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鏡の前で自身の姿を確認したキャスリーンは、私室を出てホールへ向かった。
既に仕度を整えてキャスリーンを待っていたアルフォンが、こちらを振り返る。
キャスリーンのドレスと同じ生地で仕立てたジャケットは、やはりアルフォンによく似合っていた。
「美しいな、キャスリーン。」
アルフォンから衣装を褒められたのは記憶の限り初めての事である。
だが、今のキャスリーンはそんな事は全く気にならなかった。
自身への称賛は全て、キャスリーンと揃いの様な衣装を纏ったアマンダへの称賛だと思えた。
「有難うございます。旦那様もとても素敵でいらっしゃいます。」
「そうか。」
アルフォンは短く言うと、エスコートの為に左手を差し出してきた。
愛人の事を別にして、アルフォンは平素より女性に対して紳士的である。これまでも、粗暴な振る舞いをされた事は無かった。
差し出された掌にキャスリーンも手を預ける。
アルフォンがその指先をキュッと握った。常に無い事にキャスリーンは反射的にアルフォンを見上げてしまった。
アルフォンは、キャスリーンに見上げられたまま暫し視線を合わせるも、程なくして馬車へ向かって歩き出した。
数秒前の出来事を何気ない些細なものとしてキャスリーンは受け止めた。
アルフォンに伴われて舞踏会に出席した事は数える程しかない。
アルフォンは王太子の側近として、舞踏会でもアンソニーに侍ることが常であった。
婚姻を結んでまだ半年を過ぎたばかりで夜会に出席しないキャスリーンの社交は、専らご婦人達との茶会が主であった。
アルフォンとともに国王陛下へ挨拶に伺えば、すかさずアンソニー王太子殿下が目配せして来る。それをまるっと見ぬふりを貫いて、キャスリーンは王族達の席から離れた。
「うぉっほん」
態とらしい咳払いも完全無視である。
アルフォンは、アンソニーの咳払いに訝しそうにするも、旦那様と小さく声を掛ければ立ち止まりかけた歩みを止めることは無かった。
王城の煌びやかな照明に照らされて、モスグリーンのドレスが搖れる度に虹彩を現す。張りがあるのにしなやかなシルクのドレスは、やはりご婦人方の興味を引くようで、キャスリーンは挨拶する度にドレスの購入先を教える羽目になった。
殿方同士の話しもあろうと、アルフォンに別々に挨拶回りをしようと提案すれば、アルフォンもその方が効率的だと判断したらしい。
アルフォンとキャスリーンは、互いに別れて別々に行動する事となった。
漸く肩の力が抜けるのを感じたキャスリーンは、側を通った給仕よりシャンパンを受け取り、よく冷えた美酒で喉を潤す。
会えたら良いなと思っていた兄とその婚約者は、結局、人の波に紛れて見つける事は出来なかった。
同じくパートナーと別行動をしているご婦人方と時折挨拶を交わしながら、時が過ぎるのを待つ。
キャスリーンの挨拶回りは一通り終えられた。そう思った途端、キャスリーンは邸に戻りたくなった。やはり舞踏会は苦手である。
ダンスホールでは大分前からダンスが始まっており、夫婦や婚約者、恋の鞘当てをする若い子女達で華やかな賑わいを見せていた。
アルフォンとは別れたきりであったから、ファーストダンスもまだであるし、これから踊る予定も無い。
アルフォンがまだ紳士達との話があるのなら、断りを入れて先に失礼させてもらおう。
そう心が決まったと同時に、ざわめきが起こった。
何だろうとそちらに視線を移せば、それは王族席の方向で、王家と家臣とで何かやり取りがあったのだろうと視線を戻そうとして戻せなかった。
視線の先に黒髪が見えた。
距離があるので、もしかしたらブルネットかもしれない。
けれども、キャスリーンは無性にそれが気になった。気になって思わず足を踏み出した。踏み出した足はゆっくり歩みを進める。キャスリーンは、自分の足であるのにその動きを止めることが出来ない。
前に塞がる人影を避けながら、一歩一歩近付いて、それから速歩きで一気に距離を縮めた。
後ろ姿が見える。やはり見間違いではなく黒髪だった。
キャスリーンの脳内で、アマンダの言葉が蘇る。
『貴方の青い瞳が好き。私の黒い瞳にも、貴方の瞳がとても美しい青に映って見えるわ。こんな真っ黒な瞳でも貴方の髪と同じ色だと思うと、貴方の色をこの身に纏っているようで幸せな気持ちになるの。』
『貴方が何処にいても、私は貴女を誰よりも早く見付けられる。貴方の黒髪は艶やかで煌めいているもの。貴方は私の事を見付けられるかしら。』
アマンダの恋した黒髪にキャスリーンは条件反射の様に反応したのだろう。少し先にいる黒髪の紳士はこちらに背を向けている。
キャスリーンは念じた。
お願い。こちらを振り返って頂戴。
貴方の瞳を見せて頂戴。
アマンダは遠い過去の人である。その想い人もまた過去の人であるのにも関わらず、目の前の黒髪の紳士にキャスリーンは救いを求めるように願ってしまった。
お願い、どうか青い瞳を見せて頂戴。
天にその願いが届いたのか、ふと黒髪の紳士がこちらを振り返る。
歓談中であったのか、笑みを浮かべながらこちらを振り返った。
黒髪の紳士。
瞳は遠目にも分かるほど、鮮やかな青だった。
既に仕度を整えてキャスリーンを待っていたアルフォンが、こちらを振り返る。
キャスリーンのドレスと同じ生地で仕立てたジャケットは、やはりアルフォンによく似合っていた。
「美しいな、キャスリーン。」
アルフォンから衣装を褒められたのは記憶の限り初めての事である。
だが、今のキャスリーンはそんな事は全く気にならなかった。
自身への称賛は全て、キャスリーンと揃いの様な衣装を纏ったアマンダへの称賛だと思えた。
「有難うございます。旦那様もとても素敵でいらっしゃいます。」
「そうか。」
アルフォンは短く言うと、エスコートの為に左手を差し出してきた。
愛人の事を別にして、アルフォンは平素より女性に対して紳士的である。これまでも、粗暴な振る舞いをされた事は無かった。
差し出された掌にキャスリーンも手を預ける。
アルフォンがその指先をキュッと握った。常に無い事にキャスリーンは反射的にアルフォンを見上げてしまった。
アルフォンは、キャスリーンに見上げられたまま暫し視線を合わせるも、程なくして馬車へ向かって歩き出した。
数秒前の出来事を何気ない些細なものとしてキャスリーンは受け止めた。
アルフォンに伴われて舞踏会に出席した事は数える程しかない。
アルフォンは王太子の側近として、舞踏会でもアンソニーに侍ることが常であった。
婚姻を結んでまだ半年を過ぎたばかりで夜会に出席しないキャスリーンの社交は、専らご婦人達との茶会が主であった。
アルフォンとともに国王陛下へ挨拶に伺えば、すかさずアンソニー王太子殿下が目配せして来る。それをまるっと見ぬふりを貫いて、キャスリーンは王族達の席から離れた。
「うぉっほん」
態とらしい咳払いも完全無視である。
アルフォンは、アンソニーの咳払いに訝しそうにするも、旦那様と小さく声を掛ければ立ち止まりかけた歩みを止めることは無かった。
王城の煌びやかな照明に照らされて、モスグリーンのドレスが搖れる度に虹彩を現す。張りがあるのにしなやかなシルクのドレスは、やはりご婦人方の興味を引くようで、キャスリーンは挨拶する度にドレスの購入先を教える羽目になった。
殿方同士の話しもあろうと、アルフォンに別々に挨拶回りをしようと提案すれば、アルフォンもその方が効率的だと判断したらしい。
アルフォンとキャスリーンは、互いに別れて別々に行動する事となった。
漸く肩の力が抜けるのを感じたキャスリーンは、側を通った給仕よりシャンパンを受け取り、よく冷えた美酒で喉を潤す。
会えたら良いなと思っていた兄とその婚約者は、結局、人の波に紛れて見つける事は出来なかった。
同じくパートナーと別行動をしているご婦人方と時折挨拶を交わしながら、時が過ぎるのを待つ。
キャスリーンの挨拶回りは一通り終えられた。そう思った途端、キャスリーンは邸に戻りたくなった。やはり舞踏会は苦手である。
ダンスホールでは大分前からダンスが始まっており、夫婦や婚約者、恋の鞘当てをする若い子女達で華やかな賑わいを見せていた。
アルフォンとは別れたきりであったから、ファーストダンスもまだであるし、これから踊る予定も無い。
アルフォンがまだ紳士達との話があるのなら、断りを入れて先に失礼させてもらおう。
そう心が決まったと同時に、ざわめきが起こった。
何だろうとそちらに視線を移せば、それは王族席の方向で、王家と家臣とで何かやり取りがあったのだろうと視線を戻そうとして戻せなかった。
視線の先に黒髪が見えた。
距離があるので、もしかしたらブルネットかもしれない。
けれども、キャスリーンは無性にそれが気になった。気になって思わず足を踏み出した。踏み出した足はゆっくり歩みを進める。キャスリーンは、自分の足であるのにその動きを止めることが出来ない。
前に塞がる人影を避けながら、一歩一歩近付いて、それから速歩きで一気に距離を縮めた。
後ろ姿が見える。やはり見間違いではなく黒髪だった。
キャスリーンの脳内で、アマンダの言葉が蘇る。
『貴方の青い瞳が好き。私の黒い瞳にも、貴方の瞳がとても美しい青に映って見えるわ。こんな真っ黒な瞳でも貴方の髪と同じ色だと思うと、貴方の色をこの身に纏っているようで幸せな気持ちになるの。』
『貴方が何処にいても、私は貴女を誰よりも早く見付けられる。貴方の黒髪は艶やかで煌めいているもの。貴方は私の事を見付けられるかしら。』
アマンダの恋した黒髪にキャスリーンは条件反射の様に反応したのだろう。少し先にいる黒髪の紳士はこちらに背を向けている。
キャスリーンは念じた。
お願い。こちらを振り返って頂戴。
貴方の瞳を見せて頂戴。
アマンダは遠い過去の人である。その想い人もまた過去の人であるのにも関わらず、目の前の黒髪の紳士にキャスリーンは救いを求めるように願ってしまった。
お願い、どうか青い瞳を見せて頂戴。
天にその願いが届いたのか、ふと黒髪の紳士がこちらを振り返る。
歓談中であったのか、笑みを浮かべながらこちらを振り返った。
黒髪の紳士。
瞳は遠目にも分かるほど、鮮やかな青だった。
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