

「これまでのことはインフェルノの入れ知恵だろう? 残念だったな」

「そんな、確かにわたくしがクリスティナ姫で……わたくしが――私は――」

「所詮、砕けた魂を使って再現してみた存在にすぎない……俺の姫は――もう死んだ、もう還ってこない。だが――もし仮にクリスティナの生まれ変わりがいたのだとしたら――この世にティナただ一人だ」

 シグリードが低い声音を発する。
 クリスティナが顔を歪めた。


「――悪く思うな――」

 
 そうして、彼女に向かってシグリードが剣を振り下ろす。

 その時――。


「待ってください!!」



 ――雪山の中、愛らしい鈴のような声が響いた。

 振り返ったシグリードが瞠目する。
 そうして、ぽつりと呟いた。


「なんで……待ってろって言ったのに……あいつらか……」


 ザクザクと雪を踏みしだきながら現れたのは――ティナだった。
 吹雪でローズゴールドの髪は乱れているが、紫水晶の瞳はまるで炎のようだ。
 彼女の背後には、護るように魔物の群れたちが並んでいた。


「どうか――シグリード様、剣を仕舞われてください……!」


 ティナはクリスティナとシグリードの元へと駆ける。


「そのクリスティナ姫は――クリスティナ姫ではないけれど……だけど、二度も彼女を殺す苦しみをシグリード様が味わうことはなくって……!」


 だが――シグリードは首を縦には振らなかった。


「――これが――俺の役割だ」


 そうして、シグリードがクリスティナに向かって剣を振り下ろした。

 その時――。


「待て、シグリード! 砕けたものとはいえ、クリスティナ姫の魂だぞ――! 今までお前が守ってきたものだろう!?」


 ――シグリードの剣を誰かが受け止めた。

 紅蓮の髪が冷たい風になびく。

「やっと出てきやがったか、インフェルノ」

 低い声音を放つシグリードの剣を、現れたインフェルノの剣が払った。
 今度はシグリードの方が飛び退った。

「インフェルノの持つ、竜殺しの剣を誘き寄せるために、この茶番を利用させてもらったに過ぎない」

 すかさずインフェルノが剣を繰り出す。
 しばらく撃ち合いがはじまった。

「――師であり、兄であり――そうして、お前のである俺が――お前に引導を渡してやるよ、インフェルノ……」

「シグリード、やはりお前は情のない男だ! もうお前は新しい女を手に入れたから、昔の女のことなんてどうでも良いんだろう!?」

「誰もそんなこと言ってねえよ――もうクリスティナ本人が帰ってくることはないんだよ――いい加減理解しろ」

「頭では分かってるんだ! そんなこと! だけど……!」

「お前が俺になりたかったのは知っている。だから、今、わざわざ邪竜に身を堕とす前の俺の姿を模倣しているんだってことも……」

 剣戟は続く。

「だがな、どれだけ姿かたちを似せたところで、同じ人間になることはない。生まれ変わりだったとしても全く同質の存在にはなれない」

「黙れ! 黙れ! 黙れ! お前は僕を侮っているんだ。どうやったって越えられないって……――!」

「俺を超えたからって、次はどうなる? 超えるべきは俺じゃなかったはずだ――お前が、お前自身に勝たないと――あの時の闘いは意味がなかったんだ」

「お前のせいで、姫は――姫は死んでっ……――!」

「そうだ――俺が殺した――クリスティナを……だから俺のことをどれだけ恨んでも良い。だが――あいつの愛した地上の民達を巻き添えにするやり方は間違っている……」

「お前は彼女に愛されたから、そんなきれいごとが言えるんだ! お前なんか!! お前なんか!!」

 吹雪の中、剣がぶつかり合う音が響く。

「インフェルノ……てめえは勘違いしてるようだから、一言だけ言わせてもらう」

「シグリード! お前のいうことなんか――俺達家族を見捨てたお前なんか――僕は――!」

 インフェルノが剣を振り回しながら、炎を手当たり次第に打ち込み始めた。

 ――シグリードが剣に白銀の炎を纏わせた。

 
「――クリスティナが愛していたのは――本当に俺だけだと思っているのか? だったら、てめえは、まだ何も分かっちゃいねえ……!」


 シグリードが剣で相手の炎を弾く。
 そうして、そのままインフェルノに斬りかかった。


「さあ、返してもらおうか? 俺の『竜殺しの剣』を――」



 ――インフェルノの手から剣が弾け飛ぶ。
 弧を描いた後、雪山の中に刃が突き刺さる。
 瞬時にその場に移動したシグリードが、竜殺しの剣の柄を掴んだ。

「しばらくお前も――凍っておいてくれよ――って、そんな必要ねえか」


 シグリードは、膝をついて項垂れたインフェルノを一瞥する。

 その時――。

「シグリード様!」

「ティナ……」

 ティナが雪の中を駆けてくる。
 彼女はシグリードに追いつくと、はあはあと息を整えた。

「シグリード様……これからお二人を殺すおつもりですか?」

「ティナ……そのつもりだ」

「それは――が貴女にそう誓約を強いてしまったから?」

「ティナ?」

 シグリードはティナの様子を見つめた。

「貴方は――クリスティナの魂の再生と――弟と魂の浄化のために……ずっとこの機をうかがっていたのでしょう?」

 彼はひゅっと息を呑んだ。

「ティナ全部思い出したのか――?」

「はい……」

 そうして、ティナは彼をすり抜けると、クリスティナの元へと向かった。



***



 ティナはクリスティナに声をかける。

「私はシグリード様が好き。それだけで、私は生きて良いと思えるの……」

「お前は人に本当の意味で騙されたことがないんだ、だから、そんなきれいごとが言える」

「貴方のその人を疑う心。分かるって言ったら失礼かもしれないけれど……なんだか自分が思っていたことを、貴方も思っていると感じられたの……」

「お前に何が分かる!? 全てを手にいれようとしているお前に、今の私の苦しみなど、到底理解できるはずがない!!」

「貴女のことよく知っている気がする。ずっと一緒にいたような? ねえ、もしかしたら、貴方は私の心の一部なの?」

「違う、違う!! そんなことはない!! 全てに恵まれているお前が、わたくしの一部だなんて絶対に認めない!! わたくしは全てを壊す!! わたくしを殺したシグリードだって、なんだって……全部!! 全部!! 傷つけて!!」

「誰かを傷つけて、傷つくのは自分よ。傷ついているのは、貴方の心……」

 現在のティナは、過去のクリスティナを抱きしめる。

「え?」

 彼女は少しずつ小さくなっていく。

「ほら、おいで。私の中にお帰りなさい」

 そうして少女になった姫の身体をティナは抱きしめた。

「寂しかったね、怖かったね、でもこれからは私とシグリードが一緒にいるから安心して……私の中に帰りなさい……」

 少女は何の言葉も発さなかった。
 ぽろぽろと涙を零す。
 そうして、すうっと透けて消えていく。

「ありがとう、本当の私……わたくしも、貴方のように綺麗な心のままでいられたら良かったのに……」

「本当も何も、貴女も私も……私でしかない。妬みも、嫉妬も羨望も……誰かを蹴落としたいと思う心も、どんな醜い感情だって、否定するべきものではないの。だから……」

 少女は幸せそうな微笑みを浮かべながら、すうっとティナ姫に飲み込まれていったのだった。

 ティナの背後にシグリードが近づく。

「シグリード様」

 彼女はそっと彼の大きな手をとった。

「もう全部を貴方一人で背負わないでください――二人生きてさえいて、一緒に過ごせるのなら――なんでも出来ますから――今度こそ一緒に行きましょう、シグリード」

 そうして――彼女はクリスティナの魂を宿したティナはまっすぐに前を見据えたのだった。

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