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プラチナブロンドの髪は、顎のラインで切り揃えられている。
以前は肩を越して背まで伸びているのを、幅の細いリボンでゆったりと結わえていたが、学園を卒業した際に切り落とした。
家の爵位は伯爵位であるが、辿れば王家にも繋がるらしい。
ローレンはセントフォード伯爵家の嫡男である。他に兄弟姉妹は無い。唯一人の子息である。
伯爵家の王家との繋がりからか自身の才からか、王太子の側近候補と目されて、その見目の美しさから幼い頃より人の目を惹いていた。
鮮やかなロイヤルブルーの瞳が王家の血が流れている事を確かなものと示していたし、家にも勢いがあったから、幼い頃は当然、今も常に羨望の眼差しを受けている。
何を考えているのか、その感情を現さない表情からは心の内は読み取れない。
王都の学園に通ってなければ、同じ学年に学んでなければ、クリスティナにとってのローレンは、やはり同じ学年である王太子殿下共々、高嶺の花と遠目に眺めるだけの存在であったろう。
尊い貴人の集団であった。
王太子殿下とそれに侍る令息達。令息達は皆身分もあれば姿も良く、将来の側近と認められた者達が揃っていた。
同じ学年であっても低位貴族の子女であるクリスティナが、高貴な集団に近付く事などないのだから、本当であればあんな関わりを持つことも無かった筈である。
何処でどんな手違いがあったのか、放課後に教師に頼まれ教材を取りに行った物品庫で、行き成り腕を取られて囚われた。
一瞬何が起こったのか理解が及ばず、声を出したくても音を忘れた様に言葉が出ない。
引き摺られる様に力強い両腕に拘束されて、それから先は悪夢であった。
どうしてこんな事が、何故自分の身に。
混乱で目眩がするのは、表も裏も無く攻められ揺さぶられた振動から起こったのか。
殺されるのではないか。
その恐れが声を上げるのを留まらせた。騒いだらこのまま首を絞められ殺められるのではないか。実際、あがらい難い強い力で抑えられて、既に絞められているのと変わらなかった。
初めての痛みも感覚も只々恐怖に塗り替えられて、早くこの悪夢が終わって自分を押さえ込む力から解かれたい。父や母や兄姉の顔を思い出して、あの邸に帰りたいと只管そればかりを考えた。
熱を放って漸くこちらを確かめようと思ったらしい男と目が合って、そこで男があの高貴な集団の一人である事が解ってクリスティナは混乱した。
何よりクリスティナを認めたローレンが、戸惑いを見せた。
怪訝な表情が「お前は誰だ?」と語っている。真逆、人違いをされたのか。
クリスティナは絶望とはこう云う感情なのだと思った。
乱されボタンの飛び散ったブラウスを胸の前で引き寄せる。ずり下ろされた下着が何処へ行ったのか分からない。あんなものをこんな所へ置いては行けない。
けれども何より今はここから逃れなければならないと、ただそれだけを頭に思い、がくがくと力の入らぬ腰に有りっ丈の力を込めて立ち上がった。
未だ不審そうに、何が起こったのか考えているらしいローレンには構わずに、そのまま扉から飛び出した。
足に漸く力が戻って、このまま走り出してしまいたかったが、それは叶わなかった。
一歩歩いたところで内股を伝うものに足元まで汚されて、長いスカートの中には何も履いてはいなかったから、このまま歩いてしまっては廊下の床まで汚してしまうのが容易に分かった。
それが引き金になって、下腹部に残る違和感も接触した箇所の嫌な痛みも、何より男に襲われて令嬢の尊厳を散らされてしまった事実の全てが、堰を切ったように頭の中に流れ込んで来た。
「待て」
後ろから腕を掴まれ掛けられた声は氷点下の冷たさで、やはりこのまま帰る事は出来ないのだと悟る。
「おい」
腕を掴まれたまま振り返ることの無いクリスティナに焦れたのか、短い声に苛立ちが含まれている。
このままでは埒が明かないと判断したらしいローレンに、無理矢理身体の向きを変えられて対面した。
初夏の夕日が廊下に差し込んでいる。
それがローレンの顔に影を作って、同じ年の学生であるのに、それはまるで地獄の門番の様に思われた。こんな美しい門番がいればの話だが。
「ルース子爵家の娘か。」
どうやらクリスティナの生家を知っているらしい。
「何故ここに来た。」
「あ、アンダーソン先生に言われて、」
それだけでローレンには通じたらしいく、あろう事か彼はそこで小さく舌を打った。
それから制服の内側からハンカチを取り出して、徐ろにクリスティナの内腿を拭った。
「ひっ」とクリスティナが微かに漏らした悲鳴にもならない悲鳴を聞いて、ほらとばかりにこちらへハンカチを寄越す。
自分で拭けと言うのだろうか。
そうしてローレンは、片方の掌に持っていたらしいものをハンカチを受け取ったクリスティナの手に重ねるように押し付けた。
脱ぎ捨てられた下着であった。
もうそれからはどうやって戻って来たのか分からない。
気が付いたら、既に皆が下校して誰も居なくなった教室に戻っていた。
もう迎えの馬車が着いているだろう。
早くしなければ、御者が不審に思ってしまう。
腹が痛むのか擦れた所が痛むのか、それとも心が痛んでいるのか、己の尊厳を輝く男に無惨に汚された事に、自分が容易く踏み躙られるちっぽけな存在であるのを痛みと共に思い知ったのであった。
それが学園に入って二年目の夏の初めの事である。
それからクリスティナは、未だにローレンに囚われたままでいる。
以前は肩を越して背まで伸びているのを、幅の細いリボンでゆったりと結わえていたが、学園を卒業した際に切り落とした。
家の爵位は伯爵位であるが、辿れば王家にも繋がるらしい。
ローレンはセントフォード伯爵家の嫡男である。他に兄弟姉妹は無い。唯一人の子息である。
伯爵家の王家との繋がりからか自身の才からか、王太子の側近候補と目されて、その見目の美しさから幼い頃より人の目を惹いていた。
鮮やかなロイヤルブルーの瞳が王家の血が流れている事を確かなものと示していたし、家にも勢いがあったから、幼い頃は当然、今も常に羨望の眼差しを受けている。
何を考えているのか、その感情を現さない表情からは心の内は読み取れない。
王都の学園に通ってなければ、同じ学年に学んでなければ、クリスティナにとってのローレンは、やはり同じ学年である王太子殿下共々、高嶺の花と遠目に眺めるだけの存在であったろう。
尊い貴人の集団であった。
王太子殿下とそれに侍る令息達。令息達は皆身分もあれば姿も良く、将来の側近と認められた者達が揃っていた。
同じ学年であっても低位貴族の子女であるクリスティナが、高貴な集団に近付く事などないのだから、本当であればあんな関わりを持つことも無かった筈である。
何処でどんな手違いがあったのか、放課後に教師に頼まれ教材を取りに行った物品庫で、行き成り腕を取られて囚われた。
一瞬何が起こったのか理解が及ばず、声を出したくても音を忘れた様に言葉が出ない。
引き摺られる様に力強い両腕に拘束されて、それから先は悪夢であった。
どうしてこんな事が、何故自分の身に。
混乱で目眩がするのは、表も裏も無く攻められ揺さぶられた振動から起こったのか。
殺されるのではないか。
その恐れが声を上げるのを留まらせた。騒いだらこのまま首を絞められ殺められるのではないか。実際、あがらい難い強い力で抑えられて、既に絞められているのと変わらなかった。
初めての痛みも感覚も只々恐怖に塗り替えられて、早くこの悪夢が終わって自分を押さえ込む力から解かれたい。父や母や兄姉の顔を思い出して、あの邸に帰りたいと只管そればかりを考えた。
熱を放って漸くこちらを確かめようと思ったらしい男と目が合って、そこで男があの高貴な集団の一人である事が解ってクリスティナは混乱した。
何よりクリスティナを認めたローレンが、戸惑いを見せた。
怪訝な表情が「お前は誰だ?」と語っている。真逆、人違いをされたのか。
クリスティナは絶望とはこう云う感情なのだと思った。
乱されボタンの飛び散ったブラウスを胸の前で引き寄せる。ずり下ろされた下着が何処へ行ったのか分からない。あんなものをこんな所へ置いては行けない。
けれども何より今はここから逃れなければならないと、ただそれだけを頭に思い、がくがくと力の入らぬ腰に有りっ丈の力を込めて立ち上がった。
未だ不審そうに、何が起こったのか考えているらしいローレンには構わずに、そのまま扉から飛び出した。
足に漸く力が戻って、このまま走り出してしまいたかったが、それは叶わなかった。
一歩歩いたところで内股を伝うものに足元まで汚されて、長いスカートの中には何も履いてはいなかったから、このまま歩いてしまっては廊下の床まで汚してしまうのが容易に分かった。
それが引き金になって、下腹部に残る違和感も接触した箇所の嫌な痛みも、何より男に襲われて令嬢の尊厳を散らされてしまった事実の全てが、堰を切ったように頭の中に流れ込んで来た。
「待て」
後ろから腕を掴まれ掛けられた声は氷点下の冷たさで、やはりこのまま帰る事は出来ないのだと悟る。
「おい」
腕を掴まれたまま振り返ることの無いクリスティナに焦れたのか、短い声に苛立ちが含まれている。
このままでは埒が明かないと判断したらしいローレンに、無理矢理身体の向きを変えられて対面した。
初夏の夕日が廊下に差し込んでいる。
それがローレンの顔に影を作って、同じ年の学生であるのに、それはまるで地獄の門番の様に思われた。こんな美しい門番がいればの話だが。
「ルース子爵家の娘か。」
どうやらクリスティナの生家を知っているらしい。
「何故ここに来た。」
「あ、アンダーソン先生に言われて、」
それだけでローレンには通じたらしいく、あろう事か彼はそこで小さく舌を打った。
それから制服の内側からハンカチを取り出して、徐ろにクリスティナの内腿を拭った。
「ひっ」とクリスティナが微かに漏らした悲鳴にもならない悲鳴を聞いて、ほらとばかりにこちらへハンカチを寄越す。
自分で拭けと言うのだろうか。
そうしてローレンは、片方の掌に持っていたらしいものをハンカチを受け取ったクリスティナの手に重ねるように押し付けた。
脱ぎ捨てられた下着であった。
もうそれからはどうやって戻って来たのか分からない。
気が付いたら、既に皆が下校して誰も居なくなった教室に戻っていた。
もう迎えの馬車が着いているだろう。
早くしなければ、御者が不審に思ってしまう。
腹が痛むのか擦れた所が痛むのか、それとも心が痛んでいるのか、己の尊厳を輝く男に無惨に汚された事に、自分が容易く踏み躙られるちっぽけな存在であるのを痛みと共に思い知ったのであった。
それが学園に入って二年目の夏の初めの事である。
それからクリスティナは、未だにローレンに囚われたままでいる。
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