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第2章 魔核の正体、愛のない求婚
第8話 病魔の跡/シグリードside※
しおりを挟むどんどん先に先にと進めようとするシグリードに対し、ティナは大きな声を上げた。
「これ以上は……っ……本当にっ……」
紫水晶色の瞳が潤んだ。
もうすっかり美青年の姿になっているシグリードがティナに視線を移したかと思うと、ぎょっとした様子で目を見開いた。
「……どうした……?」
何も応えない彼女に向かって、一旦手を休めた彼が問いかけてくる。
彼がこちらを見ていることをしっかり確認してから、彼女は切々と返す。
「……これ以上は、本当にダメなんです」
「なんでだよ? お前も気持ちよさそうにしていただろうが……純潔じゃなくなるのが嫌なのか? 命よりも大事なものなんざ、この世には存在しねえ……さっさと色んなことを諦めろ……痛くないようにしてやるから……」
――これ以上はなんとしてでも死守しないといけない。
それはもちろん純潔を守るためでもあるが――。
――彼女にとっては、人間として……何よりも、女性としての尊厳を守るための訴えだった。
ティナはきゅっと唇を引き結ぶ。
「私、肌が汚いんです……」
「肌が汚い?」
「そうです」
自分で自分のことを「汚い」というなんて……自分自身で言っていて、少しだけ惨めになっていく。
「肌が荒れてるやつなんて、男女問わずにたくさんいるだろうが……」
「違うんです!」
ティナの口から、思いがけず大きな声が迸った。
だけど、無愛想な表情を浮かべたシグリードの目つきが怖くて、だんだんと声量が小さくなっていく。
「ごめんなさい……違うわけじゃ……ないんですけど……」
「別に怒ってて、こんな顔してるんじゃねえよ……続きを話してくれ」
有無を言わさぬ相手の態度に、ティナはぽつぽつと呟いた。
「茨みたいに痣がすごくいっぱい拡がってて……ところどころ、ひきつってて火傷みたいに見えるところもあるんです……この間の男の人たちだって、私の身体を見てビックリしてたぐらいだし……だから、その――」
自分と神官長にしか見せないから、これまで大丈夫だった。
だけど、他の――しかも異性に見せるなんて、出来そうにもない。
昔、王族の兄弟姉妹達にも化け物だと言ってくるものがいた。
距離をとってくる従者達だって多かったのだ。
だけど、シグリードの返答は冷淡なものだった。
「そんなの――俺にとっては、どうでも良いな」
ティナの胸がズキンとなった。
まるで鋭利な短刀で抉られたかのようだ。
「どうでも良い……ですよね……」
それもそうだろう。
見ず知らずの人間から見れば、自分の悩みなんて些末なことに過ぎない。
(他の人からすれば、自分のことがどうでも良い存在だって、自分が一番分っている)
だからこその今の境遇なのだ。
親類であるはずの王族達から迫害されて、辺境の村で過ごしている。
王族だからと慕ってくれてる人たちも多いが、やはりどうしても距離がある。
もう死ぬ人間だからと神官長以外の人間は――父ですら見放ざるを得ないような状況なのだ。
きっと死んだら、一時的には誰かが悲しんでくれるだろう。
だけど――しばらくすれば忘れられる。
とるに足らない存在なのだ。
皆、自分が死ぬのだと分っているからこそ、腫れ物のような当たり障りのない声かけしかしてこない。
あと数年もすれば、国民達の間で、話題にすら上がらない存在になるだろう。
自分なんて生きていても死んでいても、他の者達からすれば、どっちでも良い存在なのだ。
「おい、ティナ姫。俺にとっては本当にどうでも良いんだ……ほら、脱がせるぞ」
ティナは、じくじくと疼く胸を抑えながら抵抗する。
「いやっ……やめてっ……!」
だが、彼は制止など効かず、ドレスの襟元を引き下げてきた。
「きゃっ……! 嫌なんです、気味悪がられるぐらいなら……死んだ方がましでっ……」
シグリードの前に彼女の肌が晒されてしまった。
「あ……」
魔核が肌に植え付けられたような状態というだけでも、人によっては気持ち悪いと思うだろうに……。
ところどころ紅く、どす黒くなって、上半身の肌を茨の蔦のように痣が覆っている。
「……っ……」
――この邪竜シグリードにも気持ち悪いと思われる。
ティナは、考えるだけで、怖くて、勝手に涙が溢れ出てくる。
胸がぎゅっと握り潰されているかのように苦しくなって、どんどん呼吸もしづらくなってくる。
だけれど――。
「どれだけ酷い傷でもあるのかと思ったら……こんなものかよ。綺麗なもんじゃねえか」
シグリードの言葉にティナはガツンと何かで頭を殴られたような気持ちになった。
――この人は今なんと言った?
――綺麗?
想像とは全く違う反応だった。
あげくの果てに、彼が痣のある位置に口付けを落としはじめる。
「んっ……あっ……」
彼の唇が肌の上を這うと、周知で肌と魔核が色づきはじめた。
「あっ、あのっ……汚いから、やめっ……あっ……」
「汚くねえ……」
「え?」
すると、シグリードがひどく優しげな声で告げてきた。
「お前は、何があっても綺麗だよ……」
――彼の言葉にティナの心臓がトクンと高鳴った。
「気にしてきたんだろうが……肌に跡があるからって、どんな見た目だろうが――お前の中身が変わるわけじゃねえ。いいや、こんな風に肌が汚いって自分を責めてきたからこそ、俺には、お前の魂が大層美しく輝いているんだろうな」
魂の輝きが美しい。
(そんなこと――今まで誰からも言われたことはなかった)
ティナのアメジストの瞳から一筋の涙が零れた。
(これまで、そんなことを言ってくれる人はいなかった……)
皆遠巻きに見て、かわいそうだと言いながらも、どことなく気持ち悪いから、感染るんじゃないかとか――保身に走るようなことばかりで……。
だけど、なぜだろうか――彼の言葉には嘘がないと、漠然とそう感じた。
今まで掛けられたことのなかった言葉に、ティナの胸がじわりと熱くなっていく。
ティナの側からは、相手の銀の髪がさやさや揺れているところしか見えない。
「あとは、謝っておかないといけない。お前のこの痣は、俺の魔力に犯されてる跡だ……」
「貴方の魔力に……?」
ふと、相手の顔が離れると、なぜだか少しだけ物寂しさを覚える。
「ほら、ちょっと自分の肌を見てみろ」
「え?」
そうして、身体を起こした彼女が自身の肌をみて、衝撃が走る。
「え? どうして? なんで? 跡が薄くなってる……?」
毎日のように見てきた肌だ。
自分自身がよく分っている。
シグリードが応えた。
「――俺がお前の身体を巡る魔力を吸ったからだよ」
「貴方が私の身体を巡る魔力を吸ったから?」
「ああ、本来の魔力の持ち主である俺に魔力を戻して、お前の中から消失したから、吸着していた痣に見えてた分も一緒になくなったってところだ」
ティナは目を見張った。
そうして、シグリードがため息をつく。
「ずっとお前の身体を犯してきた痣の正体は、俺の魔力だ」
「貴方の……邪竜シグリードの……魔力……?」
その時、唐突に美青年が自身のコートと白シャツをくつろげた。
彼の肌が露わになる。
そこには、到底生きているとは思えないほどの傷があった。
心臓の上の肌を見ると、拳一つ分ほど肌が抉れているではないか。
「あ……」
「お前の魔核は俺の心臓だって説明しただろう? もう、ほぼお前の身体に同化しちまっているがな……」
「心臓が同化……」
「すまねえ、俺が寝ちまってたのが悪い。若い身空のお前には苦労をかけちまったな……簡単な言葉で片づけちまうのも申し訳ないぐらいに、苦労してきただろう?」
「あ……」
確かに、苦労はしてきた。
けれども――。
「貴方はわざと私にこういう仕打ちをしたんでしょうか?」
「……いや、残念ながら、俺に若い女をいたぶるような、そんな趣味はねえ」
ティナには彼は本当のことを言っているように聞えた。
「だったら――」
彼女はそっと涙を拭う。
「私の肌を綺麗だって言ってくれた貴方が、悪い人だなんて思えません。それに、わざとじゃないのなら、仕方がないことです」
「お前、俺を許すっていうのかよ? さんざん、イヤな目に遭ってきたっていうのに?」
「はい……」
ティナはこくんと頷いた。
「はい。わざとしでかしたことじゃないのなら、許したい。誰かを恨むような生き方はしたくないんです」
シグリードが呆然とこちらを見ている。
「そうか、それなら、話は早い――」
(それなら話が早い? なんだろう、話が噛み合わないような)
彼がちょっとだけ小さな両手でティナの肩をガッと掴んでくる。
(顔がものすごく近い……)
こんな美青年に顔を近づけられたら、心臓がドキドキしてしまう女性も多いことだろう。
「ななな、なんでしょうか?」
相手の言葉を待つことにする。
そうして、彼がやや前のめりで告げてきた。
「――俺が責任を取ってやる」
「へ? 責任……?」
想定外の単語の登場だった。
ティナの困惑は強くなる。
高圧的な言い方なのは全く気にならないと言えば嘘になるが――。
(責任、責任……責任……?)
「何の責任でしょうか?」
「今の話の流れから、決まってんだろう?」
彼が続けた。
「お前の身体をこんな風にした責任だ」
なんだかよく分らなくなって、とりあえず想像を返した。
「貴方の心臓と魔力によって、私が病魔に犯されてしまったから……?」
「ああ、そうだ」
つまり――。
「私の身体の治療してくれる、ということでしょうか? 今みたいに……」
「そうだ……だが、そのためには、どうやら、お前の身体に色々しないといけないと来た」
「色々……色々……」
ティナの脳裏に先ほどの濃厚な口付けやら、身体を弄られた感覚が思い起こされる。
彼女の真っ白な頬がぽっと朱に染まった。
「ふわわ、あれはさすがに……よく意味が分らずに流されていまいましたが、知らない殿方とは……い、いくら男の子との見た目とはいえ……途中から男の人になったけど……こんなことは、誰に対してもは出来ません……!」
「そうだろうな……深窓のお姫様……しかも、修道院で長く暮してたんじゃあ、厳しいだろうさ」
「……は、はい、そうですね」
相手の理解が良くてほっとする。
――いくら自分の命が助かるためとはいえ、見知らぬ男性に身体を捧げるなんて――。
そんなことは断じて不可能だ。
「ごめんなさい……旦那様ならともかく、恋人でもなんでもない男性と、これ以上のことは出来ません」
動揺するティナはベッドの上で正座すると、深々と頭を下げた。
「お前は真面目な女だ。そういうだろうと思ったぜ……だから――」
彼女と膝をつき合わせる格好となったシグリードは続けた。
「――俺の妻になれ」
「――……はい?」
返事をするまでに、相当時間がかかってしまった。
なんだろう、聞き間違えだろうか。
「聞えなかったのかよ?」
「ええっと……」
なんだろう……この人、今なんて言った……?
「ごめんなさい。具合が悪いからか、なんだか耳まで遠くなったみたいで……」
「耳? 仕方ねえ、もう一度だけ言ってやるよ……」
小さな手の彼が彼女の手を取り、ちゅっと手の甲に口付けを落とした。
彼の唇が、「耳が遠くなった」というティナの耳元に近付く。
「俺の妻になれ、俺と結婚してほしい」
ティナがうっかり叫んだ。
「つ、妻!!!???」
シグリードがこれみよがしに耳を塞ぎながらぼやいた。
「さっきから、そう言ってるだろうが……」
「いったい全体、どうして、そんな話に?」
ちらりと視線を向ける。
美少年にめちゃめちゃすごまれている。
「この短期間でどうして?」
一目惚れとかではない……はずだ。
「はあ……そもそも、お前は俺の神子扱いなんだろう? 基本的に神子は神と夫婦扱いだ」
「でも、邪竜シグリードは、神は神でも、邪神で――」
ぐるぐる混乱するティナにシグリードが続ける。
「まあ、お前が嫌なら、恋人でも婚約者でも何でもいい……」
「いつから、邪竜の貴方は私のことが気になって……」
すると、相手がぴしゃりと告げてくる。
「誤解はするな。どっちにとっても都合が良いから言ってるんだ。お前は身体が治るし、俺も魔力の補給が出来る。最後までお前から魔力を吸った証には、お前の身体は綺麗に、俺は元の青年姿を維持できる。利害の一致による婚姻ってやつだ」
シグリードは続ける。
「これから魔界で暮らすことになる。魔物には純潔の女を好むやつらだって多い。その中には、ところかまわず襲いかかるものだっているぐらいだ。だから、お前は嫁の立場の方が身の安全も確保できる」
――純潔のままだと、魔界で暮らすときに不利になるようだ。
「まあ、仮面夫婦ってやつだな。俺からは面倒だから離縁を申し出ることはしねえが、お前が元気になった暁にでも、イヤならイヤだって言えば良いだろうさ……」
これみよがしに、シグリードからため息をつかれた。
(結婚してほしいという表情では全然ないんですけれど……)
ぷるぷるとティナは震えた。
「返事は?」
「ふえっ……?」
「俺が『返事は?』って聞いてんだよ……」
シグリードの圧が、とにかくすごい。
(だけど、修道女たるもの、邪竜の化身であるシグリードの妻になるなんて……)
だが、相手の有無をいわさぬ視線を受けてしまう。
「ううっ……は、はい……」
「声が小さいな……」
「ひっ……! け、結婚します、結婚しますから!」
「そうかよ……なら良かった」
美青年が艶然とした笑みを浮かべた。
「そういえば、お前、名前はなんて言うんだ?」
「え? え?」
――今更な質問だ。
(確かに自己紹介してなかった……)
おずおずとティナが返す。
「……ええっと……ティナ・シルフィード……です」
少しだけシグリードがピクリと反応した。
「ティナ……か……」
「はい……どうかしましたか?」
(――この間の夜、私の名前を読んでなかった? 気のせい?)
「ああ、いや、こっちの話だ……」
すると、シグリードが不敵に微笑んだ。
「じゃあ、また、俺がたっぷり可愛がってやって、俺の嫁になったお前の身体を完治させてやるよ」
彼の大きな手が、彼女のローズゴールドの髪を一房つかみ、ちゅっと口づける。
「……本当はさっさと、お前にある俺の魔力を奪って帰るつもりだったが……まあ、ついでだ。加減しながら、俺がお前を良い具合に可愛がってやって、そのおかしな奇病から助けてやるからな」
もう死ぬのだと、感傷的な気持ちになっていた。
だけれど、まるで光明が差してきたかのようだ。
「貴方は、邪竜なのに……本当に助けてくださるのですか?」
「ああ、そうだ。まあ、とにかく利害の一致ってやつだ」
そういうと、彼は彼女の頭をポンポンと叩いた。
「可愛がってやるから、よろしくな――色々しゃべりが入っちまったから、今日の続きは明日だ」
どうやら、とんでもないものの封印を解いてしまったようだと、今更ながらティナは思う。
(夢? さすがに夢よね……そうよ、いつもの夢の延長よ……)
そこまで考えると、ティナの身体がぐらりと傾いだ。
「って、おい、こんなとことで、また気絶かよ、ティナ……!」
少年が彼女の身体を抱きかかえる。
かくして、余命数ヶ月と言われていたはずの王女は――。
――うっかり目覚めさせた魔王と、交際0日婚に至ることになってしまったのだった。
***
疲れて眠るティナをベッドに横たえながら、青年姿のシグリードがぼやく。
「本当に、あいつと同質なんだよな……全然違うから、拍子抜けしちまうな……」
そうして、彼女の手をとると、彼はゆっくりと唇を押し当てた。
「今の名前はティナか……伝説で残ってるわけでもないだろうに……奇縁だな」
シグリードの蒼い瞳の中、部屋の燭台の炎が揺らめく。
「クリスティナ……ティナ……あいつとお前は……」
苦しげな声は、ティナの耳には届いてはいなかった。
応援ありがとうございます!
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