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「ノーマン侯爵夫人。
彼女は告白の間に現れた。神に自身の罪を告げに。赦される為では無い。裁かれる為に。
彼女を貴女はどう思う?貴女の夫君の祖母に当たる女性だ。
彼女を一言で言い表すなら、貴族の中の貴族、貴婦人の中の貴婦人とでも言おうか。彼女はそう云う女性であった。
彼女の下で育てられたからこそのアマンダであったと言えよう。人の口は勝手な事を囁くが、夫人はアマンダを真実侯爵家の令嬢として育て上げた。夫が何処で愛を得ようと、彼女は正しくノーマン侯爵家の存続と繁栄の為にその身を捧げた女性だよ。
アマンダはそんな夫人を尊敬していた。血は繋がらずとも、そう云う意味で彼女達は正しく母娘であった。」
「私は思うのだよ。夫人は確かに一族の長である侯爵の妻として、その頂点に君臨した貴族婦人であったが、その身の内には人間らしい熱い血潮が流れていたし、人の痛みも知れば愛も解る柔らかな心を持った女性であったと。
彼女自身がノーマン一族の令嬢で、幼い頃からの契約に従って侯爵家へ輿入れした。一族の期待が一身に掛かる重責の中で嫡男を生んだ。その途端、夫は外に愛を求めて、そうして姿形の何処も夫に似ない赤子を認知した。」
「それを彼女が渋々受け入れたと思うかな?ここまでの話を聞けばそう思うだろう。キャスリーン夫人、貴女なら解るだろうか。アマンダがどれ程に人を惹きつけずにはいられない存在であったのかと。そうだよ、彼女が、アマンダが、嬰児でありながら虜にしたのは父ばかりではなかったのだよ。夫人も、兄のロバートも、彼女はみんな根こそぎ絡め取ってしまった。
アマンダは夫人から実の娘の様に愛されていた。感情を表に出さない夫人からは解かり難かったろうがね。
そうして、彼女は愛されるが故に悲劇を呼んだ。」
「悲劇の発端は、アマンダ自身だ。彼女の存在が全てを呼び寄せた。
彼女の虜となった兄が、彼女を得ようと有ってはならない画策をした。それを夫人が見過ごすと?
夫人には一族を護る責務があった。
それには親子の愛は二の次だった。言ったろう?彼女は貴族の中の貴族であると。
嫡男が縁を結ぶご令嬢は、侯爵の放蕩で揺らいだ一族の結束を固める鎹であった。それを子息が反故にしようと動いている。しかも、公には母違いの妹をその身を汚してでも得ようとしている。これが明るみになったなら、侯爵家は二代続く醜聞に塗れて、彼女が生涯を懸けて守ろうと誓ったノーマン一族はその価値を損ねてしまうだろう。」
「彼女がどれ程悩み抜いたか、それまで病一つ得なかった夫人が、流感とは云え臥せった程であると言えば理解しやすいかな。
実母は他にいるのを知りながら、実の母以上に夫人を慕っていたアマンダは、高熱に苦しむ夫人の手当てをしたいと側にいた。病が移ってはいけないと夫人が遠慮をするのも聞き入れなかった。」
「そこで何が起こったと思う?
何でもないことだよ。母娘の語らいだよ。夫人の額に冷やした布を当てながら、アマンダは夫人の気分を晴れやかにしたいと思ったのだろう。自身の身の回りの事を話して聞かせた。
学園での暮らしぶり、学んでいる事、それから今、熱中している事。
学友に語学に堪能な生徒がいて、彼から教本を借りた事、時々解らぬところを彼が教えてくれる事、その彼が夏休みには帝国に留学していた事。」
「そうして夫人の熱が下がった頃に、アマンダは一杯の飲み物を夫人の為に淹れて来た。
そう、帝国名産の悪魔の飲み物だ。ココアは元々栄養価の高い療養食であるからね。そうして夫人に教えたのだよ。これがアダムからの土産であると。」
湖の底まで見通す様な青い瞳が、キャスリーンを射るように見つめる。
「夫人は、愛する者と貴族の責務とを天秤に掛けた。貴族の中の貴族にとって、その天秤は果たして正しい精度で量ったのか。
ノーマン一族の傘下がどれ程のものか、夫人の貴女ならば解るだろう。遠くは王族の血も入っている。建国以来の名家だ。
王族ならば悩みもしない。国の為なら親も子も無く切り捨てる。
夫人は愛娘を贄に選んだ。どうやって?
娘に薬を盛った。娘の住まいは離れの邸であったから、本邸の者達の目に触れる事は無かった。娘の侍女を使って、彼女の口にするものに薬を混ぜた。
侍女の真実の主は夫人だ。夫人の差配でアマンダ付きとなっていた。
薬は、ああ、もう解るね。そうだよ、肺を傷める薬だよ。王侯貴族にはそういう薬が代々伝わっていてね、医師にも見抜く事は難しかっただろう。その医師だって、真実の主が誰であったか考えれば、その先は言うまでもない。
程なくしてアマンダは病を得た。
父侯爵に薬と疑われぬ様に薬を盛られながら、そのうち肺を傷めて床に臥せった。いよいよ食が細くなってからは、薬は何に混ぜられたか。
甘くて苦くて心を蕩かす悪魔の飲み物。
初恋の男が帝国から携えて来た大切な飲み物。
侍女がそれに薬を混ぜたのは夫人の指示であったろうが、彼女なりの思い遣りであったかも知れない。彼女は決してアマンダが憎くてそうしたのでは無いだろう。
彼女もまたノーマン一族の傘下の娘であったから、主家の夫人に逆らう事は出来なかった。初めから、アマンダを見送ったなら自らも後を追おうと決めていたのだと、私はそう思っている。」
「さて、アマンダ亡き後のノーマン侯爵家はどうなったか。今の権勢を見れば一目瞭然。
ロバートは何事も無くテレーゼ嬢を妻に迎えた。立派な嫡男にも恵まれた。貴女の夫君だね。一族の結束は益々強まり嫡男は王太子の側近として仕え、無事に妻も娶って爵位も継承した。これ以上の繁栄は無いだろう。」
「では、愛を犠牲にした一族に失った愛が蘇る事は有るだろうか?」
クリストファーは、算術の問題を呈する様にキャスリーンに問い掛けた。
彼女は告白の間に現れた。神に自身の罪を告げに。赦される為では無い。裁かれる為に。
彼女を貴女はどう思う?貴女の夫君の祖母に当たる女性だ。
彼女を一言で言い表すなら、貴族の中の貴族、貴婦人の中の貴婦人とでも言おうか。彼女はそう云う女性であった。
彼女の下で育てられたからこそのアマンダであったと言えよう。人の口は勝手な事を囁くが、夫人はアマンダを真実侯爵家の令嬢として育て上げた。夫が何処で愛を得ようと、彼女は正しくノーマン侯爵家の存続と繁栄の為にその身を捧げた女性だよ。
アマンダはそんな夫人を尊敬していた。血は繋がらずとも、そう云う意味で彼女達は正しく母娘であった。」
「私は思うのだよ。夫人は確かに一族の長である侯爵の妻として、その頂点に君臨した貴族婦人であったが、その身の内には人間らしい熱い血潮が流れていたし、人の痛みも知れば愛も解る柔らかな心を持った女性であったと。
彼女自身がノーマン一族の令嬢で、幼い頃からの契約に従って侯爵家へ輿入れした。一族の期待が一身に掛かる重責の中で嫡男を生んだ。その途端、夫は外に愛を求めて、そうして姿形の何処も夫に似ない赤子を認知した。」
「それを彼女が渋々受け入れたと思うかな?ここまでの話を聞けばそう思うだろう。キャスリーン夫人、貴女なら解るだろうか。アマンダがどれ程に人を惹きつけずにはいられない存在であったのかと。そうだよ、彼女が、アマンダが、嬰児でありながら虜にしたのは父ばかりではなかったのだよ。夫人も、兄のロバートも、彼女はみんな根こそぎ絡め取ってしまった。
アマンダは夫人から実の娘の様に愛されていた。感情を表に出さない夫人からは解かり難かったろうがね。
そうして、彼女は愛されるが故に悲劇を呼んだ。」
「悲劇の発端は、アマンダ自身だ。彼女の存在が全てを呼び寄せた。
彼女の虜となった兄が、彼女を得ようと有ってはならない画策をした。それを夫人が見過ごすと?
夫人には一族を護る責務があった。
それには親子の愛は二の次だった。言ったろう?彼女は貴族の中の貴族であると。
嫡男が縁を結ぶご令嬢は、侯爵の放蕩で揺らいだ一族の結束を固める鎹であった。それを子息が反故にしようと動いている。しかも、公には母違いの妹をその身を汚してでも得ようとしている。これが明るみになったなら、侯爵家は二代続く醜聞に塗れて、彼女が生涯を懸けて守ろうと誓ったノーマン一族はその価値を損ねてしまうだろう。」
「彼女がどれ程悩み抜いたか、それまで病一つ得なかった夫人が、流感とは云え臥せった程であると言えば理解しやすいかな。
実母は他にいるのを知りながら、実の母以上に夫人を慕っていたアマンダは、高熱に苦しむ夫人の手当てをしたいと側にいた。病が移ってはいけないと夫人が遠慮をするのも聞き入れなかった。」
「そこで何が起こったと思う?
何でもないことだよ。母娘の語らいだよ。夫人の額に冷やした布を当てながら、アマンダは夫人の気分を晴れやかにしたいと思ったのだろう。自身の身の回りの事を話して聞かせた。
学園での暮らしぶり、学んでいる事、それから今、熱中している事。
学友に語学に堪能な生徒がいて、彼から教本を借りた事、時々解らぬところを彼が教えてくれる事、その彼が夏休みには帝国に留学していた事。」
「そうして夫人の熱が下がった頃に、アマンダは一杯の飲み物を夫人の為に淹れて来た。
そう、帝国名産の悪魔の飲み物だ。ココアは元々栄養価の高い療養食であるからね。そうして夫人に教えたのだよ。これがアダムからの土産であると。」
湖の底まで見通す様な青い瞳が、キャスリーンを射るように見つめる。
「夫人は、愛する者と貴族の責務とを天秤に掛けた。貴族の中の貴族にとって、その天秤は果たして正しい精度で量ったのか。
ノーマン一族の傘下がどれ程のものか、夫人の貴女ならば解るだろう。遠くは王族の血も入っている。建国以来の名家だ。
王族ならば悩みもしない。国の為なら親も子も無く切り捨てる。
夫人は愛娘を贄に選んだ。どうやって?
娘に薬を盛った。娘の住まいは離れの邸であったから、本邸の者達の目に触れる事は無かった。娘の侍女を使って、彼女の口にするものに薬を混ぜた。
侍女の真実の主は夫人だ。夫人の差配でアマンダ付きとなっていた。
薬は、ああ、もう解るね。そうだよ、肺を傷める薬だよ。王侯貴族にはそういう薬が代々伝わっていてね、医師にも見抜く事は難しかっただろう。その医師だって、真実の主が誰であったか考えれば、その先は言うまでもない。
程なくしてアマンダは病を得た。
父侯爵に薬と疑われぬ様に薬を盛られながら、そのうち肺を傷めて床に臥せった。いよいよ食が細くなってからは、薬は何に混ぜられたか。
甘くて苦くて心を蕩かす悪魔の飲み物。
初恋の男が帝国から携えて来た大切な飲み物。
侍女がそれに薬を混ぜたのは夫人の指示であったろうが、彼女なりの思い遣りであったかも知れない。彼女は決してアマンダが憎くてそうしたのでは無いだろう。
彼女もまたノーマン一族の傘下の娘であったから、主家の夫人に逆らう事は出来なかった。初めから、アマンダを見送ったなら自らも後を追おうと決めていたのだと、私はそう思っている。」
「さて、アマンダ亡き後のノーマン侯爵家はどうなったか。今の権勢を見れば一目瞭然。
ロバートは何事も無くテレーゼ嬢を妻に迎えた。立派な嫡男にも恵まれた。貴女の夫君だね。一族の結束は益々強まり嫡男は王太子の側近として仕え、無事に妻も娶って爵位も継承した。これ以上の繁栄は無いだろう。」
「では、愛を犠牲にした一族に失った愛が蘇る事は有るだろうか?」
クリストファーは、算術の問題を呈する様にキャスリーンに問い掛けた。
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