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【7】番外編 Side R&G
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不安と言えば確かに不安だ。
元々気が付かなかったのだから、喩え違ったとしても初めから無かった事と思えば良い。
寝具に包まり悶々と考える。考えたからと何かが変わる訳では無いが、考えずにはいられなかった。
同時に、情けなくなって来る。
夫ばかりでなく邸の使用人達も薄々気が付いていたのではないだろうか。侍女や侍女頭は多分、気付いていただろう。皆、グレースが気付くまでそっと様子を見てくれていたのだろう。義母はどうだろう。もしこれで違ったなんて事だったら、どれほど義父母を落胆させてしまうのだろう。
夜も耽った頃になっても、グレースらしくなく、くよくよと考えていた。
どうしよう、なんだかとても怖くなって来た。あんなに眠かったのに全然眠れそうに無い。
灯りを落とした室内は星明かりばかりが照らしている。月は新月を迎えるところであるから月灯りも僅かである。
「グレース、起きてるんだろう?」
夜の闇にロバートの声が静かに響く。
「心配しないで。少し眠れないだけなの。きっと朝寝坊をしたからだわ。」
「グレース、少し話しをしようか。」
片肘を付いてロバートが横寝となる。グレースもロバートに向き合った。
「前に話したのを憶えているかい?」
「前に?」
「聖夜の頃だよ。」
子を成せぬのを気にするグレースにロバートは言った。
「あれは気休めでも慰めでもない。私の本心だ。」
後継なら幾らでも方法はある。縁戚には子が幾人もいるからとロバートは言った。
この人生を二人で生きて行く。そんな生き方があっていいと。
「私と二人きりでは寂しいか?」
「いいえ、いいえ、決してそんな事は無いわ。」
「なら何故私を信じない?私は君と生きる人生を幸福だと思っている。もしそこに家族が加わるのなら、新たな幸せを得られたのだとそれも嬉しい。けれどもグレース。それもこれも、全て君がいるからだ。君のいない人生なんて望んではいない。何があっても二人でいれば楽しい人生なんだと、私はそう思っているんだ。」
グレースは涙が溢れるのを止められない。
「何も始まっちゃいないだろう。焦る必要も急ぐ必要も無いんだ。君は何も心配しなくてもいいんだよ。」
滅多に泣かないグレースが、いつまでも涙を止められない。そのうち何が悲しいのか自分でも解らなくなりながらも、それでも涙が止まらない。後から後から湧いて来て、まるで瞳が泉になった様だった。
終いには幼子の様に泣き疲れて、なんだかその疲れさえ心地良くなって、うつらうつらと意識が遠くなるまでロバートはグレースの背中を擦ってくれた。
大きくて温かな手の平に心から安堵して、グレースは眠りに落ちたのだった。
「真っ赤になってしまったな、私のうさぎちゃん。」
「...」
翌朝グレースの目元は、泣き過ぎたあまり真っ赤に爛れて腫れてしまった。侍女が慌て過ぎて熱いタオルと冷たいタオルの両方を持って来た。取り敢えず、冷たいタオルを瞼に当てる。
いい年をしてあんなに泣いてしまうだなんて恥ずかしい。子供の頃でもあれほど泣いたことは無かった。
「グレース、こちらを向いて。」
グレースは思わずぷいと横を向いてしまう。うさぎちゃん呼ばわりされたのが悔しい。
「あー、悪かった。私が悪かった。頼むよこちらを向いてくれ。」
仕方無しにロバートの方を向けば、
「まあ!ロバートっ、笑ってるの?」
ロバートは含み笑いを堪えている。
「いや、ごめん、その、可愛くてね。垂れ目が赤いって爆弾級に可愛いな。」
可愛い可愛いを連発されて、グレースは怒ることが出来なくなった。お陰で昨夜のナーバスな気持ちも消えてしまった。
そこで、ふと気付く。
あれほど不安であったのに、今は心がすっきりと整っている。宵闇の中でロバートの言葉を聞いて、気の済むまで泣いて、泣き疲れて眠りについた。そうして朝には何もかもが過ぎ去って、心は穏やかに鎮まっていた。
「ロバート、私、なんだか大丈夫そう。お医者様から何を聞いても受け止められそうよ。貴方も一緒にいてくれるのでしょう?」
「勿論だよ、奥さん。」
グレースは実のところ、ロバートが奥さんと軽口で呼ぶのを好ましく思っていた。
ジェントリーの間ではそんな呼び方もあるのだろうが、貴族ではそうそう無いだろう。
けれども、ロバートに「奥さん」と呼ばれると、ちょっと擽ったい様な甘やかな気持ちになる。
朝餉の後、少ししてから訪れた医師は、グレースに懐妊を告げた。
極初期であるから確かだとは言い切れず、翌週再び診察すると言う。それから、懐妊が確かとなってから改めてと言いながら、妊娠中の注意事項に食事や日々の過ごし方などを簡単に述べた。
グレースはその大半が耳に入らなかった。
侍女頭がメモを取り、ロバートも真剣に聞いているのだが、グレースは全く使いものにならなかった。子を宿した本人であるのだが、頭の中は、喜びに、戸惑いに、安堵に、それから最後は心配までやって来て、もうパンク寸前となった。
それからパンドラの箱の様に、最後の最後に、希望が溢れて湧いて出た。
ああ、この身が子を成せた。こんな幸せがあるだろうか。じわじわと幸せに思う気持ちが込み上げて、そうしてやっぱり涙が溢れた。既に真っ赤な目元であるのに、更に涙に濡れたから、本当に兎の様な目になってしまった。
「あんまり泣かないでくれ、うさぎちゃん。」
そう云うロバートだって、泣きそうじゃない。そう言ってやりたかったが、やはり言葉は出なかった。
元々気が付かなかったのだから、喩え違ったとしても初めから無かった事と思えば良い。
寝具に包まり悶々と考える。考えたからと何かが変わる訳では無いが、考えずにはいられなかった。
同時に、情けなくなって来る。
夫ばかりでなく邸の使用人達も薄々気が付いていたのではないだろうか。侍女や侍女頭は多分、気付いていただろう。皆、グレースが気付くまでそっと様子を見てくれていたのだろう。義母はどうだろう。もしこれで違ったなんて事だったら、どれほど義父母を落胆させてしまうのだろう。
夜も耽った頃になっても、グレースらしくなく、くよくよと考えていた。
どうしよう、なんだかとても怖くなって来た。あんなに眠かったのに全然眠れそうに無い。
灯りを落とした室内は星明かりばかりが照らしている。月は新月を迎えるところであるから月灯りも僅かである。
「グレース、起きてるんだろう?」
夜の闇にロバートの声が静かに響く。
「心配しないで。少し眠れないだけなの。きっと朝寝坊をしたからだわ。」
「グレース、少し話しをしようか。」
片肘を付いてロバートが横寝となる。グレースもロバートに向き合った。
「前に話したのを憶えているかい?」
「前に?」
「聖夜の頃だよ。」
子を成せぬのを気にするグレースにロバートは言った。
「あれは気休めでも慰めでもない。私の本心だ。」
後継なら幾らでも方法はある。縁戚には子が幾人もいるからとロバートは言った。
この人生を二人で生きて行く。そんな生き方があっていいと。
「私と二人きりでは寂しいか?」
「いいえ、いいえ、決してそんな事は無いわ。」
「なら何故私を信じない?私は君と生きる人生を幸福だと思っている。もしそこに家族が加わるのなら、新たな幸せを得られたのだとそれも嬉しい。けれどもグレース。それもこれも、全て君がいるからだ。君のいない人生なんて望んではいない。何があっても二人でいれば楽しい人生なんだと、私はそう思っているんだ。」
グレースは涙が溢れるのを止められない。
「何も始まっちゃいないだろう。焦る必要も急ぐ必要も無いんだ。君は何も心配しなくてもいいんだよ。」
滅多に泣かないグレースが、いつまでも涙を止められない。そのうち何が悲しいのか自分でも解らなくなりながらも、それでも涙が止まらない。後から後から湧いて来て、まるで瞳が泉になった様だった。
終いには幼子の様に泣き疲れて、なんだかその疲れさえ心地良くなって、うつらうつらと意識が遠くなるまでロバートはグレースの背中を擦ってくれた。
大きくて温かな手の平に心から安堵して、グレースは眠りに落ちたのだった。
「真っ赤になってしまったな、私のうさぎちゃん。」
「...」
翌朝グレースの目元は、泣き過ぎたあまり真っ赤に爛れて腫れてしまった。侍女が慌て過ぎて熱いタオルと冷たいタオルの両方を持って来た。取り敢えず、冷たいタオルを瞼に当てる。
いい年をしてあんなに泣いてしまうだなんて恥ずかしい。子供の頃でもあれほど泣いたことは無かった。
「グレース、こちらを向いて。」
グレースは思わずぷいと横を向いてしまう。うさぎちゃん呼ばわりされたのが悔しい。
「あー、悪かった。私が悪かった。頼むよこちらを向いてくれ。」
仕方無しにロバートの方を向けば、
「まあ!ロバートっ、笑ってるの?」
ロバートは含み笑いを堪えている。
「いや、ごめん、その、可愛くてね。垂れ目が赤いって爆弾級に可愛いな。」
可愛い可愛いを連発されて、グレースは怒ることが出来なくなった。お陰で昨夜のナーバスな気持ちも消えてしまった。
そこで、ふと気付く。
あれほど不安であったのに、今は心がすっきりと整っている。宵闇の中でロバートの言葉を聞いて、気の済むまで泣いて、泣き疲れて眠りについた。そうして朝には何もかもが過ぎ去って、心は穏やかに鎮まっていた。
「ロバート、私、なんだか大丈夫そう。お医者様から何を聞いても受け止められそうよ。貴方も一緒にいてくれるのでしょう?」
「勿論だよ、奥さん。」
グレースは実のところ、ロバートが奥さんと軽口で呼ぶのを好ましく思っていた。
ジェントリーの間ではそんな呼び方もあるのだろうが、貴族ではそうそう無いだろう。
けれども、ロバートに「奥さん」と呼ばれると、ちょっと擽ったい様な甘やかな気持ちになる。
朝餉の後、少ししてから訪れた医師は、グレースに懐妊を告げた。
極初期であるから確かだとは言い切れず、翌週再び診察すると言う。それから、懐妊が確かとなってから改めてと言いながら、妊娠中の注意事項に食事や日々の過ごし方などを簡単に述べた。
グレースはその大半が耳に入らなかった。
侍女頭がメモを取り、ロバートも真剣に聞いているのだが、グレースは全く使いものにならなかった。子を宿した本人であるのだが、頭の中は、喜びに、戸惑いに、安堵に、それから最後は心配までやって来て、もうパンク寸前となった。
それからパンドラの箱の様に、最後の最後に、希望が溢れて湧いて出た。
ああ、この身が子を成せた。こんな幸せがあるだろうか。じわじわと幸せに思う気持ちが込み上げて、そうしてやっぱり涙が溢れた。既に真っ赤な目元であるのに、更に涙に濡れたから、本当に兎の様な目になってしまった。
「あんまり泣かないでくれ、うさぎちゃん。」
そう云うロバートだって、泣きそうじゃない。そう言ってやりたかったが、やはり言葉は出なかった。
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