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月の章
第3話 大地の聖女と呼ばれし癒し姫
しおりを挟む「ルーナで結構ですよ」
そうして彼が告げる。
「私が十になる頃に姫様がお生まれになりました。その当時は、交流は少なかったのですが、姫様が八つの頃に、私が婚約者に選ばれました」
少しだけ、ルーナのティエラを抱きしめる力が和らいだ。
真面目な返答をルーナは返してくる。だが、ティエラがほしい答えとは少々ずれていた。彼女としては、彼との仲の良し悪しが気になる。
彼が、本当に頼っていい人物なのかどうか判断に迷っている。その答えになるような事柄をティエラは欲していた。
「その、私達の仲は、どうだったのでしょうか? 元々恋人同士だったのでしょうか?」
思いきって尋ねたティエラは、とても恥ずかしくなってきて、顔が赤くなる。
ルーナは、そんなティエラの姿をみて、柔らかく、そして寂しげに微笑んだ。
「姫様のお気持ちが、どうだったのかはわかりません」
曖昧な返答のように思う。
この月のように美しい青年は、女性が好みそうな容姿と優しげな語り口調をしている。
(こんなに綺麗な男の人と、元から両想いだったということはなさそうね。やっぱりただの政略的な婚約関係だったのかしら)
ルーナはティエラを抱き締めてはいる。しかしながら、対応が義務的と言われれば義務的だ。
婚約の経緯もよく分からない。もしかしたら、あまり女性には困らなさそうなルーナの意に反して、婚約関係となった可能性もある。
ティエラは考え込み、伏し目がちになった。そんな彼女の亜麻色の髪を、ルーナが優しく撫でてくる。
そうしたまま、彼はティエラの耳元に唇を寄せてくる。
急に、彼の端正な顔が近づいてきたので、彼女の心臓がどきりとする。
そうして、彼がひどく甘い口調で、ティエラの耳に囁いた。
「私は、姫様のことをお慕いしておりました」
そう言われて、思わず、ティエラはルーナの顔を見る。
彼は、微笑を浮かべたままだ。
「今もその気持ちは変わりません」
さらりとそんなことを言われて、ティエラの顔はさらに真っ赤になった。
ルーナは、ティエラの腰まである亜麻色の髪を一房手にとる。そして、彼はゆっくりと髪に口づけた。
そんな彼の所作に、彼女はまた恥ずかしさを覚える。
「徐々に私のことは思い出していってください。これまでも、お待ちしておりましたので、焦ってはおりませんから」
ルーナはそう言ってティエラに微笑みかける。
彼女は首まで熱くなるのを感じる。
そうしていると彼は彼女から離れ、部屋から立ち去った。
『お慕いしておりました』
部屋に残されたティエラは、先程ルーナから言われた台詞を反芻していた。
ティエラの心臓は、早鐘のように動き続けている。
一方で、記憶の事や父だという国王が暗殺された話もある。自身がこれからどうなるのだろうという不安も混ざり、ますます胸を苦しくさせる。
不安と期待の二つが、今の彼女を支配している。
彼女は、両極端な気持ちに揺れる。自身の心臓がそのうち壊れてしまいそうだった。
※※※
翌朝、ティエラの自室に、ルーナから遣わされたという女性が現れた。
彼女は、夜闇のように美しく長い髪をひとつ結びにしている。猫のようなやや吊った瞳が印象的だった。年の頃は二十代半ばくらいにティエラには見える。彼女は長くて黒いワンピースの上に、白いエプロンを着用していた。
「姫様、ヘンゼルと申します」
ヘンゼルと名乗った女性は、本来ルーナの世話係だそうだ。今日からティエラの世話係も一緒におこなってくれるらしい。以前にも、ティエラのそばで働いていたことも教えてくれた。
「姫様、なんなりとお申し付けください」
そう言った後、ヘンゼルはすぐにティエラの身支度を始めた。
「ごめんなさい、ヘンゼルさん。貴女のことを思い出せなくて……」
「いいえ、気になさらず。昔から姫様のことは存じております。この度はまたお世話ができること、大変嬉しく思っています」
ティエラの髪に櫛を通しながら、ヘンゼルが声をかけてくる。
彼女の赤い唇が蠱惑的だと、ティエラは感じた。
ヘンゼルは非常に手際が良かった。気づいたら、ティエラの髪は高く結い上げられていた。
そして、コルセットをきつく締めあげられた後、チュール素材の淡い緑色のドレスを着せられる。
「とてもお似合いですよ、姫様」
ヘンゼルはそう言い、ティエラに一瞬だけ微笑みかける。
「お聞きしたいことがございましたら、何でもおたずねくださいね」
次にヘンゼルを見た時には、淡々とした表情に戻っていた。あまり笑顔を見せない人物のようだ。
まずはヘンゼルと自分の関係について、ティエラは尋ねてみることにした。
「私と姫様ですか? 先程も申しましたが、元々私は貴女様の御世話係をつとめたあと、ルーナ様のお世話係になりました。そのため、姫様が小さい頃からの付き合いになります」
そして、「そうですね」と言って続けた。
「私が怪我をした際に、姫様に治癒していただいたことがありました。その節は大変お世話になりました」
治癒という言葉が、ティエラの過去の話に出てきた。
『癒しの力の加護を持つ鏡の守護者』
『大地の聖女』
ルーナから教えられたが、ティエラは国民からそう呼ばれていたらしい。
自身の称号に、彼女はまだ慣れていない。
それに、癒しの力を持つらしいが、今は力を発揮することも出来ない。
(記憶と一緒に、力も消えてしまったのかしら?)
思い出せないことは仕方がない。
少しだけ重たい気持ちを振り払おうと、ティエラは別の話題に変更した。
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