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「そうか。テレーゼ様は相変わらず食事を拒まれておられるのか。」
「はい。ですが、本日は昼餉に苺が付きました。」
「何?真か?」
「ええ。王妃様の温室で栽培されたものであるからと、王妃様の御心であると申しましたら漸くお召し上がりになられました。」
「そうであったか。いや、それは良かった。王妃陛下の苺は帝国への贈答用であるから、それをお分けになったと云うのは些か驚いた。何れにせよお召し上がりになったのであれば何より。殿下に報告しよう。」
午後の日射しが入り込む室内は本来ならば明るいところを、今はカーテンを閉め切って窓の外からの視線を遮っている。
閉められたカーテンの僅かな隙間から、初冬の日射しが入り込んで細い光の筋が床に伸びている。
先に来ていたアランが暖炉に火を焚べてくれており、部屋の中は暖かかった。
ランプが灯す薄灯りの室内はまるで夜を思わせて、同じ配置の部屋、馴染んだもう一つの部屋を思い出したクリスティナはそれを思考の外に追いやった。
「アラン様、フレデリック殿下にはご報告をなさったのですか?」
「ああ、見過ごすには事が大き過ぎた。しかし、」
そこでアランは少し考える風であったが、確信を得たのかその先を続けた。
「しかし、殿下は既にご存知の様子であった。私の報告に特に驚く事は無かった。もしかしたら、ローレンと王女が城を出た時から、殿下は二人の行動を分かっておられたのかも知れない。」
「真逆。それは何の為に?仮にお分かりであったなら、何故お止めにならなかったのでしょうか。それとも二人に分からないように護衛を付けたのでは?」
「ああ、私もそう思うのだが、あの日は本当に誰も付いてはいなかった様なのだ。馬車は人を雇っていたらしく、伯爵家も関わっていなかった。今思っても危険しかない。何故ローレンがその様な危険を冒したのか。ローレンはそれ程愚かな男ではない。他に方法はいくらでも選べた筈だ。」
二人の間に沈黙が訪れる。
クリスティナは意を決して言ってみた。
「それ程テレーゼ様を愛していらしたのでしょう。」
アランはそれには答えなかった。
無言の内に何か考えるいるらしかった。
そうして、
「クリスティナ嬢、本当にそう思うか?」
そう問うて来た。
「ええ。テレーゼ様と二人きりの逢瀬を望んでおられたのだと。若しくはテレーゼ様のご希望を叶えて差し上げたのだと。」
「私にはそうは思えないのだ。殿下もローレンも、何か...いや、考え過ぎだろう。私達がここで何かを判断するのは危険だ。解らない事が多すぎる。今は、テレーゼ王女殿下を無事に公国へお輿入れさせる事に注力せねばなるまい。」
「ええ、そうですね。」
暖炉の炎を瞳に映すアランの表情には翳りが差して見えた。何と声を掛けてよいのかクリスティナは迷う。
そこでまた二人とも黙り込んでしまった。
口下手な二人であるから仕方が無い。
「ああ、その、クリスティナ嬢。」
「は、はい。何でございましょう。」
「ああ、姉が大層喜んでいた。」
「まあ!それは何よりですわ。兄も喜んでおりました。二人の時間を思い出して噛み締めているようでしたから。」
「そうか。何とかならんものかな。」
「ええ、本当に。」
クリスティナの兄とアランの姉は、今年共に27歳を迎える。兄は兎も角、キャサリンは令嬢としての嫁ぎ時をすっかり逃しており、口の悪い者には「行き遅れ」などと陰口を言われるのを、本人はさして気にしないでいる様なのだ。
侯爵家の令嬢であり父侯爵は宰相である事から、表立って悪く言う者は少ないが、人の口には戸は立てられない。
クリスティナは、父はそれをどう考えているのだろう、同じ娘を持つ親として、と考えたところで、自分も立派な行き遅れである事に改めて気が付いて、なんだかちょっと惨めになってしまった。
「ん?クリスティナ嬢、どうされた。ああ、姉の事で要らぬ心配をさせたのなら申し訳ない。そう気にしないでくれ。姉はああ見えて肝が座っているんだ。いつまでも待つつもりでいる。それこそ父が鬼籍に入るのを待っているのかもな、ははは。」
自分が立派な行き遅れである事に感傷的になっているクリスティナが、互いの兄と姉の未来を憂いているのだと思い違いをしたらしいアランが、あまり上手くない冗談でクリスティナの気分を軽くしようと頑張っている。
アランは高位貴族の奢りも持たず、心根のすっきりとした誠実な青年だと、改めてクリスティナは思った。
そうして、自分を犬呼ばわりした男とは何もかも違うと、未だに無意識に比べて思い出す自分を持て余した。
「クリスティナ嬢、テレーゼ王女をくれぐれも頼む。王女は公国令息との会合を控えている。」
ここでアランは重大発言をした。
「え?それはいつなのでしょうか。」
「年内だ。その席でテレーゼ王女があの調子では不味いだろう。」
「仰る通りですわ。」
「うん、もうそれ程時間は無い。テレーゼ王女には覚悟を持って頂きたい。」
「ですが、私からそれを申し上げるのはどうかと。」
「勿論その通りだ。そこはフレデリック殿下が上手くなさるだろう。クリスティナ嬢は、テレーゼ王女の御身体をお任せしたい。健やかでいてもらわねば困るのだ。」
「ええ、承知致しました。これまで以上にお仕えさせて頂きます。」
「ああ、宜しく頼むよ。」
アランとの連絡会が終る頃には、日は既に翳り始めていた。夕暮れが齎す宵の気配は、クリスティナの心の中も薄っすらと染め上げる。
大公令息とテレーゼ王女の会合を、どうか無事に迎えられます様に。そう思う先から不安が湧いて来るのであった。
「はい。ですが、本日は昼餉に苺が付きました。」
「何?真か?」
「ええ。王妃様の温室で栽培されたものであるからと、王妃様の御心であると申しましたら漸くお召し上がりになられました。」
「そうであったか。いや、それは良かった。王妃陛下の苺は帝国への贈答用であるから、それをお分けになったと云うのは些か驚いた。何れにせよお召し上がりになったのであれば何より。殿下に報告しよう。」
午後の日射しが入り込む室内は本来ならば明るいところを、今はカーテンを閉め切って窓の外からの視線を遮っている。
閉められたカーテンの僅かな隙間から、初冬の日射しが入り込んで細い光の筋が床に伸びている。
先に来ていたアランが暖炉に火を焚べてくれており、部屋の中は暖かかった。
ランプが灯す薄灯りの室内はまるで夜を思わせて、同じ配置の部屋、馴染んだもう一つの部屋を思い出したクリスティナはそれを思考の外に追いやった。
「アラン様、フレデリック殿下にはご報告をなさったのですか?」
「ああ、見過ごすには事が大き過ぎた。しかし、」
そこでアランは少し考える風であったが、確信を得たのかその先を続けた。
「しかし、殿下は既にご存知の様子であった。私の報告に特に驚く事は無かった。もしかしたら、ローレンと王女が城を出た時から、殿下は二人の行動を分かっておられたのかも知れない。」
「真逆。それは何の為に?仮にお分かりであったなら、何故お止めにならなかったのでしょうか。それとも二人に分からないように護衛を付けたのでは?」
「ああ、私もそう思うのだが、あの日は本当に誰も付いてはいなかった様なのだ。馬車は人を雇っていたらしく、伯爵家も関わっていなかった。今思っても危険しかない。何故ローレンがその様な危険を冒したのか。ローレンはそれ程愚かな男ではない。他に方法はいくらでも選べた筈だ。」
二人の間に沈黙が訪れる。
クリスティナは意を決して言ってみた。
「それ程テレーゼ様を愛していらしたのでしょう。」
アランはそれには答えなかった。
無言の内に何か考えるいるらしかった。
そうして、
「クリスティナ嬢、本当にそう思うか?」
そう問うて来た。
「ええ。テレーゼ様と二人きりの逢瀬を望んでおられたのだと。若しくはテレーゼ様のご希望を叶えて差し上げたのだと。」
「私にはそうは思えないのだ。殿下もローレンも、何か...いや、考え過ぎだろう。私達がここで何かを判断するのは危険だ。解らない事が多すぎる。今は、テレーゼ王女殿下を無事に公国へお輿入れさせる事に注力せねばなるまい。」
「ええ、そうですね。」
暖炉の炎を瞳に映すアランの表情には翳りが差して見えた。何と声を掛けてよいのかクリスティナは迷う。
そこでまた二人とも黙り込んでしまった。
口下手な二人であるから仕方が無い。
「ああ、その、クリスティナ嬢。」
「は、はい。何でございましょう。」
「ああ、姉が大層喜んでいた。」
「まあ!それは何よりですわ。兄も喜んでおりました。二人の時間を思い出して噛み締めているようでしたから。」
「そうか。何とかならんものかな。」
「ええ、本当に。」
クリスティナの兄とアランの姉は、今年共に27歳を迎える。兄は兎も角、キャサリンは令嬢としての嫁ぎ時をすっかり逃しており、口の悪い者には「行き遅れ」などと陰口を言われるのを、本人はさして気にしないでいる様なのだ。
侯爵家の令嬢であり父侯爵は宰相である事から、表立って悪く言う者は少ないが、人の口には戸は立てられない。
クリスティナは、父はそれをどう考えているのだろう、同じ娘を持つ親として、と考えたところで、自分も立派な行き遅れである事に改めて気が付いて、なんだかちょっと惨めになってしまった。
「ん?クリスティナ嬢、どうされた。ああ、姉の事で要らぬ心配をさせたのなら申し訳ない。そう気にしないでくれ。姉はああ見えて肝が座っているんだ。いつまでも待つつもりでいる。それこそ父が鬼籍に入るのを待っているのかもな、ははは。」
自分が立派な行き遅れである事に感傷的になっているクリスティナが、互いの兄と姉の未来を憂いているのだと思い違いをしたらしいアランが、あまり上手くない冗談でクリスティナの気分を軽くしようと頑張っている。
アランは高位貴族の奢りも持たず、心根のすっきりとした誠実な青年だと、改めてクリスティナは思った。
そうして、自分を犬呼ばわりした男とは何もかも違うと、未だに無意識に比べて思い出す自分を持て余した。
「クリスティナ嬢、テレーゼ王女をくれぐれも頼む。王女は公国令息との会合を控えている。」
ここでアランは重大発言をした。
「え?それはいつなのでしょうか。」
「年内だ。その席でテレーゼ王女があの調子では不味いだろう。」
「仰る通りですわ。」
「うん、もうそれ程時間は無い。テレーゼ王女には覚悟を持って頂きたい。」
「ですが、私からそれを申し上げるのはどうかと。」
「勿論その通りだ。そこはフレデリック殿下が上手くなさるだろう。クリスティナ嬢は、テレーゼ王女の御身体をお任せしたい。健やかでいてもらわねば困るのだ。」
「ええ、承知致しました。これまで以上にお仕えさせて頂きます。」
「ああ、宜しく頼むよ。」
アランとの連絡会が終る頃には、日は既に翳り始めていた。夕暮れが齎す宵の気配は、クリスティナの心の中も薄っすらと染め上げる。
大公令息とテレーゼ王女の会合を、どうか無事に迎えられます様に。そう思う先から不安が湧いて来るのであった。
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