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「ねえ、クリスティナ。君はもう知っているだろう。私がテレーゼを疎ましく思っているのを。
彼女は私の妹に生まれてきただけなのだから、何も罪など無いのだよ。母親に似て可憐な姿に生まれついて、生まれただけで愛されひたすら愛でられる。
彼女は愛される為に生きている。だから当然努力も必要無い。」
フレデリックが心の内を語るのを、クリスティナは黙して耳を傾ける。
ただ、その手が優しくフレデリックの髪を梳く。
フレデリックは、それに安堵を得たように話しを続ける。
「王妃である我が母の下に生まれた私もエリザベスもヘンリーも、王族としてその責を背負って生きてきた。
努力は努力とは認められない。して当然の事であるからね。幼いヘンリーでさえ解っている。
エリザベスは姉ではあるが、テレーゼとは一歳しか違わない。それで彼女が担う公務が何れ程か。テレーゼとは比べものにならないのは君にも分かるだろう?
彼女は私以上の努力家だ。幼い内から父と母の姿を見て、国と民の為に身を捧げようと学んで来た。私は彼女ほど勤勉な人物を知らない。王族であるが故にそれを表に見せないだけで、エリザベスは幼い頃から己の役目を理解していた。
テレーゼが公務と称して、エリザベスの用意した既に出来上がった成果を、さも自分の成したことのように語るのを愚かしいと思っていた。
それは兄として失格だとは分かっているよ。君の兄ならこんな事は考えもつかないだろうね。
けれども、テレーゼの姿は側妃の姿そのものだ。王妃が築き上げた成果を横から無邪気に奪い取る。父がそれを分かって許しているのも理解し難い。母が何も言わないのも。
私はそんな側妃を軽蔑しながら、君を側妃にと願った。可笑しなものだね。側妃という存在を忌み嫌っておきながら、君を側妃に据えてでも得たいと願う。
父の気持ちが僅かながら理解出来たよ。人に惹かれるのに理由は無いのだとね。」
フレデリックは、そこでクリスティナの身体から顔を起こす。そうしてクリスティナを見上げた。
「クリスティナ。私の仕打ちを酷いと思うか?」
「それは、テレーゼ様の婚姻の事でしょうか。」
「ああ。初めからアンソニーに会わせる事を考えていた。彼の事は幼少の頃から知っていた。ローレンに何処か纏う雰囲気が似ているのも。学園で知り合った令嬢と恋仲になって、身分の差から妻に出来ず悩んでいるのを知っていたからこの話を持ち掛けた。結局私は、彼にも側妃ならぬ妾を作らせる事になってしまった。彼の最愛を妾にさせてしまった。私は罪深いね。」
「テレーゼ様にローレン様を近付けたのもその為に?」
「ああ。あの二人、中身まで良く似ていたからね。」
「森林の湖へも?」
「うん。テレーゼを堕とせと命じた。流石だよ。ローレンは口付けの一つも与えず甘い言葉だけでテレーゼを誑し込んだ。」
「...」
「ああ、すまない。君がそれで傷心となるのも十分分かっていた。ローレンに呆れて私の下に来てくれないかと望んだくらいだよ。そこはローレンとの契約で無理だったがね。」
「ローレン様と約束なさって、何故私をお呼びになりましたの?」
「君には打ち明けたかった。誰にも話さなずに来た私の胸の内を。それで仕舞いにしたかった。
父は多分、母の愛情も努力も献身も全て承知で、自分の弱さを見せられなかったのだろうね。考えの浅い側妃には、聞くだけ聞いて忘れてもらえる。彼女は深く物事を考えない。何を聞いても直ぐに忘れて、次には自分の事を話すんだ。
聞き捨てされる気安さに、父は甘えたのだろうか。」
「フレデリック様。」
「何だい?クリスティナ。」
「次からは、大切な事は一番初めにマリアンネ様へお話し下さい。」
「ああ、そうするよ。」
「きっと真摯に受け止めて下さいますわ。」
「ああ、きっとそうだろうね。」
「それから、テレーゼ様ですが。テレーゼ様に真の魅力がお有りなら、きっとテレーゼ様もアンソニー様の愛を得られる事でしょう。未来の大公妃であるのを自覚なさって、公国と民の為にお心を傾けられるのなら、その姿勢をきっとアンソニー様もお認めになられる事でしょう。
貴方様がなさった事は、必ずしも過ちでは無いのだと思います。」
あの夜ローレンの語った言葉をフレデリックに告げた。
フレデリックは、自身の髪を梳くクリスティナの手を取った。
それからクリスティナに埋めていた顔を起こしてクリスティナを見上げた。
「クリスティナ、有難う。何だか救われた気がするよ。犯した罪が大き過ぎて追いつかないがね。」
それから少し間を置いてから、迷いの色を滲ませて問うて来た。
「君に最後の願いを言って良いだろうか。」
クリスティナは揺れる鮮やかな青い瞳を見つめる。
「私に口付けをくれないか。」
最初から無理な頼みであるのを百も承知で、身分の隔たりも捨て去ってフレデリックはクリスティナに乞い願う。
そんな事は叶う筈が無いのを解って、己の心にトドメを刺す様に、叶えられない願いを口にした。
クリスティナは、立ち上がった姿勢からゆっくりと腰を下ろす。
そうしてフレデリックと向かい合った。
フレデリックの瞳は尚も揺れて、王太子の仮面は既に何処かへ脱ぎ去っていた。
染み一つ無い美しいその頬に両手を添える。揺れて潤む青い瞳には、クリスティナが映っている。
「フレデリック様、こうしてお会いするのは今宵が最後です。明日からは、貴方様は私がお仕えする君子、そして我がローレンがお仕えする君子でいらっしゃる事をお認め下さい。」
そうしてクリスティナは、そっと触れるだけの口付けをフレデリックに与えた。
柔らかな手が両の頬に添えられて、柔らかな唇がフレデリックのそれに触れる。
その温かな感触をこのひと時限りと味わう。
口付けを受けるフレデリックの閉じた瞼から雫が一筋零れ落ちた。
「有難う、クリスティナ。君を愛していたよ。心から。」
ローレンとの約束通りに、フレデリックは己の罪も弱さも明け渡して、そうしてクリスティナを過去の恋としてくれた。
彼女は私の妹に生まれてきただけなのだから、何も罪など無いのだよ。母親に似て可憐な姿に生まれついて、生まれただけで愛されひたすら愛でられる。
彼女は愛される為に生きている。だから当然努力も必要無い。」
フレデリックが心の内を語るのを、クリスティナは黙して耳を傾ける。
ただ、その手が優しくフレデリックの髪を梳く。
フレデリックは、それに安堵を得たように話しを続ける。
「王妃である我が母の下に生まれた私もエリザベスもヘンリーも、王族としてその責を背負って生きてきた。
努力は努力とは認められない。して当然の事であるからね。幼いヘンリーでさえ解っている。
エリザベスは姉ではあるが、テレーゼとは一歳しか違わない。それで彼女が担う公務が何れ程か。テレーゼとは比べものにならないのは君にも分かるだろう?
彼女は私以上の努力家だ。幼い内から父と母の姿を見て、国と民の為に身を捧げようと学んで来た。私は彼女ほど勤勉な人物を知らない。王族であるが故にそれを表に見せないだけで、エリザベスは幼い頃から己の役目を理解していた。
テレーゼが公務と称して、エリザベスの用意した既に出来上がった成果を、さも自分の成したことのように語るのを愚かしいと思っていた。
それは兄として失格だとは分かっているよ。君の兄ならこんな事は考えもつかないだろうね。
けれども、テレーゼの姿は側妃の姿そのものだ。王妃が築き上げた成果を横から無邪気に奪い取る。父がそれを分かって許しているのも理解し難い。母が何も言わないのも。
私はそんな側妃を軽蔑しながら、君を側妃にと願った。可笑しなものだね。側妃という存在を忌み嫌っておきながら、君を側妃に据えてでも得たいと願う。
父の気持ちが僅かながら理解出来たよ。人に惹かれるのに理由は無いのだとね。」
フレデリックは、そこでクリスティナの身体から顔を起こす。そうしてクリスティナを見上げた。
「クリスティナ。私の仕打ちを酷いと思うか?」
「それは、テレーゼ様の婚姻の事でしょうか。」
「ああ。初めからアンソニーに会わせる事を考えていた。彼の事は幼少の頃から知っていた。ローレンに何処か纏う雰囲気が似ているのも。学園で知り合った令嬢と恋仲になって、身分の差から妻に出来ず悩んでいるのを知っていたからこの話を持ち掛けた。結局私は、彼にも側妃ならぬ妾を作らせる事になってしまった。彼の最愛を妾にさせてしまった。私は罪深いね。」
「テレーゼ様にローレン様を近付けたのもその為に?」
「ああ。あの二人、中身まで良く似ていたからね。」
「森林の湖へも?」
「うん。テレーゼを堕とせと命じた。流石だよ。ローレンは口付けの一つも与えず甘い言葉だけでテレーゼを誑し込んだ。」
「...」
「ああ、すまない。君がそれで傷心となるのも十分分かっていた。ローレンに呆れて私の下に来てくれないかと望んだくらいだよ。そこはローレンとの契約で無理だったがね。」
「ローレン様と約束なさって、何故私をお呼びになりましたの?」
「君には打ち明けたかった。誰にも話さなずに来た私の胸の内を。それで仕舞いにしたかった。
父は多分、母の愛情も努力も献身も全て承知で、自分の弱さを見せられなかったのだろうね。考えの浅い側妃には、聞くだけ聞いて忘れてもらえる。彼女は深く物事を考えない。何を聞いても直ぐに忘れて、次には自分の事を話すんだ。
聞き捨てされる気安さに、父は甘えたのだろうか。」
「フレデリック様。」
「何だい?クリスティナ。」
「次からは、大切な事は一番初めにマリアンネ様へお話し下さい。」
「ああ、そうするよ。」
「きっと真摯に受け止めて下さいますわ。」
「ああ、きっとそうだろうね。」
「それから、テレーゼ様ですが。テレーゼ様に真の魅力がお有りなら、きっとテレーゼ様もアンソニー様の愛を得られる事でしょう。未来の大公妃であるのを自覚なさって、公国と民の為にお心を傾けられるのなら、その姿勢をきっとアンソニー様もお認めになられる事でしょう。
貴方様がなさった事は、必ずしも過ちでは無いのだと思います。」
あの夜ローレンの語った言葉をフレデリックに告げた。
フレデリックは、自身の髪を梳くクリスティナの手を取った。
それからクリスティナに埋めていた顔を起こしてクリスティナを見上げた。
「クリスティナ、有難う。何だか救われた気がするよ。犯した罪が大き過ぎて追いつかないがね。」
それから少し間を置いてから、迷いの色を滲ませて問うて来た。
「君に最後の願いを言って良いだろうか。」
クリスティナは揺れる鮮やかな青い瞳を見つめる。
「私に口付けをくれないか。」
最初から無理な頼みであるのを百も承知で、身分の隔たりも捨て去ってフレデリックはクリスティナに乞い願う。
そんな事は叶う筈が無いのを解って、己の心にトドメを刺す様に、叶えられない願いを口にした。
クリスティナは、立ち上がった姿勢からゆっくりと腰を下ろす。
そうしてフレデリックと向かい合った。
フレデリックの瞳は尚も揺れて、王太子の仮面は既に何処かへ脱ぎ去っていた。
染み一つ無い美しいその頬に両手を添える。揺れて潤む青い瞳には、クリスティナが映っている。
「フレデリック様、こうしてお会いするのは今宵が最後です。明日からは、貴方様は私がお仕えする君子、そして我がローレンがお仕えする君子でいらっしゃる事をお認め下さい。」
そうしてクリスティナは、そっと触れるだけの口付けをフレデリックに与えた。
柔らかな手が両の頬に添えられて、柔らかな唇がフレデリックのそれに触れる。
その温かな感触をこのひと時限りと味わう。
口付けを受けるフレデリックの閉じた瞼から雫が一筋零れ落ちた。
「有難う、クリスティナ。君を愛していたよ。心から。」
ローレンとの約束通りに、フレデリックは己の罪も弱さも明け渡して、そうしてクリスティナを過去の恋としてくれた。
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