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1巻
1-2
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「鬼童丸様ったら、『土臭いから綺麗にしろ』とか何とか命じてきましたけれど……庭いじりをして、土の香りがするだけではございませんか……! きっと照れ隠しだったのでしょうね、うふふふふ!」
「ええっと?」
鬼の女性は冷たい印象とは裏腹に異様に気分が高揚していっており、どんどん冷静になっていくあやめとの落差がとにかく激しかった。
「私のことは『橋』とお呼びくださいませ! あのツンケンした鬼童丸様の元に来てくださって本当にありがとうございます! さあさあ、お身体を流して差し上げますわね! あらあらあら、なんて麗しい、すべすべとしたお肌……お羨ましいですわ!」
「わわわ!」
あやめは橋と名乗る女性の勢いに飲まれたまま――今から鬼に喰われる状況だということも忘れそうになりながら、身を清められていく。
「どうぞ、単衣を脱いで浴槽に身体を沈められてください」
「単衣を脱いで入るのですか?」
「ええ、そうにございます」
あやめは、湯を張った浴槽を見て面食らってしまう。
溜めた湯を桶で掬って身体にかけるのではなく、木でできた浴槽の湯の中に浸かるようだ。
(鬼の風習は、やはり人とは違うのね)
郷に入っては郷に従えという。
あやめは単衣を脱いで橋に預けると、生まれたままの姿になる。思い切って湯船に浸かってみると、ほどよい熱さの湯加減で、全身に心地よい水圧を感じた。
(まるで極楽浄土に来たようだわ)
しばらく湯の中で過ごすと気持ちが良くて、そのまま眠ってしまいそうだった。
「あやめ姫、そろそろ逆上せてしまいますので、お上がりくださいませ」
浴槽の外へと出る頃には全身は清められており、とてもさっぱりした。
「はい、あやめ姫、新しい単衣をどうぞ」
促されるがまま新しい単衣に袖を通すと、木綿の生地がやわらかく肌を包みこんでくる。
(橋さんがあまりに優しく身体を洗ってくれたから、うっかり絆されてしまったけれど……もしかしたら、逃げ出す機会だった?)
しかしながら、好機は失われてしまった。
とはいえ橋の柔和な笑顔を見ていると、相手が鬼ということも忘れて、御礼を言いたくなってしまう。
「橋さん、ありがとうございます」
「いいえ、あやめ姫、こちらこそ。はい、それでは、頭領がいらっしゃる場所へと向かいましょうか」
先導する橋のあとについて、あやめは渡殿を進んだ。
向かう途中には鬼達が隠れており、キョロキョロとこちらを見てくるので、なんとなく落ち着かない。
彼らの視線を感じながら、寝殿の母屋の中へと進む。
板敷の床がギシリと音を立てる。
「頭領、あやめ姫を連れてまいりましたわ」
橋が御簾をしゅるりと上げた。
あやめが先に中に入ると、胡坐をかいて座る鬼童丸の姿があった。
(私を攫った鬼童丸さん)
あやめからは、ちょうど横顔が見える。赤みがかった黒くて長い睫毛が、かすかに震えた。すっと通った鼻筋に、綺麗だが男性らしい顔立ち。角さえなければ人との区別がつかないものの、この世のものとは思えないほどの美男子だ。
都にある屋敷を訪れた際の格好とは違い蘇芳色の袿姿であり、片膝を立ててくつろいで過ごしていた。瑠璃の盃片手に酒を呷っており、コクリコクリと喉仏が上下に動く様が官能的だった。
(私は今からこの鬼童丸さんに、酒のつまみとして食べられるのかもしれない)
あやめはごくりと唾を飲み込むと、倒れてしまわないように足裏にぐっと力を込めた。
鬼童丸が酒を飲み干すと、ゆるりと視線をこちらに向けてくる。
「ああ、やっと来たのか。おい、女、近くに寄れよ。橋は下がれ」
「女とは、私のことですか?」
「橋には下がれと言った。だったら、お前以外に誰もいねぇだろうが。それにもうここには俺達二人しかいない」
「え? そんなはずは……」
あやめが振り返った時には、もう橋は近くにはいなかった。
ほんの瞬きの間に姿を消してしまったようだ。
「ほら、近くに寄れと言っているだろう?」
彼の側へと恐る恐る近寄ってはみたものの、それ以上どうしようかと立ち尽くしていると、急にぐわんと視界が反転した。
「きゃっ……!」
気付けば、あやめは鬼童丸から衾の上に押し倒される格好になってしまっていた。
「もうずっと喰えてねぇ。腹を空かせてるんだよ、俺は……」
すると、彼の端整な顔があやめの顔に近づいてくる。
(あ……)
こんなにも異性の鼻先が自身の鼻先の辺りに近づいてきたのは初めてで、あやめは喰われることも忘れて、思わず胸の鼓動が高鳴ってしまう。
あやめの眼前で、腹を空かせた鬼童丸の唇が妖艶に開いた。
「やっと飢えから解放されるな」
息がかかる程に近くに彼の顔が迫ってくる。
顔を避けようとして身体ごと捻ろうにも、相手の両脚に挟まれて動けない。
(このまま食べられるの!?)
あやめの胸の内に衝撃が走る。
相手の赤くぬらぬらとした口の中にある白い牙がキラリと光った。
あんな鋭利なものが肌に触れれば、立ちどころに傷がついてしまうだろう。
「離して……!」
「往生際が悪いな。いいからお前は俺に黙って喰われておけよ」
あやめの細首に鋭い牙が迫ってきて、いよいよ吐息を感じる距離になった。
「さて、せっかくだから、まずは……」
「きゃっ!」
あやめは心中で今の状況を嘆いていた。
怖くて思わず目を瞑る。
(まさか! 顔からバリバリ食べられることになるなんて!)
頭や手足から先に喰われるとばかりに思っていたのに……!
いよいよ喰われる。
あやめが身構えた、その時――
ぐ~~~~っ
盛大な腹の虫の音が、室内に響く。
(わ、私ったら……! 鬼の頭領に喰われそうだというのに……!)
そのかなりの大音量に、あやめは恥じらった。
どうにか制御したいのに、腹の虫は勝手に鳴り続けて落ち着いてはくれない。
止まってほしいと願えば願うほど、グーグーと音を立て続けた。
「お前は……」
あやめの身体の上に跨る鬼童丸は面食らっているようだった。
(穴があったら入りたい……!)
彼女の頬は羞恥で林檎のように真っ赤になってしまった。
しばらくすると、彼がくつくつと笑い始めた。
「こんな状況下で腹を鳴らすとは、とんだ女を連れてくるはめになっちまったな」
相手は腹を抱えて大笑いしていた。
あやめの身体の上で揺れ動くものだから、彼の振動がふるふると伝わってくる。
彼がひとしきり笑った後、彼女の身体にのしかかっていた重みがすっと離れた。
「さて、今日は寝るか」
鬼童丸の発言を耳にして、あやめは呆気に取られた。
「ええっと、私を食べる話はどうなったのでしょうか?」
「何だ、喰われたいのか?」
「滅相もございません!」
鬼童丸の問いかけに対して、あやめはぶんぶんと首を横に振った。
「お前は骨と筋ばっかりだから、もう少し肉を付けてからだな。まあ、相当な年月待ったし、今更焦らずとも俺は我慢できる。腹が空いているようだし、橋達に命じて飯でも準備させよう」
鬼童丸は、御簾を持ち上げると、向こう側で待機中の鬼達に向かって声をかける。
(状況が掴めないままだけど、とりあえず、もうしばらくは食べられる話はなし……?)
ひとまずほっとしたような?
何とも形容しがたい気持ちが胸を支配してくる。
こうして、鬼童丸が鬼の女房達に頼んで、あやめ姫のために料理を用意してくれたのだけれど、ちょっとした事件が起こるのだった。
この時代、そもそも貴族と庶民とでは食生活に大きな違いがある。
貴族の間では、仏教の教えが強く反映されていて、食事は「欲」の一つと見なされている。そのため皆の前で食事を取ることは、あまり良しとされていない。食事は庶民とは違い、一汁三菜の形が整えられている。一日二回、朝食は絶対に固粥と決まっているし、時間帯も固定となっている。
一方庶民はといえば、一汁二菜ではあるものの、労働があるため一日三回食事を摂る。白米よりも栄養価の高い玄米が主流である。
更に食事の作法に踏み込めば、正直なところ全然違うといっても差し支えない。
ちなみに、貴族は肉料理は食べないけれども、庶民達の間では根強い人気を誇っているのだ。
……同じ人間同士でもここまで違いがあるのだ。
鬼と人間では食事が違うのは当然のことだろう。
さっそく準備された料理を目の当たりにして、あやめは呆然としていた。
腹の空いた状態なら、どんな料理でも美味しく感じる……はずなのだが……
誰かがせっかく作ってくれたものを非難するのも、頭では良くないとは分かってはいるのだけれど……
「おい、女。鬼達が作る飯はどうだ? 旨いか? 一応は人間出身の橋が作ってくれたんだが」
何とはなしに鬼童丸があやめに向かって声をかけてきた。
「いつもこんな食べ物を鬼達は食べているのですか?」
「いいや。基本的に鬼は人間と同じ飯は喰わねぇ。喰うとしたら、動物の肉ぐらいだな。俺は半分人間だから、たまに女房や従者達が作ってくれるが……」
「貴方は、人間の食べ物をこれだと思っているのですか?」
あやめの椀を持つ手がぶるぶると震える。
「そうだろう、別におかしかねぇだろう? どうした。もしかして、旨すぎて感動して震えてんのか?」
「旨すぎて……?」
あやめの眼前には、一般的な貴族の食事――のようなものが披露されていた。
四角い台盤は、漆塗りの蒔絵が描かれており、とても豪奢なものだ。
その上に、高く盛った強飯、カブのあつもの(汁物)、野菜の醤漬けが三種、調味料の入った四種器が並んでいた。
だが、それはしょせん体裁が整っているだけに過ぎない。
あやめは衝撃のあまり、全身を戦慄かせると大音声で叫んだ。
「ぜんっぜんっ! お食事が美味しくない!」
「ああ?」
白米が盛られた椀を持つあやめの手がぶるぶると震える。
「これは……強飯というよりも、ただのお米……! ぬか臭いし、水をしっかり含む前に炊いてしまった感じが凄まじい……! ご飯といったら、お口の中でふんわりするのが魅力なのに、まさかこんなにガリガリのご飯を食べることになるなんて……!」
あやめは、きっと鬼童丸を睨んだ。
「作り直しです! 台盤所のある雑舎に連れていってくださいませ!」
ものすごい勢いに圧倒された鬼童丸は、「おう……」とだけ頷いたのだった。
鬼童丸に案内してもらい、雑舎にある台盤所に向かう。
移動途中、鬼女の橋が現れた。柳眉を顰めながら、あやめにおずおずと問いかけてくる。
「あやめ姫、申し訳ございません。わたくしが指揮を取って食事を作ったのですが、お気に召さなかったのでしょうか?」
「橋さん、ご飯がガッチガチに固かったのは、橋さんのせいじゃありません。おそらく保存方法の問題だと思うんです。お米は、しっかり米櫃に入れて、日が当たらなくて冷たい場所においておかないと、すぐに悪くなっちゃうんですよ」
すると、ただでさえ生気のない顔色をしている橋の顔がみるみる蒼白になっていく。
「人のご飯を食べなくなって早うん十年……そんなことも知らずに生きてまいりました……こんなんだから、わたくしは旦那様にフラれて……!」
「わわっ、どうしたんですか、橋さん!」
橋がオンオンと泣き始めたので、あやめは必死になだめようと肩に手を添える。隣を歩いていた鬼童丸が、こそっと耳打ちしてきた。
「橋は、旦那の浮気が原因で呪いに手を出してたら、鬼になった類の奴なんだよ。自己評価が低いんだ」
あやめは鬼童丸の顔をそっと覗き返した。
「鬼は生まれた時から鬼だとばかり思っておりましたが、人から鬼になることもあるのですね」
「ああ? まあ確かに稀だが、一般常識だろう?」
「そんなに一般的ではないような?」
人と鬼だから、やはり文化や風習には違いがあるようだ。
色々と話をしている間に台盤所へと到着した。
鬼達が米俵に入った白米を櫃に移し、それを手渡してもらう。
「やっぱり、大半が古くなったものですね。今後は、なるべく暗い場所に保管をお願いします」
伝達を受けた鬼達は、人ならざる声を上げると、せかせかと米俵の移動をはじめた。別の鬼達にはたらいに水の準備をしてもらった。
あやめは小袖の袖をまくると、さっそくお米を研ぎ始める。
「では……最初は、さっさと洗って」
橋が見に来た。
「米の洗い方にも色々あるのですか?」
「橋さん、そうなんです。最初のひとすすぎで、結構お水を吸っちゃうんですよ。ぬか臭くならないようにするには、ささっと洗う必要があります」
何だなんだと鬼の従者達がわらわらと集結した。
今日来たばかりの人間の姫の突拍子もない行動を、影からそっと見守っているようだ。
「研いですすいでを何度か行いますけど、手加減は大事です。あんまり強いと米が割れちゃうから注意です。よし、洗い終わりました! 冬なので、半刻(約一時間)ほど置いて、お米に水を吸わせますね」
あやめが研いだ米の入った土鍋を前にして、ふうっとため息をついていると、鬼童丸が声をかけてきた。
「何だ? 人間界では姫のくせに、お前は料理をするのか?」
鬼童丸は首を傾げながら、不思議そうな視線を送ってくる。
「ええ、姫だ何だとは言っておられませんでしたので。鬼の世界がどうかは存じ上げませんが、姫といっても一貴族の娘でしかありません。殿方に捨てられてしまえば、悲惨な末路が待っている女も多い世です」
ふと、優しい母の姿を思い出す。
『あやめのお父様のことを愛しているの。どうか、あの人を信じてあげてほしい』
まるで生娘のように、母は幼いあやめにいつも語り掛けてきた。
『でしたら、無理に他の殿方と結婚しなくても、あやめは大丈夫です』
母を元気づけたくて、いつも明るく返事をしていた。
(母様のように男性に依存しても、苦しい生活を送り続けるだけ)
心の片隅ではそんな風に思うこともあった。
「それならば、自分で活路を見出した方が良いなと思ったまでのこと。周囲からは変わり者だと思われてはおりましたが……」
「そうか」
鬼童丸が愉快な調子であやめを見ていた。
「ちょうど一刻ほど経っていますね。米を笊に上げて水気を切って、鍋に移します。お水をだいたい米と同じ量かちょっと多いぐらい……浸るぐらい入れて……」
米が水分を含んで膨らんできた。
鍋がぐつぐつと煮えると、湯気と共に炎が肌に伝わってじんわり熱くなってくる。
「沸騰させたら、火を弱くして水気がなくなるまで火を通します」
橋があやめの話す内容を料紙に筆で書きつけていた。
鬼童丸は、時間がかかって退屈になったのか、立ったままにもかかわらず、うつらうつらしている。
「お水がなくなったら、炊いた時間と同じぐらいの時間、蒸して……と、完成です!」
あやめは額の汗をぬぐう。
土鍋の中には、ふっくらほかほか炊き立てのご飯が完成していた。白いご飯粒はしっかりと水分を含んでおり、つやつやと、まるで光を放っているかのようだ。
「盛りつけるのは時間がかかりますし、せっかくだから、おにぎりにしましょうか」
そうして、握り飯を作って、鬼達に配る。
目を覚ました鬼童丸が、あやめにぬっと近づいた。
「俺にもくれよ」
「はい、どうぞ。でき立てほやほやですよ」
握り立てのおにぎりを鬼童丸の掌の上に載っけてあげる。
彼は大きな口をあんぐりと開くと、おにぎりを口いっぱいに頬張った。
その時――
ドクン。あやめの心臓が一度大きく跳ね上がる。
(今のは……?)
見れば、鬼童丸も動きが止まっていた。だが、すぐに気を取り直したのか、またもぐもぐと食べ始める。
(一瞬固まったように見えたけど、美味しくないのかしら?)
あやめは相手の反応が気になって、ドキドキしてしまう。
一口、二口、食べた頃には、紅い瞳が爛々と炎のように輝いている。
「中までしっとりしていて旨いな。やみつきになりそうだ!」
「まあ、ありがとうございます! 私も食べますね!」
あやめがおにぎりをパクリと口に含むと、ほかほかのお米が口の中でほぐれてほくほくしてくる。
(先ほどの強飯のようなものと違って、炊き立てのご飯らしい仕上がりね)
集まった鬼達の姿を見ると、あつあつのおにぎりを口にしながら、たいそう幸せそうな表情を浮かべているではないか。
こんなにもたくさんの人達に、自分の料理を食べてもらうのは初めてだった。
そもそも誰かと食事をすること自体久しぶりで、胸がじんと熱くなってくる。
「皆、幸せそうで、嬉しい限りです!」
うっとりしてそう話すあやめのことを鬼童丸はじっと見つめていた。
たくさんの鬼達が、つやつやのご飯粒を見て瞳をキラキラさせながら、しゃもじで椀にご飯をよそっている中、鬼童丸の紅い瞳が和らぐ。口一杯におにぎりを頬張りながらこう言った。
「お前、人間なのに面白い女だな。この飯は、昔を思い出させてくれたよ」
あやめは相手を上向くと、にっこりと微笑んだ。
「お褒めいただきありがとうございます。それと……」
鬼童丸は掌についた米粒を赤い舌でぺろりと舐めて食べ尽くそうとしていた。
「それと、何だ?」
「『お前』ではなく『あやめ』にございます。どうぞよろしくお願いしますね」
すると、ごくんと全てを飲み込んだ鬼童丸が、ひょんなことを言い出した。
「お前、飯粒がついてるぞ」
突然、鬼童丸の指が伸びてきて、あやめの唇の端についたご飯粒を摘まんだ。
かと思えば、ひょいと彼が口の中に放り込む。
「な……!」
あやめは、顔を真っ赤にして絶句してしまう。
「この粒だけでも旨いな」
「なななななな……!」
鬼童丸があやめの顎をくいっと持ち上げた。
「また俺に飯を作ってくれるんだろう? なあ、あやめ?」
「え、ええっと……! それは……!」
今度はきちんと名まで呼ばれてしまい、頬がどんどん火照っていく。
ふと、気になることがあった。
「ん? 私が食べられる話はどうなったのでしょうか?」
食べられてしまったら、ご飯を作ることなどできないのではなかろうか?
困惑するあやめに向かって、鬼童丸が更に驚くべき言葉を投げかけてきた。
「ああ? 説明がまだだったか?」
「説明?」
「喰うってつまるところ、俺の女房になったお前を喰うってことだ。この飯みたいにお前は旨いんだろうな」
「女房? 女房を喰う? 喰う?」
使用人としての女房ということだろうか?
それを喰う?
どういう意味だ。
橋もうんうんと頷いた後、あやめにキラキラとした瞳を向けてくる。
「鬼童丸様は我々の手に負えない御方ですが、どうぞお願いいたしますね、あやめ様! 鬼の頭領に相応しい奥様になってくださりそうです!」
鬼達一同もおにぎりを頬張りながら、うんうんと頷いていた。
(奥様?)
「人間の嫁なんてだるいと思っていたが、俺はだいぶ気に入ったぜ、あやめ。十五年近く探し出した甲斐があったってもんだ」
間髪を入れずに鬼童丸があやめの頬にちゅっと口づけた。
「な、な、な……」
じわじわとあやめは状況を理解してくる。
「女房って、鬼童丸さんの花嫁ってこと!? じゃあ、喰うって、まさか――――!?」
鬼童丸がニヤリと口の端を吊り上げた。
「あやめと一緒なら、退屈しなさそうだな」
あやめは、金魚のように口をパクパクさせた。
意味が分かると恥ずかしくなって、全身が真っ赤になっていく。
(鬼の頭領と結婚だなんて、バリバリ喰われるよりも大変なんじゃ……!?)
かくして、あやめの鬼に囲まれた新婚生活が始まったのだった。
「ええっと?」
鬼の女性は冷たい印象とは裏腹に異様に気分が高揚していっており、どんどん冷静になっていくあやめとの落差がとにかく激しかった。
「私のことは『橋』とお呼びくださいませ! あのツンケンした鬼童丸様の元に来てくださって本当にありがとうございます! さあさあ、お身体を流して差し上げますわね! あらあらあら、なんて麗しい、すべすべとしたお肌……お羨ましいですわ!」
「わわわ!」
あやめは橋と名乗る女性の勢いに飲まれたまま――今から鬼に喰われる状況だということも忘れそうになりながら、身を清められていく。
「どうぞ、単衣を脱いで浴槽に身体を沈められてください」
「単衣を脱いで入るのですか?」
「ええ、そうにございます」
あやめは、湯を張った浴槽を見て面食らってしまう。
溜めた湯を桶で掬って身体にかけるのではなく、木でできた浴槽の湯の中に浸かるようだ。
(鬼の風習は、やはり人とは違うのね)
郷に入っては郷に従えという。
あやめは単衣を脱いで橋に預けると、生まれたままの姿になる。思い切って湯船に浸かってみると、ほどよい熱さの湯加減で、全身に心地よい水圧を感じた。
(まるで極楽浄土に来たようだわ)
しばらく湯の中で過ごすと気持ちが良くて、そのまま眠ってしまいそうだった。
「あやめ姫、そろそろ逆上せてしまいますので、お上がりくださいませ」
浴槽の外へと出る頃には全身は清められており、とてもさっぱりした。
「はい、あやめ姫、新しい単衣をどうぞ」
促されるがまま新しい単衣に袖を通すと、木綿の生地がやわらかく肌を包みこんでくる。
(橋さんがあまりに優しく身体を洗ってくれたから、うっかり絆されてしまったけれど……もしかしたら、逃げ出す機会だった?)
しかしながら、好機は失われてしまった。
とはいえ橋の柔和な笑顔を見ていると、相手が鬼ということも忘れて、御礼を言いたくなってしまう。
「橋さん、ありがとうございます」
「いいえ、あやめ姫、こちらこそ。はい、それでは、頭領がいらっしゃる場所へと向かいましょうか」
先導する橋のあとについて、あやめは渡殿を進んだ。
向かう途中には鬼達が隠れており、キョロキョロとこちらを見てくるので、なんとなく落ち着かない。
彼らの視線を感じながら、寝殿の母屋の中へと進む。
板敷の床がギシリと音を立てる。
「頭領、あやめ姫を連れてまいりましたわ」
橋が御簾をしゅるりと上げた。
あやめが先に中に入ると、胡坐をかいて座る鬼童丸の姿があった。
(私を攫った鬼童丸さん)
あやめからは、ちょうど横顔が見える。赤みがかった黒くて長い睫毛が、かすかに震えた。すっと通った鼻筋に、綺麗だが男性らしい顔立ち。角さえなければ人との区別がつかないものの、この世のものとは思えないほどの美男子だ。
都にある屋敷を訪れた際の格好とは違い蘇芳色の袿姿であり、片膝を立ててくつろいで過ごしていた。瑠璃の盃片手に酒を呷っており、コクリコクリと喉仏が上下に動く様が官能的だった。
(私は今からこの鬼童丸さんに、酒のつまみとして食べられるのかもしれない)
あやめはごくりと唾を飲み込むと、倒れてしまわないように足裏にぐっと力を込めた。
鬼童丸が酒を飲み干すと、ゆるりと視線をこちらに向けてくる。
「ああ、やっと来たのか。おい、女、近くに寄れよ。橋は下がれ」
「女とは、私のことですか?」
「橋には下がれと言った。だったら、お前以外に誰もいねぇだろうが。それにもうここには俺達二人しかいない」
「え? そんなはずは……」
あやめが振り返った時には、もう橋は近くにはいなかった。
ほんの瞬きの間に姿を消してしまったようだ。
「ほら、近くに寄れと言っているだろう?」
彼の側へと恐る恐る近寄ってはみたものの、それ以上どうしようかと立ち尽くしていると、急にぐわんと視界が反転した。
「きゃっ……!」
気付けば、あやめは鬼童丸から衾の上に押し倒される格好になってしまっていた。
「もうずっと喰えてねぇ。腹を空かせてるんだよ、俺は……」
すると、彼の端整な顔があやめの顔に近づいてくる。
(あ……)
こんなにも異性の鼻先が自身の鼻先の辺りに近づいてきたのは初めてで、あやめは喰われることも忘れて、思わず胸の鼓動が高鳴ってしまう。
あやめの眼前で、腹を空かせた鬼童丸の唇が妖艶に開いた。
「やっと飢えから解放されるな」
息がかかる程に近くに彼の顔が迫ってくる。
顔を避けようとして身体ごと捻ろうにも、相手の両脚に挟まれて動けない。
(このまま食べられるの!?)
あやめの胸の内に衝撃が走る。
相手の赤くぬらぬらとした口の中にある白い牙がキラリと光った。
あんな鋭利なものが肌に触れれば、立ちどころに傷がついてしまうだろう。
「離して……!」
「往生際が悪いな。いいからお前は俺に黙って喰われておけよ」
あやめの細首に鋭い牙が迫ってきて、いよいよ吐息を感じる距離になった。
「さて、せっかくだから、まずは……」
「きゃっ!」
あやめは心中で今の状況を嘆いていた。
怖くて思わず目を瞑る。
(まさか! 顔からバリバリ食べられることになるなんて!)
頭や手足から先に喰われるとばかりに思っていたのに……!
いよいよ喰われる。
あやめが身構えた、その時――
ぐ~~~~っ
盛大な腹の虫の音が、室内に響く。
(わ、私ったら……! 鬼の頭領に喰われそうだというのに……!)
そのかなりの大音量に、あやめは恥じらった。
どうにか制御したいのに、腹の虫は勝手に鳴り続けて落ち着いてはくれない。
止まってほしいと願えば願うほど、グーグーと音を立て続けた。
「お前は……」
あやめの身体の上に跨る鬼童丸は面食らっているようだった。
(穴があったら入りたい……!)
彼女の頬は羞恥で林檎のように真っ赤になってしまった。
しばらくすると、彼がくつくつと笑い始めた。
「こんな状況下で腹を鳴らすとは、とんだ女を連れてくるはめになっちまったな」
相手は腹を抱えて大笑いしていた。
あやめの身体の上で揺れ動くものだから、彼の振動がふるふると伝わってくる。
彼がひとしきり笑った後、彼女の身体にのしかかっていた重みがすっと離れた。
「さて、今日は寝るか」
鬼童丸の発言を耳にして、あやめは呆気に取られた。
「ええっと、私を食べる話はどうなったのでしょうか?」
「何だ、喰われたいのか?」
「滅相もございません!」
鬼童丸の問いかけに対して、あやめはぶんぶんと首を横に振った。
「お前は骨と筋ばっかりだから、もう少し肉を付けてからだな。まあ、相当な年月待ったし、今更焦らずとも俺は我慢できる。腹が空いているようだし、橋達に命じて飯でも準備させよう」
鬼童丸は、御簾を持ち上げると、向こう側で待機中の鬼達に向かって声をかける。
(状況が掴めないままだけど、とりあえず、もうしばらくは食べられる話はなし……?)
ひとまずほっとしたような?
何とも形容しがたい気持ちが胸を支配してくる。
こうして、鬼童丸が鬼の女房達に頼んで、あやめ姫のために料理を用意してくれたのだけれど、ちょっとした事件が起こるのだった。
この時代、そもそも貴族と庶民とでは食生活に大きな違いがある。
貴族の間では、仏教の教えが強く反映されていて、食事は「欲」の一つと見なされている。そのため皆の前で食事を取ることは、あまり良しとされていない。食事は庶民とは違い、一汁三菜の形が整えられている。一日二回、朝食は絶対に固粥と決まっているし、時間帯も固定となっている。
一方庶民はといえば、一汁二菜ではあるものの、労働があるため一日三回食事を摂る。白米よりも栄養価の高い玄米が主流である。
更に食事の作法に踏み込めば、正直なところ全然違うといっても差し支えない。
ちなみに、貴族は肉料理は食べないけれども、庶民達の間では根強い人気を誇っているのだ。
……同じ人間同士でもここまで違いがあるのだ。
鬼と人間では食事が違うのは当然のことだろう。
さっそく準備された料理を目の当たりにして、あやめは呆然としていた。
腹の空いた状態なら、どんな料理でも美味しく感じる……はずなのだが……
誰かがせっかく作ってくれたものを非難するのも、頭では良くないとは分かってはいるのだけれど……
「おい、女。鬼達が作る飯はどうだ? 旨いか? 一応は人間出身の橋が作ってくれたんだが」
何とはなしに鬼童丸があやめに向かって声をかけてきた。
「いつもこんな食べ物を鬼達は食べているのですか?」
「いいや。基本的に鬼は人間と同じ飯は喰わねぇ。喰うとしたら、動物の肉ぐらいだな。俺は半分人間だから、たまに女房や従者達が作ってくれるが……」
「貴方は、人間の食べ物をこれだと思っているのですか?」
あやめの椀を持つ手がぶるぶると震える。
「そうだろう、別におかしかねぇだろう? どうした。もしかして、旨すぎて感動して震えてんのか?」
「旨すぎて……?」
あやめの眼前には、一般的な貴族の食事――のようなものが披露されていた。
四角い台盤は、漆塗りの蒔絵が描かれており、とても豪奢なものだ。
その上に、高く盛った強飯、カブのあつもの(汁物)、野菜の醤漬けが三種、調味料の入った四種器が並んでいた。
だが、それはしょせん体裁が整っているだけに過ぎない。
あやめは衝撃のあまり、全身を戦慄かせると大音声で叫んだ。
「ぜんっぜんっ! お食事が美味しくない!」
「ああ?」
白米が盛られた椀を持つあやめの手がぶるぶると震える。
「これは……強飯というよりも、ただのお米……! ぬか臭いし、水をしっかり含む前に炊いてしまった感じが凄まじい……! ご飯といったら、お口の中でふんわりするのが魅力なのに、まさかこんなにガリガリのご飯を食べることになるなんて……!」
あやめは、きっと鬼童丸を睨んだ。
「作り直しです! 台盤所のある雑舎に連れていってくださいませ!」
ものすごい勢いに圧倒された鬼童丸は、「おう……」とだけ頷いたのだった。
鬼童丸に案内してもらい、雑舎にある台盤所に向かう。
移動途中、鬼女の橋が現れた。柳眉を顰めながら、あやめにおずおずと問いかけてくる。
「あやめ姫、申し訳ございません。わたくしが指揮を取って食事を作ったのですが、お気に召さなかったのでしょうか?」
「橋さん、ご飯がガッチガチに固かったのは、橋さんのせいじゃありません。おそらく保存方法の問題だと思うんです。お米は、しっかり米櫃に入れて、日が当たらなくて冷たい場所においておかないと、すぐに悪くなっちゃうんですよ」
すると、ただでさえ生気のない顔色をしている橋の顔がみるみる蒼白になっていく。
「人のご飯を食べなくなって早うん十年……そんなことも知らずに生きてまいりました……こんなんだから、わたくしは旦那様にフラれて……!」
「わわっ、どうしたんですか、橋さん!」
橋がオンオンと泣き始めたので、あやめは必死になだめようと肩に手を添える。隣を歩いていた鬼童丸が、こそっと耳打ちしてきた。
「橋は、旦那の浮気が原因で呪いに手を出してたら、鬼になった類の奴なんだよ。自己評価が低いんだ」
あやめは鬼童丸の顔をそっと覗き返した。
「鬼は生まれた時から鬼だとばかり思っておりましたが、人から鬼になることもあるのですね」
「ああ? まあ確かに稀だが、一般常識だろう?」
「そんなに一般的ではないような?」
人と鬼だから、やはり文化や風習には違いがあるようだ。
色々と話をしている間に台盤所へと到着した。
鬼達が米俵に入った白米を櫃に移し、それを手渡してもらう。
「やっぱり、大半が古くなったものですね。今後は、なるべく暗い場所に保管をお願いします」
伝達を受けた鬼達は、人ならざる声を上げると、せかせかと米俵の移動をはじめた。別の鬼達にはたらいに水の準備をしてもらった。
あやめは小袖の袖をまくると、さっそくお米を研ぎ始める。
「では……最初は、さっさと洗って」
橋が見に来た。
「米の洗い方にも色々あるのですか?」
「橋さん、そうなんです。最初のひとすすぎで、結構お水を吸っちゃうんですよ。ぬか臭くならないようにするには、ささっと洗う必要があります」
何だなんだと鬼の従者達がわらわらと集結した。
今日来たばかりの人間の姫の突拍子もない行動を、影からそっと見守っているようだ。
「研いですすいでを何度か行いますけど、手加減は大事です。あんまり強いと米が割れちゃうから注意です。よし、洗い終わりました! 冬なので、半刻(約一時間)ほど置いて、お米に水を吸わせますね」
あやめが研いだ米の入った土鍋を前にして、ふうっとため息をついていると、鬼童丸が声をかけてきた。
「何だ? 人間界では姫のくせに、お前は料理をするのか?」
鬼童丸は首を傾げながら、不思議そうな視線を送ってくる。
「ええ、姫だ何だとは言っておられませんでしたので。鬼の世界がどうかは存じ上げませんが、姫といっても一貴族の娘でしかありません。殿方に捨てられてしまえば、悲惨な末路が待っている女も多い世です」
ふと、優しい母の姿を思い出す。
『あやめのお父様のことを愛しているの。どうか、あの人を信じてあげてほしい』
まるで生娘のように、母は幼いあやめにいつも語り掛けてきた。
『でしたら、無理に他の殿方と結婚しなくても、あやめは大丈夫です』
母を元気づけたくて、いつも明るく返事をしていた。
(母様のように男性に依存しても、苦しい生活を送り続けるだけ)
心の片隅ではそんな風に思うこともあった。
「それならば、自分で活路を見出した方が良いなと思ったまでのこと。周囲からは変わり者だと思われてはおりましたが……」
「そうか」
鬼童丸が愉快な調子であやめを見ていた。
「ちょうど一刻ほど経っていますね。米を笊に上げて水気を切って、鍋に移します。お水をだいたい米と同じ量かちょっと多いぐらい……浸るぐらい入れて……」
米が水分を含んで膨らんできた。
鍋がぐつぐつと煮えると、湯気と共に炎が肌に伝わってじんわり熱くなってくる。
「沸騰させたら、火を弱くして水気がなくなるまで火を通します」
橋があやめの話す内容を料紙に筆で書きつけていた。
鬼童丸は、時間がかかって退屈になったのか、立ったままにもかかわらず、うつらうつらしている。
「お水がなくなったら、炊いた時間と同じぐらいの時間、蒸して……と、完成です!」
あやめは額の汗をぬぐう。
土鍋の中には、ふっくらほかほか炊き立てのご飯が完成していた。白いご飯粒はしっかりと水分を含んでおり、つやつやと、まるで光を放っているかのようだ。
「盛りつけるのは時間がかかりますし、せっかくだから、おにぎりにしましょうか」
そうして、握り飯を作って、鬼達に配る。
目を覚ました鬼童丸が、あやめにぬっと近づいた。
「俺にもくれよ」
「はい、どうぞ。でき立てほやほやですよ」
握り立てのおにぎりを鬼童丸の掌の上に載っけてあげる。
彼は大きな口をあんぐりと開くと、おにぎりを口いっぱいに頬張った。
その時――
ドクン。あやめの心臓が一度大きく跳ね上がる。
(今のは……?)
見れば、鬼童丸も動きが止まっていた。だが、すぐに気を取り直したのか、またもぐもぐと食べ始める。
(一瞬固まったように見えたけど、美味しくないのかしら?)
あやめは相手の反応が気になって、ドキドキしてしまう。
一口、二口、食べた頃には、紅い瞳が爛々と炎のように輝いている。
「中までしっとりしていて旨いな。やみつきになりそうだ!」
「まあ、ありがとうございます! 私も食べますね!」
あやめがおにぎりをパクリと口に含むと、ほかほかのお米が口の中でほぐれてほくほくしてくる。
(先ほどの強飯のようなものと違って、炊き立てのご飯らしい仕上がりね)
集まった鬼達の姿を見ると、あつあつのおにぎりを口にしながら、たいそう幸せそうな表情を浮かべているではないか。
こんなにもたくさんの人達に、自分の料理を食べてもらうのは初めてだった。
そもそも誰かと食事をすること自体久しぶりで、胸がじんと熱くなってくる。
「皆、幸せそうで、嬉しい限りです!」
うっとりしてそう話すあやめのことを鬼童丸はじっと見つめていた。
たくさんの鬼達が、つやつやのご飯粒を見て瞳をキラキラさせながら、しゃもじで椀にご飯をよそっている中、鬼童丸の紅い瞳が和らぐ。口一杯におにぎりを頬張りながらこう言った。
「お前、人間なのに面白い女だな。この飯は、昔を思い出させてくれたよ」
あやめは相手を上向くと、にっこりと微笑んだ。
「お褒めいただきありがとうございます。それと……」
鬼童丸は掌についた米粒を赤い舌でぺろりと舐めて食べ尽くそうとしていた。
「それと、何だ?」
「『お前』ではなく『あやめ』にございます。どうぞよろしくお願いしますね」
すると、ごくんと全てを飲み込んだ鬼童丸が、ひょんなことを言い出した。
「お前、飯粒がついてるぞ」
突然、鬼童丸の指が伸びてきて、あやめの唇の端についたご飯粒を摘まんだ。
かと思えば、ひょいと彼が口の中に放り込む。
「な……!」
あやめは、顔を真っ赤にして絶句してしまう。
「この粒だけでも旨いな」
「なななななな……!」
鬼童丸があやめの顎をくいっと持ち上げた。
「また俺に飯を作ってくれるんだろう? なあ、あやめ?」
「え、ええっと……! それは……!」
今度はきちんと名まで呼ばれてしまい、頬がどんどん火照っていく。
ふと、気になることがあった。
「ん? 私が食べられる話はどうなったのでしょうか?」
食べられてしまったら、ご飯を作ることなどできないのではなかろうか?
困惑するあやめに向かって、鬼童丸が更に驚くべき言葉を投げかけてきた。
「ああ? 説明がまだだったか?」
「説明?」
「喰うってつまるところ、俺の女房になったお前を喰うってことだ。この飯みたいにお前は旨いんだろうな」
「女房? 女房を喰う? 喰う?」
使用人としての女房ということだろうか?
それを喰う?
どういう意味だ。
橋もうんうんと頷いた後、あやめにキラキラとした瞳を向けてくる。
「鬼童丸様は我々の手に負えない御方ですが、どうぞお願いいたしますね、あやめ様! 鬼の頭領に相応しい奥様になってくださりそうです!」
鬼達一同もおにぎりを頬張りながら、うんうんと頷いていた。
(奥様?)
「人間の嫁なんてだるいと思っていたが、俺はだいぶ気に入ったぜ、あやめ。十五年近く探し出した甲斐があったってもんだ」
間髪を入れずに鬼童丸があやめの頬にちゅっと口づけた。
「な、な、な……」
じわじわとあやめは状況を理解してくる。
「女房って、鬼童丸さんの花嫁ってこと!? じゃあ、喰うって、まさか――――!?」
鬼童丸がニヤリと口の端を吊り上げた。
「あやめと一緒なら、退屈しなさそうだな」
あやめは、金魚のように口をパクパクさせた。
意味が分かると恥ずかしくなって、全身が真っ赤になっていく。
(鬼の頭領と結婚だなんて、バリバリ喰われるよりも大変なんじゃ……!?)
かくして、あやめの鬼に囲まれた新婚生活が始まったのだった。
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