黒革の日記

桃井すもも

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『学園の図書室でアダム様からお借りした教本を読んでいたら、アダム様がお声を掛けて下さった。解らないところがあったら教えるから言ってくれと仰った。解らないだなんて言うのは恥ずかしい。こんな事も解らないのかと呆れられてしまうかしら。いいえ、アダム様はそんな事は仰らないわ。けれども、やっぱり恥ずかしくて大丈夫だと答えてしまった。』

「まあ、アダム様はお優しい方なのね。アマンダ、貴女の気持ちはよく分かるわ。そうよね。解らないと口に出すのは勇気がいるわね。」

図書室で、キャスリーンは日記のアマンダに向けて話している。


『今日の日の事を、私はきっと生涯忘れないわ。アダム様と向かい合わせに座れたのだもの。私がはっきりしない態度であるのをお気付きになったアダム様が、さり気なく教本の説明をして下さった。私の向かい側にお座りになったアダム様が教本を指差すのだけれど、私はアダム様の指先ばかりに目が行って、全然お勉強に身が入らなかった。長い指に手入れのされた綺麗な爪。その爪先ばかりを眺めてしまった。』

「指先までお美しいだなんて。それでは見とれてしまっても仕方が無いわ。私だってそんな場面にいたなら、きっと貴女と同じ様に指先ばかりに目が行って、とてもお勉強になんてならないわ。」


『もうすぐ今学期が終わってしまう。夏休みになったら、アダム様のお顔を見ることが出来なくなってしまう。アダム様はご領地にお帰りになるのかしら。それともタウンハウスに残られるのかしら。』

アマンダの日記に、初めて季節が分かる言葉が記されている。
夏休み前。学年は?
どうやらアダムは地方に領地があるらしい。彼の領地は何処なのかしら。

断片的な情報だけでは、アマンダとアダムが過ごした時代の背景は今ひとつはっきりしない。


『デビュタントの後の舞踏会で陛下にご挨拶をなさったアダム様は、とてもとても素敵だった。この夏の舞踏会に、アダム様は参加なさるのかしら。』

「デビュタント?!」

キャスリーンは思わず声を上げてしまった。一人きりの図書室に、キャスリーンの声が響く。

王国のデビュタントは十六歳になる夏に執り行われる。国王陛下に謁見し社交デビューが認められると、その後は王家主催の舞踏会への参加が許される。

アマンダはデビュタントを既に済ませていると言う。であれば、日記に記されている当時は、学園の二年生が三年生なのだと思われた。

アマンダの存在は、それまで肖像画の中でしか実在を知り得なかった。それが既にデビュタントを済ませた年齢で、もうすぐ夏休みを迎えるというその事実が、彼女の肖像に色を付け生を与えるように生き生きと蘇らせる。

過去のどこかの時代で確かに存在した侯爵令嬢。恋する少女は、デビュタントを迎えた淑女であった。


『舞踏会に着るドレスが届いた。深みのあるモスグリーン。赤い髪の派手な印象も、このドレスなら、きっと落ち着きのある淑女に見せてくれるかも知れない。

首飾りはお父様が宝物庫から選んで良いと仰ったので、金細工のリーフを繋げたものにしたわ。薄い金のプレートに葉脈まで細かな細工がされていて、まるで金色の葉を繋げた様に見えるの。』

「なんですって!」
再び図書室にキャスリーンの声が響いた。

純金のプレートを打ち出し薄く繊細な細工が施された首飾り。細かな葉脈まで忠実に再現されていて、僅かに形と大きさが異なるそれらを繋ぎ合わせて首飾りとなっている。
風に舞う金色の木の葉を思わせる首飾りに併せるドレスは虹彩あるモスグリーン。

アマンダが宝物庫から選んだ金細工の首飾りは、キャスリーンが今度の舞踏会にと選んだ首飾りであった。であれば多分耳飾りも揃いであろう。
ドレスの色はモスグリーン。キャスリーンのドレスも虹彩を帯びた光沢のあるモスグリーンである。

なんて事。なんて偶然。
いいえ、これは偶然などではなくて必然だわ。
アマンダが身に付けた首飾りに同じ色のドレスを纏って舞踏会に参加する。

憂鬱な舞踏会だと思っていた。
煩わしい人の目に触れ、面白可笑しく噂をされるのが目に見えていて、キャスリーンは夫と共に参加する舞踏会をひどく億劫に感じていた。

それが、偶然とは思えない一致の連続に運命的な繋がりを感じて、途端に舞踏会が待ち遠しくなってしまった。
髪の色も瞳の色も、人に与える印象も異なるだろうアマンダとキャスリーンが、時を超えて二人揃いの装いで並び立つ。



「大変お美しいですわ、キャスリーン様。」

キャスリーンの装いを整えた侍女が、感嘆を混じえ称賛する。

「有難う。貴女方の心尽くしのお蔭だわ。こんなにも綺麗に粧ってくれるだなんて。」

「勿体ないお言葉でございます、キャスリーン様。ですが、キャスリーン様のお美しさに衣装が引き立てられたのでしょう。大変お美しくていらっしゃいます。」

アマンダと揃いの衣装を纏うキャスリーンは、気品ある淑女の佇まいで鏡の中で微笑んでいる。

鏡に映る自分が、キャスリーンにはアマンダの様に思えて来る。
アマンダ、貴女とお揃いの衣装よ。まるで貴女と姉妹のようだわ。


首元を飾る黄金のリーフに、キャスリーンはそっと手を添え再び微笑むのであった。


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