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「ああっ、旦那様、もうお止しになって、うっっ」
「駄目だ、キャスリーン、まだだ」
それからの数日、アルフォンは途切れる事なくキャスリーンを閨に引き摺り込んだ。
求められればキャスリーンに断る術は無い。何故ならそれがキャスリーンの務めであるから。
暴力的な行いがあるなら逃れても構わないのだろう。けれども、アルフォンが与えるのは快楽である。泥沼の快楽にキャスリーンは只管沈められるのである。
執拗な行為は加虐的な甘さを伴ってキャスリーンを責め抜く。
キャスリーンはその度に生理的な涙が零れ落ちるのだが、アルフォンは追求の手を緩めなかった。執拗に追い求めるのであった。
秋は深まりを極めて木の葉を散らしていた。朝晩と昼の寒暖差は日増しに広がり、早朝と夕暮れ時には肩掛けが恋しくなる。
その晩が殊更冷えて感じたのは、久しぶりに独り寝が出来るからだろう。
アルフォンは体温が高い。恵まれた体躯のアルフォンに覆いかぶさられると、キャスリーンはたちまち高温に包みこまれる。
数日続いた熱い夜に、好むと好まざるとにかかわらず身体はすっかり慣らされていたらしい。
夏の霞を脱ぎ捨てて、秋の夜の空気はきりりと冴え渡っている。ガウンを羽織ってバルコニーに出れば、星の瞬きがくっきりと見えた。新月を過ぎたばかりで月を失った夜空は、星々が燦めく天空の舞台であった。
幼い頃に、こうして夜空を見上げた事があった。
秋生まれの兄が誕生祝いに贈られた天体図鑑を手に、部屋の窓から空を見上げた。
幼い頃の記憶には、よく兄が登場する。
三つ年上であるから、小さな妹の面倒をみるのは飽きる事だったろうに、記憶の中の兄はいつでも優しくキャスリーンと手を繋いでくれていた。愛情の乏しい家庭にあって、兄だけは蝋燭の灯し火の様にキャスリーンの心を温めた。
三階の私室のバルコニー。
木立の向こうに灯りが見える。
侯爵邸は、北を背にして東側を侯爵家の居住エリアと、西側を客人を迎え入れる迎賓エリアとに分かれている。西側の端には目隠し程度の木立ちがあって、その向こう側に離れがある。
東側を上にすれば下方が西、その前面に離れがあって、上空から見れば全体でL字型の構造となる。
三階からは、西側に続く曲がり屋の様に離れが見える。それなりの距離があるから日中は木立に紛れてしまうが、夜は灯された灯りが瞬き居場所を教えるのであった。
アルフォンは今宵、漸く恋人に愛を囁いている頃だろう。
赤髪の令嬢アマンダと同じ名を持つ男爵令嬢。それがアルフォンの心から愛する恋人である。
キャスリーン始め世間は彼女を愛人と認識しているが、アルフォンにとって彼女は「恋人」である。青春時代を共に愛し合った掛け替えの無い恋人なのだ。
キャスリーンにはこの頃思う事があった。
愛人を本邸に移してはどうか。
キャスリーンこそ離れにいるべきでは無いのか。
愛を受けない見せかけの夫人。
家政と執務を熟して合間に後継を生む、役割だけが与えられた侯爵夫人。
体裁だけの職業夫人ならば、別に何処に住まおうと構わないのではないか?
そこには大きな魅力を感じた。
キャスリーンはあの夜、はっきりと自覚した。
アルフォンの子を孕みたくない。
アダム以外の男の子供をこの身に宿したくない。
後継ならば、愛人の子を認知すれば良いだろう。子は愛する人に生んでもらうべきなのだ。愛されない子の人生は寂しい。愛されない子とは、愛していない妻から生まれるのである。
アルフォンは当主だ。貴族のルールを逸脱しても、愛人の子を後継にごり押しする事は可能だろう。家令も執事も多分義父母も、アルフォンの決定には逆らわない。
キャスリーンが懐妊しないとなれば、尚のこと話しは早い。石女には用は無い。求められるのは愛しい恋人であろう。
であれば、今後はキャスリーンとの閨事を無くしてしまえば良いのだ。それを提案出来たなら、アルフォンは耳を貸してくれるだろうか。
一階と二階にある貴賓室。一階から大階段を上った先には小ホールが広がり、そこでアマンダがはにかんだ笑みを浮かべて座っている。
そこから更に西側の通路奥には、あの図書室がある。そこにはアマンダの黒革の日記が読み手を求めて眠っている。
離れの邸宅から見てこちらの図書室は目と鼻の先にある。
それが最大の魅力であった。
夫とは急務以外は関わらず、家政と執務を万全に熟し、そうして親友のアマンダと向き合い語り合って、それから図書室で過ごす。
キャスリーンには、それが楽園の暮らしに思えて来た。
交わるだけなら猿でも出来る。
じゃあ、交わるだけの夫人は猿なの?
そんな獣になったつもりは毛頭無い。
この屋敷の家政も執務も雑事も全て、頭脳を使う事なら請け負いましょう。私はまぐわうだけの猿にはなりたくないのです。
「愛人様と愛し合って下さいな。そうすれば、」私はあの方の事だけを愛していられる。
ほんの一瞬目が合っただけの、名前しか知らない言葉も交わした事のない、親子以上も歳の離れた男に、キャスリーンは心の全てを捧げてしまった。
アマンダ。貴女の気持ちが漸く解ったの。恋をするって苦しいのね。これほど会いたいと心が渇望するものなのね。
苦しくて甘い。甘くて苦しい。
対極の感覚が混じり合って胸の内をどろどろに溶かして行く。
明日は早朝から身を整えて図書室へ行こう。そうして本来の自分を取り戻そう。
アダム・マクドネル・チェイスター伯爵。私が無用なモノを捨て去ったなら、貴方とまたお会い出来ますように。
満天の星空を見上げ、キャスリーンは幼い頃に兄とした様に、ひとつだけ願いを掛けた。
「駄目だ、キャスリーン、まだだ」
それからの数日、アルフォンは途切れる事なくキャスリーンを閨に引き摺り込んだ。
求められればキャスリーンに断る術は無い。何故ならそれがキャスリーンの務めであるから。
暴力的な行いがあるなら逃れても構わないのだろう。けれども、アルフォンが与えるのは快楽である。泥沼の快楽にキャスリーンは只管沈められるのである。
執拗な行為は加虐的な甘さを伴ってキャスリーンを責め抜く。
キャスリーンはその度に生理的な涙が零れ落ちるのだが、アルフォンは追求の手を緩めなかった。執拗に追い求めるのであった。
秋は深まりを極めて木の葉を散らしていた。朝晩と昼の寒暖差は日増しに広がり、早朝と夕暮れ時には肩掛けが恋しくなる。
その晩が殊更冷えて感じたのは、久しぶりに独り寝が出来るからだろう。
アルフォンは体温が高い。恵まれた体躯のアルフォンに覆いかぶさられると、キャスリーンはたちまち高温に包みこまれる。
数日続いた熱い夜に、好むと好まざるとにかかわらず身体はすっかり慣らされていたらしい。
夏の霞を脱ぎ捨てて、秋の夜の空気はきりりと冴え渡っている。ガウンを羽織ってバルコニーに出れば、星の瞬きがくっきりと見えた。新月を過ぎたばかりで月を失った夜空は、星々が燦めく天空の舞台であった。
幼い頃に、こうして夜空を見上げた事があった。
秋生まれの兄が誕生祝いに贈られた天体図鑑を手に、部屋の窓から空を見上げた。
幼い頃の記憶には、よく兄が登場する。
三つ年上であるから、小さな妹の面倒をみるのは飽きる事だったろうに、記憶の中の兄はいつでも優しくキャスリーンと手を繋いでくれていた。愛情の乏しい家庭にあって、兄だけは蝋燭の灯し火の様にキャスリーンの心を温めた。
三階の私室のバルコニー。
木立の向こうに灯りが見える。
侯爵邸は、北を背にして東側を侯爵家の居住エリアと、西側を客人を迎え入れる迎賓エリアとに分かれている。西側の端には目隠し程度の木立ちがあって、その向こう側に離れがある。
東側を上にすれば下方が西、その前面に離れがあって、上空から見れば全体でL字型の構造となる。
三階からは、西側に続く曲がり屋の様に離れが見える。それなりの距離があるから日中は木立に紛れてしまうが、夜は灯された灯りが瞬き居場所を教えるのであった。
アルフォンは今宵、漸く恋人に愛を囁いている頃だろう。
赤髪の令嬢アマンダと同じ名を持つ男爵令嬢。それがアルフォンの心から愛する恋人である。
キャスリーン始め世間は彼女を愛人と認識しているが、アルフォンにとって彼女は「恋人」である。青春時代を共に愛し合った掛け替えの無い恋人なのだ。
キャスリーンにはこの頃思う事があった。
愛人を本邸に移してはどうか。
キャスリーンこそ離れにいるべきでは無いのか。
愛を受けない見せかけの夫人。
家政と執務を熟して合間に後継を生む、役割だけが与えられた侯爵夫人。
体裁だけの職業夫人ならば、別に何処に住まおうと構わないのではないか?
そこには大きな魅力を感じた。
キャスリーンはあの夜、はっきりと自覚した。
アルフォンの子を孕みたくない。
アダム以外の男の子供をこの身に宿したくない。
後継ならば、愛人の子を認知すれば良いだろう。子は愛する人に生んでもらうべきなのだ。愛されない子の人生は寂しい。愛されない子とは、愛していない妻から生まれるのである。
アルフォンは当主だ。貴族のルールを逸脱しても、愛人の子を後継にごり押しする事は可能だろう。家令も執事も多分義父母も、アルフォンの決定には逆らわない。
キャスリーンが懐妊しないとなれば、尚のこと話しは早い。石女には用は無い。求められるのは愛しい恋人であろう。
であれば、今後はキャスリーンとの閨事を無くしてしまえば良いのだ。それを提案出来たなら、アルフォンは耳を貸してくれるだろうか。
一階と二階にある貴賓室。一階から大階段を上った先には小ホールが広がり、そこでアマンダがはにかんだ笑みを浮かべて座っている。
そこから更に西側の通路奥には、あの図書室がある。そこにはアマンダの黒革の日記が読み手を求めて眠っている。
離れの邸宅から見てこちらの図書室は目と鼻の先にある。
それが最大の魅力であった。
夫とは急務以外は関わらず、家政と執務を万全に熟し、そうして親友のアマンダと向き合い語り合って、それから図書室で過ごす。
キャスリーンには、それが楽園の暮らしに思えて来た。
交わるだけなら猿でも出来る。
じゃあ、交わるだけの夫人は猿なの?
そんな獣になったつもりは毛頭無い。
この屋敷の家政も執務も雑事も全て、頭脳を使う事なら請け負いましょう。私はまぐわうだけの猿にはなりたくないのです。
「愛人様と愛し合って下さいな。そうすれば、」私はあの方の事だけを愛していられる。
ほんの一瞬目が合っただけの、名前しか知らない言葉も交わした事のない、親子以上も歳の離れた男に、キャスリーンは心の全てを捧げてしまった。
アマンダ。貴女の気持ちが漸く解ったの。恋をするって苦しいのね。これほど会いたいと心が渇望するものなのね。
苦しくて甘い。甘くて苦しい。
対極の感覚が混じり合って胸の内をどろどろに溶かして行く。
明日は早朝から身を整えて図書室へ行こう。そうして本来の自分を取り戻そう。
アダム・マクドネル・チェイスター伯爵。私が無用なモノを捨て去ったなら、貴方とまたお会い出来ますように。
満天の星空を見上げ、キャスリーンは幼い頃に兄とした様に、ひとつだけ願いを掛けた。
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