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そこは貴賓室の大階段の真裏であった。静謐な空気に確かに嗅ぎ慣れた本邸の匂いがする。
「ソフィア、ここで待っていて頂戴。直ぐに戻るわ。」
「はい、キャスリーン様。」
ソフィアを置いて大階段の正面に回る。
何度も通った場所である。
階段を上り二階に向かえば、上り切ったフロアはホールになっていて、そこには澄ましてポーズをとるプラチナブロンドの面々がキャスリーンを出迎えた。それらには目もくれず、キャスリーンは左端の令嬢に向き合った。
「アマンダ、お願い、私を信じて貴女の全てを私に教えて。それから貴女の日記は私が引き取ることをどうか許して頂戴。」
赤髪の令嬢は漆黒の瞳でキャスリーンを見つめている。
「大丈夫よ、貴女と私はいつも一緒よ」
そう言葉を掛けてキャスリーンは通路の奥を目指す。
慣れ親しんだその部屋、鍵を開けて扉を開けば、緞帳で日差しを遮られた闇の世界が広がっていた。
緞帳を上げる間すら惜しくて、書架に手を這わせて室内に歩みを進めた。
直ぐに暗闇に目が慣れた。それからは勝手知ったる書架の配置に、迷うことなく最奥の角を目指せば、目当ての書架には直ぐに辿り着いた。
膝まづいて書架と床の隙間に手を差し入れる。確かな存在に手が触れて、それを引き寄せ取り出した。
黒革の日記、アマンダの日記を胸に抱えて元来た道を戻れば、開け放した扉から明かりが差し込んでいて直ぐに入り口に辿り着いた。
階段を降りれば、階下で待っていたソフィアがキャスリーンの姿に安堵の顔を見せた。それからは、来た時の様にソフィアに先導されて本邸の裏側から離れに戻ってこられた。
「有難う、ソフィア。貴女のお陰で大切な物を本邸の誰にも知られずに得られたわ。」
そう礼を言えば、ソフィアは頬を染めて、とんでもございませんと頭を下げた。
自室のソファに一人座る。
ジェントルはどうやら微睡んでいるらしく、時折ジョリジョリと嘴を擦り合わせている。
午後のお茶は要らないと伝えて部屋には鍵を掛けた。誰が来ても通さないでと侍女と護衛に言ってあるから、邪魔が入る事は無いだろう。
黒革の日記を膝に置き、キャスリーンは祈った。アマンダ、貴女の事を私に教えて頂戴。貴女に何があったのか。
それから日記を開いた。
「ああ、なんて言う事なの...」
日記を最後に読んだ箇所は直ぐに分かった。裏のページにも書き込みが続いているのはインクが表にも薄っすら滲んでいたから分かっていたが、そのページを捲ってキャスリーンは絶望した。
「どうして気付かなかったの..」
捲ったページの右側には確かに日記が記されている。だがその隣り、左側のページは空白であった。
以降は捲っても捲っても白紙のページが続いている。捲って捲って、終いにはパラパラと最後のページまで捲り切って分かった。
以降のページは全てが白紙であった。
アマンダの日記は、ほんのひと夏ほどの、僅かな期間の思い出だけが綴られた日記であった。
「ああ、アマンダ、貴女、貴女、秋を待たずに天へ昇ってしまったと言うの?」
思わず両手で顔を覆う。
目の前が真っ暗になった。
キャスリーンがアマンダの日記と語らい始めたのは、確か夏と秋の狭間、夏の終わり頃であった。
あの図書室の一角で一緒に終わりゆく夏を過ごした筈なのに、こちらは季節が進んで今は冬を迎えている。
なのに、なのに貴女は夏で止まってしまっただなんて。なんと云う事。もっと早く読むんだった。そうしたら、もっと早く貴女が間もなく儚くなった事に気が付いた。
貴女の身に何があったのかを調べることも出来たかも知れない。
「ああ、アマンダ、ごめんなさい。貴女の声にもっと早く耳を傾けるべきだったのに、すっかり自分の事にかまけてしまってこんな季節になってしまった。」
沈黙が部屋を支配する。
キャスリーンは顔を覆う手を外して、アマンダの日記を手に取った。
最後に記されたページを開けば、心なしか力を弱くした文字が綴られている。
キャスリーンは、アマンダの最後の言葉に目を落とした。
『残暑がきつくて薄着が祟ったのかしら。このところ咳が出て胸が痛む。少し前から身体がだるくて、あまりお食事が食べられなかった。お父様が心配なさるから、なるべく元気な風を見せていたのだけれど、立っているのも辛くなってしまった。
アダム様の下さったお土産だから、手を付けずに大切に取っておこうと思ったのを、ミリアムが「温かな飲み物で身体を温めましょう、アダム様のお選びになったココアですから、必ずアマンダ様のお身体に効く筈です」と言ってココアを淹れてくれた。
アダム様のココア。大切な大切なココア。ひと口飲むだけで胸が温かくなって、気のせいか痛みも和らぐように感じる。
ミルクもお砂糖もたっぷり入れて、甘くてほろ苦くて蕩けるよう。アダム様が私の為に帝国からお買い求め下さったココアですもの。だからこんな夏風邪など直ぐに良くなるわね。
元気になったらアダム様にお礼を言わなくては。貴方のココアで夏風邪も吹き飛ばしたのよって。』
「アマンダ、貴女、ああ、どうしましょう、」
広げた日記にぽとりと滴が落ちる。
ぽとりぽとりと続けて落ちて、それから慌ててハンカチを瞼に押し当てた。
「うう、貴女、病を得てしまったの?それで、..最後に、最後にココアを飲んだのね、」
アマンダが最後に口にしたのはきっと、アダムが帝国でアマンダの為に買い求めた、甘くてほろ苦くて心まで蕩かしてしまう、あの悪魔の飲み物だったのだろう。
「ソフィア、ここで待っていて頂戴。直ぐに戻るわ。」
「はい、キャスリーン様。」
ソフィアを置いて大階段の正面に回る。
何度も通った場所である。
階段を上り二階に向かえば、上り切ったフロアはホールになっていて、そこには澄ましてポーズをとるプラチナブロンドの面々がキャスリーンを出迎えた。それらには目もくれず、キャスリーンは左端の令嬢に向き合った。
「アマンダ、お願い、私を信じて貴女の全てを私に教えて。それから貴女の日記は私が引き取ることをどうか許して頂戴。」
赤髪の令嬢は漆黒の瞳でキャスリーンを見つめている。
「大丈夫よ、貴女と私はいつも一緒よ」
そう言葉を掛けてキャスリーンは通路の奥を目指す。
慣れ親しんだその部屋、鍵を開けて扉を開けば、緞帳で日差しを遮られた闇の世界が広がっていた。
緞帳を上げる間すら惜しくて、書架に手を這わせて室内に歩みを進めた。
直ぐに暗闇に目が慣れた。それからは勝手知ったる書架の配置に、迷うことなく最奥の角を目指せば、目当ての書架には直ぐに辿り着いた。
膝まづいて書架と床の隙間に手を差し入れる。確かな存在に手が触れて、それを引き寄せ取り出した。
黒革の日記、アマンダの日記を胸に抱えて元来た道を戻れば、開け放した扉から明かりが差し込んでいて直ぐに入り口に辿り着いた。
階段を降りれば、階下で待っていたソフィアがキャスリーンの姿に安堵の顔を見せた。それからは、来た時の様にソフィアに先導されて本邸の裏側から離れに戻ってこられた。
「有難う、ソフィア。貴女のお陰で大切な物を本邸の誰にも知られずに得られたわ。」
そう礼を言えば、ソフィアは頬を染めて、とんでもございませんと頭を下げた。
自室のソファに一人座る。
ジェントルはどうやら微睡んでいるらしく、時折ジョリジョリと嘴を擦り合わせている。
午後のお茶は要らないと伝えて部屋には鍵を掛けた。誰が来ても通さないでと侍女と護衛に言ってあるから、邪魔が入る事は無いだろう。
黒革の日記を膝に置き、キャスリーンは祈った。アマンダ、貴女の事を私に教えて頂戴。貴女に何があったのか。
それから日記を開いた。
「ああ、なんて言う事なの...」
日記を最後に読んだ箇所は直ぐに分かった。裏のページにも書き込みが続いているのはインクが表にも薄っすら滲んでいたから分かっていたが、そのページを捲ってキャスリーンは絶望した。
「どうして気付かなかったの..」
捲ったページの右側には確かに日記が記されている。だがその隣り、左側のページは空白であった。
以降は捲っても捲っても白紙のページが続いている。捲って捲って、終いにはパラパラと最後のページまで捲り切って分かった。
以降のページは全てが白紙であった。
アマンダの日記は、ほんのひと夏ほどの、僅かな期間の思い出だけが綴られた日記であった。
「ああ、アマンダ、貴女、貴女、秋を待たずに天へ昇ってしまったと言うの?」
思わず両手で顔を覆う。
目の前が真っ暗になった。
キャスリーンがアマンダの日記と語らい始めたのは、確か夏と秋の狭間、夏の終わり頃であった。
あの図書室の一角で一緒に終わりゆく夏を過ごした筈なのに、こちらは季節が進んで今は冬を迎えている。
なのに、なのに貴女は夏で止まってしまっただなんて。なんと云う事。もっと早く読むんだった。そうしたら、もっと早く貴女が間もなく儚くなった事に気が付いた。
貴女の身に何があったのかを調べることも出来たかも知れない。
「ああ、アマンダ、ごめんなさい。貴女の声にもっと早く耳を傾けるべきだったのに、すっかり自分の事にかまけてしまってこんな季節になってしまった。」
沈黙が部屋を支配する。
キャスリーンは顔を覆う手を外して、アマンダの日記を手に取った。
最後に記されたページを開けば、心なしか力を弱くした文字が綴られている。
キャスリーンは、アマンダの最後の言葉に目を落とした。
『残暑がきつくて薄着が祟ったのかしら。このところ咳が出て胸が痛む。少し前から身体がだるくて、あまりお食事が食べられなかった。お父様が心配なさるから、なるべく元気な風を見せていたのだけれど、立っているのも辛くなってしまった。
アダム様の下さったお土産だから、手を付けずに大切に取っておこうと思ったのを、ミリアムが「温かな飲み物で身体を温めましょう、アダム様のお選びになったココアですから、必ずアマンダ様のお身体に効く筈です」と言ってココアを淹れてくれた。
アダム様のココア。大切な大切なココア。ひと口飲むだけで胸が温かくなって、気のせいか痛みも和らぐように感じる。
ミルクもお砂糖もたっぷり入れて、甘くてほろ苦くて蕩けるよう。アダム様が私の為に帝国からお買い求め下さったココアですもの。だからこんな夏風邪など直ぐに良くなるわね。
元気になったらアダム様にお礼を言わなくては。貴方のココアで夏風邪も吹き飛ばしたのよって。』
「アマンダ、貴女、ああ、どうしましょう、」
広げた日記にぽとりと滴が落ちる。
ぽとりぽとりと続けて落ちて、それから慌ててハンカチを瞼に押し当てた。
「うう、貴女、病を得てしまったの?それで、..最後に、最後にココアを飲んだのね、」
アマンダが最後に口にしたのはきっと、アダムが帝国でアマンダの為に買い求めた、甘くてほろ苦くて心まで蕩かしてしまう、あの悪魔の飲み物だったのだろう。
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