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「クリスティナ嬢。」
振り向くと、やはりそこには青い瞳があった。
「アラン様。」
今日の勤めを終えて自室へ戻る途中であった。
同じ様に勤務を終えた者達が幾人か通り過ぎて行く。その中で、アランに声を掛けられ立ち止まった。
「...」
アランは、自分が声を掛けた筈なのに、少し俯き加減に何も言えない様子である。
「アラン様。大丈夫です。」
アランは、昨夜のクリスティナを案じているのだろう。
クリスティナはアランに助けを求めた。アランの名を何度も呼んだのである。
「すまなかった。」
アランはクリスティナを置いて行った事を悔やんでいるのか。
足早に通り過ぎる文官や侍女達の妨げにならない様、どちらともなく横にずれて回廊の端に寄る。
「アラン様、ご心配下さったのですね?」
「うん...」
改めてクリスティナからアランに声を掛けると、アランはまるで年若の青年の様に稚さを含んだ返答をした。
「貴方に助けを求めてしまいました。きっと心を残してご心配なさっていると申し訳なく思っておりました。」
「クリスティナ嬢。」
そこで漸くアランはクリスティナに向けて顔を上げた。
「いつから。」
共に王族に仕えるアランとクリスティナが立ち話をしているのを、仕事絡みの事であろうと通り過ぎる者達に気にする風は無い。
だからだろうか。アランはここで立ち入った事を聞いてきた。
あの時、アランとローレンの間にどんな会話がなされたのかをクリスティナは知らない。微かな話し声は聴こえたけれど、極短い会話を聞き取る事は出来なかった。
責任感の強いアランがクリスティナを置いて行ったのだから、何某か納得する理由があった筈である。
「学園生の頃から。」
「そうか、そうであったか。」
アランは、そうかと繰り返して自分に言い含めている様であった。
それから、
「あやつがクリスティナ嬢に酷いことをするなら、その時はいつでも言ってくれ。今度こそ、必ず助けると約束する。」
そう言って、呼び止めて失礼したと去って行った。
アランがローレンとクリスティナの関係をどう思っているのかは、結局分からなかった。けれども彼にしてみれば、やむ無くクリスティナを置いて行ったのだろう。彼の耳には確かにクリスティナの、自分に助けを求める声が聴こえていたのだろう。
必死に叫んだクリスティナの声は、アランの心を抉ったに違いない。
去り行くアランの後ろ姿を、クリスティナは申し訳無い思いで見送った。
そんな風に分かれたアランであったが、翌日からは常と変わらぬ様子であった。
テレーゼ王女の様子伺いに王女の私室を訪れるフレデリックには、相変わらずアランとローレンが侍っている。二人共、見事なほどに全く感情を表さない表情は、王太子に仕える側近のいつもの顔であった。
いつもの顔と言うなら、フレデリックこそ腹の中で真っ黒な事を考えているのに、テレーゼを見つめて甘々に眦を下げているのには、クリスティナは恐れを通り越して呆れてしまった。
「テレーゼ、アンソニー殿が帰ってしまって寂しかろう。けれど、お前を手離す私の方がどれほど寂しいことか。お前は分からないだろう。」
「まあ!そんな事はありませんわ、お兄様。私こそお兄様と離れてしまうのがどれ程心細くて寂しい事か。でも、私、頑張ります。アンソニー様と一緒に公国の為に励みますから、お兄様、どうか安心なさって下さいませ。」
クリスティナは、ローレンから聞かされた衝撃の事実を知ってから、この純真無垢な王女を前に、心がチクチク時にはシクシク痛んでしまう。
何も知らずに知らされずに、飾られる為に輿入れをするテレーゼ。
我が身に置き換えたならどれ程虚しい事だろう。婚姻は女の一生を左右する。
そこには王侯貴族も平民も関係しない。
夫に愛される。それがどれほど妻を慰め輝かせるか。
けれども。クリスティナはそこまで考えて、毎回ローレンの言葉を思い出す。
テレーゼが、彼女自身の魅力でアンソニーの心を捉えられたなら。
未来の大公妃として、政と民に真摯に向き合ったなら。
今は心を他に寄せるアンソニーも、テレーゼに愛を覚えるかもしれない。
それはクリスティナの願いでもあった。
純真無垢なままではいられない。
傷付く事は避けられない。
その傷がテレーゼを更に磨いて輝かせてくれる事を願わずにはいられない。
そんな事を考えながら、兄に微笑み可憐な笑みを向けるテレーゼを見つめていた。
ふと視線をずらして背中に冷気を浴びせられた様に息が詰まった。
フレデリックがこちらを見ている。
時間にすればほんの僅かな間であったが、はっきりとした意図をもってフレデリックがこちらを見るのをクリスティナは感じ取った。
フレデリックはクリスティナに何を言いたいのだろう。
この場には当然、アランもローレンも居る。
ローレンの方を向きそうになるのを何とか堪えて、クリスティナは目を伏せた。
何も気付かなかったらしいテレーゼが朗らかに話し続けているのを、フレデリックはそちらに視線を戻して眦を下げる。
なんて器用な眦なのかしら。あの視線が合った時のフレデリックは、王族を体現する強い眼差しであった。
百獣の若獅子が獲物を見定める、そう云う眼であった。
去り際、頭を垂れるクリスティナの前をフレデリックが通り過ぎる時、クリスティナは暖炉に暖められた室内にあって凍える冷気を感じたのだった。
振り向くと、やはりそこには青い瞳があった。
「アラン様。」
今日の勤めを終えて自室へ戻る途中であった。
同じ様に勤務を終えた者達が幾人か通り過ぎて行く。その中で、アランに声を掛けられ立ち止まった。
「...」
アランは、自分が声を掛けた筈なのに、少し俯き加減に何も言えない様子である。
「アラン様。大丈夫です。」
アランは、昨夜のクリスティナを案じているのだろう。
クリスティナはアランに助けを求めた。アランの名を何度も呼んだのである。
「すまなかった。」
アランはクリスティナを置いて行った事を悔やんでいるのか。
足早に通り過ぎる文官や侍女達の妨げにならない様、どちらともなく横にずれて回廊の端に寄る。
「アラン様、ご心配下さったのですね?」
「うん...」
改めてクリスティナからアランに声を掛けると、アランはまるで年若の青年の様に稚さを含んだ返答をした。
「貴方に助けを求めてしまいました。きっと心を残してご心配なさっていると申し訳なく思っておりました。」
「クリスティナ嬢。」
そこで漸くアランはクリスティナに向けて顔を上げた。
「いつから。」
共に王族に仕えるアランとクリスティナが立ち話をしているのを、仕事絡みの事であろうと通り過ぎる者達に気にする風は無い。
だからだろうか。アランはここで立ち入った事を聞いてきた。
あの時、アランとローレンの間にどんな会話がなされたのかをクリスティナは知らない。微かな話し声は聴こえたけれど、極短い会話を聞き取る事は出来なかった。
責任感の強いアランがクリスティナを置いて行ったのだから、何某か納得する理由があった筈である。
「学園生の頃から。」
「そうか、そうであったか。」
アランは、そうかと繰り返して自分に言い含めている様であった。
それから、
「あやつがクリスティナ嬢に酷いことをするなら、その時はいつでも言ってくれ。今度こそ、必ず助けると約束する。」
そう言って、呼び止めて失礼したと去って行った。
アランがローレンとクリスティナの関係をどう思っているのかは、結局分からなかった。けれども彼にしてみれば、やむ無くクリスティナを置いて行ったのだろう。彼の耳には確かにクリスティナの、自分に助けを求める声が聴こえていたのだろう。
必死に叫んだクリスティナの声は、アランの心を抉ったに違いない。
去り行くアランの後ろ姿を、クリスティナは申し訳無い思いで見送った。
そんな風に分かれたアランであったが、翌日からは常と変わらぬ様子であった。
テレーゼ王女の様子伺いに王女の私室を訪れるフレデリックには、相変わらずアランとローレンが侍っている。二人共、見事なほどに全く感情を表さない表情は、王太子に仕える側近のいつもの顔であった。
いつもの顔と言うなら、フレデリックこそ腹の中で真っ黒な事を考えているのに、テレーゼを見つめて甘々に眦を下げているのには、クリスティナは恐れを通り越して呆れてしまった。
「テレーゼ、アンソニー殿が帰ってしまって寂しかろう。けれど、お前を手離す私の方がどれほど寂しいことか。お前は分からないだろう。」
「まあ!そんな事はありませんわ、お兄様。私こそお兄様と離れてしまうのがどれ程心細くて寂しい事か。でも、私、頑張ります。アンソニー様と一緒に公国の為に励みますから、お兄様、どうか安心なさって下さいませ。」
クリスティナは、ローレンから聞かされた衝撃の事実を知ってから、この純真無垢な王女を前に、心がチクチク時にはシクシク痛んでしまう。
何も知らずに知らされずに、飾られる為に輿入れをするテレーゼ。
我が身に置き換えたならどれ程虚しい事だろう。婚姻は女の一生を左右する。
そこには王侯貴族も平民も関係しない。
夫に愛される。それがどれほど妻を慰め輝かせるか。
けれども。クリスティナはそこまで考えて、毎回ローレンの言葉を思い出す。
テレーゼが、彼女自身の魅力でアンソニーの心を捉えられたなら。
未来の大公妃として、政と民に真摯に向き合ったなら。
今は心を他に寄せるアンソニーも、テレーゼに愛を覚えるかもしれない。
それはクリスティナの願いでもあった。
純真無垢なままではいられない。
傷付く事は避けられない。
その傷がテレーゼを更に磨いて輝かせてくれる事を願わずにはいられない。
そんな事を考えながら、兄に微笑み可憐な笑みを向けるテレーゼを見つめていた。
ふと視線をずらして背中に冷気を浴びせられた様に息が詰まった。
フレデリックがこちらを見ている。
時間にすればほんの僅かな間であったが、はっきりとした意図をもってフレデリックがこちらを見るのをクリスティナは感じ取った。
フレデリックはクリスティナに何を言いたいのだろう。
この場には当然、アランもローレンも居る。
ローレンの方を向きそうになるのを何とか堪えて、クリスティナは目を伏せた。
何も気付かなかったらしいテレーゼが朗らかに話し続けているのを、フレデリックはそちらに視線を戻して眦を下げる。
なんて器用な眦なのかしら。あの視線が合った時のフレデリックは、王族を体現する強い眼差しであった。
百獣の若獅子が獲物を見定める、そう云う眼であった。
去り際、頭を垂れるクリスティナの前をフレデリックが通り過ぎる時、クリスティナは暖炉に暖められた室内にあって凍える冷気を感じたのだった。
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