囚われて

桃井すもも

文字の大きさ
上 下
4 / 48

【4】

しおりを挟む
王太子にエスコートされながら、テレーゼ王女が薔薇の花を愛でている。
その姿こそが花である。

高貴な血を体現した様な麗しい見目の兄姉達とは別の、清らかで儚げな姿は妖精そのものである。

ほっそりと小柄で薄い身体。靭やかに伸びる細い腕。兄の腕に掛ける手は白く小さく柔らかそうで、何処もかしこも甘やかな空気を纏っている。
姫の姿に、愛でられる花さえ恥ずかしがるのではないかと思われた。


「テレーゼ、こちらだよ。」
「なあに?お兄様。」
「君の名を付けた薔薇だよ。」
「本当に?」
「ああ、見てご覧。」
「まあ!なんて可愛いらしいのかしら!」

王女の名を付けられた薔薇は、近年作出された新品種である。
元は古典的なピンクの大輪花であったのを改良を重ねて、花弁の縁に白く細やかなひだを持たせた。それがまるでプリンセスラインのドレスにフリルを縫い留めた様に見えて、王女に捧げられるに相応しい可憐な姿なのである。


「少し切り出そう。部屋に飾ると良い。」
「頂戴しても宜しいの?」
「お前の為に生まれた薔薇だよ。飾って愛でてあげなさい。」
「嬉しいわ、お兄様。」

妹王女の笑みに眦を下げていた王太子がこちらを振り返った。

「誰か、切ってくれないか。ああ、クリスティナ。君に頼もう。」

真逆、ここで名を呼ばれると思っていなかったクリスティナは、内心大いに焦った。
庭師が手渡してくれた挟みを携え、高貴な面々の前に進み出る。

それから、今を盛りとばかりに花弁を開く薔薇を一輪二輪と切り、これから開くもの、蕾のものと三輪四輪切って行く。
切り出した先から甘く濃厚な香りが匂い立つ。それさえ姫君の隠された魅力の様に思われた。

いつの間にか用意されていた籠にそれらを納めて鋏を庭師に返してから、頭を垂れ気味に畏まって、なるだけ場の空気を乱さぬ様に細心の注意を払って後ろに下がった。

その一部始終の全てが、王太子と王女ばかりでなく側近に護衛、侍女達の面前での事であった。そこには当然ローレンもいる。

集団の後方、元の位置に戻って漸く息を吐く。
実のところ、王太子も側近達もよく知る面々である。彼らとは学園では同窓であったから。

しかし、学び舎では同じ生徒であったとしても、王族である王太子は言わずもがな、側近である彼等は皆高位貴族の令息ばかりで、クリスティナとは純然たる爵位の差がある。子爵家の次女とは身分が違う。

息苦しい時間が過ぎて「兄と妹の薔薇の鑑賞会」は御開きとなった。

漸くこの面々から離れられる。
クリスティナには安堵しか無かった。だから、ローレンがくるりと身を翻してこちらに来て「クリスティナ嬢、棘が刺さったのではないか。」そう言ってハンカチを渡してきたのに息を飲んだ。

思いもしない展開に、晴天の下であるのに真っ暗な闇に落とされる感覚を覚えた。
思わず目を瞑ってしまいたくなるのを堪えて、有難うございますとハンカチを受け取る。

誘いを受け取ってしまった。
ローレンからの接触は、夜の誘いである。
また熱い夜に狂わされる。

あの初夏の絶望が蘇る。この絶望を、あれから幾度感じたことか。
数えられぬほどの回数を、この男に囚われ狂わされ翻弄されて来たのだった。



「クリスティナ、大丈夫?」

テレーゼ王女の私室に切り出した薔薇を生けていると、王女が心配気に声を掛けて来た。

「お兄様ったら、庭師がいたのだから庭師に切って貰えばよろしかったのに。ごめんなさいね、痛かったでしょう?」

テレーゼ王女はその見目の通り、儚く穏やかで心根の優しい姫である。
クリスティナが本当に棘で手を痛めたのだと心配している。
あれがローレンからの誘いの手段であるなどと考えも及ばないだろう。

心も身体も清らかな姫は、暗い水底に汚された身体で横たわる自分とは違うのだ。

「テレーゼ様、ご心配をお掛けして申し訳ございません。大した傷ではございません。どうぞご安心下さい。」

この清廉な王女の心を曇らせてはならない。
クリスティナがそう答えれば、王女はやはり、それなら良かったと柔らかな笑みを浮かべるのであった。



今日の勤めを終えて、目的の場所を頭に思いながら回廊を歩いていると、

「クリスティナ嬢。」

見知った男に声を掛けられた。

「アラン様。」

アランは王太子の側近である。
彼はバークリー侯爵家の嫡男で、父侯爵は宰相職に就いている。
学園では王太子やローレンと共に同窓で、「高貴な集団」の一人であった。

「如何なさいましたか?アラン様。」
クリスティナの名を呼んだまま何やら考えている風なアランに、クリスティナから声を掛ける。

「ああ、いや、その大丈夫だろうか。」
「?」
「その、指を傷付けたのだろう?」

どうやら昼間のローレンの言動に、クリスティナが薔薇の棘で指を痛めたと心配しているらしい。

「ご心配頂きまして有難うございます。大した傷ではございません。」

テレーゼ王女に答えたのと同じ様な返事を返す。

「それは良かった。令嬢の手であるから大事にしてくれ。殿下も殿下だ。棘のある花を摘ませるなどと。庭師がいたのだから任せればよいものを」

アランは、艶のある黒髪に青い瞳の目元も凛々しい青年貴族である。平素は言葉少なく周囲に気を配りながら王太子の後に侍っている。

彼にしては珍しく長い言葉を発している。そればかりか、あろう事か王太子への避難めいた発言をするのだから、クリスティナは咄嗟に辺りを見回した。

誰かに聞かれて不敬と問われては堪らない。

けれども当の本人であるアランは、そんな事は気にならないらしい。





しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

旦那様はとても一途です。

りつ
恋愛
 私ではなくて、他のご令嬢にね。 ※「小説家になろう」にも掲載しています

婚約者の番

毛蟹葵葉
恋愛
私の婚約者は、獅子の獣人だ。 大切にされる日々を過ごして、私はある日1番恐れていた事が起こってしまった。 「彼を譲ってくれない?」 とうとう彼の番が現れてしまった。

【完結】愛しい人、妹が好きなら私は身を引きます。

王冠
恋愛
幼馴染のリュダールと八年前に婚約したティアラ。 友達の延長線だと思っていたけど、それは恋に変化した。 仲睦まじく過ごし、未来を描いて日々幸せに暮らしていた矢先、リュダールと妹のアリーシャの密会現場を発見してしまい…。 書きながらなので、亀更新です。 どうにか完結に持って行きたい。 ゆるふわ設定につき、我慢がならない場合はそっとページをお閉じ下さい。

旦那様には愛人がいますが気にしません。

りつ
恋愛
 イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。 ※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】返してください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと我慢をしてきた。 私が愛されていない事は感じていた。 だけど、信じたくなかった。 いつかは私を見てくれると思っていた。 妹は私から全てを奪って行った。 なにもかも、、、、信じていたあの人まで、、、 母から信じられない事実を告げられ、遂に私は家から追い出された。 もういい。 もう諦めた。 貴方達は私の家族じゃない。 私が相応しくないとしても、大事な物を取り返したい。 だから、、、、 私に全てを、、、 返してください。

処理中です...