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夫人の家政の諸々を熟している内に午前は過ぎて、軽い昼食を摂ってからキャスリーンは図書室へ向かった。
図書室の管理はキャスリーンに任され、キャスリーン専用の鍵も貰えた。
フランツに何か有ったら知らせてくれと伝えて、護衛は伴わず一人で向かう。
フランツが、せめて入口に護衛をと言って来たが、守りの堅い侯爵邸なのだからと返せば渋々ながら引き下がってくれた。
図書室に入る前に、キャスリーンはアマンダの肖像画に向かい合った。
鮮烈な赤髪に漆黒の瞳が彼女を年齢よりも大人の女性に見せている。けれども、毎日見つめている内に、この澄ました表情が僅かにはにかんでいるのだと分かった。
あどけなさの残る笑み。恋する少女の顔。
キャスリーンは声を掛けた。
「アマンダ、ごきげんよう。今日も貴女に会いに来たわ。」
こんな姿を護衛に見せる訳にはいかない。成人した貴族婦人が肖像画に向かって囁くだなんて。
この部屋の緞帳は厚みがあって重い。
古い書物を収納するのに、日光や外との気温差から来る湿度、そうして多分火の気から書物を守る役割を果たしているのだろう。
ローテブルとソファーに面する窓の緞帳を半分だけ上げて、最低限の明かりを確保する。背が低く細身で力の無いキャスリーンには、これとて大仕事である。
それから漸く日記を取り出した。
日記は、ソファーから少し離れた書架の下、床との隙間に隠していた。誰の目にも触れさせたくなかった。修復師を入室させる予定であったから、何処か目の付かない所をと探して、書架と床の隙間に丁度良い空間が空いている事に気が付いた。
フランツが手拭き用にと用意してくれた布で床の埃を拭き清めた。そこに日記を隠す。まるで宝物を隠すようである。幼い頃にもこんな遊びはしたことが無い。
何故、こんなにもわくわくするのだろう。
アマンダという乙女の柔らかな心がキャスリーンと重なって、愛情を伴わない婚姻生活ですっかり潤いを失ったキャスリーンの心に、温もりと潤いを齎す。
肖像画のアマンダと新妻のキャスリーン。
幾つも歳の離れていない二人が、向かい合い頭を突き合わせるように日記を見下ろしている。
そんな、まるで過去と今が重なり合うような不思議な一体感を感じて、キャスリーンはつい言葉に出してしまった。
「アマンダ。貴女の話しを私に聞かせてくれる?」
目の前に鮮やかな赤髪が揺れて、今、顔を上げたなら遠い日のアマンダと目が合うのではないかと思われた。
キャスリーンは、先日読んだページを開く。
『アダム様は語学が堪能でいらっしゃる。大陸の共通語ばかりでなく帝国語も学んでいらっしゃるのだと聞いて驚いた。あの方が得意な事を私も学んでみたい。お父様に相談してみようかしら。』
『お父様は外国語を学ぶ事には賛成して下さらなかった。きっと、語学を学んだなら、私がこの国を出て行くのではと心配しているのだろう。私は何処にも行きはしないのに。アダム様がいるこの国から離れることなど無いのに。ただ、アダム様と同じ事をしてみたかった。同じ事を学べたら嬉しいと思った。お許しがもらえなくてとても残念だわ。』
「彼はアダムという名なのね。家名はなんと云うのかしら。」
家名が分かれば、その家系を辿る事も不可能ではないだろう。アダムがその家のどの時代の令息であったのか解かったならアマンダが生きた時代も解る。今も家が残っていればの話であるが。
仮に彼が嫡男で、後に当主となったのであれば、古い貴族名鑑を探せばその名を見付けられるだろう。古い貴族名鑑なら王立図書館に所蔵されている。
そこまで考えてキャスリーンは、いやそれならこの邸にもあるのでは?と気が付いた。
此処は侯爵家である。
歴代の貴族名鑑も必ず所蔵されている筈である。そして侯爵家の本来の図書室がこの部屋とは別にある。
何だろう、この逸る気持ちは。多くを望まず感情の起伏が少ないキャスリーンは、胸の内から沸き起こる強い欲求に戸惑う。
今直ぐ邸の東にある図書室に行って、貴族名鑑の在処を確かめたい。見付けたなら、当てずっぽうでもよいから探してみたい。偶然でもアダムの名を見付けられるなら。
そこまで考えて、いやいや東の図書室なら何時でも行ける。彼処は鍵も掛かっていないし、何よりキャスリーンの私室からもそれ程離れていない。家政の合間に覗く事も出来るだろう。
本能の疼きを理性で封じ込めたキャスリーンは、それから改めてアダムについて考察する。
「アダムは語学が堪能だったのね。外交に携わる家系の生まれなのかもしれないわね。」
今の外交に携わる家はどこであったろう。外務大臣と、それから確か、帝国に駐留している大使がいた筈だ。家名は何だったろう。
『今日はなんて幸運な日なのでしょう!学園の図書室でアダム様に声を掛けられるなんて!嬉しくて飛び上がるところだったわ。いえ、きっとほんのちょっぴり飛び上がってしまった筈よ。驚かせてすまないとアダム様が仰ったから。』
なんて初々しくて可愛らしいのだろう。
こんな瑞々しい感性を抱きながら恋をしているなんて。
キャスリーンは甘酸っぱい初恋を間近で目撃した様で、自分まで甘酸っぱいものを噛んだ気持ちになった。
図書室の管理はキャスリーンに任され、キャスリーン専用の鍵も貰えた。
フランツに何か有ったら知らせてくれと伝えて、護衛は伴わず一人で向かう。
フランツが、せめて入口に護衛をと言って来たが、守りの堅い侯爵邸なのだからと返せば渋々ながら引き下がってくれた。
図書室に入る前に、キャスリーンはアマンダの肖像画に向かい合った。
鮮烈な赤髪に漆黒の瞳が彼女を年齢よりも大人の女性に見せている。けれども、毎日見つめている内に、この澄ました表情が僅かにはにかんでいるのだと分かった。
あどけなさの残る笑み。恋する少女の顔。
キャスリーンは声を掛けた。
「アマンダ、ごきげんよう。今日も貴女に会いに来たわ。」
こんな姿を護衛に見せる訳にはいかない。成人した貴族婦人が肖像画に向かって囁くだなんて。
この部屋の緞帳は厚みがあって重い。
古い書物を収納するのに、日光や外との気温差から来る湿度、そうして多分火の気から書物を守る役割を果たしているのだろう。
ローテブルとソファーに面する窓の緞帳を半分だけ上げて、最低限の明かりを確保する。背が低く細身で力の無いキャスリーンには、これとて大仕事である。
それから漸く日記を取り出した。
日記は、ソファーから少し離れた書架の下、床との隙間に隠していた。誰の目にも触れさせたくなかった。修復師を入室させる予定であったから、何処か目の付かない所をと探して、書架と床の隙間に丁度良い空間が空いている事に気が付いた。
フランツが手拭き用にと用意してくれた布で床の埃を拭き清めた。そこに日記を隠す。まるで宝物を隠すようである。幼い頃にもこんな遊びはしたことが無い。
何故、こんなにもわくわくするのだろう。
アマンダという乙女の柔らかな心がキャスリーンと重なって、愛情を伴わない婚姻生活ですっかり潤いを失ったキャスリーンの心に、温もりと潤いを齎す。
肖像画のアマンダと新妻のキャスリーン。
幾つも歳の離れていない二人が、向かい合い頭を突き合わせるように日記を見下ろしている。
そんな、まるで過去と今が重なり合うような不思議な一体感を感じて、キャスリーンはつい言葉に出してしまった。
「アマンダ。貴女の話しを私に聞かせてくれる?」
目の前に鮮やかな赤髪が揺れて、今、顔を上げたなら遠い日のアマンダと目が合うのではないかと思われた。
キャスリーンは、先日読んだページを開く。
『アダム様は語学が堪能でいらっしゃる。大陸の共通語ばかりでなく帝国語も学んでいらっしゃるのだと聞いて驚いた。あの方が得意な事を私も学んでみたい。お父様に相談してみようかしら。』
『お父様は外国語を学ぶ事には賛成して下さらなかった。きっと、語学を学んだなら、私がこの国を出て行くのではと心配しているのだろう。私は何処にも行きはしないのに。アダム様がいるこの国から離れることなど無いのに。ただ、アダム様と同じ事をしてみたかった。同じ事を学べたら嬉しいと思った。お許しがもらえなくてとても残念だわ。』
「彼はアダムという名なのね。家名はなんと云うのかしら。」
家名が分かれば、その家系を辿る事も不可能ではないだろう。アダムがその家のどの時代の令息であったのか解かったならアマンダが生きた時代も解る。今も家が残っていればの話であるが。
仮に彼が嫡男で、後に当主となったのであれば、古い貴族名鑑を探せばその名を見付けられるだろう。古い貴族名鑑なら王立図書館に所蔵されている。
そこまで考えてキャスリーンは、いやそれならこの邸にもあるのでは?と気が付いた。
此処は侯爵家である。
歴代の貴族名鑑も必ず所蔵されている筈である。そして侯爵家の本来の図書室がこの部屋とは別にある。
何だろう、この逸る気持ちは。多くを望まず感情の起伏が少ないキャスリーンは、胸の内から沸き起こる強い欲求に戸惑う。
今直ぐ邸の東にある図書室に行って、貴族名鑑の在処を確かめたい。見付けたなら、当てずっぽうでもよいから探してみたい。偶然でもアダムの名を見付けられるなら。
そこまで考えて、いやいや東の図書室なら何時でも行ける。彼処は鍵も掛かっていないし、何よりキャスリーンの私室からもそれ程離れていない。家政の合間に覗く事も出来るだろう。
本能の疼きを理性で封じ込めたキャスリーンは、それから改めてアダムについて考察する。
「アダムは語学が堪能だったのね。外交に携わる家系の生まれなのかもしれないわね。」
今の外交に携わる家はどこであったろう。外務大臣と、それから確か、帝国に駐留している大使がいた筈だ。家名は何だったろう。
『今日はなんて幸運な日なのでしょう!学園の図書室でアダム様に声を掛けられるなんて!嬉しくて飛び上がるところだったわ。いえ、きっとほんのちょっぴり飛び上がってしまった筈よ。驚かせてすまないとアダム様が仰ったから。』
なんて初々しくて可愛らしいのだろう。
こんな瑞々しい感性を抱きながら恋をしているなんて。
キャスリーンは甘酸っぱい初恋を間近で目撃した様で、自分まで甘酸っぱいものを噛んだ気持ちになった。
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