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(あ……)

 空間の歪みを感じて、一瞬時が止まったような気がする。

「帰りは遅くなるから、ゆっくり休んでおくが良い」

 そっと彼が肩に手を置いてくると、ドクンと鼓動が高鳴った。
 オズワルドの声が耳に届くと同時に違和感は無くなってしまう。

(最近こう、なんだろう、不思議な浮遊感みたいなものが度々あるのよね。今も唇がなんだか湿気っている気がする)

 不思議に思っているが王国最強の魔術師であるオズワルドが何も言わないのだから、きっとおかしな何かではないのだろう。
 気を取り直したエリーは、彼が扉の向こうへと消えていく姿を黙って見つめた。盆を抱く腕にぎゅっと力が籠もる。

(オズワルド様……無表情に見えるけれど、出会った当初から変わらず優しい。本来なら男爵上がりの文官で、しかも落ちこぼれに近い私が近づけるような方ではないというのに……)

 皇族と関係のある公爵令息と平民とそこまで大差ない男爵令嬢では身分の差がどうしても存在してしまう。
 だけれど、彼は身分の差など気にもせずに、団員のことを平等な視点で見守ってくれている。

(オズワルド様、私が彼の秘書官になったのは数月前だった)

 魔法騎士団の文官として入団したエリーだったが、魔法は得意だったものの、他の事務作業をするのに時間がかかってしまっていた。
 そうしたところ、さばさばしていないと思われたからか、同じ女性文官たちからは仕事ができないやつだと、それ以上仕事を教えてもらえなくなってしまったのだ。

『見てわからないの? 本当に仕事ができないんだから。魔法だけが出来れば良いわけじゃないのよ、わたしたち文官はね』

 見て分かるところは分かるが、残念ながら人の心を読めるわけではないので、どうしても言葉で伝えてもらわないと理解できないこともある。
 こちらから仕事内容に対して問いかけても無視されてしまって、そうなってしまうと、いよいよ仕事をしたくても出来なくなってしまったのだ。

『弟のために仕送りをしないといけないのに……』
 
 困っていて直属の上司に相談しようとしたところ、その上司というのも自分のことを無視してきた。困り果てていた彼女がうっかり地面の石に転んだところに現れたのが、オズワルドだったのだ。

『大丈夫か? ん? 君はエリーじゃないか?』

『どうして、オズワルド様が私のことをご存じなのですか?』

 ふと、幼少期、一緒に遊んだ年上のオズお兄ちゃんの顔が浮かんでくる。
 目の前のオズワルドとオズお兄ちゃんの姿が重なった。

『エリー、何を言っているんだ。母親同士が魔術学校時代の友人だからと、君が子どもの頃によく遊びに行っていただろう? それに、俺たちは――』

『あ! オズお兄ちゃんがオズワルド様だったの……!? う……えぐ……』

 そこでエリーの涙腺は崩壊した。
 これまでにあった事情を話すと、オズワルドは黙って話を聞いてくれた。

『私が全ての責任をとる。色々と話をつけてこよう』

 そうして――気づけばなぜかオズワルドの秘書官に選ばれたのだった。
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