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アンソニーとの密会は、その後間もなく打ち切りとなった。
血相を変えたアルフォンがノックもそこそこに入室して来たが為である。
「殿下、妻が何か失礼を?」
「いや、そんな事はない。ここで趣味の語らいをしていたのだ。それで、お前はどうして此処に来た?」
「文官から聞きました。」
「全くお喋りな文官だな。明日から文鳥と呼んでやろう。どうだ、姦しくて似合いの名だろう。」
アルフォンもキャスリーンも護衛も、アンソニーの下手な洒落に笑えない。
そうして半強制的にお開きとされたアンソニーとの会談の場から、キャスリーンはアルフォンに手を引かれ馬車に連行された。漸く帰宅出来る。
「キャスリーン、殿下と何を話していた。」
「以前も思ったが、何故それ程までに殿下との距離が近いのだ。」
「私は殿下の幼い頃よりお側に付いていたが、殿下と君の接点など知らないし聞いたことも無い。」
これまでの結婚生活で、アルフォンが言葉を発するのは、大抵が「ああ」とか「そうか」とか云う短い返答程度のものであった。
会話らしい会話は少なかった。閨でさえ甘い言葉も漏らさない。アルフォンは、言葉すら愛人一人に捧げているのだと思っていた。
それが、最近のアルフォンは箍が外れてしまったように長文を発する。長文ばかりか今宵のキャスリーンの装いにも「美しい」と称賛の言葉を与えてくれた。
多分、その切っ掛けがアンソニーであるのを薄々気付いていたが、やはりそうであったらしい。
会話とは程遠い、詰問に近い問い掛けの連続に、キャスリーンは夫が保身に走っているのだと理解した。
アンソニーの側付きであるのだから、彼の機嫌を損なう事は避けたいのだろう。
侯爵家は典型的な宮廷貴族である。
王太子、将来の国王陛下の側近に選ばれた事は、家においても最高の実績となるのだが、それを愛人との関係で自ら傷を付けている。
不干渉できた妻との関係を修復して、その傷を無かった事にしたいのだろう。
キャスリーンには、そんな思惑に乗っかるつもりは無い。
「殿下とは古書の閲覧についてお話しをしおりました。」
「古書?」
「ええ。あの図書室にあった古書ですが。」
「あ、ああ、忘れていた訳では無い。その古書が殿下とどんな関係があるだ。」
「私が古語を学ぶ切っ掛けを作ったのは殿下です。」
「何?」
「詳細は省きますが、殿下が切っ掛けとなって私は古語を学ぶこととなりました。その際教えを授かった教師が殿下の教師でもあったと云うだけのお話しでございます。」
「何故、それ程高名な教師など、」
「そこは存じ上げません。全て父が差配したことですから。同じ教師に師事しているのを殿下が勝手に兄妹弟子と仰っているだけの事でございます。」
「...」
もういい加減解放されても良いだろう。
車窓からは侯爵家の門扉が見えてきた。
邸に到着して装いを解く。
身体を清めてから夜着に着替えると、きつかったコルセットからの拘束も、夫の連続の詰問からも、身も心も解放されて気持ちが緩まる。
侍女には、今日は疲れたのでこのまま夫人の寝室で休む事を伝えてあるから、アルフォンも自室で就寝するだろう。
鏡の前に立つ。
化粧も落とし結い髪も解いた、飾り気の少ない夜着姿のキャスリーンが映っている。
学園を出たばかりの年相応のあどけなさが残る、年若の令嬢そのままの姿である。アマンダとは一、二歳程しか歳は離れていない。
キャスリーンは鏡に近寄った。
鏡の中のキャスリーンも近寄って来る。
そのまま近付き鏡の面に手の平をつけば、鏡の中のキャスリーンと互いの掌を合わせ近い距離で向き合う形となった。
「ねえアマンダ、聞いて頂戴。私、今晩アダム様に会ったのよ。会った訳では無いわね、そう、目が合ったのよ!」
鏡に映るのは、焦げ茶の髪に鮮やかな青い瞳。けれどもキャスリーンには、それすらアマンダの赤髪と漆黒の瞳に溶け込んで、真実アマンダと向き合っているのだと思えた。
「黒髪の後ろ姿で分かったの。貴女の言った通りだわ。一目で分かるものなのね。」
「ほんの一瞬こちらを振り向いて、それでも確かに見たわ。彼、青い瞳だったのよ。」
アマンダは驚いただろうか。ええ、きっと驚いている。
「それにね、アマンダ。彼の名を聞いたの。驚かないでね、彼の名はアダム。アダム・マクドネル・ハイントリー。」
「アダム様と仰るのよ。貴女が恋したアダム様とは違うでしょうけれど、これ程似ているアダム様がこの世にいるだなんて。」
「貴女の恋したアダム様。私が見つけたアダム様。まるで姉妹のような貴女と私だから、神様はきっと、まるで過去のアダム様と兄弟のような現代のアダム様に出会わせて下さったのかしら。」
向かい合って手を重ね合う令嬢が二人。
恋の話しに瞳を潤ませ胸を震わせている。
「ねえ、アマンダ。貴女にだけ告白するわ。誰にも言わないで頂戴ね。二人だけの内緒の秘密にしてね。」
キャスリーンはアマンダに秘密を暴露することにした。この世で一人きりの親友には、隠し事は一つだって持ちたくなかった。
「私、あのお方に心が惹かれたの。アダム様に心を奪われてしまったの。」
恋を知らないキャスリーン。
愛を知らないキャスリーン。
今宵、キャスリーンは初めての恋を知ってしまった。
血相を変えたアルフォンがノックもそこそこに入室して来たが為である。
「殿下、妻が何か失礼を?」
「いや、そんな事はない。ここで趣味の語らいをしていたのだ。それで、お前はどうして此処に来た?」
「文官から聞きました。」
「全くお喋りな文官だな。明日から文鳥と呼んでやろう。どうだ、姦しくて似合いの名だろう。」
アルフォンもキャスリーンも護衛も、アンソニーの下手な洒落に笑えない。
そうして半強制的にお開きとされたアンソニーとの会談の場から、キャスリーンはアルフォンに手を引かれ馬車に連行された。漸く帰宅出来る。
「キャスリーン、殿下と何を話していた。」
「以前も思ったが、何故それ程までに殿下との距離が近いのだ。」
「私は殿下の幼い頃よりお側に付いていたが、殿下と君の接点など知らないし聞いたことも無い。」
これまでの結婚生活で、アルフォンが言葉を発するのは、大抵が「ああ」とか「そうか」とか云う短い返答程度のものであった。
会話らしい会話は少なかった。閨でさえ甘い言葉も漏らさない。アルフォンは、言葉すら愛人一人に捧げているのだと思っていた。
それが、最近のアルフォンは箍が外れてしまったように長文を発する。長文ばかりか今宵のキャスリーンの装いにも「美しい」と称賛の言葉を与えてくれた。
多分、その切っ掛けがアンソニーであるのを薄々気付いていたが、やはりそうであったらしい。
会話とは程遠い、詰問に近い問い掛けの連続に、キャスリーンは夫が保身に走っているのだと理解した。
アンソニーの側付きであるのだから、彼の機嫌を損なう事は避けたいのだろう。
侯爵家は典型的な宮廷貴族である。
王太子、将来の国王陛下の側近に選ばれた事は、家においても最高の実績となるのだが、それを愛人との関係で自ら傷を付けている。
不干渉できた妻との関係を修復して、その傷を無かった事にしたいのだろう。
キャスリーンには、そんな思惑に乗っかるつもりは無い。
「殿下とは古書の閲覧についてお話しをしおりました。」
「古書?」
「ええ。あの図書室にあった古書ですが。」
「あ、ああ、忘れていた訳では無い。その古書が殿下とどんな関係があるだ。」
「私が古語を学ぶ切っ掛けを作ったのは殿下です。」
「何?」
「詳細は省きますが、殿下が切っ掛けとなって私は古語を学ぶこととなりました。その際教えを授かった教師が殿下の教師でもあったと云うだけのお話しでございます。」
「何故、それ程高名な教師など、」
「そこは存じ上げません。全て父が差配したことですから。同じ教師に師事しているのを殿下が勝手に兄妹弟子と仰っているだけの事でございます。」
「...」
もういい加減解放されても良いだろう。
車窓からは侯爵家の門扉が見えてきた。
邸に到着して装いを解く。
身体を清めてから夜着に着替えると、きつかったコルセットからの拘束も、夫の連続の詰問からも、身も心も解放されて気持ちが緩まる。
侍女には、今日は疲れたのでこのまま夫人の寝室で休む事を伝えてあるから、アルフォンも自室で就寝するだろう。
鏡の前に立つ。
化粧も落とし結い髪も解いた、飾り気の少ない夜着姿のキャスリーンが映っている。
学園を出たばかりの年相応のあどけなさが残る、年若の令嬢そのままの姿である。アマンダとは一、二歳程しか歳は離れていない。
キャスリーンは鏡に近寄った。
鏡の中のキャスリーンも近寄って来る。
そのまま近付き鏡の面に手の平をつけば、鏡の中のキャスリーンと互いの掌を合わせ近い距離で向き合う形となった。
「ねえアマンダ、聞いて頂戴。私、今晩アダム様に会ったのよ。会った訳では無いわね、そう、目が合ったのよ!」
鏡に映るのは、焦げ茶の髪に鮮やかな青い瞳。けれどもキャスリーンには、それすらアマンダの赤髪と漆黒の瞳に溶け込んで、真実アマンダと向き合っているのだと思えた。
「黒髪の後ろ姿で分かったの。貴女の言った通りだわ。一目で分かるものなのね。」
「ほんの一瞬こちらを振り向いて、それでも確かに見たわ。彼、青い瞳だったのよ。」
アマンダは驚いただろうか。ええ、きっと驚いている。
「それにね、アマンダ。彼の名を聞いたの。驚かないでね、彼の名はアダム。アダム・マクドネル・ハイントリー。」
「アダム様と仰るのよ。貴女が恋したアダム様とは違うでしょうけれど、これ程似ているアダム様がこの世にいるだなんて。」
「貴女の恋したアダム様。私が見つけたアダム様。まるで姉妹のような貴女と私だから、神様はきっと、まるで過去のアダム様と兄弟のような現代のアダム様に出会わせて下さったのかしら。」
向かい合って手を重ね合う令嬢が二人。
恋の話しに瞳を潤ませ胸を震わせている。
「ねえ、アマンダ。貴女にだけ告白するわ。誰にも言わないで頂戴ね。二人だけの内緒の秘密にしてね。」
キャスリーンはアマンダに秘密を暴露することにした。この世で一人きりの親友には、隠し事は一つだって持ちたくなかった。
「私、あのお方に心が惹かれたの。アダム様に心を奪われてしまったの。」
恋を知らないキャスリーン。
愛を知らないキャスリーン。
今宵、キャスリーンは初めての恋を知ってしまった。
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