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青味の強いブルネットの髪は、光の加減で黒くも見える。榛の瞳が益々暗さを添える様で、王宮侍女の黒いお仕着せを纏えば、自身の影にも溶け込めそうに思えた。
暗色の髪は令嬢のそれに比べると幾分短めであるのは、自分で結い上げやすい為である。
緩くうねる髪を後ろできっちり結い上げる。化粧は極々薄く装飾も着けない。
喉元まで包む高襟のお仕着せを着る姿は、修道院のシスターかガヴァネスの様である。
今日は早番であるクリスティナが廊下へ出れば、やはり早番であるアリシアも部屋を出るところであった。
アリシアは男爵家の三女でクリスティナと同じくテレーゼ第二王女殿下に仕える侍女である。
「おはよう、クリスティナ。」
「おはよう、アリシア。」
アリシアはクリスティナの一つ年上であるが、王宮の侍女になったのはクリスティナの方が先であったから、年上だけれど後輩と云う事で身分の隔たりなく等しく同僚として接している。
貴族令嬢の次女・三女などは、貴族の嫡男にでも嫁げなければ無位の平民と同じである。守ってくれる夫を得られないのであれば自分の力で立たねばならない。
王宮には、文官職であったり下級の使用人であったり、中には女性騎士もいて、勤労によって身を立てる女性は大勢いる。
王宮と云う最高峰の環境で王女付きとなる幸運に恵まれて、二人は漸く自身を守る術を得たのである。
夏至を過ぎたばかりの夜明けは早い。
冬であれば惰眠を貪りたくなる暗闇であるのに、この季節の朝は明るく心地良い。
早起きの鳥の囀りが姦しい。
それが複雑な構造の王城にこだまして響いている。
回廊から見える桃色に染まる空。
王城を囲む木々が影となって、暁の空に黒く浮かび上がっている。その木々の間から、濃いオレンジ色の朝日が昇ろうとしていた。
美しい朝の風景。湿った風初夏の香りを孕んでいる。
早朝の生まれたての空気を胸いっぱいに吸い込んで、クリスティナは王女の私室へ向かった。
クリスティナの仕えるテレーゼ王女は、王国の第二王女である。
王太子の他は第一王女に続いてテレーゼがおり、その下に年の離れた第二王子がいる。
テレーゼ王女のハニーブロンドの髪色が他の王子王女と異なるのは、彼女が側妃腹であるからだ。
側妃も同じ髪色の可憐な令嬢であったのを、当時王太子であった現国王に見初められて輿入れした。
鮮やかなロイヤルブルーの瞳は父王のそれを受け継いで、彼女が確かに王族の一員であるのを示していた。
母妃によく似た王女は可憐である。
透き通る白い肌と蜂蜜色の髪。鮮やかな青い瞳を引き立てる桃色の唇まで愛らしい。
王女はこの春学園を卒業したばかりで、今は兄の王太子と一つ年上の姉である第一王女に倣って公務の一端を担っている。
蕩ける様な甘い髪色と同じくその人柄もおっとりとして、王妃のお腹である他の兄姉弟達の涼しげな麗しさとは纏う雰囲気を別にしていた。
伯爵令嬢であった母である側妃が、公爵令嬢であり幼少の頃から王の婚約者であった王妃とは歴とした身分の隔たりがある事を心得てか、テレーゼ王女は出過ぎる事のない大人しい気質であった。
兄姉弟との仲は良く、兄も姉も弟もこの腹違いの王女と良く馴染んで、王太子は特にこの妹を可愛がっている。
であるから、こんな場面は日常であった。
テレーゼに付き従い王城の回廊を歩いていた。進む回廊の先に高貴な姿を認めて、テレーゼが立ち止まった。侍るクリスティナ達は一斉にカーテシーの姿勢で傅く。
「テレーゼ、何処へ?」
「お兄様、ご機嫌よう。庭園の薔薇が見頃と聞いたので覗いてみようと思いましたの。」
「ああ、確かに見事だそうだね。」
「お兄様はもうご覧になって?」
「いや、未だだよ。この頃慌ただしくてね。」
「まあ、そんなにお忙しいのですね。お茶にお誘いしたかったのですけれど、落ち着かれるまでお待ちしますわね。」
「テレーゼが誘ってくれるのなら、何時でも時間は作れるさ。」
「まあ!」
仲の良い兄妹の朗らかな会話が続く。
その間、クリスティナ達はカーテシーの姿勢を崩さぬまま侍る。これがなかなか堪える。
「ああ、君達、楽にして。」
思い掛けず会話が続いて侍女達を伏せさせたままであるのを、王太子が解いてくれた。
実のところクリスティナは、苦しい姿勢であるのにこのまま顔を伏せていたかった。
王太子の後ろには、側近のローレンが控えている。彼の瞳に自分の姿を僅かにも映したくなかった。その瞳には可憐な王女しか映されていないのだろうが。
クリスティナはローレンと視線を合わせる事なく、俯き加減で王女の後ろに侍る。
「折角だ、可愛い妹とご一緒しようかな。」
「まあ、宜しいの?お忙しいのではなくて?」
「お前と過ごす時間が作れぬほど腑抜けではないよ。」
「ふふ。お兄様ほど賢明な方は、わたくし他に知りませんわ。」
こうして仲の良い兄と妹は、予定を変えて連れ立って庭園へ向かう事となった。
王太子の側近と護衛達の後ろにクリスティナ達も付き従う。
行く先には、プラチナブロンドの髪が燦いて見えていた。
暗色の髪は令嬢のそれに比べると幾分短めであるのは、自分で結い上げやすい為である。
緩くうねる髪を後ろできっちり結い上げる。化粧は極々薄く装飾も着けない。
喉元まで包む高襟のお仕着せを着る姿は、修道院のシスターかガヴァネスの様である。
今日は早番であるクリスティナが廊下へ出れば、やはり早番であるアリシアも部屋を出るところであった。
アリシアは男爵家の三女でクリスティナと同じくテレーゼ第二王女殿下に仕える侍女である。
「おはよう、クリスティナ。」
「おはよう、アリシア。」
アリシアはクリスティナの一つ年上であるが、王宮の侍女になったのはクリスティナの方が先であったから、年上だけれど後輩と云う事で身分の隔たりなく等しく同僚として接している。
貴族令嬢の次女・三女などは、貴族の嫡男にでも嫁げなければ無位の平民と同じである。守ってくれる夫を得られないのであれば自分の力で立たねばならない。
王宮には、文官職であったり下級の使用人であったり、中には女性騎士もいて、勤労によって身を立てる女性は大勢いる。
王宮と云う最高峰の環境で王女付きとなる幸運に恵まれて、二人は漸く自身を守る術を得たのである。
夏至を過ぎたばかりの夜明けは早い。
冬であれば惰眠を貪りたくなる暗闇であるのに、この季節の朝は明るく心地良い。
早起きの鳥の囀りが姦しい。
それが複雑な構造の王城にこだまして響いている。
回廊から見える桃色に染まる空。
王城を囲む木々が影となって、暁の空に黒く浮かび上がっている。その木々の間から、濃いオレンジ色の朝日が昇ろうとしていた。
美しい朝の風景。湿った風初夏の香りを孕んでいる。
早朝の生まれたての空気を胸いっぱいに吸い込んで、クリスティナは王女の私室へ向かった。
クリスティナの仕えるテレーゼ王女は、王国の第二王女である。
王太子の他は第一王女に続いてテレーゼがおり、その下に年の離れた第二王子がいる。
テレーゼ王女のハニーブロンドの髪色が他の王子王女と異なるのは、彼女が側妃腹であるからだ。
側妃も同じ髪色の可憐な令嬢であったのを、当時王太子であった現国王に見初められて輿入れした。
鮮やかなロイヤルブルーの瞳は父王のそれを受け継いで、彼女が確かに王族の一員であるのを示していた。
母妃によく似た王女は可憐である。
透き通る白い肌と蜂蜜色の髪。鮮やかな青い瞳を引き立てる桃色の唇まで愛らしい。
王女はこの春学園を卒業したばかりで、今は兄の王太子と一つ年上の姉である第一王女に倣って公務の一端を担っている。
蕩ける様な甘い髪色と同じくその人柄もおっとりとして、王妃のお腹である他の兄姉弟達の涼しげな麗しさとは纏う雰囲気を別にしていた。
伯爵令嬢であった母である側妃が、公爵令嬢であり幼少の頃から王の婚約者であった王妃とは歴とした身分の隔たりがある事を心得てか、テレーゼ王女は出過ぎる事のない大人しい気質であった。
兄姉弟との仲は良く、兄も姉も弟もこの腹違いの王女と良く馴染んで、王太子は特にこの妹を可愛がっている。
であるから、こんな場面は日常であった。
テレーゼに付き従い王城の回廊を歩いていた。進む回廊の先に高貴な姿を認めて、テレーゼが立ち止まった。侍るクリスティナ達は一斉にカーテシーの姿勢で傅く。
「テレーゼ、何処へ?」
「お兄様、ご機嫌よう。庭園の薔薇が見頃と聞いたので覗いてみようと思いましたの。」
「ああ、確かに見事だそうだね。」
「お兄様はもうご覧になって?」
「いや、未だだよ。この頃慌ただしくてね。」
「まあ、そんなにお忙しいのですね。お茶にお誘いしたかったのですけれど、落ち着かれるまでお待ちしますわね。」
「テレーゼが誘ってくれるのなら、何時でも時間は作れるさ。」
「まあ!」
仲の良い兄妹の朗らかな会話が続く。
その間、クリスティナ達はカーテシーの姿勢を崩さぬまま侍る。これがなかなか堪える。
「ああ、君達、楽にして。」
思い掛けず会話が続いて侍女達を伏せさせたままであるのを、王太子が解いてくれた。
実のところクリスティナは、苦しい姿勢であるのにこのまま顔を伏せていたかった。
王太子の後ろには、側近のローレンが控えている。彼の瞳に自分の姿を僅かにも映したくなかった。その瞳には可憐な王女しか映されていないのだろうが。
クリスティナはローレンと視線を合わせる事なく、俯き加減で王女の後ろに侍る。
「折角だ、可愛い妹とご一緒しようかな。」
「まあ、宜しいの?お忙しいのではなくて?」
「お前と過ごす時間が作れぬほど腑抜けではないよ。」
「ふふ。お兄様ほど賢明な方は、わたくし他に知りませんわ。」
こうして仲の良い兄と妹は、予定を変えて連れ立って庭園へ向かう事となった。
王太子の側近と護衛達の後ろにクリスティナ達も付き従う。
行く先には、プラチナブロンドの髪が燦いて見えていた。
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