黒革の日記

桃井すもも

文字の大きさ
上 下
13 / 68

【13】

しおりを挟む
夫人の家政の諸々を熟している内に午前は過ぎて、軽い昼食を摂ってからキャスリーンは図書室へ向かった。

図書室の管理はキャスリーンに任され、キャスリーン専用の鍵も貰えた。
フランツに何か有ったら知らせてくれと伝えて、護衛は伴わず一人で向かう。

フランツが、せめて入口に護衛をと言って来たが、守りの堅い侯爵邸なのだからと返せば渋々ながら引き下がってくれた。


図書室に入る前に、キャスリーンはアマンダの肖像画に向かい合った。

鮮烈な赤髪に漆黒の瞳が彼女を年齢よりも大人の女性に見せている。けれども、毎日見つめている内に、この澄ました表情が僅かにはにかんでいるのだと分かった。
あどけなさの残る笑み。恋する少女の顔。

キャスリーンは声を掛けた。
「アマンダ、ごきげんよう。今日も貴女に会いに来たわ。」

こんな姿を護衛に見せる訳にはいかない。成人した貴族婦人が肖像画に向かって囁くだなんて。


この部屋の緞帳は厚みがあって重い。
古い書物を収納するのに、日光や外との気温差から来る湿度、そうして多分火の気から書物を守る役割を果たしているのだろう。

ローテブルとソファーに面する窓の緞帳を半分だけ上げて、最低限の明かりを確保する。背が低く細身で力の無いキャスリーンには、これとて大仕事である。
それから漸く日記を取り出した。

日記は、ソファーから少し離れた書架の下、床との隙間に隠していた。誰の目にも触れさせたくなかった。修復師を入室させる予定であったから、何処か目の付かない所をと探して、書架と床の隙間に丁度良い空間が空いている事に気が付いた。

フランツが手拭き用にと用意してくれた布で床の埃を拭き清めた。そこに日記を隠す。まるで宝物を隠すようである。幼い頃にもこんな遊びはしたことが無い。

何故、こんなにもわくわくするのだろう。
アマンダという乙女の柔らかな心がキャスリーンと重なって、愛情を伴わない婚姻生活ですっかり潤いを失ったキャスリーンの心に、温もりと潤いを齎す。

肖像画のアマンダと新妻のキャスリーン。
幾つも歳の離れていない二人が、向かい合い頭を突き合わせるように日記を見下ろしている。
そんな、まるで過去と今が重なり合うような不思議な一体感を感じて、キャスリーンはつい言葉に出してしまった。

「アマンダ。貴女の話しを私に聞かせてくれる?」

目の前に鮮やかな赤髪が揺れて、今、顔を上げたなら遠い日のアマンダと目が合うのではないかと思われた。

キャスリーンは、先日読んだページを開く。


『アダム様は語学が堪能でいらっしゃる。大陸の共通語ばかりでなく帝国語も学んでいらっしゃるのだと聞いて驚いた。あの方が得意な事を私も学んでみたい。お父様に相談してみようかしら。』


『お父様は外国語を学ぶ事には賛成して下さらなかった。きっと、語学を学んだなら、私がこの国を出て行くのではと心配しているのだろう。私は何処にも行きはしないのに。アダム様がいるこの国から離れることなど無いのに。ただ、アダム様と同じ事をしてみたかった。同じ事を学べたら嬉しいと思った。お許しがもらえなくてとても残念だわ。』


「彼はアダムという名なのね。家名はなんと云うのかしら。」

家名が分かれば、その家系を辿る事も不可能ではないだろう。アダムがその家のどの時代の令息であったのか解かったならアマンダが生きた時代も解る。今も家が残っていればの話であるが。

仮に彼が嫡男で、後に当主となったのであれば、古い貴族名鑑を探せばその名を見付けられるだろう。古い貴族名鑑なら王立図書館に所蔵されている。

そこまで考えてキャスリーンは、いやそれならこの邸にもあるのでは?と気が付いた。

此処は侯爵家である。
歴代の貴族名鑑も必ず所蔵されている筈である。そして侯爵家の本来の図書室がこの部屋とは別にある。

何だろう、この逸る気持ちは。多くを望まず感情の起伏が少ないキャスリーンは、胸の内から沸き起こる強い欲求に戸惑う。

今直ぐ邸の東にある図書室に行って、貴族名鑑の在処を確かめたい。見付けたなら、当てずっぽうでもよいから探してみたい。偶然でもアダムの名を見付けられるなら。

そこまで考えて、いやいや東の図書室なら何時でも行ける。彼処は鍵も掛かっていないし、何よりキャスリーンの私室からもそれ程離れていない。家政の合間に覗く事も出来るだろう。

本能の疼きを理性で封じ込めたキャスリーンは、それから改めてアダムについて考察する。

「アダムは語学が堪能だったのね。外交に携わる家系の生まれなのかもしれないわね。」

今の外交に携わる家はどこであったろう。外務大臣と、それから確か、帝国に駐留している大使がいた筈だ。家名は何だったろう。


『今日はなんて幸運な日なのでしょう!学園の図書室でアダム様に声を掛けられるなんて!嬉しくて飛び上がるところだったわ。いえ、きっとほんのちょっぴり飛び上がってしまった筈よ。驚かせてすまないとアダム様が仰ったから。』

なんて初々しくて可愛らしいのだろう。
こんな瑞々しい感性を抱きながら恋をしているなんて。

キャスリーンは甘酸っぱい初恋を間近で目撃した様で、自分まで甘酸っぱいものを噛んだ気持ちになった。




しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】私は関係ないので関わらないでください

紫崎 藍華
恋愛
リンウッドはエルシーとの婚約を破棄し、マーニーとの未来に向かって一歩を踏み出そうと決意した。 それが破滅への第一歩だとは夢にも思わない。 非のない相手へ婚約破棄した結果、周囲がどう思うのか、全く考えていなかった。

【完結】愛に裏切られた私と、愛を諦めなかった元夫

紫崎 藍華
恋愛
政略結婚だったにも関わらず、スティーヴンはイルマに浮気し、妻のミシェルを捨てた。 スティーヴンは政略結婚の重要性を理解できていなかった。 そのような男の愛が許されるはずないのだが、彼は愛を貫いた。 捨てられたミシェルも貴族という立場に翻弄されつつも、一つの答えを見出した。

愛する人が人妻と浮気をしました

杉本凪咲
恋愛
校舎裏で目撃したのは婚約者の裏切り。 彼は私と同じクラスの男爵令嬢と浮気をしていたのだ。 やがて彼は私に婚約破棄を告げるが……

公爵夫人の微笑※3話完結

cyaru
恋愛
侯爵令嬢のシャルロッテには婚約者がいた。公爵子息のエドワードである。 ある日偶然にエドワードの浮気現場を目撃してしまう。 浮気相手は男爵令嬢のエリザベスだった。 ※作品の都合上、うわぁと思うようなシーンがございます。 ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

婚約者の隣にいるのは初恋の人でした

四つ葉菫
恋愛
ジャスミン・ティルッコネンは第二王子である婚約者から婚約破棄を言い渡された。なんでも第二王子の想い人であるレヒーナ・エンゲルスをジャスミンが虐めたためらしい。そんな覚えは一切ないものの、元から持てぬ愛情と、婚約者の見限った冷たい眼差しに諦念して、婚約破棄の同意書にサインする。 その途端、王子の隣にいたはずのレヒーナ・エンゲルスが同意書を手にして高笑いを始めた。 楚々とした彼女の姿しか見てこなかったジャスミンと第二王子はぎょっとするが……。 前半のヒロイン視点はちょっと暗めですが、後半のヒーロー視点は明るめにしてあります。 ヒロインは十六歳。 ヒーローは十五歳設定。 ゆるーい設定です。細かいところはあまり突っ込まないでください。 

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

王妃さまは断罪劇に異議を唱える

土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。 そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。 彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。 王族の結婚とは。 王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。 王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。 ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。

あなたの事は記憶に御座いません

cyaru
恋愛
この婚約に意味ってあるんだろうか。 ロペ公爵家のグラシアナはいつも考えていた。 婚約者の王太子クリスティアンは幼馴染のオルタ侯爵家の令嬢イメルダを側に侍らせどちらが婚約者なのかよく判らない状況。 そんなある日、グラシアナはイメルダのちょっとした悪戯で負傷してしまう。 グラシアナは「このチャンス!貰った!」と・・・記憶喪失を装い逃げ切りを図る事にした。 のだが…王太子クリスティアンの様子がおかしい。 目覚め、記憶がないグラシアナに「こうなったのも全て私の責任だ。君の生涯、どんな時も私が隣で君を支え、いかなる声にも盾になると誓う」なんて言い出す。 そりゃ、元をただせば貴方がちゃんとしないからですけどね?? 記憶喪失を貫き、距離を取って逃げ切りを図ろうとするのだが何故かクリスティアンが今までに見せた事のない態度で纏わりついてくるのだった・・・。 ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★ニャンの日present♡ 5月18日投稿開始、完結は5月22日22時22分 ★今回久しぶりの5日間という長丁場の為、ご理解お願いします(なんの?) ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません。

処理中です...