黒革の日記

桃井すもも

文字の大きさ
上 下
19 / 68

【19】

しおりを挟む
鏡の前で自身の姿を確認したキャスリーンは、私室を出てホールへ向かった。

既に仕度を整えてキャスリーンを待っていたアルフォンが、こちらを振り返る。

キャスリーンのドレスと同じ生地で仕立てたジャケットは、やはりアルフォンによく似合っていた。

「美しいな、キャスリーン。」

アルフォンから衣装を褒められたのは記憶の限り初めての事である。
だが、今のキャスリーンはそんな事は全く気にならなかった。
自身への称賛は全て、キャスリーンと揃いの様な衣装を纏ったアマンダへの称賛だと思えた。

「有難うございます。旦那様もとても素敵でいらっしゃいます。」

「そうか。」

アルフォンは短く言うと、エスコートの為に左手を差し出してきた。

愛人の事を別にして、アルフォンは平素より女性に対して紳士的である。これまでも、粗暴な振る舞いをされた事は無かった。

差し出された掌にキャスリーンも手を預ける。
アルフォンがその指先をキュッと握った。常に無い事にキャスリーンは反射的にアルフォンを見上げてしまった。

アルフォンは、キャスリーンに見上げられたまま暫し視線を合わせるも、程なくして馬車へ向かって歩き出した。

数秒前の出来事を何気ない些細なものとしてキャスリーンは受け止めた。


アルフォンに伴われて舞踏会に出席した事は数える程しかない。
アルフォンは王太子の側近として、舞踏会でもアンソニーに侍ることが常であった。

婚姻を結んでまだ半年を過ぎたばかりで夜会に出席しないキャスリーンの社交は、専らご婦人達との茶会が主であった。


アルフォンとともに国王陛下へ挨拶に伺えば、すかさずアンソニー王太子殿下が目配せして来る。それをまるっと見ぬふりを貫いて、キャスリーンは王族達の席から離れた。

「うぉっほん」
態とらしい咳払いも完全無視である。
アルフォンは、アンソニーの咳払いに訝しそうにするも、旦那様と小さく声を掛ければ立ち止まりかけた歩みを止めることは無かった。

王城の煌びやかな照明に照らされて、モスグリーンのドレスが搖れる度に虹彩を現す。張りがあるのにしなやかなシルクのドレスは、やはりご婦人方の興味を引くようで、キャスリーンは挨拶する度にドレスの購入先を教える羽目になった。

殿方同士の話しもあろうと、アルフォンに別々に挨拶回りをしようと提案すれば、アルフォンもその方が効率的だと判断したらしい。

アルフォンとキャスリーンは、互いに別れて別々に行動する事となった。

漸く肩の力が抜けるのを感じたキャスリーンは、側を通った給仕よりシャンパンを受け取り、よく冷えた美酒で喉を潤す。


会えたら良いなと思っていた兄とその婚約者は、結局、人の波に紛れて見つける事は出来なかった。
同じくパートナーと別行動をしているご婦人方と時折挨拶を交わしながら、時が過ぎるのを待つ。


キャスリーンの挨拶回りは一通り終えられた。そう思った途端、キャスリーンは邸に戻りたくなった。やはり舞踏会は苦手である。

ダンスホールでは大分前からダンスが始まっており、夫婦や婚約者、恋の鞘当てをする若い子女達で華やかな賑わいを見せていた。

アルフォンとは別れたきりであったから、ファーストダンスもまだであるし、これから踊る予定も無い。
アルフォンがまだ紳士達との話があるのなら、断りを入れて先に失礼させてもらおう。

そう心が決まったと同時に、ざわめきが起こった。
何だろうとそちらに視線を移せば、それは王族席の方向で、王家と家臣とで何かやり取りがあったのだろうと視線を戻そうとして戻せなかった。

視線の先に黒髪が見えた。
距離があるので、もしかしたらブルネットかもしれない。

けれども、キャスリーンは無性にそれが気になった。気になって思わず足を踏み出した。踏み出した足はゆっくり歩みを進める。キャスリーンは、自分の足であるのにその動きを止めることが出来ない。

前に塞がる人影を避けながら、一歩一歩近付いて、それから速歩きで一気に距離を縮めた。

後ろ姿が見える。やはり見間違いではなく黒髪だった。

キャスリーンの脳内で、アマンダの言葉が蘇る。


『貴方の青い瞳が好き。私の黒い瞳にも、貴方の瞳がとても美しい青に映って見えるわ。こんな真っ黒な瞳でも貴方の髪と同じ色だと思うと、貴方の色をこの身に纏っているようで幸せな気持ちになるの。』

『貴方が何処にいても、私は貴女を誰よりも早く見付けられる。貴方の黒髪は艶やかで煌めいているもの。貴方は私の事を見付けられるかしら。』


アマンダの恋した黒髪にキャスリーンは条件反射の様に反応したのだろう。少し先にいる黒髪の紳士はこちらに背を向けている。

キャスリーンは念じた。
お願い。こちらを振り返って頂戴。
貴方の瞳を見せて頂戴。

アマンダは遠い過去の人である。その想い人もまた過去の人であるのにも関わらず、目の前の黒髪の紳士にキャスリーンは救いを求めるように願ってしまった。

お願い、どうか青い瞳を見せて頂戴。

天にその願いが届いたのか、ふと黒髪の紳士がこちらを振り返る。
歓談中であったのか、笑みを浮かべながらこちらを振り返った。

黒髪の紳士。

瞳は遠目にも分かるほど、鮮やかな青だった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

結婚して5年、冷たい夫に離縁を申し立てたらみんなに止められています。

真田どんぐり
恋愛
ー5年前、ストレイ伯爵家の美しい令嬢、アルヴィラ・ストレイはアレンベル侯爵家の侯爵、ダリウス・アレンベルと結婚してアルヴィラ・アレンベルへとなった。 親同士に決められた政略結婚だったが、アルヴィラは旦那様とちゃんと愛し合ってやっていこうと決意していたのに……。 そんな決意を打ち砕くかのように旦那様の態度はずっと冷たかった。 (しかも私にだけ!!) 社交界に行っても、使用人の前でもどんな時でも冷たい態度を取られた私は周りの噂の恰好の的。 最初こそ我慢していたが、ある日、偶然旦那様とその幼馴染の不倫疑惑を耳にする。 (((こんな仕打ち、あんまりよーー!!))) 旦那様の態度にとうとう耐えられなくなった私は、ついに離縁を決意したーーーー。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

この度、仮面夫婦の妊婦妻になりまして。

天織 みお
恋愛
「おめでとうございます。奥様はご懐妊されています」 目が覚めたらいきなり知らない老人に言われた私。どうやら私、妊娠していたらしい。 「だが!彼女と子供が出来るような心当たりは一度しかないんだぞ!!」 そして、子供を作ったイケメン王太子様との仲はあまり良くないようで――? そこに私の元婚約者らしい隣国の王太子様とそのお妃様まで新婚旅行でやって来た! っていうか、私ただの女子高生なんですけど、いつの間に結婚していたの?!ファーストキスすらまだなんだけど!! っていうか、ここどこ?! ※完結まで毎日2話更新予定でしたが、3話に変更しました ※他サイトにも掲載中

アリシアの恋は終わったのです。

ことりちゃん
恋愛
昼休みの廊下で、アリシアはずっとずっと大好きだったマークから、いきなり頬を引っ叩かれた。 その瞬間、アリシアの恋は終わりを迎えた。 そこから長年の虚しい片想いに別れを告げ、新しい道へと歩き出すアリシア。 反対に、後になってアリシアの想いに触れ、遅すぎる行動に出るマーク。 案外吹っ切れて楽しく過ごす女子と、どうしようもなく後悔する残念な男子のお話です。 ーーーーー 12話で完結します。 よろしくお願いします(´∀`)

【完結】愛しい人、妹が好きなら私は身を引きます。

王冠
恋愛
幼馴染のリュダールと八年前に婚約したティアラ。 友達の延長線だと思っていたけど、それは恋に変化した。 仲睦まじく過ごし、未来を描いて日々幸せに暮らしていた矢先、リュダールと妹のアリーシャの密会現場を発見してしまい…。 書きながらなので、亀更新です。 どうにか完結に持って行きたい。 ゆるふわ設定につき、我慢がならない場合はそっとページをお閉じ下さい。

あなたの嫉妬なんて知らない

abang
恋愛
「あなたが尻軽だとは知らなかったな」 「あ、そう。誰を信じるかは自由よ。じゃあ、終わりって事でいいのね」 「は……終わりだなんて、」 「こんな所にいらしたのね!お二人とも……皆探していましたよ…… "今日の主役が二人も抜けては"」 婚約パーティーの夜だった。 愛おしい恋人に「尻軽」だと身に覚えのない事で罵られたのは。 長年の恋人の言葉よりもあざとい秘書官の言葉を信頼する近頃の彼にどれほど傷ついただろう。 「はー、もういいわ」 皇帝という立場の恋人は、仕事仲間である優秀な秘書官を信頼していた。 彼女の言葉を信じて私に婚約パーティーの日に「尻軽」だと言った彼。 「公女様は、退屈な方ですね」そういって耳元で嘲笑った秘書官。 だから私は悪女になった。 「しつこいわね、見て分かんないの?貴方とは終わったの」 洗練された公女の所作に、恵まれた女性の魅力に、高貴な家門の名に、男女問わず皆が魅了される。 「貴女は、俺の婚約者だろう!」 「これを見ても?貴方の言ったとおり"尻軽"に振る舞ったのだけど、思いの他皆にモテているの。感謝するわ」 「ダリア!いい加減に……」 嫉妬に燃える皇帝はダリアの新しい恋を次々と邪魔して……?

七年間の婚約は今日で終わりを迎えます

hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。

処理中です...