黒革の日記

桃井すもも

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「アダム様、」
「気に入らない?」
「何を仰いますの?!こんな嬉しいプレゼントを頂戴したのは初めてですわ!」

澄んだサファイアがキャスリーンの耳元で青い耀めきを放っている。

キャスリーンは昨日、十九歳を迎えた。
冬生まれのキャスリーンは、ノーマン侯爵家に輿入れして初めての誕生日を迎えた。

昨晩の夕餉には、離れの邸で使用人達とささやかな晩餐会を開いた。軽食や飲み物を立食で楽しんだ。
洗濯婦や庭師、馬車の御者や見習い小僧まで、普段は邸内に足を踏み入れない者たちも一緒に、ほんの僅かな時間であったが食事を振る舞い共に祝った。

離れに仕える使用人は少ない。
直ぐ隣が本邸であるから、最小限度の人員で事足りている。その分、キャスリーンは皆の顔と名を憶えられたし、生家でも経験した事の無い所謂アットホームな交流を楽しんでいる。

生家でも家族との交流は兄くらいしか無かったから、アットホームとは一体どんなものなのか、実のところキャスリーンにもよく分かっていないのだが、これが家族と云うものなのだろうかと、使用人らの笑みを眺めて思うのだった。

フランツには本邸に何も伝えなくても良いと話していたから、今やアマンダ嬢の住まいである本邸からは夫人への祝の言葉は届けられなかった。

兄とその婚約者や親しい友人らから贈り物が届いていたが、キャスリーンへの郵送物はアマンダ嬢を刺激しない様に直接離れに届けられて、本邸の使用人の目に触れる事はなかった。


多分、アルフォンはキャスリーンが誕生日を迎えているのには気付いていないだろう。単純に、本妻の誕生日をうっかり失念しているだけだと思われた。
けれどもキャスリーンは、それにも何も感じなかった。

キャスリーンの心はこの離れの邸とアダムの下にあって、離れで使用人達と祝い、翌日にはチェイスター伯爵邸にてアダムに祝ってもらえるだけで充分なのだ。

アダムが誕生日を祝ってくれる。
それだけで生まれた日を嬉しく思えた。

誕生日とは特別な日である。生家にいた時も、流石の両親もその日ばかりは憶えているらしく祝いの品を贈ってくれた。
けれども、心から嬉しいと思えたのはほんの幼い頃までで、年齢を重ねてからは少し特別な年中行事と捉えて、兄がお目出度うと言ってくれるのが一番嬉しく思えるのだった。

誕生日の翌日、キャスリーンはアダムの邸にいてそこでアダムの帰宅を出迎えた。
午後に伯爵邸に入り、アダムが王城から戻るのを待った。アダムを乗せた馬車が見えて玄関ホールに立ち、馬車が止まって扉が開かれアダムが降り立つ。

侯爵邸でも、本邸にいた頃はアルフォンを毎朝見送り毎夕出迎えた。彼が侯爵家に戻る限りは、それがキャスリーンの日課であった。

出迎えは幾度も繰り返し経験していた事なのに、心から待つ人を出迎えると云うのは何と心が跳ねることなのだろう。

キャスリーンが出迎えるのを知らなかったアダムが、目を丸くするのがどうしようも無く愛おしい。

こちらへ歩み近づきながら、照れるのを隠し切れずに、アダムは可怪しな風に苦虫を噛んだ顔をした。

「こんな歳をして妻に出迎えられるだなんて。何だか気恥ずかしくて悔しいな。キャスリーン、君、今笑ったろう。」

照れるアダムがキャスリーンを妻と呼ぶのを、キャスリーンは何より嬉しい贈り物だと思った。


アダムはキャスリーンへサファイアを贈った。アダムもキャスリーンも共に澄んだ青い瞳である。その青を思わせるサファイアを二粒、アダムは耳飾りにしてくれた。

「このサファイアは私の成人の祝いに父から贈られたカフスを使った。それを君の耳飾りに作り直したんだ。」

そう言いながら、アダムはキャスリーンの耳に耳飾りを嵌めた。公爵家に伝わる貴重な宝石を態々キャスリーンの為に作り直したアダム。

「私の妻は美しいな。」

耳朶をそっと撫でながら、アダムの青い瞳がキャスリーンの青い瞳を見つめる。

「アダム様。私、生まれて初めて誕生日が嬉しいと思えました。いいえ、誕生日はいつでも嬉しくはあったのですけれど、生まれた事を幸せに感じる誕生日を迎えられたのは初めてだわ。
アダム様、貴方はいつでも私に初めての歓びをプレゼントして下さる。だから今度は私が貴方に贈り物をするわね。」

そこでキャスリーンは悪戯を仕掛ける様な笑みを浮かべた。アダムはそんな妻の茶目っ気に目を細くして、仕掛けられる悪戯を待つことにした。

「アダム様。私、貴方のお子を宿したの。私の中に貴方のお子がいるわ。」

キャスリーンは、アダムに懐妊を伝えた。
そうしてその日、大の男が男泣きに泣くのを初めて目にしたのであった。



初めてアダムと身体を合わせた日に、キャスリーンには確かな予感を覚えた。
それは何処にも実態の無い不確かなものであるのに、確かに我が身の内に芽生えたのだとキャスリーンには解った。

それまで微かな予感であったのが、アルフォンが訪ねて来たあの夜に、キャスリーンは確信を深めた。どうしてそう思ったのかはキャスリーンにも解らない。形を得たばかりの我が子が知らせてくれたのかも知れない。

それから日にちを数えて、ひと月しても月のものが来ないのが解って、フランツと侍女頭を呼びその事を伝えれば、直ぐに医師を手配してくれた。

本邸でアマンダ嬢を診察している医師ではなくて、侍女頭に心当たりのある女医を頼む事にした。

まだ日が経っていない為に確証は無かったのだが、女医が大凡そうであろうと言ったのがキャスリーンの誕生日の二日前の事である。

キャスリーンは、この子がアダムとキャスリーン、そして親友アマンダへの神からの聖なる贈り物だと思った。
キャスリーンは聖夜の直前が誕生日であり、聖なる夜はもう間もなくであったから。


「貴方は天からの贈り物よ。貴方がこの世に現れるのを、みんなみんな待ってる。貴方のお父様も私もアマンダも。」

キャスリーンはまだ平らな腹を撫でながらアマンダに話し掛けた。

「アマンダ、私達の子が生まれるわ。楽しみね。」

子を宿した我が身が嬉しく誇らしくて、キャスリーンは一刻も早く愛する男にこの事を伝えたいとその日を待っていたのだった。




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