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「王国の若き太陽、アンソニー王太子殿下にご挨拶申し上げます。」
カーテシーで礼の姿勢を取る。
「ああ。面を上げて。」
元の姿勢に直って顔を上げる。
「何故ここにいる?ああ、寄進か?」
「はい。その後礼拝をさせて頂いておりました。」
「ふうん。私も叔父上に会いに来たところだ。で、夫人。新婚生活には慣れたかな?」
アンソニー王太子殿下。
幼い頃、王城の回廊でキャスリーンに古語の存在を教えてくれた人物であった。
そして、夫アルフォンは王太子に侍る側近の一人である。
「はい。お蔭様で。」
「ふん、嘘を付くな。」
「...」
「ああ、からかっているんじゃない。お前ばかりが馬鹿を見ているんじゃないのか?」
「私に不服は御座いません。」
「まあ、お前ならそう言うであろうな。」
一見辛辣な言葉ばかりを投げ掛けられている様に聞こえる。
けれども彼は元よりかなりの皮肉屋であるし、今の様子をみるに今日は機嫌が良さそうである。
「嫁いでしまっては、もう語学どころではなかろう。」
チクチク突っ掛かって来るアンソニー。
そこでキャスリーンは、少しばかりアンソニーの鼻を明かしてやる事にした。
「本日、これより修復師を呼んでおりますの。」
「なに?」
「侯爵邸で大層古い書物を見つけたのです。ですが、破損が激しくて。それで修復師を。」
「なんの?」
「古の言の葉ですわ。」
「それは真か。」
「寓話ですとか戦噺ばかり「読ませろ。」
王城で初めてアンソニーと出会った時に、アンソニーはキャスリーンに、学べば古語を読める様になると教えた。それでキャスリーンは父に教師を強請ったのだが、父は何を思ったのか、僅か五歳の幼子に国有数の古語研究の第一人者を充てがった。
その教師こそ王太子に教えを授けている師で、図らずも、アンソニーとキャスリーンは教師を介した兄妹弟子の様な間柄になってしまったのである。
王太子に対して物怖じしないキャスリーンを気安く思うらしいアンソニーは、幼い頃から知る仲であるからと、身分の隔たりをすっ飛ばして度々声を掛けて来る。
因みに、キャスリーンの兄スチュワートは、アンソニーとは同い年、学園の同窓でもある。
「その修復、いつ迄掛かる。」
「まだこれから見てもらいますので分かりません。」
「お前、確かに中を読んだのだな。」
「ええ、何冊か目を通す程度には。」
「分かった。」
何が分かったのだろう。
「先触れは勘弁してもらおう。午後に訪問する。」
それだけ言うと、アンソニーは侍従と護衛を引き連れて、神殿の回廊をキャスリーン達が今しがた来た方向へと歩いて行った。
アンソニーは、今日はアルフォンを侍らせていなかった。だからキャスリーンに声を掛けたのかも知れない。いや、アンソニーに限ってそんな忖度はないか。
「フランツ。面倒な事になったわ。」
「急ぎ仕度を整えましょう。」
「ええ、お願いね。」
早足で帰る途中であったのに、心なし足が重くなるのであった。
古書の修復師は、広く貴族の蒐集品や美術館の所蔵品の修復を手掛けており、王城の宝物もその範疇であるらしく、アンソニーとは面識があった。
古書の修復依頼に彼の工房を選んだ事に、アンソニーも満足した様子を見せた。
多分、他の修復師を呼んでいたなら彼に変えさせようと思ったのではないか。
キャスリーンは、フランツの優れた選択眼に今更ながら驚き感謝するのであった。
修復師は、名をレオナルドと言って、祖父の代より古書・美術品の修復を生業としているのだと言う。
併わせて古美術品の蒐集と販売も手掛けており、骨董マニアには広く名が知られているらしい。
身分は平民であるが、流石は古物を扱うだけあって、語学、美術、音楽、芸術、果ては建築工学まで、貴族に劣らぬ知識と教養を持っているらしい。
彼の知識を得たいと有志のサロンまであると言うから驚きだ。
「レオナルド、どう思う?」
「まあまあ古い物ですね。」
「どれ程?」
「二百は下らないかと。」
「二百年以上前だと?」
「まあ、調べてみねば断定出来ませんが。」
「お前が言うなら確かだろう。」
ここはノーマン侯爵邸である。
ノーマン侯爵邸のあの図書室である。
アンソニーの訪問に、当初は貴賓室へ案内したキャスリーンであったが、古い書物を納めた図書室とそこで見付けた古書の話しを聞くやいなや、アンソニーは古書の出所である図書室へ案内するよう強請った。
古書の状態が解らない内は無闇な移動は避けたかったキャスリーンは、初めから修復師を直接あの図書室へ通すつもりでいた。
しかし。
窓際のローテブルが置かれたソファーにどかりと座ったアンソニーは、まるでこの邸の主である様に、先程からレオナルドと古書を巡って話し込んでいる。
キャスリーンなどそっちのけである。
狭いテーブルであるからと、持て成しのお茶すら出せずにいる。
「修復は工房に移すのが良いでしょう。」
「王城では駄目か。」
「王立図書館でもこれは厳しいでしょう。それに殿下。貴方様の仰る王城の工房とは、まさか殿下の趣味の部屋では御座いませんでしょうね。」
「...」
「修復は私の仕事です。殿下は殿下のご公務に邁進なさって下さいませ。」
「お前は随分とケチで狭量で心の狭い男だな。」
「悪口を重ねられても結果は変わりません。」
キャスリーンは、二人を図書室へ案内してから未だ口を開いていない。思い切ってここで割り込もうかしら。そう思い会話に無理矢理加わる。
「レオナルド様。これらは貴方様へお預け致しましょう。状態を確認して頂けましたら、大凡で結構です。修復に掛かる期間と費用をお知らせ下さい。夫にも通しておきたいものですから。」
今晩アルフォンは真っ直ぐ邸に戻る筈である。何故、アンソニーが邸を訪問したのかも問われるだろう。
どこから説明すればよいのか色々面倒に思えるが、これを機会にあの古い書物と図書室の管理をキャスリーンに託してもらう絶好のチャンスだと思った。
カーテシーで礼の姿勢を取る。
「ああ。面を上げて。」
元の姿勢に直って顔を上げる。
「何故ここにいる?ああ、寄進か?」
「はい。その後礼拝をさせて頂いておりました。」
「ふうん。私も叔父上に会いに来たところだ。で、夫人。新婚生活には慣れたかな?」
アンソニー王太子殿下。
幼い頃、王城の回廊でキャスリーンに古語の存在を教えてくれた人物であった。
そして、夫アルフォンは王太子に侍る側近の一人である。
「はい。お蔭様で。」
「ふん、嘘を付くな。」
「...」
「ああ、からかっているんじゃない。お前ばかりが馬鹿を見ているんじゃないのか?」
「私に不服は御座いません。」
「まあ、お前ならそう言うであろうな。」
一見辛辣な言葉ばかりを投げ掛けられている様に聞こえる。
けれども彼は元よりかなりの皮肉屋であるし、今の様子をみるに今日は機嫌が良さそうである。
「嫁いでしまっては、もう語学どころではなかろう。」
チクチク突っ掛かって来るアンソニー。
そこでキャスリーンは、少しばかりアンソニーの鼻を明かしてやる事にした。
「本日、これより修復師を呼んでおりますの。」
「なに?」
「侯爵邸で大層古い書物を見つけたのです。ですが、破損が激しくて。それで修復師を。」
「なんの?」
「古の言の葉ですわ。」
「それは真か。」
「寓話ですとか戦噺ばかり「読ませろ。」
王城で初めてアンソニーと出会った時に、アンソニーはキャスリーンに、学べば古語を読める様になると教えた。それでキャスリーンは父に教師を強請ったのだが、父は何を思ったのか、僅か五歳の幼子に国有数の古語研究の第一人者を充てがった。
その教師こそ王太子に教えを授けている師で、図らずも、アンソニーとキャスリーンは教師を介した兄妹弟子の様な間柄になってしまったのである。
王太子に対して物怖じしないキャスリーンを気安く思うらしいアンソニーは、幼い頃から知る仲であるからと、身分の隔たりをすっ飛ばして度々声を掛けて来る。
因みに、キャスリーンの兄スチュワートは、アンソニーとは同い年、学園の同窓でもある。
「その修復、いつ迄掛かる。」
「まだこれから見てもらいますので分かりません。」
「お前、確かに中を読んだのだな。」
「ええ、何冊か目を通す程度には。」
「分かった。」
何が分かったのだろう。
「先触れは勘弁してもらおう。午後に訪問する。」
それだけ言うと、アンソニーは侍従と護衛を引き連れて、神殿の回廊をキャスリーン達が今しがた来た方向へと歩いて行った。
アンソニーは、今日はアルフォンを侍らせていなかった。だからキャスリーンに声を掛けたのかも知れない。いや、アンソニーに限ってそんな忖度はないか。
「フランツ。面倒な事になったわ。」
「急ぎ仕度を整えましょう。」
「ええ、お願いね。」
早足で帰る途中であったのに、心なし足が重くなるのであった。
古書の修復師は、広く貴族の蒐集品や美術館の所蔵品の修復を手掛けており、王城の宝物もその範疇であるらしく、アンソニーとは面識があった。
古書の修復依頼に彼の工房を選んだ事に、アンソニーも満足した様子を見せた。
多分、他の修復師を呼んでいたなら彼に変えさせようと思ったのではないか。
キャスリーンは、フランツの優れた選択眼に今更ながら驚き感謝するのであった。
修復師は、名をレオナルドと言って、祖父の代より古書・美術品の修復を生業としているのだと言う。
併わせて古美術品の蒐集と販売も手掛けており、骨董マニアには広く名が知られているらしい。
身分は平民であるが、流石は古物を扱うだけあって、語学、美術、音楽、芸術、果ては建築工学まで、貴族に劣らぬ知識と教養を持っているらしい。
彼の知識を得たいと有志のサロンまであると言うから驚きだ。
「レオナルド、どう思う?」
「まあまあ古い物ですね。」
「どれ程?」
「二百は下らないかと。」
「二百年以上前だと?」
「まあ、調べてみねば断定出来ませんが。」
「お前が言うなら確かだろう。」
ここはノーマン侯爵邸である。
ノーマン侯爵邸のあの図書室である。
アンソニーの訪問に、当初は貴賓室へ案内したキャスリーンであったが、古い書物を納めた図書室とそこで見付けた古書の話しを聞くやいなや、アンソニーは古書の出所である図書室へ案内するよう強請った。
古書の状態が解らない内は無闇な移動は避けたかったキャスリーンは、初めから修復師を直接あの図書室へ通すつもりでいた。
しかし。
窓際のローテブルが置かれたソファーにどかりと座ったアンソニーは、まるでこの邸の主である様に、先程からレオナルドと古書を巡って話し込んでいる。
キャスリーンなどそっちのけである。
狭いテーブルであるからと、持て成しのお茶すら出せずにいる。
「修復は工房に移すのが良いでしょう。」
「王城では駄目か。」
「王立図書館でもこれは厳しいでしょう。それに殿下。貴方様の仰る王城の工房とは、まさか殿下の趣味の部屋では御座いませんでしょうね。」
「...」
「修復は私の仕事です。殿下は殿下のご公務に邁進なさって下さいませ。」
「お前は随分とケチで狭量で心の狭い男だな。」
「悪口を重ねられても結果は変わりません。」
キャスリーンは、二人を図書室へ案内してから未だ口を開いていない。思い切ってここで割り込もうかしら。そう思い会話に無理矢理加わる。
「レオナルド様。これらは貴方様へお預け致しましょう。状態を確認して頂けましたら、大凡で結構です。修復に掛かる期間と費用をお知らせ下さい。夫にも通しておきたいものですから。」
今晩アルフォンは真っ直ぐ邸に戻る筈である。何故、アンソニーが邸を訪問したのかも問われるだろう。
どこから説明すればよいのか色々面倒に思えるが、これを機会にあの古い書物と図書室の管理をキャスリーンに託してもらう絶好のチャンスだと思った。
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