黒革の日記

桃井すもも

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馬車が止まり扉が開くと、フランツに手を差し伸べられてステップを降りる。

神殿は何処も彼処も眩いほど白い。
足元の玉砂利すら真っ白で、日差しが反射する程である。

丸く細かい砂利に足を取られないよう慎重に歩みを進めれば、すぐに平らな床に変わった。
馬車止めから通路までの僅かな距離を飾る様に玉砂利は敷かれている。


通路を進み神殿の入口に向かう。
神の御前では貴族平民に差別は無いといわれるがそれは建前で、神殿までの路からして貴族と平民とでは別である。
神殿の中に入ってからも祭壇までの通路は分けられており、身分の違いは神の前でも変わらない。

神殿に入口で直ぐに神官が現れて、彼の後に従って奥に進む。
神殿の構造は複雑だ。キャスリーンは幼い頃から何度か神殿への礼拝の経験はあるが、こんな奥まった所まで入ることは無かったし、何度か訪問した今でも方角はおろか位置関係すら解らない。
毎回、案内されるまま歩みを進めるのであった。

ひんやりとした空気。
遠くに祈りの歌声が聴こえる。
祈りは言葉に出さず無言を貫くも、賛美歌は別である。
清らかな歌声は少年達のものであろう。

神殿内にも貴賓室はあり、キャスリーンの様な寄進をする貴族達を持て成す為の部屋がある。香り高いお茶まで饗される。
ここでフランツと二人、暫し待つこととなった。

神殿の厳かな空気に浸るだけで、我が身の穢れが清められるような気がするのは何故だろう。
それ程罪深い生き方をして来たつもりは無いが、産まれたての赤子の清らかさは既に失っている。

「フランツ。貴方にも穢れを清めたい過去はあるのかしら?いえ、変なことを聞いたわね。答えなくて良いわ。聞かなかったことにして頂戴。」

聞くとも無しに言葉にしてしまった問い掛けを、言った側から取り消した。

神の家にあっては、誰もが心の内を開示してしまうらしい。

「ええ、私にも清めてしまいたい穢れはございます。罪も。」

思い掛けず返答をもらって、それにどう言葉を返すべきか迷う内に、神官達が入室して来た。


キャスリーンは立ち上がりカーテシーで礼をする。

「クリストファー大神官様。お忙しいところ足をお運び頂きまして誠に有難うございます。」

「頭を上げてくれないか、キャスリーン夫人。毎回言うが、私は貴女に傅かれる様な身分ではないよ。」

クリストファー大神官の言葉に、キャスリーンは元の姿勢に直って顔を上げた。

「キャスリーン夫人。この度も寄進頂き礼を述べなければならないのは私の方だ。ノーマン侯爵家に幸あらん事を祈ろう。」

へりくだっている内容なのに鷹揚な物言いなのは仕方が無い。
彼は現国王陛下の弟、王弟である。王族席を離れて神官として信仰の道を選んだ。神官も妻帯出来るところを彼は独身を通しており、大神官として一心に信仰に身を捧げている。

クリストファー大神官はアンソニー王太子殿下の叔父に当たる。しかし、アンソニーが燦めく金の髪に鮮やかな青い瞳であるのに対して、クリストファーは透き通る様な銀髪である。
王族の中でも銀髪は珍しい。そればかりでなく、クリストファーは兄である国王陛下とも全く似ていない。

精悍な顔立ちの陛下に比べて、クリストファーは中性的な瓜実顔で、今もドレスを着たなら麗しい貴婦人に見間違われる事だろう。

真っ白な神官服に抜ける様な白い肌。透き通る銀髪に瞳の鮮やかな青。
彼の前では真実以外は口に出せない、そんな神々しさがある。行雲流水、神に選ばれなるべくしてなった神官、それがクリストファー大神官なのであった。


清らかな御尊顔にすっかり圧倒されたキャスリーンであったが、寄進も終えてこのあとは礼拝堂で祈りを捧げたいと願えば、それは毎回のことであったから、透かさずここまで案内してくれた神官が礼拝堂まで再び案内してくれた。


祈りを捧げる時には、フランツも共に祈る。神の御前であるからと主従の関係は無いものと、キャスリーンとフランツ二人並んで祈りを捧げる。

信仰心が特別厚い訳ではないキャスリーンであるが、今日は思うところがあった。

アマンダの魂が神の光の下にあります様に。

肖像画のアマンダはうら若き令嬢の姿であった。彼女は若くしてこの世の生を終えたのだと思われた。彼女に何があったのか。それはあの黒革の日記に記されているかも知れない。

早くあの日記を読んでしまいたい。
逸る気持ちを抑えて、キャスリーンは祈りを捧げる。

アマンダ。貴女の人生に何があったのか。貴女を誰が悲しませたのか。貴女の幸せは、一体誰が願ってくれたのか。
どうか私に教えて頂戴。貴女の悲しみも苦しみも、そして喜びも、全て私が引き受けるわ。貴女の魂に安寧が訪れることを心から祈っている。


長めの祈りを捧げたキャスリーンであったが、フランツも同じくらい長い祈りを捧げていた。

気が付いたらかなりの時間が過ぎていたらしく、案内してくれた神官も気を利かせたのか既にいなくなっていた。

「すっかり遅くなってしまったわね。戻りましょう。」

午後には古書の修復師がやって来る。
まだ正午の鐘は鳴っていないが、急いで戻ろう。
そう思い、心なし速歩きになっていたキャスリーンの背中に声が掛けられた。

「キャスリーン。久しぶりだな。」

その声音に心当たりがあるキャスリーンは、面倒な人物に捕まったと、そちらの方へ振り返る前に眉を顰めた。




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