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アルフォンはその後の晩餐の席では、キャスリーンにそれ以上を聞いてくる事は無かった。
殿下との間にどんなやり取りが有ったのかは、フランツに確かめたのだろう。フランツはアンソニーの放った言葉を伝えただろうか。
「馬鹿げた婚姻」「恥ずかしい」「楽にしてやる」
この婚姻の陰に不貞があり、その事実の説明もせず暗黙のうちに妻に了解をさせて、王太子がそれを恥ずかしい事だと評したばかりでなく手を差し伸べそうな含みのある言葉を発した。
フランツはそこまで話しただろうか。
彼はキャスリーンに誠実に仕えてくれているが、それはアルフォンに対しても同様である。寧ろ、アルフォンこそが最も尊重する主である。
王太子に仕えるアルフォンに不利になる要素があるのなら、情報は漏らす事なく伝えた筈である。
現に、
「君には何れ話そうと思っていた。私には「お気遣いは結構です、旦那様。承知しておりますので。」
アルフォンは、共に横たわる寝台の中で愛人の存在を告げようとした。その神経を疑うし、何より今更である。アンソニーに皮肉られて初めて明かそうとする言葉など、聞く価値があるだろうか。聞いて何の解決が?
馬鹿馬鹿しい。
隠すなら隠し通せば良いのだ。それが新妻に対する気遣いであろう。新婚早々、目と鼻の先に恋人を住まわせるのであれば、初めに一言でも説明すべきであった。殿下に「恥ずかしい」と言語化されてそれに気付く位なら、妻など迎えるべきでは無かったのだ。
どんな理由があって愛人を妻に娶れなかったのかは、キャスリーンにしてみれば知ったこっちゃない。
しばらくは王太子の冷たい視線を浴びれば良いのだ。キャスリーンは散々ご婦人方の噂の口に登って嘲られて来たのである。
「旦那様、お願いがございます。」
「な、なんだ。」
「あの古書を納めた図書室と、そこにある書籍の管理を私にお任せ頂けないでしょうか。」
「それは構わないが...」
「有難うございます。」
許可を得た!やったわ!
そこでキャスリーンはくるりと夫に背を向けた。王太子の対応で疲れた体(てい)でアルフォンを拒んだ。
いつも従順で口答えらしい事もしたことの無いキャスリーンの暗黙の拒絶を感じ取ったのか、アルフォンは無理な事はしなかった。
やったわ。あの図書室も古書も私が管理出来るのよ。
思わずほくそ笑むのを抑え切れない。
背を向けてからはアルフォンの事など思考から外れて、キャスリーンは漸くあの図書室を自分の管理の下に置けた事を喜んだ。
明日こそ日記を読もう。
アマンダ、待っていて頂戴。明日、会いましょう。
キャスリーンは程なくして眠りの海に沈む。久しぶりに良い夢が見られそうな気がした。
朝餉の席は、いつもと変わらぬ風景であった。
アルフォンに朝の挨拶をしてからは、言葉を交わす事もなく只管食事を楽しむ。
キャスリーンの好みを押さえた料理を、ひと口ひと口味わう。
先にアルフォンが席を外すのはいつもの事で、食後のお茶を一緒に楽しむなんてことは唯の一度も無い。お勤めがあるから当然だろうが、それ程時間に余裕が無い訳でもなかろう。
婚姻したばかりの頃は、もう少し歩み寄る事が出来るだろうかと考えた事もあったが、直ぐにそれは無駄な考えだと理解した。
アルフォンはキャスリーンをそう云う家族として見ていない。冷たい態度こそ取らないが、情らしいものも感じられない。
ああ、ここも生家の両親と同じなのだと思った。婚姻に夢を見なかった訳では無い。もしかしたら睦まじい夫婦関係を築けるのではないか、確かにそんな風に思った事もある。
それも、婚姻式の記憶も薄れぬ内に離れに愛人が越して来たことで諦めた。
フランツのみが事実を教えてくれた。
使用人達がキャスリーンの顔色を窺う様子に何かの予感を得て尋ねてみれば、フランツは隣人が夫の愛を得ている女性なのだと教えてくれた。
言い難い事を教えてくれて有難う。
そう言ったキャスリーンに、その日から使用人達は心を砕いて仕えてくれている。
それだけで十分なのだ。あの父は、こんな事で離縁など認める筈もなければ、家に戻る事も許さないだろう。
夫人の家政を任せてもらえて、最低限の妻としての体裁を整えてもらえるのなら、ここで生きて行くのがキャスリーンの歩む道となる。
それしかキャスリーンには選択肢は残されていなかったのである。
アンソニーはそれを馬鹿げた婚姻と言ったが、無位の令嬢に拒める婚姻など僅かである。その僅かの中に自身の婚姻が含まれているのだが、それすらキャスリーンにはあがらう事は出来ない。
幸い白い結婚ではなかったから、後継を得たなら違う道が開けるだろうと、それを頼みにしているのである。
「キャスリーン様、商会から知らせがございました。来週、お衣装を届けられるとの事です。」
「まあ、早かったわね。日にちが分かったら教えて頂戴。」
そうだ、舞踏会があった。
夫の女性関係のお蔭で、すっかり人の目が煩わしくなってしまった。学園を出たばかりで、これから貴族達との交流を深めて行かなければならないのに、舞踏会の様に夫婦で出席する場がとても億劫に感じてしまう。
後継を得て、我が子の為にある程度の人脈を築いたなら、そう云う場には愛人を伴ってもらおう。どうせ貴族達は皆この関係を知っているのだから。
そうなれば、揃いの衣装も最低限で良いだろう。そんな事にお金を使う位なら、あの図書室を何とかしたい。
古書の修復費は如何ほどになるのだろう。高額でアルフォンから駄目出しが無ければ良いのだが。
衣装が届くと聞いただけで、そこまで考えてしまう。
キャスリーンが自覚する以上に、アルフォンに対する心の距離は遠く溝は深い。
殿下との間にどんなやり取りが有ったのかは、フランツに確かめたのだろう。フランツはアンソニーの放った言葉を伝えただろうか。
「馬鹿げた婚姻」「恥ずかしい」「楽にしてやる」
この婚姻の陰に不貞があり、その事実の説明もせず暗黙のうちに妻に了解をさせて、王太子がそれを恥ずかしい事だと評したばかりでなく手を差し伸べそうな含みのある言葉を発した。
フランツはそこまで話しただろうか。
彼はキャスリーンに誠実に仕えてくれているが、それはアルフォンに対しても同様である。寧ろ、アルフォンこそが最も尊重する主である。
王太子に仕えるアルフォンに不利になる要素があるのなら、情報は漏らす事なく伝えた筈である。
現に、
「君には何れ話そうと思っていた。私には「お気遣いは結構です、旦那様。承知しておりますので。」
アルフォンは、共に横たわる寝台の中で愛人の存在を告げようとした。その神経を疑うし、何より今更である。アンソニーに皮肉られて初めて明かそうとする言葉など、聞く価値があるだろうか。聞いて何の解決が?
馬鹿馬鹿しい。
隠すなら隠し通せば良いのだ。それが新妻に対する気遣いであろう。新婚早々、目と鼻の先に恋人を住まわせるのであれば、初めに一言でも説明すべきであった。殿下に「恥ずかしい」と言語化されてそれに気付く位なら、妻など迎えるべきでは無かったのだ。
どんな理由があって愛人を妻に娶れなかったのかは、キャスリーンにしてみれば知ったこっちゃない。
しばらくは王太子の冷たい視線を浴びれば良いのだ。キャスリーンは散々ご婦人方の噂の口に登って嘲られて来たのである。
「旦那様、お願いがございます。」
「な、なんだ。」
「あの古書を納めた図書室と、そこにある書籍の管理を私にお任せ頂けないでしょうか。」
「それは構わないが...」
「有難うございます。」
許可を得た!やったわ!
そこでキャスリーンはくるりと夫に背を向けた。王太子の対応で疲れた体(てい)でアルフォンを拒んだ。
いつも従順で口答えらしい事もしたことの無いキャスリーンの暗黙の拒絶を感じ取ったのか、アルフォンは無理な事はしなかった。
やったわ。あの図書室も古書も私が管理出来るのよ。
思わずほくそ笑むのを抑え切れない。
背を向けてからはアルフォンの事など思考から外れて、キャスリーンは漸くあの図書室を自分の管理の下に置けた事を喜んだ。
明日こそ日記を読もう。
アマンダ、待っていて頂戴。明日、会いましょう。
キャスリーンは程なくして眠りの海に沈む。久しぶりに良い夢が見られそうな気がした。
朝餉の席は、いつもと変わらぬ風景であった。
アルフォンに朝の挨拶をしてからは、言葉を交わす事もなく只管食事を楽しむ。
キャスリーンの好みを押さえた料理を、ひと口ひと口味わう。
先にアルフォンが席を外すのはいつもの事で、食後のお茶を一緒に楽しむなんてことは唯の一度も無い。お勤めがあるから当然だろうが、それ程時間に余裕が無い訳でもなかろう。
婚姻したばかりの頃は、もう少し歩み寄る事が出来るだろうかと考えた事もあったが、直ぐにそれは無駄な考えだと理解した。
アルフォンはキャスリーンをそう云う家族として見ていない。冷たい態度こそ取らないが、情らしいものも感じられない。
ああ、ここも生家の両親と同じなのだと思った。婚姻に夢を見なかった訳では無い。もしかしたら睦まじい夫婦関係を築けるのではないか、確かにそんな風に思った事もある。
それも、婚姻式の記憶も薄れぬ内に離れに愛人が越して来たことで諦めた。
フランツのみが事実を教えてくれた。
使用人達がキャスリーンの顔色を窺う様子に何かの予感を得て尋ねてみれば、フランツは隣人が夫の愛を得ている女性なのだと教えてくれた。
言い難い事を教えてくれて有難う。
そう言ったキャスリーンに、その日から使用人達は心を砕いて仕えてくれている。
それだけで十分なのだ。あの父は、こんな事で離縁など認める筈もなければ、家に戻る事も許さないだろう。
夫人の家政を任せてもらえて、最低限の妻としての体裁を整えてもらえるのなら、ここで生きて行くのがキャスリーンの歩む道となる。
それしかキャスリーンには選択肢は残されていなかったのである。
アンソニーはそれを馬鹿げた婚姻と言ったが、無位の令嬢に拒める婚姻など僅かである。その僅かの中に自身の婚姻が含まれているのだが、それすらキャスリーンにはあがらう事は出来ない。
幸い白い結婚ではなかったから、後継を得たなら違う道が開けるだろうと、それを頼みにしているのである。
「キャスリーン様、商会から知らせがございました。来週、お衣装を届けられるとの事です。」
「まあ、早かったわね。日にちが分かったら教えて頂戴。」
そうだ、舞踏会があった。
夫の女性関係のお蔭で、すっかり人の目が煩わしくなってしまった。学園を出たばかりで、これから貴族達との交流を深めて行かなければならないのに、舞踏会の様に夫婦で出席する場がとても億劫に感じてしまう。
後継を得て、我が子の為にある程度の人脈を築いたなら、そう云う場には愛人を伴ってもらおう。どうせ貴族達は皆この関係を知っているのだから。
そうなれば、揃いの衣装も最低限で良いだろう。そんな事にお金を使う位なら、あの図書室を何とかしたい。
古書の修復費は如何ほどになるのだろう。高額でアルフォンから駄目出しが無ければ良いのだが。
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キャスリーンが自覚する以上に、アルフォンに対する心の距離は遠く溝は深い。
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