43 / 48
【43】
しおりを挟む
マリアンネは公爵家の次女で、王家とは縁戚関係にある。
先代公爵が王弟で、先王が即位した際に臣籍降下して公爵位を賜っていた。
爵位は元より王家のものであったから、代が替わってからも変わらず公爵家として存続している。
生まれる前から妃か王配かの何れかが定められていたマリアンネは、婚約者と云うよりフレデリックにとっては既に家族の様なものであろう。
その証拠に、良く似た面立ちの二人は幼子の頃は双子の様であったと聞く。
烟る金の髪にロイヤルブルーの瞳。
佇む姿も麗しく、近寄りがたい美を伴うのはフレデリックとよく似ている。
学園生の頃よりクリスティナは、廊下などで擦れ違う程度の関わりしかなく、その際も顔を伏せて頭を垂れるから、マリアンネにはクリスティナの存在など路傍の石ほどのものであったろう。
王城に出仕してからもそれは変わらなかった筈で、こうして声を掛けられたのは初めての事であった。
クリスティナは、フレデリックへ文書を届ける事をエリザベスに頼まれて、その帰りのことであった。
回廊を急ぎ足で戻る途中で、風に乗って甘やかな薔薇の薫りが漂って来て、ふと足が止まった。
回廊からも遠目に鮮やかな薔薇が見えていた。
休憩の時にでも観てみたい、などと考えていたのが悪かったか。さっさと戻れば良かったのだ。そうすれば、こんなところで鉢合わせにならずに済んだだろう。
マリアンネは苛烈なところもあるが居丈高という訳では無い。だが、過去にフレデリックからの策略に対して仕返しするのにクリスティナを贄にされたという因縁がある。
彼女の中でのクリスティナは、婚約者の心を迷わせ今尚その側を彷徨く小蝿のようなものだろう。
「聞いたわ。婚約なさったそうね。」
「はい、左様でございます。」
「ふうん。」
俯き加減で浅く頭を垂れるクリスティナに、マリアンネは鷹揚に接している。その風格は既に王太子妃そのものである。
「お目出度う。良かったじゃない、一見災いに見えて実は幸運であったと言う事よね。」
クリスティナは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
マリアンネは学園での件の出来事について話している。
「貴女には悪かったと思っているのよ。」
クリスティナは返答を控えた。
答えによってはマリアンネの心象に影響を与える。彼女は王族の血を引く高貴な身分だ。子爵家の娘など一溜まりもない。
「でもそうしなければ伯爵家を潰さねばならなかったでしょう。あの阿呆、そこまで考えたのかしら。なんでもかんでも人を使うのだからお坊ちゃまと言われるのよ。」
何だか思っていたのと話の流れが変わって来た。
「阻止する事も容易かったけれど、阿呆に思い知らさねばならなかったの。私に謀り事を企むなら己が泣くことになるって。絶対泣いたはずよ、フレディは泣き虫だもの。」
フレディとはフレデリックの愛称である。
マリアンネ以外にその呼び名は許されていない。
「貴女には可哀想な事をしたと思っていたのよ。別に側妃にしたいと相談してくれれば済むものを可怪しな事を考えるから失策するのよ。あれではとても国の未来は託せないわ。灸を据えるのは私の務めですもの。」
クリスティナは頭を垂れたまま只管耳を傾ける。
「でも、良かったわ。ローレンは初めから貴女に気がある様だったから上手く立ち回ると思ったのに、真逆相手を確かめる余裕まで失うなんて思わなかったのよ。」
そこまで言ってマリアンネは一步二歩とクリスティナに近づく。
薔薇の薫りとは異なる甘やかな香りが鼻腔を擽る。
そのままマリアンネは歩み寄り、そうしてクリスティナの顔の側まで近寄って来た。
扇で口元を隠してクリスティナに耳打ちをするように、
「お蔭で貴女の虜になった。漸く貴女を得られて歓喜したでしょう、あの唐変木。」
それから徐ろに元の姿勢に戻って、
「貴女には感謝しているのよ。ふらふらするフレディを正してくれて、それからあの唐変木。あの不埒な女誑しを手懐けてくれて。貴女を妃付きの侍女に望んでいたのよ。リズに取られちゃったけど。」
リズとはエリザベス王女の愛称である。
「いい加減、面を上げて頂戴な。」
クリスティナはその言葉に頭を上げた。
不思議と心は平常心を取り戻して、この高貴な令嬢には何故か分からぬ親近感すら感じ始めていた。
「陛下の懐刀、ルース子爵。正にその娘ってところね。判断がブレた時には、私も貴女に相談する事にするわ。」
その時は宜しく、と言うなりマリアンネは背を翻して庭園に向けて歩みを進める。
その後を、これまで影を潜めて侍っていた侍女と護衛が続く。
初夏らしい爽やかな風が心の内に吹き込んだ。
流石は未来の王妃陛下。気さくな物言いであるのに高貴な威厳が場を崩さない。
マリアンネにフレデリックは敵うのだろうか。泣き虫だから無理だろう。
いつかの夜、フレデリックが流した涙を思い出す。あの涙を、マリアンネは幼い頃から受け止めて来たのだろう。
貴女様ほど殿下に相応しい方はおられません。
マリアンネの後ろ姿を見送りながら、クリスティナは思った。
やれやれ王家、喧嘩に側近巻き込むな。
心の奥に硬く癒着していた塊が、ぽろりと取れて砕けていった。
先代公爵が王弟で、先王が即位した際に臣籍降下して公爵位を賜っていた。
爵位は元より王家のものであったから、代が替わってからも変わらず公爵家として存続している。
生まれる前から妃か王配かの何れかが定められていたマリアンネは、婚約者と云うよりフレデリックにとっては既に家族の様なものであろう。
その証拠に、良く似た面立ちの二人は幼子の頃は双子の様であったと聞く。
烟る金の髪にロイヤルブルーの瞳。
佇む姿も麗しく、近寄りがたい美を伴うのはフレデリックとよく似ている。
学園生の頃よりクリスティナは、廊下などで擦れ違う程度の関わりしかなく、その際も顔を伏せて頭を垂れるから、マリアンネにはクリスティナの存在など路傍の石ほどのものであったろう。
王城に出仕してからもそれは変わらなかった筈で、こうして声を掛けられたのは初めての事であった。
クリスティナは、フレデリックへ文書を届ける事をエリザベスに頼まれて、その帰りのことであった。
回廊を急ぎ足で戻る途中で、風に乗って甘やかな薔薇の薫りが漂って来て、ふと足が止まった。
回廊からも遠目に鮮やかな薔薇が見えていた。
休憩の時にでも観てみたい、などと考えていたのが悪かったか。さっさと戻れば良かったのだ。そうすれば、こんなところで鉢合わせにならずに済んだだろう。
マリアンネは苛烈なところもあるが居丈高という訳では無い。だが、過去にフレデリックからの策略に対して仕返しするのにクリスティナを贄にされたという因縁がある。
彼女の中でのクリスティナは、婚約者の心を迷わせ今尚その側を彷徨く小蝿のようなものだろう。
「聞いたわ。婚約なさったそうね。」
「はい、左様でございます。」
「ふうん。」
俯き加減で浅く頭を垂れるクリスティナに、マリアンネは鷹揚に接している。その風格は既に王太子妃そのものである。
「お目出度う。良かったじゃない、一見災いに見えて実は幸運であったと言う事よね。」
クリスティナは背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
マリアンネは学園での件の出来事について話している。
「貴女には悪かったと思っているのよ。」
クリスティナは返答を控えた。
答えによってはマリアンネの心象に影響を与える。彼女は王族の血を引く高貴な身分だ。子爵家の娘など一溜まりもない。
「でもそうしなければ伯爵家を潰さねばならなかったでしょう。あの阿呆、そこまで考えたのかしら。なんでもかんでも人を使うのだからお坊ちゃまと言われるのよ。」
何だか思っていたのと話の流れが変わって来た。
「阻止する事も容易かったけれど、阿呆に思い知らさねばならなかったの。私に謀り事を企むなら己が泣くことになるって。絶対泣いたはずよ、フレディは泣き虫だもの。」
フレディとはフレデリックの愛称である。
マリアンネ以外にその呼び名は許されていない。
「貴女には可哀想な事をしたと思っていたのよ。別に側妃にしたいと相談してくれれば済むものを可怪しな事を考えるから失策するのよ。あれではとても国の未来は託せないわ。灸を据えるのは私の務めですもの。」
クリスティナは頭を垂れたまま只管耳を傾ける。
「でも、良かったわ。ローレンは初めから貴女に気がある様だったから上手く立ち回ると思ったのに、真逆相手を確かめる余裕まで失うなんて思わなかったのよ。」
そこまで言ってマリアンネは一步二歩とクリスティナに近づく。
薔薇の薫りとは異なる甘やかな香りが鼻腔を擽る。
そのままマリアンネは歩み寄り、そうしてクリスティナの顔の側まで近寄って来た。
扇で口元を隠してクリスティナに耳打ちをするように、
「お蔭で貴女の虜になった。漸く貴女を得られて歓喜したでしょう、あの唐変木。」
それから徐ろに元の姿勢に戻って、
「貴女には感謝しているのよ。ふらふらするフレディを正してくれて、それからあの唐変木。あの不埒な女誑しを手懐けてくれて。貴女を妃付きの侍女に望んでいたのよ。リズに取られちゃったけど。」
リズとはエリザベス王女の愛称である。
「いい加減、面を上げて頂戴な。」
クリスティナはその言葉に頭を上げた。
不思議と心は平常心を取り戻して、この高貴な令嬢には何故か分からぬ親近感すら感じ始めていた。
「陛下の懐刀、ルース子爵。正にその娘ってところね。判断がブレた時には、私も貴女に相談する事にするわ。」
その時は宜しく、と言うなりマリアンネは背を翻して庭園に向けて歩みを進める。
その後を、これまで影を潜めて侍っていた侍女と護衛が続く。
初夏らしい爽やかな風が心の内に吹き込んだ。
流石は未来の王妃陛下。気さくな物言いであるのに高貴な威厳が場を崩さない。
マリアンネにフレデリックは敵うのだろうか。泣き虫だから無理だろう。
いつかの夜、フレデリックが流した涙を思い出す。あの涙を、マリアンネは幼い頃から受け止めて来たのだろう。
貴女様ほど殿下に相応しい方はおられません。
マリアンネの後ろ姿を見送りながら、クリスティナは思った。
やれやれ王家、喧嘩に側近巻き込むな。
心の奥に硬く癒着していた塊が、ぽろりと取れて砕けていった。
1,700
お気に入りに追加
1,842
あなたにおすすめの小説
【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす
まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。
彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。
しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。
彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。
他掌編七作品収録。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します
「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」
某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。
【収録作品】
①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」
②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」
③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」
④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」
⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」
⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」
⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」
⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

【完結】愛しい人、妹が好きなら私は身を引きます。
王冠
恋愛
幼馴染のリュダールと八年前に婚約したティアラ。
友達の延長線だと思っていたけど、それは恋に変化した。
仲睦まじく過ごし、未来を描いて日々幸せに暮らしていた矢先、リュダールと妹のアリーシャの密会現場を発見してしまい…。
書きながらなので、亀更新です。
どうにか完結に持って行きたい。
ゆるふわ設定につき、我慢がならない場合はそっとページをお閉じ下さい。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

【完結】「私は善意に殺された」
まほりろ
恋愛
筆頭公爵家の娘である私が、母親は身分が低い王太子殿下の後ろ盾になるため、彼の婚約者になるのは自然な流れだった。
誰もが私が王太子妃になると信じて疑わなかった。
私も殿下と婚約してから一度も、彼との結婚を疑ったことはない。
だが殿下が病に倒れ、その治療のため異世界から聖女が召喚され二人が愛し合ったことで……全ての運命が狂い出す。
どなたにも悪意はなかった……私が不運な星の下に生まれた……ただそれだけ。
※無断転載を禁止します。
※朗読動画の無断配信も禁止します。
※他サイトにも投稿中。
※表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。
「Copyright(C)2022-九頭竜坂まほろん」
※小説家になろうにて2022年11月19日昼、日間異世界恋愛ランキング38位、総合59位まで上がった作品です!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる