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ノーマン侯爵令嬢ミリアは今年十六歳を迎えた。
彼女は、侯爵家の最初の子であるも庶子である。
母は所謂愛人、妾と呼ばれる立場にあって、父侯爵とは学園生の頃からの長い関係にある。
その頃より可憐な容姿が人目を惹いて、妖精と誉れ高い儚い美しさが評判であったらしい。
父が妻を娶ってからもその愛は変わること無く、妻の輿入れと同時に母を離れに住まわせた。その本妻は結局半年足らずのうちに離れに追いやられて、最愛である母が本邸に迎え入れたのだという。
その愛の結晶がミリアである。
では何故ミリアは祖母に育てられたのか。
母は男児を願ったらしい。
当然の事だろう。侯爵家の後継を願うのなら、欲しいのは男児である。母はミリアには一片の愛も傾けなかった。
未だ乳飲み子の内に先代侯爵夫人である祖母がミリアを引き取った。それと同時に、父はミリアを我が子と認知したのである。
祖母は貴族の中の貴族である。
祖父は優能な当主であったらしいが、ミリアが物心の付く頃には何処か呆けた具合で、実年齢よりずっと老け込んで見えていた。
祖母は美しく苛烈で聡明で、傘下の貴族家にも今だ目が届き、庶子であるミリアにも徹底した高位貴族の教育を施した。
厳しい女性であるも、誰よりもミリアを愛してくれた。幼少期のミリアは、祖母と別邸に仕える使用人達に囲まれて、幸福な子供時代を過ごしたのである。
父についてミリアは、美しい銅像の様な人だと思っていた。
プラチナブロンドの髪は日に透けると燦いて、シトリンの瞳は熱を感じさせない真水の様である。
ミリアを娘と認めているからか、折々の贈り物や身の回りの品々も、父は上質の物をミリアに充てがった。祖母仕込みの挨拶をすれば、僅かに目を細めて応えてくれる。寡黙な父にとっては、それがミリアに対しての最大の愛の表現なのだろう。
祖母に守られ育てられて、出自からは得難い愛の中で育ったことにミリアは感謝をしていた。
何よりミリアには大切な存在がいる。
本邸の隣には離れの邸があり、父の本妻であるキャスリーンはそこを住まいとしていた。
キャスリーン夫人はミリアの両親よりも十歳程も年若であるが、侯爵夫人の気品ある落ち着いた女性であった。
焦げ茶の髪に青い瞳。纏う色そのものの静かな心休まる、そう、夜の静寂の様な女性であった。
祖母はこの本妻と気が合うらしく、度々離れの邸を訪った。
その際には必ずミリアを伴ったから、ミリアは物心が付く前からこのキャスリーン夫人に馴染んでいた。
幼い心にミリアは思った。
夫人が母であったならどんなに嬉しい事だろう。
小さなミリアを抱き上げて、青い小鳥の籠を覗かせてくれる。
温かな膝に乗せられて、手ずからお菓子を食べさせてくれる。
静かな夜の様な夫人は、ミリアにとっては慈雨の様に温かな人であった。
けれども後に、ミリアはキャスリーンの実子で無いことを喜んだ。何故なら...
「ミリア。来てたのか。」
「ええ、ニクス。」
ニクスはミリアと同い年。
キャスリーン夫人の息子である。
ミリアはニクスとは公には異母姉弟である。
そうしてミリアはニクスに恋心を覚えていた。
学園に上がる年、祖母は貴女を侯爵家の娘と認めて話しましょうと、ある事実をミリアに告げた。
キャスリーンには真実の夫が別にいること。キャスリーンの生んだ子供達は全て彼との間の子であること。
父は最初からそれを認めて、尚もキャスリーンを手放さず離れに住まわせている。そうしてキャスリーンの生む子は全て侯爵家の子供と譲らず、ニクスを嫡子として届け出ている。
ニクスには侯爵家の血が通っていない。
彼は、王家にも繋がる高位貴族の血縁なのだと言う。
ニクスと血が繋がっていない。
それがミリアの心に大きな衝撃と熱と喜びを齎した。
幼い頃からキャスリーンを母の様に慕ってきたが、そうであったならニクスとは姉弟になってしまう。
今も形ばかりは家族であるが、そこに血縁が無いことにミリアは胸が震えるほど歓喜したのを今も憶えている。
夜の静寂の様な夫人から生まれたニクスは、やはり夜の申し子の様な姿をしている。
濃い茶色の髪は日陰にいれば漆黒に見える。青い瞳は深い湖の底を覗いた様に冷ややかで奥深い。なのにその身の内側は、心は広くおおらかで朗らかで、そしてとても優しい。
幼い頃に、ニクスの青い瞳を冷たそうだと言った友人がいたが、どうしてそんな事を思うのか、ニクスはこんなに優しいのにと不思議に思った。
その友人は、今ではニクスと顔を合わせると頬を赤く染めている。
ニクスは美しい。
夜の女神の申し子だからか、陶器の様な白い肌がそう見せるのか。
ニクスの性別を超えた美しさは、王立図書館に所属されている神話図鑑の女神を見れば納得するだろう。
神々しい美とは、彼の事を指している。
「お祖母様は母様の部屋に?」
「ええ。お喋りに花が咲いているみたい。」
「はは、相変わらずだね。そうだな、僕もお祖母様にご挨拶してこよう。ミリア、一緒に行こう。」
今日は薔薇の盛りを迎えた離れの庭園を歩ていた。学園が休みの日で、祖母に付いてキャスリーン夫人を訪ったのだが、生憎ニクスは出掛けていたらしい。
残念な気持ちを紛らわせようと、ちょっと散策して来ると夫人の部屋を出たのである。
そこでニクスとばったり会えた。
ニクスに伴われてキャスリーン夫人の部屋に続く階段を上がれば、夫人の部屋からは微かな笑い声が漏れ聴こえて来た。
どうやら街に手品師の公演を観に行っていたデメーテルとクロノスも戻っていたらしく、夫人の部屋は大層賑やかな事になっているのが分かった。
「沸いてるようだね。そうだ、いきなり入って驚かせてやろう。」
ニクスが小悪魔的なウインクをして見せて、ミリアは胸がとくんと跳ねた。
扉が開けば正面に赤髪の令嬢が目に入る。嘗ての侯爵令嬢アマンダ。
母と同じ名のアマンダ。
そしてミリアと同じ妾の子。
ミリアはアマンダに思う。
貴女、素敵な方ね。赤い髪がとても綺麗。漆黒の瞳も私は好きよ。だって黒はニクスの色ですもの。
ニクスが、アマンダの想い人であったアダムの血を引く事を、ミリアもまたいつの日か知るのかも知れない。
彼女は、侯爵家の最初の子であるも庶子である。
母は所謂愛人、妾と呼ばれる立場にあって、父侯爵とは学園生の頃からの長い関係にある。
その頃より可憐な容姿が人目を惹いて、妖精と誉れ高い儚い美しさが評判であったらしい。
父が妻を娶ってからもその愛は変わること無く、妻の輿入れと同時に母を離れに住まわせた。その本妻は結局半年足らずのうちに離れに追いやられて、最愛である母が本邸に迎え入れたのだという。
その愛の結晶がミリアである。
では何故ミリアは祖母に育てられたのか。
母は男児を願ったらしい。
当然の事だろう。侯爵家の後継を願うのなら、欲しいのは男児である。母はミリアには一片の愛も傾けなかった。
未だ乳飲み子の内に先代侯爵夫人である祖母がミリアを引き取った。それと同時に、父はミリアを我が子と認知したのである。
祖母は貴族の中の貴族である。
祖父は優能な当主であったらしいが、ミリアが物心の付く頃には何処か呆けた具合で、実年齢よりずっと老け込んで見えていた。
祖母は美しく苛烈で聡明で、傘下の貴族家にも今だ目が届き、庶子であるミリアにも徹底した高位貴族の教育を施した。
厳しい女性であるも、誰よりもミリアを愛してくれた。幼少期のミリアは、祖母と別邸に仕える使用人達に囲まれて、幸福な子供時代を過ごしたのである。
父についてミリアは、美しい銅像の様な人だと思っていた。
プラチナブロンドの髪は日に透けると燦いて、シトリンの瞳は熱を感じさせない真水の様である。
ミリアを娘と認めているからか、折々の贈り物や身の回りの品々も、父は上質の物をミリアに充てがった。祖母仕込みの挨拶をすれば、僅かに目を細めて応えてくれる。寡黙な父にとっては、それがミリアに対しての最大の愛の表現なのだろう。
祖母に守られ育てられて、出自からは得難い愛の中で育ったことにミリアは感謝をしていた。
何よりミリアには大切な存在がいる。
本邸の隣には離れの邸があり、父の本妻であるキャスリーンはそこを住まいとしていた。
キャスリーン夫人はミリアの両親よりも十歳程も年若であるが、侯爵夫人の気品ある落ち着いた女性であった。
焦げ茶の髪に青い瞳。纏う色そのものの静かな心休まる、そう、夜の静寂の様な女性であった。
祖母はこの本妻と気が合うらしく、度々離れの邸を訪った。
その際には必ずミリアを伴ったから、ミリアは物心が付く前からこのキャスリーン夫人に馴染んでいた。
幼い心にミリアは思った。
夫人が母であったならどんなに嬉しい事だろう。
小さなミリアを抱き上げて、青い小鳥の籠を覗かせてくれる。
温かな膝に乗せられて、手ずからお菓子を食べさせてくれる。
静かな夜の様な夫人は、ミリアにとっては慈雨の様に温かな人であった。
けれども後に、ミリアはキャスリーンの実子で無いことを喜んだ。何故なら...
「ミリア。来てたのか。」
「ええ、ニクス。」
ニクスはミリアと同い年。
キャスリーン夫人の息子である。
ミリアはニクスとは公には異母姉弟である。
そうしてミリアはニクスに恋心を覚えていた。
学園に上がる年、祖母は貴女を侯爵家の娘と認めて話しましょうと、ある事実をミリアに告げた。
キャスリーンには真実の夫が別にいること。キャスリーンの生んだ子供達は全て彼との間の子であること。
父は最初からそれを認めて、尚もキャスリーンを手放さず離れに住まわせている。そうしてキャスリーンの生む子は全て侯爵家の子供と譲らず、ニクスを嫡子として届け出ている。
ニクスには侯爵家の血が通っていない。
彼は、王家にも繋がる高位貴族の血縁なのだと言う。
ニクスと血が繋がっていない。
それがミリアの心に大きな衝撃と熱と喜びを齎した。
幼い頃からキャスリーンを母の様に慕ってきたが、そうであったならニクスとは姉弟になってしまう。
今も形ばかりは家族であるが、そこに血縁が無いことにミリアは胸が震えるほど歓喜したのを今も憶えている。
夜の静寂の様な夫人から生まれたニクスは、やはり夜の申し子の様な姿をしている。
濃い茶色の髪は日陰にいれば漆黒に見える。青い瞳は深い湖の底を覗いた様に冷ややかで奥深い。なのにその身の内側は、心は広くおおらかで朗らかで、そしてとても優しい。
幼い頃に、ニクスの青い瞳を冷たそうだと言った友人がいたが、どうしてそんな事を思うのか、ニクスはこんなに優しいのにと不思議に思った。
その友人は、今ではニクスと顔を合わせると頬を赤く染めている。
ニクスは美しい。
夜の女神の申し子だからか、陶器の様な白い肌がそう見せるのか。
ニクスの性別を超えた美しさは、王立図書館に所属されている神話図鑑の女神を見れば納得するだろう。
神々しい美とは、彼の事を指している。
「お祖母様は母様の部屋に?」
「ええ。お喋りに花が咲いているみたい。」
「はは、相変わらずだね。そうだな、僕もお祖母様にご挨拶してこよう。ミリア、一緒に行こう。」
今日は薔薇の盛りを迎えた離れの庭園を歩ていた。学園が休みの日で、祖母に付いてキャスリーン夫人を訪ったのだが、生憎ニクスは出掛けていたらしい。
残念な気持ちを紛らわせようと、ちょっと散策して来ると夫人の部屋を出たのである。
そこでニクスとばったり会えた。
ニクスに伴われてキャスリーン夫人の部屋に続く階段を上がれば、夫人の部屋からは微かな笑い声が漏れ聴こえて来た。
どうやら街に手品師の公演を観に行っていたデメーテルとクロノスも戻っていたらしく、夫人の部屋は大層賑やかな事になっているのが分かった。
「沸いてるようだね。そうだ、いきなり入って驚かせてやろう。」
ニクスが小悪魔的なウインクをして見せて、ミリアは胸がとくんと跳ねた。
扉が開けば正面に赤髪の令嬢が目に入る。嘗ての侯爵令嬢アマンダ。
母と同じ名のアマンダ。
そしてミリアと同じ妾の子。
ミリアはアマンダに思う。
貴女、素敵な方ね。赤い髪がとても綺麗。漆黒の瞳も私は好きよ。だって黒はニクスの色ですもの。
ニクスが、アマンダの想い人であったアダムの血を引く事を、ミリアもまたいつの日か知るのかも知れない。
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