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階段を上がると小規模なホールが現れる。
歴代の侯爵家の面々が眩い白金の色を纏って居並んでいる。ノーマン侯爵家の一族は代々プラチナブロンドの髪にシトリンの瞳を持っている。所々違う色があるのは他家から嫁いで来た夫人達であろう。
その末端に、アマンダは居る。
大人びた表情。それはとても分かりづらいが、よく見れば微かにはにかんでいる。
「ご機嫌よう、アマンダ。」
漆黒の瞳がキャスリーンを見つめている。
『ご機嫌よう、キャスリーン。』
彼女が友人であっなら、そんな言葉を返してくれた事だろう。
「アマンダ。私、貴女となら良いお友達になれたと思うのよ?」
キャスリーンは、続けて語りかける。
「私は貴女を見ていると素直で純粋な気持ちになれるの。きっと貴女が素直で純粋な心の持ち主だったからなのでしょうね。」
キャスリーンは尚も続ける。
「貴女はどんな女性だったのかしら。ええ、言わなくても大丈夫よ、ちゃんと分かるわ。言葉が無くても、貴女の事はこの胸に伝わって来るのだもの。」
「貴女の人生は、どんな人生だったの?」
「お可哀想に、長い人生では無かったのでしょう。」
「貴女の人生で、貴女は何を望んだのかしら。」
「貴女はどんな人生を望んだの?貴女の夢は何?貴女は愛する人と愛し合えことは出来たのかしら。」
「貴女は..「キャスリーン。」
そこでキャスリーンは、自分の名を呼ぶ声で我に返った。
背中から物凄い速度で引き戻される。そんな圧迫感すら感じた。
「キャスリーン。」
再び名を呼ばれて振り返る。
階下にアルフォンがいて、こちらを見上げていた。
「そんなところで何をしているんだ。」
距離があるせいか、アルフォンは少しばかり声を張っている。そんなアルフォンの声を聴くのは初めてであった。
キャスリーンは再びアマンダの方へ向き直り、小声で言う。
「アマンダ、また明日会いましょう。」
それから階段へ向かいゆっくりと階下へ降りてゆく。流石に上から声を張り上げて返答をする訳にはいかない。
キャスリーンがゆっくり階段を降りる間も、アルフォンは急かすこと無くじっと待っている。
最後の段を降りてアルフォンに向き合い、キャスリーンは夫に向かって
「お帰りなさいませ、旦那様。お迎え出来ずに申し訳ございません。」
笑みを浮かべて夫に詫びた。
「こんな所で何をしていたんだ。」
「先日、殿下がいらした時に、図書室へハンカチを忘れてしまいましたの。晩餐の前に取りに来たのですが、ここまで来てうっかり鍵を忘れた事に気が付きまして。それで、そのまま戻るのも何ですから、少しばかり肖像画を眺めておりました。」
「話し声が聴こえたのだが、」
「気の所為でございましょう。ああ、もしかして私が少々独り言を言っていたかもしれません。」
「独り言だと?」
「ええ。例えば、この方はいつの時代の方なのかしら、とか。」
「それなら私に聞けば良かったのだ。私はここで生ま育った。ここにある肖像画の主は皆私の血縁なのだから。」
「旦那様はお忙しいのですから、お手を煩わせるのは憚られて。」
「...。誰が知りたいんだ。」
「え?」
「誰の事を知りたいと思ったのだ?」
アルフォンは他意無く言ったのだろう。
多分、アルフォンならここに飾られた肖像画の人物達を把握しているだろう。
キャスリーンは迷った。
聞けるものなら聞いてしまいたい。分かると言うなら今直ぐ教えてもらいたい。
「いいえ、大丈夫です。何気無く思った事でこざいますから。それに、そろそろ晩餐の支度が整っている頃でしょう。」
キャスリーンは、断腸の思いで自分の願いを飲み込んだ。
アマンダの存在を気にかけていることを、僅かでも知られたくなかった。寧ろ、アマンダの肖像画をアルフォンの目に触れさせたくなかった。
アマンダの日記にあった伯爵令嬢の言葉を思えば、アマンダが暮らす環境は優しいことばかりでは無かった筈である。
アマンダを蔑んだかも知れないシトリンの瞳。この瞳に囲まれて、アマンダはどんな気持ちで生きていたのだろう。
私はアマンダの瞳に、貴方の白金の髪もシトリンの瞳も映したくはないのだわ。
キャスリーンがにこりと微笑めば、アルフォンは一先ずは納得した様であった。アルフォンの後ろに控えるフランツの顔色ばかりが精彩を欠いている。
フランツ、心配しなくて大丈夫よ。
そう声を掛けてやりたいが、態々様子を見に来てくれた夫を促し食堂へ向かう事にした。
その夜、アルフォンはいつになく執拗にキャスリーンを責め立てた。ここ数日寝台を別にしていただけなのに、幾度も繰り返しキャスリーンを求める。
キャスリーンは受け止めるしか術がないのだが、流石に息も上がるし声も枯れるし、秋の夜長が憎らしく思う程であった。
もう一層の事、今晩限りで孕んでしまいたい。これまでもずっと願って来たのに兆しすら見えない。
唯一人だけで良いから、この腹から子を生み出す事が叶うなら、アルフォンは家も爵位も考えず、真実愛する人だけを愛し抜くことが出来る。
アルフォンを解放してあげたい。
キャスリーンももう解放されたい。
愛も無いのに交わらねばならない事は、悲劇なのだと思うのである。
そんな悲劇から救われて、貴方は貴方のアマンダへ、
私は私のアマンダへ、
只管愛を抱いていたいと願うのであった。
歴代の侯爵家の面々が眩い白金の色を纏って居並んでいる。ノーマン侯爵家の一族は代々プラチナブロンドの髪にシトリンの瞳を持っている。所々違う色があるのは他家から嫁いで来た夫人達であろう。
その末端に、アマンダは居る。
大人びた表情。それはとても分かりづらいが、よく見れば微かにはにかんでいる。
「ご機嫌よう、アマンダ。」
漆黒の瞳がキャスリーンを見つめている。
『ご機嫌よう、キャスリーン。』
彼女が友人であっなら、そんな言葉を返してくれた事だろう。
「アマンダ。私、貴女となら良いお友達になれたと思うのよ?」
キャスリーンは、続けて語りかける。
「私は貴女を見ていると素直で純粋な気持ちになれるの。きっと貴女が素直で純粋な心の持ち主だったからなのでしょうね。」
キャスリーンは尚も続ける。
「貴女はどんな女性だったのかしら。ええ、言わなくても大丈夫よ、ちゃんと分かるわ。言葉が無くても、貴女の事はこの胸に伝わって来るのだもの。」
「貴女の人生は、どんな人生だったの?」
「お可哀想に、長い人生では無かったのでしょう。」
「貴女の人生で、貴女は何を望んだのかしら。」
「貴女はどんな人生を望んだの?貴女の夢は何?貴女は愛する人と愛し合えことは出来たのかしら。」
「貴女は..「キャスリーン。」
そこでキャスリーンは、自分の名を呼ぶ声で我に返った。
背中から物凄い速度で引き戻される。そんな圧迫感すら感じた。
「キャスリーン。」
再び名を呼ばれて振り返る。
階下にアルフォンがいて、こちらを見上げていた。
「そんなところで何をしているんだ。」
距離があるせいか、アルフォンは少しばかり声を張っている。そんなアルフォンの声を聴くのは初めてであった。
キャスリーンは再びアマンダの方へ向き直り、小声で言う。
「アマンダ、また明日会いましょう。」
それから階段へ向かいゆっくりと階下へ降りてゆく。流石に上から声を張り上げて返答をする訳にはいかない。
キャスリーンがゆっくり階段を降りる間も、アルフォンは急かすこと無くじっと待っている。
最後の段を降りてアルフォンに向き合い、キャスリーンは夫に向かって
「お帰りなさいませ、旦那様。お迎え出来ずに申し訳ございません。」
笑みを浮かべて夫に詫びた。
「こんな所で何をしていたんだ。」
「先日、殿下がいらした時に、図書室へハンカチを忘れてしまいましたの。晩餐の前に取りに来たのですが、ここまで来てうっかり鍵を忘れた事に気が付きまして。それで、そのまま戻るのも何ですから、少しばかり肖像画を眺めておりました。」
「話し声が聴こえたのだが、」
「気の所為でございましょう。ああ、もしかして私が少々独り言を言っていたかもしれません。」
「独り言だと?」
「ええ。例えば、この方はいつの時代の方なのかしら、とか。」
「それなら私に聞けば良かったのだ。私はここで生ま育った。ここにある肖像画の主は皆私の血縁なのだから。」
「旦那様はお忙しいのですから、お手を煩わせるのは憚られて。」
「...。誰が知りたいんだ。」
「え?」
「誰の事を知りたいと思ったのだ?」
アルフォンは他意無く言ったのだろう。
多分、アルフォンならここに飾られた肖像画の人物達を把握しているだろう。
キャスリーンは迷った。
聞けるものなら聞いてしまいたい。分かると言うなら今直ぐ教えてもらいたい。
「いいえ、大丈夫です。何気無く思った事でこざいますから。それに、そろそろ晩餐の支度が整っている頃でしょう。」
キャスリーンは、断腸の思いで自分の願いを飲み込んだ。
アマンダの存在を気にかけていることを、僅かでも知られたくなかった。寧ろ、アマンダの肖像画をアルフォンの目に触れさせたくなかった。
アマンダの日記にあった伯爵令嬢の言葉を思えば、アマンダが暮らす環境は優しいことばかりでは無かった筈である。
アマンダを蔑んだかも知れないシトリンの瞳。この瞳に囲まれて、アマンダはどんな気持ちで生きていたのだろう。
私はアマンダの瞳に、貴方の白金の髪もシトリンの瞳も映したくはないのだわ。
キャスリーンがにこりと微笑めば、アルフォンは一先ずは納得した様であった。アルフォンの後ろに控えるフランツの顔色ばかりが精彩を欠いている。
フランツ、心配しなくて大丈夫よ。
そう声を掛けてやりたいが、態々様子を見に来てくれた夫を促し食堂へ向かう事にした。
その夜、アルフォンはいつになく執拗にキャスリーンを責め立てた。ここ数日寝台を別にしていただけなのに、幾度も繰り返しキャスリーンを求める。
キャスリーンは受け止めるしか術がないのだが、流石に息も上がるし声も枯れるし、秋の夜長が憎らしく思う程であった。
もう一層の事、今晩限りで孕んでしまいたい。これまでもずっと願って来たのに兆しすら見えない。
唯一人だけで良いから、この腹から子を生み出す事が叶うなら、アルフォンは家も爵位も考えず、真実愛する人だけを愛し抜くことが出来る。
アルフォンを解放してあげたい。
キャスリーンももう解放されたい。
愛も無いのに交わらねばならない事は、悲劇なのだと思うのである。
そんな悲劇から救われて、貴方は貴方のアマンダへ、
私は私のアマンダへ、
只管愛を抱いていたいと願うのであった。
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