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【6】番外編 Side R&G
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王太子と王女の婚約という吉事が続いた一年も、あと数日で暮れようとしている。
グレースとロバートにとっては、新年早々駆け込む様に婚姻を結び夫婦となって暮らした一年であった。
幸福な一年だった。
何に感謝すべきか思い返して、齎された幸運の数々に、この年が天からのご褒美の様に思えた。失ってしまった三年間を、運命の差配のお陰で取り戻したのだとしても余りある。
心を痛めた別れの後に、大切な男性を得られた。今度こそ間違うまいと構える心は、いつの間にか夫によって溶かされて、それは蜜のようにグレースを甘やかす。
そのロバートに、グレースは言葉で言えずにいる事がある。ロバートだって気が付いていない筈が無い。現に、聖夜の夜会でも幾人もの貴族達に聞かれただろう。コウノトリはいつ来るのかと。
リシャールとの婚姻生活の三年間で、そんな兆しは只の一度も無かった。その原因がグレースにあるのかリシャールにあったのか解らないが、貴族社会に於いてはそんな事は問われない。妻のみが責を追うのは暗黙の内の常である。
婚姻歴のある夫人を娶って、それが子を齎さないとしたら、ロバートにとって何れ程の瑕となるだろう。
月に数度しか戻らなかった前夫と違い、ロバートは絶えずグレースを愛し求めてくれる。何度愛し合ったかなんて数え切れないほどである。
「元気がないね、奥さん。」
「え?そう?少し考え事をしていただけなの。」
「気にするな。」
「...」
今日が丁度そんな日であった。昼間会った客人に、「来年は楽しみですな」と言われたばかりだ。
「気にするなというのが無理な事だと解っているよ。だが私は君にそんな事で心を痛めてほしくない。」
「そんな事では無いわ。貴方は嫡男で家には後継が必要よ。」
「幾らでも方法はある。縁戚には子が幾人もいる。いいじゃないか、この人生を二人で生きて行く。そんな生き方があっていいと思っている。」
グレースの心の奥底に沈む鉛の様な塊は、ロバートの言葉に浮上するも、全てが消えて無くなる訳では無かった。この貴族社会にあって、ロバートと同じ事を言ってくれる夫は果たして如何ほどいるだろう。
払拭しきれぬ心の重さをそのままに、それでもロバートの言葉によって胸の内に安堵が生まれたのも確かなことであった。
つい先日新年を迎えたと思っていたのに、あっという間に春の兆しが感じられる様になった。
凍てつく冬はいつも長く感じるのに、今年ばかりは瞬く間に日は過ぎて、気が付けば風の薫りに春を感じる様になっていた。
クレア王女が無事にお輿入れなさった。
冬の間は度々お茶会に呼ばれて、王妃やテレシアも交えて残り僅かな日々を惜しんだ。だから季節が進むのもあっという間に感じたのだろう。
東の国の詩歌に、春の夜は寝心地が良くて夜明けを忘れて眠ってしまうと云う意味の詩があるらしい。
「..レース、グレース、」
温かな手の平に肩を擦られ微睡みから浮上する。
「おはよう、奥さん。良く眠っていたね。」
「まあ、ロバート、ごめんなさい。寝過ごしてしまったかしら。」
「今日はそれ程忙しくもないから、もう少し眠っているといいよ。」
「寝過ごしちゃったのね、ごめんなさい。大丈夫よ、もう起きるわ。」
食卓で朝餉を摂るにも、なかなか眠気が覚めない。クレア王女がお輿入れなさって気が抜けてしまったのかもしれない。先日も王妃から茶会の誘いを受けたばかりである。文には娘を手放す寂しさを春の庭で紛らわすのをお付き合い頂けると嬉しい、と記されていた。
日中は、商会で忙しくする内に、そんな眠気も吹き飛んだ。
このところ商会は多忙を極めていた。被服も装飾品も増産が続いている。カフェに至ってはその人気から、独立した新たな店舗を構えようかと皆で話していたところである。
そんな多忙続きの毎日に、自分が思う以上に疲れていたのだろう。うっかり寝過ごすなんて久しぶりの事だった。
帰りの馬車はロバートと二人きりであった。フランシスはまだ片付けたい事があるからと、珍しくグレースの側を離れて商会に残った。
「ねえ、グレース。」
「なあに、ロバート。」
ロバートの軽い呼び掛けに乗る様に、グレースは隣に座る夫に答えた。
「君、月のものが来てないのを気付いてたかい?」
「え?」
このところ、とても忙しかった。考える事もやらねばならない事も山積みであったから、一日があっという間で、一週間があっという間で、そうしてひと月が...
あれ?今月って、月のものはあっただろうか。最後はいつだった?
「グレース。ひと月半だよ。」
グレースの頭の中を覗いた様にロバートが言う。ロバートは、グレース以上にグレースの身体を知っている。月の障りがある間はグレースは夫人の部屋で眠るから、ロバートはグレースの周期さえ把握していた。
「明日、医者を頼んでいる。私も同席するから。」
「明日は、」
「商会はフランシスに任せている。」
フランシスは、明日二人の時間を作るために、今日も商会に残って業務の遣り繰りしているのだろう。
自分の身体であるのに全然気付かなかった。思えば最近やたらと眠気が続いていた。なんとなく身体が怠く感じていた。てっきり疲れているのだと、そんな風に軽く考えていたのだ。
もしかして、侍女達は気が付いていたのではないだろうか。
グレースは、隣に座る夫を見上げた。元々垂れた目元が情けなく下がっている。なんでそんな不甲斐ない顔をしているのか。
グレースを見下ろすロバートの瞳に、情けなく目尻を下げる自分の顔が映っていた。
グレースとロバートにとっては、新年早々駆け込む様に婚姻を結び夫婦となって暮らした一年であった。
幸福な一年だった。
何に感謝すべきか思い返して、齎された幸運の数々に、この年が天からのご褒美の様に思えた。失ってしまった三年間を、運命の差配のお陰で取り戻したのだとしても余りある。
心を痛めた別れの後に、大切な男性を得られた。今度こそ間違うまいと構える心は、いつの間にか夫によって溶かされて、それは蜜のようにグレースを甘やかす。
そのロバートに、グレースは言葉で言えずにいる事がある。ロバートだって気が付いていない筈が無い。現に、聖夜の夜会でも幾人もの貴族達に聞かれただろう。コウノトリはいつ来るのかと。
リシャールとの婚姻生活の三年間で、そんな兆しは只の一度も無かった。その原因がグレースにあるのかリシャールにあったのか解らないが、貴族社会に於いてはそんな事は問われない。妻のみが責を追うのは暗黙の内の常である。
婚姻歴のある夫人を娶って、それが子を齎さないとしたら、ロバートにとって何れ程の瑕となるだろう。
月に数度しか戻らなかった前夫と違い、ロバートは絶えずグレースを愛し求めてくれる。何度愛し合ったかなんて数え切れないほどである。
「元気がないね、奥さん。」
「え?そう?少し考え事をしていただけなの。」
「気にするな。」
「...」
今日が丁度そんな日であった。昼間会った客人に、「来年は楽しみですな」と言われたばかりだ。
「気にするなというのが無理な事だと解っているよ。だが私は君にそんな事で心を痛めてほしくない。」
「そんな事では無いわ。貴方は嫡男で家には後継が必要よ。」
「幾らでも方法はある。縁戚には子が幾人もいる。いいじゃないか、この人生を二人で生きて行く。そんな生き方があっていいと思っている。」
グレースの心の奥底に沈む鉛の様な塊は、ロバートの言葉に浮上するも、全てが消えて無くなる訳では無かった。この貴族社会にあって、ロバートと同じ事を言ってくれる夫は果たして如何ほどいるだろう。
払拭しきれぬ心の重さをそのままに、それでもロバートの言葉によって胸の内に安堵が生まれたのも確かなことであった。
つい先日新年を迎えたと思っていたのに、あっという間に春の兆しが感じられる様になった。
凍てつく冬はいつも長く感じるのに、今年ばかりは瞬く間に日は過ぎて、気が付けば風の薫りに春を感じる様になっていた。
クレア王女が無事にお輿入れなさった。
冬の間は度々お茶会に呼ばれて、王妃やテレシアも交えて残り僅かな日々を惜しんだ。だから季節が進むのもあっという間に感じたのだろう。
東の国の詩歌に、春の夜は寝心地が良くて夜明けを忘れて眠ってしまうと云う意味の詩があるらしい。
「..レース、グレース、」
温かな手の平に肩を擦られ微睡みから浮上する。
「おはよう、奥さん。良く眠っていたね。」
「まあ、ロバート、ごめんなさい。寝過ごしてしまったかしら。」
「今日はそれ程忙しくもないから、もう少し眠っているといいよ。」
「寝過ごしちゃったのね、ごめんなさい。大丈夫よ、もう起きるわ。」
食卓で朝餉を摂るにも、なかなか眠気が覚めない。クレア王女がお輿入れなさって気が抜けてしまったのかもしれない。先日も王妃から茶会の誘いを受けたばかりである。文には娘を手放す寂しさを春の庭で紛らわすのをお付き合い頂けると嬉しい、と記されていた。
日中は、商会で忙しくする内に、そんな眠気も吹き飛んだ。
このところ商会は多忙を極めていた。被服も装飾品も増産が続いている。カフェに至ってはその人気から、独立した新たな店舗を構えようかと皆で話していたところである。
そんな多忙続きの毎日に、自分が思う以上に疲れていたのだろう。うっかり寝過ごすなんて久しぶりの事だった。
帰りの馬車はロバートと二人きりであった。フランシスはまだ片付けたい事があるからと、珍しくグレースの側を離れて商会に残った。
「ねえ、グレース。」
「なあに、ロバート。」
ロバートの軽い呼び掛けに乗る様に、グレースは隣に座る夫に答えた。
「君、月のものが来てないのを気付いてたかい?」
「え?」
このところ、とても忙しかった。考える事もやらねばならない事も山積みであったから、一日があっという間で、一週間があっという間で、そうしてひと月が...
あれ?今月って、月のものはあっただろうか。最後はいつだった?
「グレース。ひと月半だよ。」
グレースの頭の中を覗いた様にロバートが言う。ロバートは、グレース以上にグレースの身体を知っている。月の障りがある間はグレースは夫人の部屋で眠るから、ロバートはグレースの周期さえ把握していた。
「明日、医者を頼んでいる。私も同席するから。」
「明日は、」
「商会はフランシスに任せている。」
フランシスは、明日二人の時間を作るために、今日も商会に残って業務の遣り繰りしているのだろう。
自分の身体であるのに全然気付かなかった。思えば最近やたらと眠気が続いていた。なんとなく身体が怠く感じていた。てっきり疲れているのだと、そんな風に軽く考えていたのだ。
もしかして、侍女達は気が付いていたのではないだろうか。
グレースは、隣に座る夫を見上げた。元々垂れた目元が情けなく下がっている。なんでそんな不甲斐ない顔をしているのか。
グレースを見下ろすロバートの瞳に、情けなく目尻を下げる自分の顔が映っていた。
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