黒革の日記

桃井すもも

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「キャスリーン様。修復師より書簡が届いております。」

フランツがトレイに乗せた書簡をキャスリーンに差し出す。

「まあ、とうとう仕上がったのね。これで漸く殿下への奉上が叶うわね。」

果たしてレオナルドの文には、古書の修復と目録の制作を終えた旨が記されていた。
それに対してキャスリーンは、修復の労をねぎらい感謝する言葉を添えて、会合の日時を記した文をレオナルド宛に出した。


季節は冬の最中にあり、凍てつく日が続いていた。冬は心が内に向く。雪に閉ざされる様に心まで閉塞感を覚えるものだが、キャスリーンは暖かな部屋にいてジェントルと戯れながら穏やかな日常を取り戻していた。

義母の訪問で心が酷く揺さぶられた。
アマンダの人生は彼女に恵まれた生活を齎したが、同時に偏った猛愛に取り囲まれて、彼女自身は真実望んだ愛を諦め命を終えた。

その事実がキャスリーンを一時、虚無の中に埋没させていた。

数日塞ぎ込んだキャスリーンを案じたフランツは、とうとうアダムにその事を伝えてしまったから、離れの邸には毎日毎日文が届けられて、その一通一通が相当の厚さで、文としては有り得ない厚さと重さにキャスリーンが笑ってしまう程であった。

腹部が膨らみ出した様に思う。
直ぐに大きく反り出す訳ではないから妊婦であるのを実感出来ずにいたが、最近の身体の変化に、キャスリーンは漸くその身に子を成しているのだと感じる事が出来る様になっていた。

それからもキャスリーンは週に一度、アダムの休暇に伯爵邸を訪った。
温かな青い瞳に迎えられると、キャスリーンは心の強張りが解けて胸の奥からじわじわと慈愛が湧き出す。

大きく温かな身体にすっぽりと包まれて眠る夜は、キャスリーンの不安定な心は、まるで船の錨が下ろされる様に揺るぎないものに繋ぎ止められ落ち着くのであった。


アマンダがこの世に別れを告げたのは、アダムの存在が大きかっただろう。

アダムに恋慕を抱いたから、清らかなままでその生を終えることを選んだ。
誰もが生涯で一度は経験するだろう恋心。そんなささやかな事が叶わぬ夢なのだと諦めた。

大きな胸に抱き締められてぴたりと耳を合わせれば、耳の奥にとくんとくんと規則的なリズムが響く。瞳を閉じて耳を傾けるうちに、キャスリーンは海の底にいるような静かな安堵に包まれた。

キャスリーンはアマンダを呼んだ。
アマンダ、聴こえる?この胸の鼓動が。この温かな温もりを、貴女も感じているかしら。

アマンダの日記に記された青年らしい爽やかな青さを持ったアダムは、それから年を重ねて大人の男へと変貌を遂げていた。

紳士の余裕に苦味と渋味を得て、その外見は壮年を迎えて尚端正な魅力を放っている。得たいものを思うままに奪う力も備えていたから、キャスリーンと腹の子とをいつでも侯爵家から奪還しようと狙っている。キャスリーンとその身に宿す子がどちらも我がものであると譲らずに、キャスリーン宛に堂々と文やら贈り物やらを送り付けてくる。

共に城務めであるから王城で顔を合わす事もあるだろうアダムとアルフォン。
一体この二人がどんな顔をして対面するのか。キャスリーンはそれを考えてみた事があるが、結局思い浮かべられなかった。



いよいよレオナルドとの会合も決まり、古書とレオナルドの訪れを待ちわびてその日を迎えれば、

「やあ、キャスリーン。待ちに待ったこの日が漸く訪れたな。」

高貴なお方は先触れをその単語ごと忘却の彼方へ押しやって、レオナルドに帯同すると言う王族として有り得ない現れ方をした。

フランツが後ろで小さく溜め息を付くのが分かって、キャスリーンも心の内で「フランツ。私も同じ気持ちよ」と同意した。

「お前の部屋が良いな。あの鳥、随分言葉を憶えたそうじゃないか。私の名前を憶えさせてやろう。」

貴賓室に案内するのを遮って、アンソニーが我が儘を言う。
仕方なしに私室へ通せばジェントルの籠を覗き込み、私はアンソニーだ、ア・ン・ソ・ニ・ー、ほれ言ってみろと子供の様に釘付けとなっている。

「全くもって可愛いな。お前に紹介して良かった。よく育て上げたものだな。」

「ええ。生まれた邸でもこちらでも大切に育てておりますから。」

「うむ。果たしてお前で飼育が出来るのか案じていたが、まあ合格点に値するな。」

鷹揚に頷いて、アンソニーは漸く席に着いた。すっかりお茶は冷めている。

冷めたお茶を一気に飲んで、それからやっと本日の目的を思い出したらしく、

「キャスリーン。案ずるな。これらは私が修復の間も日々進捗を見守り確認して来た。私ほど価値も理解している者はいるまい。何より私には貴重書を保管出来る素晴らしい趣味の部屋があるからな。これらは王城にいて私に愛でられ未来永劫最高の状態を保って保管される。思う存分、心置きなく奉上するが良い。」

突っ込みどころ満載のアンソニーの言葉であるが、それは全て事実であったから、キャスリーンに異論は無かったのである。

「レオナルド。難しい作業だったでしょう。貴方には感謝してもし切れないわ。」

古書の一冊を手にとって、その表紙をそっと撫でる。修復後とは云え古書であるのに変わりはないから、破損させない様に静かに膝に置き表紙を捲る。

「貴方の力が無かったら、これらは今も姿を損なわれたままに打ち捨てられていたでしょう。」

修復された古書は、目録と共に上質の木箱に収められ、キャスリーンの面前に披露された。

その一冊一冊を手にとって、ついついその場で読み込んでしまう。修復された古書は美しく蘇っていた。

「読みたいのなら、私の趣味の部屋で読ませてやるのもやぶさかでない。」

長い足を組みながら、背を椅子に寄り掛からせて、偉そうな態度の偉い人物は、その立場にぴったりな偉そうな物言いをするのであった。



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