目醒める者たちの輪舞曲

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プロローグ

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 轟々と唸り声を上げるガラス窓へと視線を移し、外れないようにと窓枠へと手をかける。
 外は近年稀に見るほどの猛吹雪で、数歩先の景色さえもわからない。はぁ、っと手に息を吹きかけ少しズレてしまったカーディガンを肩まで掛け直す。
 机へと戻ろうしたその時、視界の端に何かを捉えた。


「――っ、なんだってこんな日に!」


 最悪だ。最悪だ。最悪すぎる。
 こんな猛吹雪の日にこんなことをする馬鹿がどこにいるというのだ。今すぐ追いかけて、ふざけるなと叫んでやりたかった。
 けれど、それは叶わない。何せ今しがた走ってきた時にできたはずの足跡さえ消えてしまう。少しでも体勢をズラせば来た道を見失ってしまうほどの視界の悪さだ。
 それに――


「んの、バカヤロウ……」


 足元に置かれていた小さな小さな赤子の入った籠を抱きしめ、私は孤児院の中へと戻って行った。


 ◆


「テオドール!」

「へっ、ミオンおばさんには追いつけねぇって!」

「おば――! 私はまだ28よッ!」


 星暦430年。春。
 5歳になった俺は孤児院の中を駆け回るのを日課にしていた。
 名誉なことに、つい最近この孤児院で1番のヤンチャ者という称号を手に入れた。兄妹たちを差し置いてこの俺が、孤児院で1番になったのだ。


「テオ、ミオンさんを困らせたらダメでしょ」

「そうだぞ、お前は少し落ち着いた方が――」

「リオ兄さんも昔はテオと同じだったって聞いたけど」

「う、うるさい。 今はもう違うだろ!」

「たまにテオとイタズラしてるよね」


 ミオンおばさんから逃げた先にいたのはリオン兄ちゃんとドロア姉ちゃんだった。
 2人はこの孤児院で1番の年長者で、俺にとっては実の兄姉のような存在だ。ここの皆をまとめてくれる苦労人とミオンおばさんは言っていた。
 ドロア姉よりも背の低かったリオン兄はいつの間にか背丈が伸び、今では街の男の人と変わらない。
 ドロア姉もミオンおばさんと比べれば背は低いけど、スタイルが良くなった――らしい。

 そして、その周りにくっついているのが俺にとっての弟妹たち。あまり懐いてはくれていないけど、全く気にしない。
 俺は1番自由な位置にいる男として好き勝手させてもらうのだから。


「で、テオ。 今度は何をしたの?」

「勉強中にさ、ミオンおばさんの背中にコレいれたんだ」


 そう言って俺はずっと手に握りしめていた足の多い虫を見せびらかした。
 瞬間、ドロア姉の絶叫とともに俺の手に鈍い痛みが広がり、手のひらにいた俺の愛すべき虫――テオドール・ジュニアが宙を舞い、花壇の土へと消えた。
 まるで翼を得たかのように一瞬にして土に潜り、俺はアイツと出会うことは出来なかった。


「何すんだよドロア姉――」

「こっちのセリフよ、バカ! 何よ今の! あんなのどこにいたの!? それを捕まえてミオンさんの背中に!? バカじゃないの!? 死にたいの!?」


 初めて見るほど怒り狂ったドロア姉に肩を揺さぶられ、俺は目を回す。ああ、星が見える。


「ま、まあ、落ち着けよドロア。 虫を捕まえるのは男なら誰だって――」

「限度があるのよ! 限度が! 何よ、今の! 信じられない! あんなのずっと握ってたの!?」

「う、うん」

「よし、切り落とそう」


 それはやめて欲しい。本当に。
 上下左右の区別もつかないほどに揺れた視界の中、俺は地面に額を擦り付けるように頭を下げる。
 そして、次の瞬間には凄まじい力で頭蓋骨を掴まれ、強制的に空を仰がされる。


「テオドール、捕まえたぁ」

「ミオンおば――お姉様……」


 その日、孤児院のある丘の下。そこに広がる市場まで俺の悲鳴は聞こえていたという。


 ◆


「ミオン、テオドールの成長具合はどうだい」

「どうもこうもありませんよ、シスター。 手に負えなすぎます。 ヤンチャなんて言葉では当てはまりませんよ、アレ」

「あっはっはっ! いいじゃないかい、それこそ男の子というものだよ」


 シスターは豪快に笑い声を上げ、天を仰いだ。
 夜半、私は孤児院の3階にある院長室へとやってきた。
 この定例報告ももう何度目だろう。


「で、成長具合はどうなんだい」

「……はぁ。 本当に、あの子は凄まじい体力と運動能力を持っていますよ。 日に日に彼を追いかけるのが困難になっていきます。 今日も……そうですよ! 今日! ちょっと聞いてくださいよ!」


 そう言って私はあの子、テオドールに勉強を教えている最中、背中に足の多い虫――今思い出しただけでも寒気がする――を入れられた話をシスターに怒りをぶちまけるように話す。
 普段なら私の愚痴や口調を注意するシスターだけど、この時ばかりは私に対して共感を示してくれた。「あのバカにはしっかり教育しておくよ」というシスターの言葉に救われた。鉄拳制裁を求む。

 さて、怒りをぶちまけ、制裁することを誓って貰えた私の怒りは次第に胸の奥へ顔を隠し、冷静さが表へと出てきた。

 テオドール。彼がここにやってきた日のことは生涯忘れることはない。
 類を見ないほど猛吹雪の日、あの子はこの孤児院の前に捨てられた。ほんの少しでも発見が遅れていれば、彼は今こうして生きていられなかっただろう。

 そう思えば私はテオドールの命の恩人だ。その恩人にアイツ――

 と怒りが再び顔を出し始めたところでシスターが口を挟んだ。


「あの子の身体能力。 あれは常人のそれじゃあない。 あの子は……」


 テオドールが3歳の頃、孤児院の皆で1年に1度キャンプに行く日。私たちは魔獣に襲われた。
 毎年行っている街の外にある森林近くの草原。その年は猛暑が続き、森の木の実が少なかった。魔獣たちは極度の空腹に駆られ、獲物を誰が先に見つけるか、自分が狩られる側に回らないかを気にして獰猛さをいつも以上に光らせていた。
 そんな時期に、いい匂いを纏わせた人間が森に近づいたのだ、餌として認識されても文句は言えない。

 そんな森の状況を知らなかった当時の私たちは森に近寄り、当然のように魔獣に囲われた。

 けれど、誰一人として犠牲者は出なかった。

 あの時現れた魔獣を一匹残らず倒してしまったのが、何を隠そうテオドールだ。
 当時のことを彼は覚えていないそうだけれど、私やシスター。そしてリオンとドロアは覚えている。

 彼の成長は世界のためになると判断したシスターは、あの日以来テオドールの成長を定期的に聞きたがる。

 自分で確かめないのは、シスターが忙しい身分にあるからだ。
 普段、彼女は孤児院にはおらず、この国の中心――ディアンの街にある大聖堂に勤めている。


「――私にはね、見えるんだ」

「何がです?」

「あのバカが、将来皆に愛される英雄になる姿がね」

「それは傑作ですね。 もし本当にそんなことになったら、私は笑い死にそうですよ」


 きっと、片手に虫を持った女の子たちから嫌われる英雄になることだろう。
 そんな姿を夢想し、堪え切れなくなった笑い声を漏らし、シスターと2人で笑いあったのだった。
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