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キャスリーンは今年十九歳を迎える。
誕生日は聖夜の直前、凍てつく冬の季節である。
冬生まれの為なのか、真っ白な肌に雪の上にふた粒サファイアを落としたような鮮やかな青い瞳を持つ。
これで金髪であったなら王家の血筋かと言われそうだが、残念ながら髪は濃い焦げ茶色である。
髪色が暗い為か冷ややかな瞳の色の為か、実年齢よりも大人びて見られがちなのだが、婚姻を結び侯爵夫人となってからは、寧ろその方が侮られ難いだろうと地味な見目にも満足している。
キャスリーンは恋をしたことが無い。
愛情の通わない両親を見てきたからか、憧れ程度の感情を抱く事はあっても恋焦がれるなどと云う経験は一度も無かった。
同じ親の下に生まれながら兄は情の深い人であるから、一概に親のせいとは言い切れないかも知れない。
同じ家門には親交のある令息もいたし、学園で知り合った学友の中には親しく言葉を交わした令息達も含まれる。
社交の場で彼らに会ったなら、当然ながら挨拶も交わすし和やかな会話も出来るだろう。
男性を嫌悪する訳でも興味が無い訳でもないのだが、恋を知らぬまま大人になってしまった。お蔭で、夫の不実も不貞にも心を乱されずに今日までこられた。
それがここに来て、もう過ぎ去った時代の令嬢に共鳴している自分がいる。
令嬢の純心に心を打たれて、すっかり同調している。
日記には、大体の出来事は端的に記されており、そこまで熱い感情を曝け出している訳ではないのに、文面の端に行間に漂う感情の吐露がキャスリーンを刺激して心を動かされるのであった。
『今日はアダム様にお声を掛けてもらえた!お父様から語学の教師を付けて頂けなかったから、せめて独学で学べないかと図書室に通っていたのが幸運と引き合わせてくれたのだわ。何処の言語を学んでいるの?と聞かれて帝国語だと答えたら、アダム様は帝国語は難しいよねと仰った。それだけの会話だったけれど、寧ろそれで良かったわ。だって胸の動悸が激しくて、それ以上の会話が続いたなら、私はきっと倒れてしまったでしょう。』
『今夜は眠れそうにない。アダム様が教本を貸して下さったのだもの。基本の教本なんだが僕はもう学び終えたから良かったら使ってと仰って貸して下さった。嬉し過ぎてきちんとお礼が言えたのか憶えていない。無礼な娘だと思われたらどうしょう。』
『食堂で少し離れた所にアダム様を見付けた。いつも目が勝手に探してしまうから直ぐに見付けてしまう。けれども今日はこちらを振り返ったアダム様と目が合って、それだけでも特別な事なのに、アダム様が笑みを返して下さった!嬉し過ぎてきっと今夜も眠れない。幸せな寝不足ってあるのね。』
アマンダの日記には日付が無い。
学園生である事は解るが、学年も年齢も記されていない。自分自身の事を記しているのだから当然なのだが、季節すら分からない。
アマンダの背景が全く解らぬままに読み進めるのだが、そこで漸く気が付いたのは、これが日常を記した日記ではなくアマンダの恋心を綴った備忘録の様なものだと言う事であった。
只管アマンダの恋する心情が綴られており、そこには季節も年齢も関係なかったのだろう。
「純粋に誰かを想えるだなんて。それってどんな気持ちなのかしら。」
キャスリーンは予てより不思議に思っていた。
アルフォンの行いは、侯爵家当主の地位をしても褒められたものでは無い。愛人の存在云々の話しではなくて、新妻を娶ったばかりの邸の隣に隠す事無く愛人を引き入れる、その行動が露骨過ぎて人々の失笑を買っている。
それを当のアルフォンが気付かぬ筈は無いのだが、彼はそれすら甘んじて受け入れている。
先日は王太子の口から「馬鹿げた婚姻」だの「恥ずかしい」だの言われたものだから少しばかり慌てた様であったが、だからと言って愛人を別の屋敷に移す訳でも無く、相変わらずの暮らしぶりを続けているのである。
その原動力が「愛」から来るのであれば、アルフォンの愛とは正しく純愛なのだろう。
ただ只管に恋人を愛する純粋な愛。
アマンダと言いアルフォンと言い、侯爵家には深い愛情を抱く気質があるらしい。
アマンダとアルフォンに思わぬ共通点を見付けてしまって、キャスリーンは夫の行動が少しばかり理解出来た。
「仕方が無いのね。愛とは自分でもどうにも出来ないものなのだわ。」
そこまで考えて、初めてキャスリーンは思う。
「旦那様の愛する方とは、どんな方なのかしら。余程魅力があるのね。旦那様を愚か者に貶める程ですもの。」
言葉だけ聞けばとんだ侮蔑的な響きがあるが、キャスリーンは純粋に感服していた。
王太子の側近を務めるのは、爵位だけが条件ではない。確かな素養と人格、教養を求められる。剣技に優れていることも必要事項であろう。
それら全てを満たしてアルフォンは王太子に仕える事を許されている。
決して愚かな人間ではないのだ。幼い頃より侯爵家の高等教育を施されているのだから。
その聡明な男が、妻を蔑ろにし夫人としての地位を貶めてまで愛する人を側に置く。
「旦那様。貴方の事が少しだけ解る気がするわ。」
アマンダの血筋であれば仕方が無い。
キャスリーンの中に仄暗い影を落としていたものが、この時すっぽりと抜け落ちた。
誕生日は聖夜の直前、凍てつく冬の季節である。
冬生まれの為なのか、真っ白な肌に雪の上にふた粒サファイアを落としたような鮮やかな青い瞳を持つ。
これで金髪であったなら王家の血筋かと言われそうだが、残念ながら髪は濃い焦げ茶色である。
髪色が暗い為か冷ややかな瞳の色の為か、実年齢よりも大人びて見られがちなのだが、婚姻を結び侯爵夫人となってからは、寧ろその方が侮られ難いだろうと地味な見目にも満足している。
キャスリーンは恋をしたことが無い。
愛情の通わない両親を見てきたからか、憧れ程度の感情を抱く事はあっても恋焦がれるなどと云う経験は一度も無かった。
同じ親の下に生まれながら兄は情の深い人であるから、一概に親のせいとは言い切れないかも知れない。
同じ家門には親交のある令息もいたし、学園で知り合った学友の中には親しく言葉を交わした令息達も含まれる。
社交の場で彼らに会ったなら、当然ながら挨拶も交わすし和やかな会話も出来るだろう。
男性を嫌悪する訳でも興味が無い訳でもないのだが、恋を知らぬまま大人になってしまった。お蔭で、夫の不実も不貞にも心を乱されずに今日までこられた。
それがここに来て、もう過ぎ去った時代の令嬢に共鳴している自分がいる。
令嬢の純心に心を打たれて、すっかり同調している。
日記には、大体の出来事は端的に記されており、そこまで熱い感情を曝け出している訳ではないのに、文面の端に行間に漂う感情の吐露がキャスリーンを刺激して心を動かされるのであった。
『今日はアダム様にお声を掛けてもらえた!お父様から語学の教師を付けて頂けなかったから、せめて独学で学べないかと図書室に通っていたのが幸運と引き合わせてくれたのだわ。何処の言語を学んでいるの?と聞かれて帝国語だと答えたら、アダム様は帝国語は難しいよねと仰った。それだけの会話だったけれど、寧ろそれで良かったわ。だって胸の動悸が激しくて、それ以上の会話が続いたなら、私はきっと倒れてしまったでしょう。』
『今夜は眠れそうにない。アダム様が教本を貸して下さったのだもの。基本の教本なんだが僕はもう学び終えたから良かったら使ってと仰って貸して下さった。嬉し過ぎてきちんとお礼が言えたのか憶えていない。無礼な娘だと思われたらどうしょう。』
『食堂で少し離れた所にアダム様を見付けた。いつも目が勝手に探してしまうから直ぐに見付けてしまう。けれども今日はこちらを振り返ったアダム様と目が合って、それだけでも特別な事なのに、アダム様が笑みを返して下さった!嬉し過ぎてきっと今夜も眠れない。幸せな寝不足ってあるのね。』
アマンダの日記には日付が無い。
学園生である事は解るが、学年も年齢も記されていない。自分自身の事を記しているのだから当然なのだが、季節すら分からない。
アマンダの背景が全く解らぬままに読み進めるのだが、そこで漸く気が付いたのは、これが日常を記した日記ではなくアマンダの恋心を綴った備忘録の様なものだと言う事であった。
只管アマンダの恋する心情が綴られており、そこには季節も年齢も関係なかったのだろう。
「純粋に誰かを想えるだなんて。それってどんな気持ちなのかしら。」
キャスリーンは予てより不思議に思っていた。
アルフォンの行いは、侯爵家当主の地位をしても褒められたものでは無い。愛人の存在云々の話しではなくて、新妻を娶ったばかりの邸の隣に隠す事無く愛人を引き入れる、その行動が露骨過ぎて人々の失笑を買っている。
それを当のアルフォンが気付かぬ筈は無いのだが、彼はそれすら甘んじて受け入れている。
先日は王太子の口から「馬鹿げた婚姻」だの「恥ずかしい」だの言われたものだから少しばかり慌てた様であったが、だからと言って愛人を別の屋敷に移す訳でも無く、相変わらずの暮らしぶりを続けているのである。
その原動力が「愛」から来るのであれば、アルフォンの愛とは正しく純愛なのだろう。
ただ只管に恋人を愛する純粋な愛。
アマンダと言いアルフォンと言い、侯爵家には深い愛情を抱く気質があるらしい。
アマンダとアルフォンに思わぬ共通点を見付けてしまって、キャスリーンは夫の行動が少しばかり理解出来た。
「仕方が無いのね。愛とは自分でもどうにも出来ないものなのだわ。」
そこまで考えて、初めてキャスリーンは思う。
「旦那様の愛する方とは、どんな方なのかしら。余程魅力があるのね。旦那様を愚か者に貶める程ですもの。」
言葉だけ聞けばとんだ侮蔑的な響きがあるが、キャスリーンは純粋に感服していた。
王太子の側近を務めるのは、爵位だけが条件ではない。確かな素養と人格、教養を求められる。剣技に優れていることも必要事項であろう。
それら全てを満たしてアルフォンは王太子に仕える事を許されている。
決して愚かな人間ではないのだ。幼い頃より侯爵家の高等教育を施されているのだから。
その聡明な男が、妻を蔑ろにし夫人としての地位を貶めてまで愛する人を側に置く。
「旦那様。貴方の事が少しだけ解る気がするわ。」
アマンダの血筋であれば仕方が無い。
キャスリーンの中に仄暗い影を落としていたものが、この時すっぽりと抜け落ちた。
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