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第1章 凍てつく誓い、業火の出会い

第4話 業火の再会

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 ティナは、椅子に掛けていた貫頭衣に身を包むと、夜闇の中へと駆けだした。
 ヴェールをつけている暇はなかった。
 冬の風が冷たく頬を嬲ってくる。
 ローズゴールドの髪を振り乱しながら、彼女は足を繰る。
 寒空の下、汗が流れてきた。

「修道院の皆は気づいていないの……? 孤児院の皆は……?」

 舗装されていない小道を走る。
 砂利を踏んだ感覚が足の裏を刺激してきた。
 なぜ森が燃えているのに、皆は外に出てこないのだろう。
 ティナの不安がどんどん高まっていく。
 ちょうど、その時、ガシャガシャと鎧の鳴る音が聞えてきた。
 遠くにちらりと銀が閃く。

「黒い鎧……? 一体何が起きているというの……?」

(山火事に気づいた王国の騎士団? それとも帝国が山を乗り越えて現われたというの……?)

 暗闇の中、目を凝らす。
 だが、以前学んだことのある騎士団の鎧のどちらのものにも該当しなかった。

(何なの? 黒い鎧?)

 得たいの知れない何かが起こっているような気がしてくる。
 ティナの背を冷たい汗が流れた。

(とにかく見つからないようにして、修道院と孤児院の皆のところへ……)

 そうして、彼女は音を立てないようにして木々の間を抜ける。
 聖堂の脇を抜け、そろそろ修道院へと到着するかという、その時――。

「どこへ行かれるのですか?」

 くぐもった男の声が耳に届いた。
 祭司達以外の男の声など、夢の中の騎士様以外でほとんど聞いたことがない。
 ティナの血の気が一気に引いていく。

「あ……」

(まずい……逃げないと……)

 普段、孤児院の子ども達と追いかけっこをするぐらいしか運動はしない。
 そんな彼女の足では、相手にすぐに追いつかれてしまった。

「きゃっ……」

 闇のように真っ黒な甲冑を纏った武人が、彼女の細腕を掴んでくる。

「離してください。私は神に全てを捧げたもので……」

「落ち着いてください、姫、僕です。やっと見つけました!」

 気色に満ちた相手の声が、ますます彼女の恐怖を煽った。
 ティナは半狂乱状態に陥っていた。

「やあっ、若い男性のことなど存じ上げません!」

「どうか、落ち着いて、姫様……僕のことをお忘れですか?」

 じたばたする彼女を落ち着けると、相手が兜を脱ぎ捨てる。
 月明かりの下、相手の相貌が露わになった。
 紅い髪に碧色の瞳をした、爽やかな顔立ちの美青年。
 ティナよりも十歳ほど年上に見える。

(この男性は……)

 頭の中の像がだんだんと鮮明になっていく。
 ティナは自身の頬をきゅっとつねった。

「貴方、その髪色と瞳の色……夢の……? いったい何がどうなって? これは夢?」

「我が姫……夢で僕のことを待ってくださっていたのですね」

(まさか、夢の中の騎士様? 現実に彼が私の前に現われたというの?)

「黒い集団……死者の国からのお迎えでしょうか? ついに私は天に召されたの?」

 困惑する彼女に対し、青年騎士は告げる。

「いいえ、現実ですよ、クリスティナ姫……この二千年間、ずっと貴女を探しておりました。こうして、お会い出来て良かった」

「私がクリスティナ……? 二千年間?」

「ええ、お忘れでしょうか? 貴女様こそが二千年間探していた女性……」

 夢の中では美青年に「ティナ姫」と呼ばれていたが、あだ名か何かだったのだろうか。

「我が姫、やはり覚えていらっしゃらないのでしょうか?」

「その……ええっと……夢の中では『ティナ姫』と呼ばれていたから……」

 紅い髪の青年騎士のこめかみがピクリと動いた。
 ティナの首筋に、チリリと嫌な感覚が走る。
 すると――突然、青年に抱きしめられる。
 まるで夢の再現のようで、心臓がドキドキと落ち着かない。
 だが、胸騒ぎが走るのは、なぜだろか――?

「僕の方こそ失礼いたしました。確かに、クリスティナ姫は『ティナ姫』と呼ばれていましたね」

 ティナは、ふと相手の顔を見る。

(あ……なんだろう……怖い感じがする……)

 彼女の背筋がぞくりと震えた。
 彼の表情が、なんだか張り付いた仮面のように感じたのだ。

「騎士様、私も会いたかったです。だけど、お話は後で聞かせてください。まずは消火活動に当たらなければなりません。孤児院の皆の様子も心配です……神官長様がお一人で皆を守っているかもしれません。とにかく、火事で煙に巻かれていたらと思うと……不安で……」

「『神官長様』というのは、あそこで倒れている人のことでしょうか? 大丈夫ですよ、姫様が心配することは何もない」

「え?」

 少しだけ彼の腕から逃げ出せたティナが、彼の視線の先へと視線を移す。
 目にした光景に、一気に彼女は青ざめていく。思わず後じさる。
 夜の闇の中、うら若き乙女の悲鳴が響き渡った。

「……そんなっ……神官長様っ……!」

 血だまりの中、見知った女神官が倒れ伏していたのだった。
 あの出血量だ。
 もうすでに息を引き取っているかもしれない。

「神官長様! どうか目を! 目を開けてくださいっ……!」

 すると、暗闇の中、ぴくりと相手の指先が動いたのが見えた。
 助からないかもしれない。

(どうにか止血だけでもしないと……!)

 そうして、ティナが女神官の元へと走り出そうとする。
 だが、後方から、ひやりとした感覚が首筋に触れる。
 冷たい感触に、背筋に一筋の汗が流れ落ちた。

「あ……」

 視線をのろのろと後ろに向けようとする。
 騎士の剣の切っ先が、ティナの首元に宛がわれていたのだ。

「この日を待ちわびていました。貴方を探すのに、本当に時間がかかりましたよ。あいつの眼をかいくぐりながらの作業は、本当に大変だった」

「騎士様、何を言って……」

 その時、黒い甲冑に包まれた騎士達が一斉に森の中から現われる。

「手荒には扱わないでくれよ、俺の最愛の女性だ……それに――」

 ぞくりとする声音で彼が告げる。

「あいつを操るための大事な傀儡だ。さあ、連れて行け」

「どういうことですか? ……待って、このままだと、皆火事で死んじゃう……! このままじゃ……!」

 紅髪の騎士が、悠然と微笑んだ。

「昔からお優しい方だ。だけど、もう心配する必要はありません。みすぼらしい女子ども達は、この火事に巻き込まれて、皆死ぬのですから、ね?」

「あ……ああ……」

 ――こんな冷たい言い方をする相手が、夢の中の騎士様の正体だというのか……?

 こんな相手を心の支えに生きてきたというのだろうか?

(いいえ、絶対に違う……! 私の心の支えになってくれていたのが、こんな人のはずがない……!)

 灰色の煙がこちらまで届く。
 喉が妬けるようだ。
 ちりちりと焼け焦げた塵が周囲をまるで蛍のように飛び交う。

「待ってください! 私は、どうせ死ぬ命なのです、だから自分のことなんて、どうでも良いのです。だから、どうか皆を助けてください! お願いします!」

 男達に取り込まれてしまい、怖くて仕方がない。
 だけど、大事な育ての親がこのまま死ぬのは見過ごせなかった。

「昔の姫はこんなに騒がしくなかったというのに……少し黙らせる必要があるな……」

 そういうと、紅い髪の騎士がこちらに近づいた。
 彼は彼女の修道服の袂を一気に裂いてくる。

「あっ……」

 小ぶりの乳房と肌を覆う痣とが、衆目に晒された。
 魔核は真っ赤に色づいている。

「竜殺しの剣の魔核も顕在か……なら良かった……殺さなければ、何をやっても構わない……」

 周りを取り囲んできていた男達が、まるで醜悪な何かを見たような表情を浮かべていた。
 ひげ面の傭兵が悲鳴を上げる。

「せっかく若い女で楽しめると思ったら、うすぎたねえ化け物じゃねえか……なんだ、この醜い肌は……!」

「……っ……」

 相手の言葉が、まるで鋭い刃のように胸を抉ってくる。
 だけど――今は自分のことよりも大切なことがある。
 このままだと、大事な人たちを守ることが出来ない。

「まあ、上半身を見なきゃあ上物だな……って、おい待て!!」

 彼女の肌を見て怯んでいた相手の脇をすり抜け、彼女は駆け出す。

「神官長を……皆を助けて……大事な家族のような存在なんです……! 修道院も孤児院の皆も、大事な家族なんです……!」

 ティナは誰ともなく叫んだ。
 紫水晶の瞳から、ぽろぽろと涙が零れる。
 下卑た男達が追いかけてくる。
 だけど、そんなもの、もはや気になってはいなかった。

「私はどうなっても良い。だから、お願い、誰か……私の家族を助けて!!」

 その時――。


『こっちだ……』


 呼び声が聞こえる。


「私の本当の騎士様……!」


 ティナの心が歓喜に震えた。



『……聖堂だ』


 衣服は破れたまま、彼女は駆ける。
 冷たい夜風が肌を嬲ってくるが、気にしない。

 声の指示に従って、彼女は聖堂の荘厳な扉を開いた。
 そのまま祭壇の奥の方へと向かう。

『そうだ、そのまま奥に来い』

 神官長にダメだと言われた禁則の地。

 だけれど、今は藁にも縋る思いだった。

 扉を開けると、中は真っ暗だった。

 怖いという感情はわいてこない。

 そのまま、声の呼ぶ方へと道なき道を進む。

 肺が潰れそうなほど走った。

 ――遠くに白い炎の揺らめきが見える。


「あ……」


 洞窟を少し進んだ奥――そこには、氷漬けにされた白銀の竜の姿があった。
 銀色にきらめく鱗に覆われた巨大な身体。
 瞼は閉ざされ、その奥に潜む瞳は見えない。
 大きな翼は閉じられており、大きな爪が見える。
 両手足には枷があり、鎖で雁字搦めにされているようだ。



『やっと来たな……』


 
 ティナの頭の中に声が直接響いた。
 恐怖で足が少しだけ震える。
 だけど、どことなく懐かしい気がするのはどうしてだろう。

(ずっと私に話しかけてくれていたのは――まさか……そんな……)



「邪竜……シグリード……?」

 

 彼女が相手の名を呼ぶと、深紅に変わった魔核から紅い光が放たれた。

 導かれるように、彼女は竜に近付く。


「ティナ姫! 待て! それは……!」


 ティナの跡を追いかけてきていたのだろう。
 先ほどの紅い髪の青年騎士の声が届いた。

 だが、時すでに遅し。

 氷にヒビが入りはじめる。


「きゃっ……!!」


 割れた氷が彼女の頬を掠めかけた時――。

 一瞬だけ、彼が離れた瞬間、今度はティナの身体がふわりと宙に浮く。

「きゃっ……!」

 紅髪の青年騎士がティナから距離を取った。

「ちっ……姫を奪うよりも先に、目を覚ましてしまったか……」

 そうして――。

 周囲に轟音が鳴り響く。

 洞窟が崩れはじめた。

 爆風に巻き込まれる。

 だが、ティナは何かに抱きかかえられ、守られていた。

 何がなにやら分らないまま―ー気付ば、崩れた洞窟から抜け出し、夜空の下に戻ってきていた。


「相変わらず、危なっかしいし……妙なことに巻き込まれてるな」


 優しい声音。
 ティナの記憶に残るものよりも、少しだけ高い声が、彼女の鼓膜を震わせる。
 声の主に横抱きにされているのだと気づくのに数瞬かかった。
 雲が流れ、隠れていた月が、相手の姿を暴く。

「……あなたは……」

 白銀の髪が夜の風に揺らぐ。
 月光を反射するのは、碧い瞳だ。
 歴史書で見たことがある、とても古い時代の騎士団のコートの裾が風で煽られる。
 手足に填まっていた枷と鎖の音がじゃらりと響いた。

 色合いは違うのに、彼女の頭の中に、夢の中の騎士の姿が重なった。

 少しだけ眠け眼な彼が口を開く。

「せっかく良い気分で眠ってたが……貸しは高くつくからな……なあ、俺の姫」

 落ち着いた喋り方。
 どうしても違和感があるが、聞き覚えのある話し方。
 透き通るように透明な蒼い瞳と出会う。

「あ……」

 なんだか既視感があった。
 ティナの頭がズキリと痛む。

『せっかく良い気分で眠ってたのに……正義感が強いだけじゃ、やってらんねえからな……』

 今のはなんだろう。

(ずっと昔から、この人のことを知ってる気がする……)

 彼女の頭の中で、いつも夢に見ていた紅い髪の護衛騎士が一瞬だけ頭をよぎった。

 ――忘れてはいけないはずの……。

(ちゃんと相手の顔を見て思い出さなきゃ……大事なことのはずで……!)

 彼女はばっと勢いよく、自身を抱きかかえる人物のことを見上げた。


(ん?)


 緊迫した状況のはずだったが、彼女は思わず首を傾げてしまった。

「あ……ええと……、あれ??」

 困惑する声を上げた彼女に対して、相手が不機嫌そうに返した。


「ああ……? なんだよティナ姫、不満があるなら言ってみろ」


 そう、彼女の窮地を救ってくれたのは――。

 夢の中の、十歳ほど年上の紅い髪の青年騎士ではなく――。



「……男の子??」



 ――世にも美しい、ティナよりも十歳ほど年下の銀髪蒼瞳の美少年だったのだ。


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