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第4章 彼の過去、彼女の想い

第17話 過去がよぎる/シグリードside

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 教会に立ち寄った帰り、シグリードは立ちよりたい場所があると言い出した。
 現在、村の外の大木の前で、ティナはシグリードの帰りを待っている。

(シグリード様、「一人にしてほしい、だけど、俺から離れるな」とかいう無茶な要求ばっかりしてくるんだもの……)

 だけど、彼の要求にこたえたかったので、彼女は人気の多い大木の下を選んで、しばらく彼を待つことにした。
 爽やかだった風が、一瞬だけ風速を増した。

「あ……」

 乱れる髪をティナが抑えた瞬間――。


『姫、我が姫……』


「――っ……!」

 ――頭の中に声が響いてくるではないか。

「この声は……」

 あの夜、村を奇襲した騎士の声だろうか――?

 以前から眠りの際に聴こえることがあったが、シグリードに声を掛けられていたとばかりに思っていたのだが――。

『我が姫、お願いです。声に応えて。邪竜ではなく、私に――』


(声の主は……夢の中の騎士様と同一人物……? 私がずっと憧れていた……だけど、この声に応えたら)

 ――シグリードと会えなくなる気がする……。

 そう思って、ティナは耳を塞いだ。
 しばらく耐えていると、ふっと声は聞こえなくなった。

「……良かった……なくなった……男の人の声……」

 ティナが考えに耽ろうとしたところ――。


「おい、リナ!」

「ヴァン! ごめんなさい、私が言うことを聞かなかったから……!」


 近くの別の大木から、少年少女の声が聞こえた。
 村の中は男子禁制だが、旅人などで男性が近くに来ることなどはある。
 だから、男の子の声が聞こえてもおかしくはないのだが、様子が変だ。
 ティナは声の方へと視線を移した。

「こら! リナ! 降りてこい!!」

「え~~ん、ヴァン……降りれないよう……ひっく……」
 
 なんと少女が木の上にいて、少年がそれを見上げる格好になっていた。
 少女の手の中には紅い風船があった。
 察するに、少女が風船をとろうとして木に登ったものの降りれなくなり、幼馴染の少年がそこに駆けつけたといったところだろうか。

「助けてあげたいけれど……」

 こういう時に、シグリードがいたら助けてもらえるのだが――。

(あ……いけない)

 ティナは、無意識に彼に頼ってしまっていることに気づく。

(これまでも自分でなんとかしてきたし、あの子達のことも自分でなんとかしてあげたい……)

「大丈夫でしょうか? お姉ちゃんが頑張って助けてあげるからね……木の幹を登りさえすれば――」

「おい、姉ちゃん、リナのために無茶はしないでくれ!」

 ヴァンと呼ばれた少年が、ティナを制する。

「ヴァン君? あなた、怪我をしているから無理はしない方が良いわ――ここはお姉ちゃんに任せて――」

 そうして、ティナは修道服のまま、木の幹を掴んで、よいしょと昇り始めた。

「よいしょ、よいしょ……」

 なんとか上まで登ることが出来た。
 枝の上にまたがり、少女に手を差し伸べる。

「こっちにおいで」

「うえええ、お姉ちゃん……怖かったよ……」

「無事で良かったわ……」

 ティナが抱っこをした少女を慰める。
 そうして、彼女の安全を守ろうと思って、少女とティナが場所を入れ替わった。
 ティナが枝側に乗ったままでいると、枝がミシリと音を立てる。

 瞬間――。

「あ……」

 ぐらりと身体が傾いだ。
 ティナの身体は真っ逆さまに落ちていく。

「きゃあっ……!」

 ティナはすぐに瞼をぎゅっと瞑った。

 ――墜ちる!

(だけど、少女だけはなんとかして守ってあげられてよかった)

 そうして、地面にたたきつけられる――!

 その瞬間、脳裏に何かが閃いた。



***




 木の幹の上に、一組の少年少女の姿があった。
 枝の橋に、猫を抱えた金髪に少女がいて、紅い髪の少年が木の幹をよじ登っている。

『――ティナ!! お前、そんな場所に登りやがって! 俺に気苦労かけんなよ!』

『うるさい! ――! わたくしが何をしようと構わないでしょう? いい加減に、わたくしを一人にして……放っておいて……』

 そのうち、枝に登った少女の近くに少年が追い付いた。

『てめえを一人にするわけねえだろうが――! 俺はお前の護衛騎士なんだよ!!』

『そんな義務みたいな気持ちで護られても迷惑で――!』

『義務でなあ! こんなに体は張らねえんだよ!!』

『――っ……!』

 そうして、木の幹に捕まった少年は、枝の先にいる少女に手を伸ばした。

『ていうか、猫助けたいんだったら、俺に言えっての!! いつも無茶ばっかりして、俺に心配かけやがって――って、うわっ……!』

 だが、荷重に耐えられなかった枝がポキリと折れてしまい――。

 そうして、白猫を抱えた金髪の少女と赤髪の少年がもつれあうようにして、木の上から落下していった。

『ちっ……!』
 


***



 金色の髪の少女が、紅い髪の少年を庇う姿が脳裏に閃いた。

「あ……――!」

 そうして、今度こそティナが地面にたたきつけられる。

 そう思った瞬間――。


「ったく、相変わらず、危なっかしいな……」


 身体がふわりと浮く。

 ティナは固く瞑っていた瞳を開いた。

「あ……」

 どうやら、誰かが助けてくれたようだ。
 相手に感謝を告げる。

「――シグリード様……! ありがとうございます」

 気づけば、少年の細腕に彼女は横抱きにされていたのだった。

「俺の心臓に悪いことばっかしやがるのはやめてくれよな……ティナ……」

 そうして、少年シグリードティナを降ろす。
 軽々と大木に昇り、同じ背格好ぐらいの女の子を地面に降ろした。
 彼が彼女に風船を渡す。

「ほら、大事なものなら、もう手放すんじゃねえぞ」

 少女はぽっと頬を赤らめる。

「あ、ありがとう! 銀色の髪のお兄ちゃん!」

 そうして、その場を去って行った。
 だが、ヴァンはなんだか不機嫌そうにちらりとこちらだけを見て去って行った。

(やきもち……?)

 シグリードの腕の中、なぜだかティナは頬を膨らませてしまっていた。

「なんでお前はそんなに機嫌を悪くしてるんだよ?」

「別に機嫌は悪くなんかなっていません」

「なってるだろう?」

「なってないですよ」

 またもや、彼が盛大にため息をついた。

「ほら、なんだよ? 登場がかっこよくなかっただとか、風船が自分も欲しかった、だとか、何か理由があるだろうが……」

 理由を答えないと引いてはくれないようだ。
 ティナは頬をぷうと膨らめながら返した。

「シグリード様は、天然タラシだったのだな……と」

「はあ? 俺が?」

「だって、さっきの女の子にニコニコ笑いかけて……絶対にあの子、シグリード様にドキドキしてましたよ……」

「子どもにニコニコしても良いだろうよ……それに、笑わなかったら笑わなかったで、子ども相手にツンケンしてる大人はイヤだとかいうんだろうが……」

「……む……」

(なんでこんなにも胸がモヤモヤするんだろう……)

 ティナは自分の気持ちに説明がつかなくて困ってしまう。

 そうして、やれやれと言った表情でシグリードが続けた。


「……嫉妬か?」


 ものすごい勢いで、ティナはシグリードを見上げる。

「私が? いったい誰に?」

「そりゃあ、さっきの若い女にだよ」

「あの女の子に、私が……?」

「ああ」

 ――図星を刺され、ティナはうっと詰まった。

「ち、違いますよ! そんな! 子どもに笑いかけるのに嫉妬するなんて、そんな、心の狭い女じゃないんです! シグリード様が他の女の子に笑ってたって……だって、あの子は子どもで」

「そうか……」

 シグリードが続けた。

「二千年生きてる俺から見りゃあ、お前もあの女も大して年齢は変わらねえよ――女は女だろう?」

 その言葉にティナは衝撃を受ける。

「え?」

(つまり……女性なら……幼女でも少女でも大人の女性でも、誰でも対象ということ……?)

 ティナの誤解が深まっていく。
 そんな中、さらにシグリードが続けた。

「そもそも、ティナが女に生まれていようと、男に生まれていようと、俺は別にどっちでも構わなかったし……」

「え?」

(つまり……女性どころか、男性でも構わないということ……!!?)

 相手の守備範囲の広さに、ティナは動揺を隠すことが出来ない。
 二人の間の誤解が深まり、しばらくだんまりになっていく。

「まあ、そんなことはどうだって良い。ティナ、お前に言いたいことがある……」

「どうだってよくは……私に言いたいこと……?」

 ティナはちらりとシグリードの方を向いた。
 彼の細い指が、彼女の顎を掴んだ。
 少年の見た目のままなので、ティナは下を向く格好になる。

「やっと、こっちを振り向いたか……木から落ちたのを助けた礼をもらおうか……」

「あ……」

 彼の顔が彼女の顔に近付く。

 いつものようにキスされる。

 そう思ったのだが――。

「……と言いたいところだが――年取ったジジイから説教だ」

「説教?」

 シグリードがきっとまなじりをつり上げて叫んだ。


「馬鹿か、てめえは!! 少女助けて風船とるのなんて、俺に任せりゃあ、良かっただろうが!! 自分から木に登って、死んじまってたらどうしてたんだよ!! この馬鹿が!!」


 想像以上に大きな声だった。
 ティナの耳がキーンと詰まる。

「そんなにバカって言わないでください……!」

「馬鹿だ……何度でも言ってやるよ。馬鹿馬鹿馬鹿……!」

「もう、シグリード様ったら! いい加減に怒りますよ……!」

 ティナがシグリードに抗議しようとした、その時――。


 少年姿の彼が、彼女の身体にぎゅっと抱き着いた。


「俺の心臓の方が――先に止まっちまうと思ったじゃねえか……」


 彼の心底ほっとした声を聞いて、ティナはことの重要さに気づいてしまった。


「ごめん……なさい……」


「もう良いから、これ以上、俺に心配をかけないでくれよ……」


 しばらく彼の腕に抱きしめられ続ける。


「俺の姫……もう俺を置いて行かないで欲しいんだ……」


「あ……」


 ティナを抱きしめる腕の力が少しだけ緩んだ。
 美少年姿のシグリードから、真摯な眼差しで問いかけられる。

「なあ。もう無茶はしないって――俺に誓えるか?」

「え? はい……そうします……だけど、ここぞという時には、無茶はします」

「はあ、本当に誓う気があるんだか、ないんだか――」

 そうして、彼がニヤリと口の端を上げた。

「まあ、そもそも、俺の心臓は、お前が持ってるんだけどな」

「あ……そういえば……! もう、シグリード様、からかわないでください……!」

 少しだけ二人の間に和やかなムードが流れた。

「そういえば、シグリード様はいつもどこに出かけられているんですか?」

「ああ?」

「いつもいなくなるでしょう?」

 ふいっと彼が視線を外した。

「まあ、この年まで生きてりゃあ、色々あるんだよ……まあ、気が向いたら話すわ……お前がそんなに気にするんなら、答えられる範囲で話すが……」

(まだ答えてはもらえなさそう……だけど、ちょっとずつ教えてもらえたら良いな……)

 前を歩く彼の背をそっと追う。

 その時――。

「ああ、ほら、ティナ、迷子になるぞ――手をとれ」

 そうして、彼の小さな手に、ティナは手を載せた。

「なんだか、保護者と子どもが逆になったみたいですね……」

「うっせえな……お前、今から皆の前で魔力吸って、大人に戻るぞ……」

「そ、それはダメです! こんな外で……犯罪です!」

「だったら、黙って手でもつながれてろ……ほら行くぞ……」

 いつもはひんやりしている手が、心なしか熱く感じるのは気のせいだろうか。

(なんだか幸せ……)

 なんだか幸せな気持ちになりながら、ティナは魔王城への帰路についたのだった。



***



 幸せそうに微笑むティナの顔を見て、少年姿のシグリードから自然と笑みが零れる。

(懐かしいな……とひと悶着あったのも、この近くの大木だった……)

 そこまで思い出して、柔和な表情の影で、シグリードの心は翳る。

 目的を達しやすいから、ティナを妻にしたに過ぎなかったはずなのに――。

 優しい彼女と一緒に過ごしていると、本来の目的を見失いそうだった。

 ふと――。


「シグリード様……」


 ティナが声をかけてくる。
 なぜだか、彼女の頬は朱に染まっていた。

「どうした?」

 そうして、彼女が淡く微笑みながら告げた。

「身体を張って守ってくれて……ありがとうございました。貴方と一緒にいたら――自分には生きる価値があるんだって思えてきます」

「――っ……」

 シグリードの頭に過去の記憶がよぎる。


『――お前がいてくれたから――わたくしは、自分の生に価値があったのだと思えるよ……』
 

 彼はきゅっと唇をかみしめた。

(ティナはクリスティナ本人じゃない……)

 ――魂は流転する。
 
 だが――完全に同じ人間が、この世に存在しないことだって――2000年生きてきたシグリードには分かっていた。

 その過程で、かつての記憶が失われるのは当然だ。

 だけど、あまりにも魂の輝きが同じだから錯覚してしまう。

(ティナとクリスティナが完全に同質な存在じゃないって分かっている。だが、もしも、ティナがクリスティナだったことを思い出してくれたんだとしたら――)

 ――いや、違う。

 そう、そもそも本質は、そこではない。

 わざわざ、シグリードの心臓に守られながら生まれて来たティナの魂。

 それが意味するところは――。

(もしも……彼女から俺の心臓が失われたのだとしても――それでも、もし――その先があるのだとしたら――)

 シグリードは頭を振った。

「シグリード様?」

「ああ、ほら、帰るぞ――帰ったら、俺に魔力をわけて、さっさとお前の身体を治すぞ……」

「は、はい……!」

 自分自身が二人の未来に期待してしまっていることに――シグリードは気づけないのだった。

 
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