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自邸の図書室で物語を読んでいたアテーシアは、至極納得がいってしまった。
道理で上手く行かなかった訳だ。仲良くなれなかった訳だ。
だって名前が強いのだもの。そんな令嬢を好きになどなれないだろう。
アテーシア。これって神話に出てくる戦女神アテーナだわ。
父王の頭から甲冑纏って生まれ出た、女軍神アテーナだわ。この方のお父様って、余りにも頭が痛くって、全能であるにも関わらず部下に命じて斧で頭をかち割らせちゃったと言うじゃない。全知全能なのによ?そんな原始的な手段を選ばせるほど、この娘は父親の頭を悩ませたってことよね。
それはまるで、自身の姿に重なった。
アテーシア・ゴーンド・モールバラは、モールバラ公爵家の子女である。
三つ上に兄がおり、嫡男の彼は、今は聡明な小公爵として父公爵と共に社交で名を馳せている。
そうして娘のアテーシアは、多分父や兄の頭を悩ませる問題児であるのだろう。
アテーシアは、王国の王太子であるアンドリュー殿下の婚約者である。
国政にも議会にも強い発言権を持つ公爵家は、その始祖である当時の王弟が臣籍降下したことで興された貴族家で、王家の傍流の一つでもある。
その子女であるアテーシアがアンドリュー王太子殿下と婚約を結ぶのは、極々自然な事であった。
王妃とアテーシアの母は令嬢時代からの友人であったし、国王陛下と父公爵に至っては、貴族学園では学友であり親友であった。
広い領地と連なる数多の傘下貴族を束ねるのに、父は国王に側近にと求められたのを辞して領地領民の繁栄と産業育成で王国に貢献する道を選んだ。
自身は側近にはなれなかったが、次代では必ずお仕え致しましょうと差し出されたのがアテーシアで、父親同士は友情でもアンドリューとアテーシアにとっては何処からどう見てもガチガチの政略結婚なのである。
婚約は、同い年の二人が十の年に結ばれた。
瞼を閉じて思い出す。記憶の向こうのそのまた向こう、朧気に見える淡い姿。
集中するうちに、少しずつ思い出される記憶の最果てにいる婚約者は、艶のある金色の髪に濃く青い瞳が印象的な少年である。
当時は立太子前であったが、既に気品が漏れ出していた。アンドリューと流れる様な発音の名まで高貴に思われた。
そのアンドリューは始終硬い表情で、じっとアテーシアを見つめていた。
最初に言葉を発したのはアンドリューで、確か『宜しく願う。婚約者殿』そう言ったのではなかったか。
アテーシアであると名を名乗ったのに、その名を呼んではもらえなかった。
以来、アテーシアは妃教育を受けることになるのだが、良くある王城へ通うとか王子と一緒に学ぶとか、そんな事は一切無かった。教師が公爵邸を訪れて、アテーシアは自邸にいて妃教育を受ける事となった。
当然学ぶ範囲は多岐に渡り、それまで時折あったご令嬢方とのお茶会やらも多忙のあまり参加出来ない。自邸で学んでこれ程なのだ。王城に通っていたなら往復の移動やら登城の手続きやらで、どれほど時間を無駄にした事だろう。
そんなこんなでアテーシアは、ご令嬢でありながらほぼ引き籠りの様な生活を強いられる。日に当たらない肌は「青い血」の名の通り、うっすら血管が透けて見えるのではないかと思われるほど真っ白だ。
そこにチョコレートを焦がした様な濃いブルネットの髪に瞳は紺碧色であったから、白い肌に瞳ばかりが深い色に見えて、まるで深山幽谷にある泉の淵を覗き込む様な気持ちにさせられる。
兄が言うには「吸い込まれそう」なのだとか。恐ろしい。
結局、何が言いたいか。
つまり、二人は初見から上手く行かなかった。
会話らしい会話も笑顔らしい笑顔も無く、只管向き合い、先に目を逸らした方が負けであると思うのか、互いに見つめ合い、いや一層睨みを利かせて終いには王子の乾き切った瞳から涙が零れて試合終了となった。
私は確かに女軍神アテーナかも知れない。けれどもメデューサではないのに、殿下はすっかり固まってしまわれた。
手元の閉じた書物の表紙を撫でる。
神話の神々は神であるのに人間臭くて、いつも何処かでやらかしてしまう。失敗談の方が多いのではなかろうか。気まぐれな恋に囚われて、本懐を忘れて道を踏み外し、親子兄弟よく争う。
その中にあって、度々現れるアテーナは、誇り高き軍神である。そんな戦女神の名をもらったアテーシアは、きっと麗しい王子に恐れられ嫌われてしまったのかもしれない。
アテーシアは腑に落ちた。
毎日毎日必死で学んでいるのは自分の為ではない。未来の国王陛下を支えるのに、必要だからと学ぶのだ。求められているのではないのに学ぶのは、なんと不毛で哀しい事だろう。
婚約を結んだ十歳の春から、王子に会った回数は片手で足りる。どうしたら良いのだろう。このまま進んで良いのだろうか。
婚約から二年。
公爵邸の図書室で、自身が疎まれる訳に思い至った十二歳になったアテーシアに、その答えは見つけられなかった。
それからも、ただ流される様に妃教育が進められ、そうして十六歳を迎えてしまった。
アテーシアは貴族学園に入学する。超絶引き籠り令嬢のアテーシア。友達なんてほんのちょっぴり。流石にその名は王太子の婚約者として知られているも貴族子女達とは没交渉に近かったから、十六歳のアテーシアの姿など誰も分からないだろう。
もしかしたら、アンドリュー本人も分からないのではなかろうか。
アテーシアは、そんな真実に辿り着いて、十二歳から大切にしている神話の本の表紙を撫でた。
自邸の図書室で物語を読んでいたアテーシアは、至極納得がいってしまった。
道理で上手く行かなかった訳だ。仲良くなれなかった訳だ。
だって名前が強いのだもの。そんな令嬢を好きになどなれないだろう。
アテーシア。これって神話に出てくる戦女神アテーナだわ。
父王の頭から甲冑纏って生まれ出た、女軍神アテーナだわ。この方のお父様って、余りにも頭が痛くって、全能であるにも関わらず部下に命じて斧で頭をかち割らせちゃったと言うじゃない。全知全能なのによ?そんな原始的な手段を選ばせるほど、この娘は父親の頭を悩ませたってことよね。
それはまるで、自身の姿に重なった。
アテーシア・ゴーンド・モールバラは、モールバラ公爵家の子女である。
三つ上に兄がおり、嫡男の彼は、今は聡明な小公爵として父公爵と共に社交で名を馳せている。
そうして娘のアテーシアは、多分父や兄の頭を悩ませる問題児であるのだろう。
アテーシアは、王国の王太子であるアンドリュー殿下の婚約者である。
国政にも議会にも強い発言権を持つ公爵家は、その始祖である当時の王弟が臣籍降下したことで興された貴族家で、王家の傍流の一つでもある。
その子女であるアテーシアがアンドリュー王太子殿下と婚約を結ぶのは、極々自然な事であった。
王妃とアテーシアの母は令嬢時代からの友人であったし、国王陛下と父公爵に至っては、貴族学園では学友であり親友であった。
広い領地と連なる数多の傘下貴族を束ねるのに、父は国王に側近にと求められたのを辞して領地領民の繁栄と産業育成で王国に貢献する道を選んだ。
自身は側近にはなれなかったが、次代では必ずお仕え致しましょうと差し出されたのがアテーシアで、父親同士は友情でもアンドリューとアテーシアにとっては何処からどう見てもガチガチの政略結婚なのである。
婚約は、同い年の二人が十の年に結ばれた。
瞼を閉じて思い出す。記憶の向こうのそのまた向こう、朧気に見える淡い姿。
集中するうちに、少しずつ思い出される記憶の最果てにいる婚約者は、艶のある金色の髪に濃く青い瞳が印象的な少年である。
当時は立太子前であったが、既に気品が漏れ出していた。アンドリューと流れる様な発音の名まで高貴に思われた。
そのアンドリューは始終硬い表情で、じっとアテーシアを見つめていた。
最初に言葉を発したのはアンドリューで、確か『宜しく願う。婚約者殿』そう言ったのではなかったか。
アテーシアであると名を名乗ったのに、その名を呼んではもらえなかった。
以来、アテーシアは妃教育を受けることになるのだが、良くある王城へ通うとか王子と一緒に学ぶとか、そんな事は一切無かった。教師が公爵邸を訪れて、アテーシアは自邸にいて妃教育を受ける事となった。
当然学ぶ範囲は多岐に渡り、それまで時折あったご令嬢方とのお茶会やらも多忙のあまり参加出来ない。自邸で学んでこれ程なのだ。王城に通っていたなら往復の移動やら登城の手続きやらで、どれほど時間を無駄にした事だろう。
そんなこんなでアテーシアは、ご令嬢でありながらほぼ引き籠りの様な生活を強いられる。日に当たらない肌は「青い血」の名の通り、うっすら血管が透けて見えるのではないかと思われるほど真っ白だ。
そこにチョコレートを焦がした様な濃いブルネットの髪に瞳は紺碧色であったから、白い肌に瞳ばかりが深い色に見えて、まるで深山幽谷にある泉の淵を覗き込む様な気持ちにさせられる。
兄が言うには「吸い込まれそう」なのだとか。恐ろしい。
結局、何が言いたいか。
つまり、二人は初見から上手く行かなかった。
会話らしい会話も笑顔らしい笑顔も無く、只管向き合い、先に目を逸らした方が負けであると思うのか、互いに見つめ合い、いや一層睨みを利かせて終いには王子の乾き切った瞳から涙が零れて試合終了となった。
私は確かに女軍神アテーナかも知れない。けれどもメデューサではないのに、殿下はすっかり固まってしまわれた。
手元の閉じた書物の表紙を撫でる。
神話の神々は神であるのに人間臭くて、いつも何処かでやらかしてしまう。失敗談の方が多いのではなかろうか。気まぐれな恋に囚われて、本懐を忘れて道を踏み外し、親子兄弟よく争う。
その中にあって、度々現れるアテーナは、誇り高き軍神である。そんな戦女神の名をもらったアテーシアは、きっと麗しい王子に恐れられ嫌われてしまったのかもしれない。
アテーシアは腑に落ちた。
毎日毎日必死で学んでいるのは自分の為ではない。未来の国王陛下を支えるのに、必要だからと学ぶのだ。求められているのではないのに学ぶのは、なんと不毛で哀しい事だろう。
婚約を結んだ十歳の春から、王子に会った回数は片手で足りる。どうしたら良いのだろう。このまま進んで良いのだろうか。
婚約から二年。
公爵邸の図書室で、自身が疎まれる訳に思い至った十二歳になったアテーシアに、その答えは見つけられなかった。
それからも、ただ流される様に妃教育が進められ、そうして十六歳を迎えてしまった。
アテーシアは貴族学園に入学する。超絶引き籠り令嬢のアテーシア。友達なんてほんのちょっぴり。流石にその名は王太子の婚約者として知られているも貴族子女達とは没交渉に近かったから、十六歳のアテーシアの姿など誰も分からないだろう。
もしかしたら、アンドリュー本人も分からないのではなかろうか。
アテーシアは、そんな真実に辿り着いて、十二歳から大切にしている神話の本の表紙を撫でた。
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